No.1021 平成29年5月号

流 水 抄   加古宗也

風二月小樽運河に人まばら
風二月凍りつきたる礁潮
梅二月能楽堂の鏡板
桑名にも槍の忠勝春北風
白梅や縄もて洗ふ四ツ目垣
紅梅を曲り八丁蔵通り

城垣のゆるび地獄の釜の蓋
亀鳴いてをり城濠のゴムボート
亀の鳴く話海抜零地帯
馬籠路に春来水音走り出す
観音に臍といふもの暖かし
残雪や朦朧体といふ画法
榾焚いてをり寒鯉を炊いてをり
酒かもすとか城山の雪解水
大き耳きれいに拭かれ涅槃像

真珠抄五月号より珠玉三十句 加古宗也推薦

野焼守鍬と鎌持ち走り出す        今井 和子
吊り革の人のコートのふれしまま     今泉かの子
桃の日やほどいてやりぬ束ね髪      服部くらら
春雨や二通のうちの一つ訃報       川嵜 昭典
汽車消ゆる菜の花畑の一点に       東浦津也子
風激し雪解川まで転げさう        田口 風子
草の餅幼なじみと寄席ばなし       天野れい子
入口に瓦斯燈園の夕長し         阿知波裕子
存分に朝寝大伸びして山河        荻野 杏子
ぬるむ沼獺見しといひ見ぬといふ     牧野 暁行

原爆を知る木知らぬ木水温む       中井 光瞬
山笑ふだんご虫しか触れぬ子       岡田由美子
堆き木太刀まつかな落椿         長村 道子
簪の先は耳掻き山笑ふ          新部とし子
白鳥の旅立ち近し給餌減る        堀口 忠男
鍵かかる日記ミモザの花明り       髙相 光穂
風花や懐古の主役何時も母        早川 暢雪
和らふそくに年輪のあり桜どき      江川 貞代
鳴き砂を泣かして去りし春日傘      監物 幸女
信長の駆けし急坂草萌ゆる        高橋 冬竹

髙安の胸毛逆だつ浪花場所        濱島 君江
雛壇の裏に幼のかくれんぼ        近藤くるみ
雪中花沖より白き波かへる        酒井 英子
梅が香や互ひに邪魔をしない距離     岡田つばな
如月や鳶に餌付けの漢ごゑ        勝山 伸子
体温に一喜一憂寒戻る          筒井 万司
冬椿こころ弾まぬ日も咲きぬ       小川 洋子
ポケットに白いマスクの紐のぞく     服部 芳子
撫で牛の二重まぶたや梅三分       水野 幸子
雑貨屋の籠に黒猫鳥曇          工藤 弘子

選後余滴  加古宗也

原爆を知る木知らぬ木水温む   中井 光瞬
広島に原爆が投下されてから間もなく七十二年になろうとし
ている。原爆許すまじ、との思いは日本国民の総意とでもいう
べきものであったはずだが、平和利用の名のものに、なしくず
し的にあやしくなってきている。福島原発事故によって、再び
盛り上がるかと思ったが、安全が十分に保障されないまま、次
つぎに立入り解除が始まっている。
広島に原爆が投下された直後、広島にはこのまま何十年も樹
木が生えることはないだろうと言われたが、意外に早く復活を
見せた。樹木の生命力の強さに驚くとともに、市民こぞって平
和であることの喜びを噛みしめたといわれている。「原爆を知
る木知らぬ木」の措辞によって、原爆投下とその後の経過がた
ぐり寄せられており、樹木の生命力に勇気づけられたことを示
唆している。「水温む」はまさに、平和のありがたさをしみじ
みと思っていることだといえようか。さらに言えば、福島では、
いまだに根本的な解決はなされないままであり、経済問題にす
りかえられているかのように見えるのは怖しいことだ。広島市
民である作者にして控え目ながらも厳しいメッセイジが発せら
れている。

堆き木太刀まつかな落椿   長村 道子
現在の南知多市野間に通称「野間大坊」と呼ばれる古刹があ
る。その境内の一角に源頼朝が立てたという立派な伽藍があり、
その脇に源頼朝・義経兄弟の父である義朝の墓がある。宝篋印
塔なのだが、掲出句のように堆く木太刀が積み上げられていて
よく見えない。ときおり護摩として焚かれるらしいが、それよ
り早く次つぎに奉納されるために「堆き」という状態が久しく
続いている。平家との抗争に敗れた義朝は下臣の長田兄弟を
頼って知多へ下ったが、長田兄弟の謀反によって落命している。
「旅の疲れを落とされよ」と風呂を勧められ入ったのがいけな
かった。丸腰のまま風呂の中でめった切りに合ってしまった。
その時、義朝が刀ならずとも木太刀の一本もあればお前達にむ
ざむざやられることはなかった、と悔しがったとの言い伝えか
ら、木太刀の奉納が始まったといわれている。ちなみに義朝の
忌日は一月三日。椿は美しい花だが、ぽろりと落花するところ
から、縁起がよくないという人もいるが、薮椿など真赤で、鮮
血の色と似ているのもこの句を魅力的に演出している。ちなみ
に、義朝が殺されたという湯殿は、野間大坊から約一キロほど
東へ行った薮の中にある。そこを訪る人が稀なのはどうしてか
と時折り思うことがある。

