No.1025 平成29年9月号

流 水 抄   加古宗也

小栗上野介遭難地を訪ふ 八句
木下闇濃くす双体道祖神
茅花流しや畑中に斬首塚
筍や小栗の墓へ高き階
源と刻す墓あり蛇苺
松の蕊立ちネジ釘の話しなど
捨て駕籠に秘話あり黴の収蔵庫

老愉し桧笠菅笠涼しげに
倉淵や美しすぎし黄の牡丹
明治村 二句
聖堂を満たすオルガン聖五月
二た尋もある薔薇窓や聖五月
押し釦信号は青夏燕
聖五月小樽運河に百合鴎
軽井沢
聖五月石の教会訪ねたる
九品仏開けあり雨の未草
室生寺
雨上がるらし石楠花の鎧坂

真珠抄九月号より珠玉三十句 加古宗也推薦

こより縒ることより始め星祭      辻村 勅代
梅雨明けや陶土に混じる雲母片     岡田つばな
あきらめのつく死などなし原爆忌    竹原多枝子
図面無き和船造りや晩夏光       阿知波裕子
鈴蘭や子等の可愛い声とほる      清水ヤイ子
影落す寝釈迦の巨像牛冷やす      市川 栄司
落し文しまひこまれし文の束      岡田由美子
空蝉の固さ軽さを抓みけり       春山  泉
夏川や少年大声で話す         成瀬マスミ
青田風太棹ひびく人形座        今井 和子

夜の薄暑をんなが女語り出す      大澤 萌衣
角栄てふ宰相ゐたり錦鯉        服部くらら
艪の音のあやす如くに鳰浮巣      渡邊たけし
蜘蛛の巣やまた繕うて住むつもり    久野 弘子
風音か夏蚕の桑を食む音か       加瀬 恵子
梅花藻の呟き風にさざ波に       奥平ひかる
空豆はゴリラの指に似て太し      川端 庸子
伊吹嶺の日のさんさんと薬の日     和田 郁江
黒南風や夫との話ずれ始む       川崎 妙子
炎天へドクターヘリの飛び立てり    奥村 頼子

山ほどの干し物かかへ夏帽子      生田 令子
滝禊踏まえる指の紅に染む       深見ゆき子
名水に少しうすめて梅酒飲む      濱嶋 君江
錦鯉泳がせ曰くモネの池        三矢らく子
箱庭の猫の玩具となつてをり      水野由美子
梅雨寒や慰め合ひつ切る電話      髙橋より子
落し文父には伏せしままのこと     池田あや美
小料理の味もきっぷも麻のれん     乙部 妙子
諍いし夜の爪立てて髪洗ふ       高瀬あけみ
痛風の夫へ毎朝バナナ出す       今泉かの子

選後余滴  加古宗也

角栄てふ宰相ゐたり錦鯉     服部くらら
かつて田中角栄という宰相がいた。それまでの政界の常識
であった学歴を持たずして、四十代で自民党の幹事長に、
五十代で総理という政界のトップにまで一気に上ぼりつめた
政治家としてこれからも語り継がれてゆくことだろう。そし
て「金権」という言葉が生まれたのもこの時代で、それゆえ、
「ロッキード事件」という航空機をめぐる汚職事件で、十分な
検証もなされないまま失脚した宰相だった。『日本列島改造論』
によって、日本の高度経済成長を促し、中国との国交回復に
成功した宰相として、いま再び大きな注目が集まっている。
角栄は新潟県の出身。新潟県は錦鯉の産地としても知られ、
角栄は錦鯉を愛した。錦鯉に餌をやりながら、満面に笑みを
たたえる角栄のニュース映像を今も鮮明に記憶している。数
年前、新潟に遊んだとき、「新潟を日本の玄関口にしたい」と
いうのが角栄の夢だったと聞かされ、多くの日本人が太平洋
の方ばかりを見ていて、日本海いや大陸と本気で向かい合っ
ている人が少ないことに気づかされた。

図面なき和船造りや晩夏光     阿知波裕子
鵜飼の連作が面白い。しかも、鵜飼よりも鵜飼船に視点を
置いて詠まれているのが新鮮だった。「図面なき」とは、いき
なり板に線を引いて造船するのだろうか。まさに職人の感が
勝負の造船作業だ。日本の伝統の中にはこの「感」というの
が重要な位置を占めており、その感から科学を超える何かが
生まれてきたように思う。日本人と欧米人との比較の中でよ
くこの「感」が取り上げられてきたが、俳句もまた、科学す
る前に「直感」を働かせたほうがいい。

青田風太棹ひびく人形座     今井 和子
滋賀県に伝わる人形浄瑠璃の連作だ。太棹は文字通り棹の
太い三味線のことで、普通の三味線が女性的な音をひびかせ
るというのなら、太棹は男性的な音色が何といっても魅力だ。
竹本竹山の弾く津軽三味線によって太棹は、日本国中に多く
のファンを持つようになった。男性的で、人形浄瑠璃のお囃
子として舞台の盛り上げに欠くことのできない存在であるこ
とは直ちに理解される。さらに「青田風」という季語の斡旋が、
地方であるゆえの魅力、野趣といってもいいが、をしっかり
引き出している。

空蝉の固さ軽さを抓みけり     春山  泉
空蝉の特徴は何か、と問われれば、即ち「固さ」であり、「軽
さ」だといってよい。いま眼の前にある空蝉を、情や理屈を
拭い去って、これ以上に言えないまでにシンプルに描写した
ことで単なる写生ではなく見事な写実に到達している。

梅雨寒や慰め合ひつ切る電話     髙橋より子
梅雨どきは、誰れしもがストレスを持ち易い季節だといっ
てよい。さらにそのストレスを捨てる機会をなかなかつかみ
にくい季節でもある。電話で愚痴を言い合う、慰め合う。女
性の女性らしい梅雨どきの行動を素直に詠んで過不足がない。
俳人が俳句をする意味はこれでほぼ達成できているのだと思
う。

寄席囃子高座の隅の蚊遣豚     市川 栄司
どこか懐かしいものを覚える一句だ。高座の隅に蚊遣豚が
焚かれている光景は、おそらく現在の寄席では見られまい。
つまり、回想だが、回想によって甦える光景は純粋な懐かし
さであって、そこには青春時代まで読み取ることができる。
「五・七・五」という短い詩型である俳句は短いゆえに多くを語
ることのできる文芸、世界に誇る文芸だと思う。

こより縒ることより始め星祭     辻村 勅代
七夕祭りの中心をなすのは七夕笹を飾ること。そして、七
夕笹には小さな短冊に願いを書いて吊るすならいになってい
る。短冊を笹に吊るための小道具として、作者はこよりを縒っ
ているのだ。あるいは、母親が子供たちのためにこよりを作っ
てくれたことを思い出しているのかもしれない。「こより縒る
ことより始め」には星祭の段取りを語っているだけでなく、
母親の愛を熱く思い出している作者が見えてくるのだ。私の
家ではこよりではなく、棕梠の葉を細く裂いたものを紐にし
ていた記憶があり、私は母親のそばで、一所懸命、棕梠の葉
を裂き、ときに「上手に裂けたね」と声を掛けてくれた母親
のことを思い出させてくれた一句だった。

落し文父には伏せしままのこと     池田あや美
「落し文」は落し文科の甲虫が作った巻葉で道路に落ちてい
るものを言うが、単純にそれではつまらない。「公然と言えな
いことを記してわざと道路などに落しておく文書」と解して
こそ面白い。その基本的な使い方は「恋文」だが、掲句は「父
には伏せしままのこと」とある。何と熱い言葉かと思う。月
並なものは一切ない。

艪の音のあやす如くに鳰浮巣     渡邊たけし
近江八幡の水郷での作か。艪音の子守唄に似たリズムに合
わせて、鳰の浮巣がかすかに揺れた。水郷は静寂の中。

竹林のせせらぎ  今泉かの子

青竹集・翠竹集作品鑑賞(七月号より)

外郎といふ好物があり風薫る     牧野 暁行
悠揚とした調べです。ういろうのほんのりとした甘さ、見
た目のなめらかさ、艶やかさ。そしてもっちりとした食感。
青葉をわたる風は心地よく、気持ちのよい景色が広がる中、
作者は好物を前に泰然自若として、一服のお茶を楽しんでみ
えるのでしょう。ういろうは名古屋名物としてもお馴染みで
すが、元々の語源となった外郎は、外郎売りの口上でも知ら
れる漢方薬でした。一粒口に入れると「胃、肝、肺健やかに
成って、薫風喉来たり、口中微涼を生ずべし。」とのこと。
なんと、「薫風」が「喉より来たり」とは。これ以上の季語
はありませぬ。薫風を体感するに、江戸の薬と平成を生きる
作者の好物と。時空を越えた思わぬ縁に感服つかまつりまし
た。

ふるさとの心一会にお茶を摘む     鈴木いはほ
お茶所西尾をふるさととして、在住のいはほ氏ならではの作
品。一期一会はお茶会の心得からうまれた言葉。「一生に一
度の出会いと心得て主客ともに誠意を尽くす」この、誠を尽
くすという姿勢。ここにふるさとの心があり、また、それは
茶摘み全般にわたる作業にもいえることなのでしょう。そし
て、長い間、俳句を続けてみえる氏の作句に対する姿勢に通
ずるのかもしれません。