春灯や高山に買ふ昔菓子   荻野 杏子
岐阜県高山市は、現在、外国人の人気スポットの上位にラン
クされている。高山祭は別として、外国人は高山陣屋と二之町、
三之町と呼ぶ古い街並が好きらしい。酒蔵を中心に土産物店や
喫茶、食堂などが軒をつらね、所どころで、何か良い香がして
くる。「昔菓子」というのは昔の駄菓子のことで、最近では観
光地で見られるくらいで、すっかり珍しいものになっている。
昔菓子の中でも私の好みでいえば醤油をたっぷりつけて焼いた
餅菓子で、海苔を巻いたものがことにおいしい。草加せんべい
もその流れのものだが、醤油の焦げる匂いが三之町に漂ってく
るとたまらない。この菓子にしようか、あの菓子にしようかと
大きな目をくりくりしている作者の姿が思い浮かんで楽しい。
じつは作者は高山の出身。この辺が俳句の核心の一つで、よそ
者ではたとえ昔菓子と詠んでも、そのおいしさが滲んでこない。
〝俳句は風土の詩〟というのも、ふるさととも大きくかかわる
ことなのだ。

かげろへる獄舎二つの見張り塔   工藤 弘子
刑務所の高い塀は独得の緊張を見せて立っている。塀の中と
外を完璧に分断するもの。つまり、中と外とで全く異なる生活
が営まれている。この句は外から獄舎の塀を眺めて作った句で、
唯一、正門から獄舎の中を覗き込むことができる。そして、目
を塀に転じたのだ。「かげろへる獄舎」の「かげろへる」には
囚人に対する複雑な思いが象徴的に季語に託されており、見張
塔にもやはり複雑な思いが通う。「二つの見張塔」は死角を無
くすためで、外からそれを眺めたとき、いささかの緊張を強い
られる。先年、前橋監獄を吟行したことがあるが、その時の思
いが鮮烈に甦って来た。

野焼き守鍬と鎌持ち走り出す   今井 和子
湖西線が登場することから、野焼三句は琵琶湖周辺での作の
ようだ。近江八幡の葦焼きもそうだが、近江周辺は広く平野が
続いており、野焼も独得な詩情をかもし出す。ことにこの句、
鎌だけでなく鍬まで持ち出しているところに圧倒的な面白さが
ある。そして、この辺が作者の最も得意とする把握であり表現
なのだ。

山笑ふだんご虫しか触れぬ子   岡田由美子
子供は意外に虫好きで、カブトムシ・クワガタムシ・アブラ
ゼミ・クマゼミ・紋白蝶その他。玉虫にいたっては即、お宝だ。
そんな中で、だんご虫は、格好よくもなければ、美しくもない。
ただ、触れたとたんにくるくる丸まって団子のようになってし
まう。この子は、すぐにくるくると丸くなってしまうだんごむ
しに、ひょっとしたら友情を感じているのかもしれない。「触
れぬ」ではなく「愛情」なのだ。

竹林のせせらぎ  今泉かの子

青竹集・翠竹集作品鑑賞(三月号より)

泣き所張って地蔵は春を待つ   渡辺たけし
大須秋葉殿にある紙張り地蔵堂での一句。こぢんまりとし
た境内の、小さなお堂に白い紙が二枚十円で置かれています。
自分の願う治したいところにその紙を貼り付け、水をかける
と御利益があるといわれ、昔から多くの人が足を運びんでい
ます。お地蔵様は衆情の祈願をその身に引き受け、今はもう
全身真っ白で、目鼻立ちも判然としません。人々の願いを託
され、身代わりとなって春を待つお地蔵様。平明な言葉を用
いながら、それらがおさまるべき処へきちんとおさまり、すっ
きりとした立ち姿の秀句です。

高きより給ふ鈴音や初祓   服部くらら
古来より、目に見えない霊験あらかたな力は、気の動きか
ら、かすかな音を連れてしるされてきたといいます。微かな
気配の動向は音連れ、訪れへ。まさに、鈴の音は神聖な通力
や感応する力をもっているのでしょう。社殿にあがり、神官
のお祓いを受け、また新しい年への一歩が始まります。「高
きより給ふ」の措辞に清々しく晴れやかな心持ちが伝わりま
す。