産土に十薬残し掃除終ふ     江口すま子
十薬は独特の臭気をもち、抜いても抜けず疎まれる一方、
たくさんの薬効があるとされる薬草です。作者はその十薬だ
けを残して丁寧に掃除されたのでしょう。白い小さな十字形
の咲く様子は産土神に手向けられた光景のようにも思われ、
掃除を終えた、さっぱりとした気持ちのよさは産土への清浄
につながります。また、生まれた土地に対する敬虔な姿勢も
窺われます。毒を矯める(毒を抑える)効能にあやかって、
私も今年初めて、どくだみを干してみました。

行く春や軍手に残る右左     大澤 萌衣
元々は右も左も無かった同じ形のものです。スリッパもそ
うですが、道具としての役割を果たしているうちに、手足に
合うように馴染んできたのです。形となって表れた左右の違
い。自然界の命が輝き出す春という季節の中で、軍手をはめ
て行った作業のあれこれが、今の暮らしにつながっています。
過ぎ去ろうとする春をふり返り、よく働いた軍手を前に、作
者のゆったりとした充足感が感じられる作品です。

朝から頭痛紫陽花に青き雨     勝山伸子
紫陽花には雨がつきもの。青は本来は、灰色がかった白色
をいうそうです。となれば、それは紫陽花の頃のしとしと降
る雨の色に似つかわしい。「朝から頭痛」と、ややダークに
始まりますが、声に出して詠んでみると、意外に暗くありま
せん。アの音が上・中・下の句の頭韻を踏み、アの母音が八
音も入って、明るい響きをもたらしているからでしょう。朝
の頭痛もそんなにひどくなく、実はよくあることなのかも。
そこにはやや気怠い、もの憂げ感じさえ漂うのです。梅雨の
頃の気配を新しい感覚で取り合わせた一句です。

靴下を脱ぎ若草を踏みにけり     石川 茜
春という季節の優しさが、開放感を生み、靴下を脱いでし
まわれたのでしょう。萌え出した若草のみずみずしさが、作
者に思い切った振る舞いをさせたのかもわかりません。足裏
にあたる若草の心地よい感触。その生き生きとした色を、柔
らかさを思います。何となく、少年少女の頃を思い出してし
まうのは、素直な詠みぶりと「若草」という季語の力のせい
でしょうか。

外にも出ず句にも好かれず麦の秋     高柳由利子
初夏なのに、麦にとっては実りの秋。青い空の下、黄金色
に輝く麦畑は、もうすぐ刈り入れの時期。それなのに、外の
明るい空気を吸うこともなく、さりとて俳句にも遠く、今一
つ興も乗らない。孤絶した思いは否定を重ねることで強調さ
れる一方、畳みかけることでリズムを生んで、開き直ったよ
うな強さも感じます。この疎外感が、寂しい切ないというウ
エットではない、ドライな感じがするのは、季語が「麦の秋」
だからでしょうか。句にも好かれずと言いながら、斬新な一
句となりました。

雨粒をこぼして薔薇を剪りにけり     吉見 ひで
鋏を持つ作者の手元からこぼれたのは、雨粒のきらめき。
ひんやりとした雫を感じると共に、その芳しい香も身ほとり
に来たことでしょう。薔薇は花の王座として、その棘さえ美
しさ故に許されてきました。薔薇を我が物とするためには、
雨粒をこぼさざるを得なかったのでしょう。シンプルな詠み
ぶりながら、薔薇の花にふさわしい堂々たる作品です。

若葉風今日のことより明日のこと     犬塚 玲子
気力の充実を感じる一句。柔らかな若葉をわたる風が、作
者に届けてくれたのは新しい力。自分のもてる力を信じて、
明日のために、今日の自分を処するのです。明日とはこれか
ら先の未来。みずみずしい気の流れは人の心ばえまで、新し
く美しくさせるのかもしれません。

一句一会  川嵜昭典

ひとひらの落花貼りつけ墓茶碗     黛   執
(『俳壇』六月号「遅日の子」より)
梶井基次郎の「桜の樹の下には屍体が埋まっている」では
ないが、桜と墓というのは不思議によく似合う。桜の木自体
の、淡い桃色の花と、ごつごつした、黒い幹との取り合わせ
がすでに生と死との対比を思わせるようであるからだろう
か。そういう意味で、桜の下の墓というのは、光景としては
よくあるものかもしれない。しかし作者の目は、一枚の花弁
に留まる。これが、「貼りつき墓茶碗」と表現されているの
ならば、その花弁は単なる偶然の産物でしかない。しかし、
作者は「貼りつけ墓茶碗」と表現している。すなわち、誰が
貼りつけたのか、という疑問が湧く。結論を言えば、この「貼
りつけ」に、作者は、天の意思、力を感じたのではないだろ
うか。天から降り注ぐ花弁が、偶然にも茶碗に貼りついたわ
けではなく、その貼りついたことも、何か目に見えない大き
な力が宿りそうさせた、ということではないだろうか。この
一枚の花弁のもてなしに、大きな優しさを感じる。