学都去る時雪嶺の槍穂高   三矢らく子
長野県は教育県として、その熱心な指導は愛知の学校現場
でもよく知られていました。また長野県出身者なら、県歌『信
濃の国』は必ず歌えるといわれ、今も九割以上の小学校では
教えているようです。さて、「学都」とは学校が多い都市の
こと。ここでは、信州大学や旧開智学校のある松本市。その
松本を離れようとした作者の目に雪をいただいた槍ヶ岳、穂
高の峰々が美しく映りました。雪嶺の北アルプスの高潔さ。
一抹の旅情とともにストイックな緊張感をはらんだ佳句で
す。

探梅や小溝の板の撓みけり   乙部 妙子
野趣を伴う探梅行ならではの発見の一句。早咲きの梅をた
ずねて出かけた折、道沿いの小さな溝にかぶせてあった板が
撓んでいたというのです。まだ頬に触れる空気は冷たく、春
の趣を探ろうとする心持ちは、足下の、端が曲がって反った
ふたに気づきました。だから、どうだというのではありませ
ん。そこから、春の兆しが見える訳ではないでしょう。でも、
何か惹かれるもの。切れ字が二重に遣われているのも何のそ
の。読み手が自由に発想を広げて楽しめばよいのだと、そん
なことを感じさせられた一句です。

大寒や大どんぶりで来るうどん   岡田つばな
大寒のこの震えるほどの極寒の時期には、暖かいものが何
よりのご馳走です。待っている作者の前に、湯気のたった熱々
のうどんが運ばれてきます。しかも、大どんぶりですから、
豪快です。句意も豪快なら読みもまた大胆。ダ行の「だ」「で」
「ど」を含め、濁音は五音。さらに、撥音の「ん」が上五中
七下五に含まれ、リズムもはずみます。さらにさらに、表記
の「大」「大」「どん」「どん」の繰り返しもまた、楽しいし
かけのようです。飾らない作者の人柄がそのまま句柄となり、
大寒の寒さも吹き飛ばす、暖かくておいしそうな一句になり
ました。

ここに居ることがすべてと農初め   米津季恵野
季語のもつ力に支えられた一句。ここに居ることがすべて
とは、この時代、この土地に関わる縁をすべて含んで、自分
の存在全てを包括しての言葉。「農初め」の季語が結句に置
かれたことで、土とともにある生活の確かな実感が伝わりま
す。句碑まつりでも、丹精された立派な野菜をお供えされて
いた作者。作者ならではの真実味を帯びた力強い作品です。

地に降りてまだ息荒きいかのぼり   加藤 久子
いかのぼりとは、紙鳶、凧のこと。地方によって、イカと
もハタとも呼ばれ、本来は幸福祈願や魔除けの意味合いを
もっていたようです。掲句は一句一章。大空を縦横に存分に
泳いで来た凧なのでしょう。背景に広がる空の自由さと対照
的な硬い大地。その大地に着いても、まだ風を欲しているか
のように跳んだり跳ねたり、吐く息はまだ荒いのです。着地
してなおの男ぶり。見事な擬人化によって地に着いた凧に命
が吹き込まれました。

福達磨抱え人波潜りけり   平田 眞子
開運厄除けを祈念して、新年に飾る福達磨。若竹の新春俳
句大会でも毎年高崎の福達磨が登場し、特選賞の賞品となっ
ています。そのめでたい福達磨を抱えて正月のだるま市の人
混みの中を、前屈みで縫うようにして帰路についたのでしょ
う。この人波はさしずめ人生の荒波とも。これから起きるか
も知れない困難、災いをどうか、切り抜け、くぐり抜けるこ
とができますように。抱えているこの福達磨が心強い味方と
なって立ち向かう力を与えてくれますように。

初暦大きく囲む丸印   岡田 初代
新しい年、新しい時の流れを表す初暦。そのある一日に作
者は早速丸い印を付けました。大きく囲んだのはきっと、何
か大切なこと、よいことが予定されているから。特別な、ハ
レの一日に寄せる期待感。初暦の季語を得て、日頃している
○をつける行為が、生き生きとまた清々しく再現されました。

一句一会  川嵜昭典

冬銀河また誰か川渡りくる   塩野谷 仁
(『俳壇』二月号「昼月」より)
「川渡りくる」と言う言葉は、色々な取りようがある。し
かしそれは、冬の星空を見ようと来る歩みというよりは、もっ
と生活に根差した歩みだろう。大きな星空の下、それぞれが
それぞれの人生を背負っている。星空の大きさ、星の時間の
長さに比べれば、人生はとても儚いものなのかもしれないが、
人一人にとっては、かけがえのないものだ。「また誰か」と
いう言葉は、そんな、一人一人の人生を感じさせる。星空の
大きさと、人の小ささの対比、また、小さな人生にも星の光
が当っているような、印象的な句だ。

虹いろの蝶の標本十二月   和田 順子
(『俳壇』二月号「虫の館」より)
十二月は、慌ただしい中にも、どこかその年を顧みる瞬間
がある。掲句は、あたかも標本の蝶の一つ一つが、一年のそ
れぞれの月に対応しているようでもあり、それぞれの月に一
つずつ、虹色に輝くような、いいことを見つけて一年を振り
返っているようでもある。整然と並べられた蝶の標本を見て
年の瀬を感じるという発想に、はっとする。

極月や海の底より波の音   抜井 諒一
(『俳壇』二月号「ほんたうの色」より)
十二月という押し迫った月は、作者の耳に、これまでは聞
こえなかったような音を聞かせる。それは海の、命の音や、
歴史の声、そういうものだ。それが「海の底より波の音」と
いう意味だろう。つまり、命の音や歴史の声が、波音のよう
にひたひたと作者の耳に響くのだ。一年のうちで最も深い季
節に、深い深い海の、地球の歴史の音を聴く。大きなロマン
を漂わせる句だと思う。

外套を脱がで見舞の客帰る   斉藤 志歩
(『俳壇』二月号「雲に色」より)
さりげない風景だが、さりげないだけに、何かしらの意味
があるのではないかと思わせる一句。外套「も」ではなく、
外套「を」というところが、病人に対する配慮のようでもあ
り、見舞客の都合のようでもあるが、病人と見舞客との間に
通じる呼吸があるのだろう。その二人の間にある呼吸を象徴
するものが外套であり、脱ぐか脱がないか、それだけで通じ
る何かがあるということだ。一言二言言葉を交わしただけで
も、第三者では分からない機微がある。日常はこのような一
瞬一瞬の機微の積み重ねなのかもしれない。温かみがあるよ
うな無いような、ざらりとした感触がある句だ。また、外套
という言葉は、一見古めかしいようでもあるが、例えばゴー
ゴリの小説「外套」など、文学的にはちょっとした味わいの
ある言葉だ。その選択もこの句の味わいに一役買っている。

回廊を僧の行き交ふ梅日和   成川 雅夫
(『俳壇』三月号「梅の寺」より)
僧がゆっくりと歩いているのではなく、少し足早に行き
交っている情景ではないだろうか。この頃の時期といえば、
涅槃会、彼岸会などの言葉も浮かぶが、いずれにしろ、やや
慌ただしく春が動き出す時期でもあり、物理的に忙しいのも
あるが、感覚的に忙しいのだ。そんな様子が軽いユーモアを
伴いつつ穏やかに表現されている。「梅日和」という季語の
力だろう。

ドストエフスキー読めば大きな冬の蝿   武藤 紀子
(『俳壇』三月号「冬干潟」より)
ドストエフスキーの小説の登場人物は誰も、普段は気にも
とめられない人達である。しかし、読み進めていくうちに、
その灰汁の強さもあり、だんだんと存在感を増す。彼らは自
身の都合で、自身の良いように振る舞う。それら登場人物は、
ロシアの冬の、暗い空を思わせるが、それはあたかも、傍を
うろつきまわる、蝿のようだ。冬の蝿と言えば、その弱々し
さや小ささが焦点となるが、掲句は逆に、蝿の不気味さ、存
在そのものに焦点を当てている。蝿を見つめていると、どこ
か自分と似ているのではないかとも、思えてきて、小説の登
場人物と、冬の蝿と、自身とが、奇妙に結びつくような気に
なる。そのちょっとした、気持ちの奇妙さんを引き起こさせ
るところが、この句の面白さでもある。

ドア軽く閉めてこれより大試験   原  雅子
(『俳壇』三月号「日々」より)
試験の思い出というのは、思い出したくもあり、また思い
出したくもないものでもあるが、一つ言えるのは、そのとき
はそのときなりに精一杯やってきたということだ。「ドア軽
く閉めて」「これより」という言葉のリズムが、少しの緊張と、
これまで勉強してきたんだという少しの自負が混じっている
ようで心地よい。人生が少なくとも自分自身が行動してドア
を開いていかなければならないものであるならば、これまで
に対して一旦ドアを閉め、そして新しい場所に入って行くと
いう、掲句のような行為は、人生そのものなのかもしれない。