落椿押し分けていく真鯉かな     山本 洋子
(『俳壇』六月号「蝶々」より)
一枚の絵のような、美しい句。ただ絵と違うのは、読者が
その構図を自由に想像できるところだと思う。真鯉は上から
下へ、もしくは下から上へ、一本の線のように進んでいく。
上から下へ行くのであれば、真鯉の優美さが勝るだろう。下
から上へ行くのであれば、真鯉の力強さが際立つであろう。
つまり読者の頭の中の構図によって、この句は優美な句にも
力強い句にもなる。また、この句の、赤や桃と黒、もしくは
白と黒との対比は、西洋画のような鮮やかな句にも、水墨画
のような静謐な句にもなる。そんな万華鏡のような取り方を
可能にさせ、想像が膨らむ。一言で美しいと言っても、色々
あることを感じさせる。

永き日や小屋いつぱいの孔雀の尾     田川 節子
(『俳壇』六月号「春隣」より)
どんな日でも、小屋の孔雀は小屋の孔雀であり続ける。人
にとっては日永の季節になっても、孔雀にとってはどうなの
だろう。小屋に差し込む日の加減で季節を感じられるものな
のだろうか。「小屋いっぱいの孔雀の尾」という言葉が少し
切なくもなるが、事実を事実のまま提示するこの句は、善悪
を超えた、詩的な意味での広がりを読み手に抱かせる。

蜥蜴跳ぶ走る佇む攀ぢ上る     仲  寒蝉
(『俳壇』七月号「百虫譜」より)
説明不要の迫力を感じる。句が蜥蜴そのものである。行動
そのものを動詞のみで畳みかけることによって、蜥蜴が人間
ほどの大きさをもって眼前に迫る。またふと我に返って思う
のは、やはり蜥蜴は蜥蜴であって、人間とは全く別の世界に
生きているのだな、ということだ。人間から見れば、「跳ぶ
走る佇む攀ぢ上る」というのは、それぞれ別の、切り分けた
行動になるのだが、おそらく蜥蜴からすれば、これらの行動
は、一連の動きとしか言いようのない、生態なのだろう。そ
れが既に人間とは感覚が違うのだと、改めて考えるのだ。

どの人もすこし不幸や祭笛     大牧  広
(『俳壇』七月号「遠郭公」より)
そもそもの祭は、信仰心から生じる祈念や感謝、祈念であ
ろうが、現在では祭と言えば、華やかに寄り集まっての賑わ
いや騒ぎ、飲食などの楽しみなどが意味の中心になるだろう。
それが一般であり、今の姿だ。
人生を振り返り、それまでの幸不幸の量を量るとすると、
いったいどちらに傾くのだろうか。もちろん、幸不幸には主
観が大いに入るし、一つの事象に対しても、はっきりと幸不
幸は決められるものではないが、作者は、祭で賑わい楽しん
でいる人々の顔の裏に、時代が変わって祭の捉え方が変わろ
うともずっと変わらない、人々の祈りのようなものを見たと
いうことだ。変わっているとすれば、以前は、人々が共有し
ていた大きな祈りが、現在では、個々の祈りに変わったとい
うことだけだ。祈るということ自体は変わっていない。それ
を作者は「どの人もすこし不幸」と呼ぶのだろう。笛の音が
──祭りの様相が変わっても、笛の音色の儚さは変わらない
──そう感じさせたのかもしれないし、光や夜の影がそう感
じさせたのかもしれない。いずれにしろ、人の祈りは、形を
変えながらもずっと続いていくのだと思う。

葱坊主はじけて三河日和かな     下里美恵子
(『俳壇』七月号「御油赤坂」より)
豊橋に何年か住んでいたことがある。初めて豊橋に行った
とき、名古屋から名鉄本線で南下していくと、明らかに車窓
の風景の違ってくるのが分かった。掲句の「葱坊主はじけて」
の光景を考えてみるとき、そのとき車窓から見えた、あの晴
れやかで広々とした、光の風景を思い出す。それを「三河日
和」と言うのなら、まさに三河日和だろう。葱坊主の温かさ
と、三河の解放感が絶妙にリンクする。