No.1026 平成29年10月号

腰ふかく車に落とす夜寒かな  うしほ

チャラボコ
刈谷市小垣江町では、毎年10月の村祭りの日には特設の馬場で「おまんと」が行われる。それと並行して、神前では、文字通りのチャラボコ、チャラボコのお囃子の音が威勢良く演奏されている。それに合わせるように本殿では、みこさんの舞も行われ、祭り気分を守り立てている。なお、このチャラボコの演奏をする車(写真)は、午前中に文字通りチャラボコチャラボコと太鼓や笛で演奏しながら村内を回って祭りを知らせたりしてから、神社に入って来る。古くからの風物のひとつでその起源とかの詳しい事は、よくわからない。祭り気分を高めている事は間違いない。所在地、刈谷市小垣江町下56神明神社。名鉄三河線小垣江駅から徒歩5分。
問合せ ☎0566-22-5880 神明神社。
写真撮影・プリント・文 柘植草風

流 水 抄   加古宗也


大本山 方広寺
懸巣鳴くや半僧坊と親しまれ
笹百合や竹閂を差す裏戸
鬼気として発明の父桑は実に
杼の音の止む夜止まぬ夜天の川
天守背に横笛山車の動き出す
黒猫と並び牡丹の庭を見る
漱石にそれからのこと問ふ新樹
葛飾柴又
空梅雨の町寅さんの旅鞄
矢矧とは矢をつくること鮎の川
美しき焦げあり鮎の化粧塩
外郎のほどよき甘さ山青葉
岩宿に拾ふ小さな落し文
落し文解くとはつまらなき男
仏殿のすぐ裏に池ゐもり棲む
鐘楼の垣に背あづけ濃あぢさゐ
(一部「NHK俳句・八月号」と重複)

真珠抄十月号より珠玉三十句 加古宗也推薦


ためし刷る版画まあまあ館涼し   稲垣 まき
受付で鶴折る少女原爆忌      岡田由美子
なんのかの句に暮れ吾れも生身魂  深見ゆき子
友逝きて百日紅の花残る      三矢らく子
夏法衣内陣を歩す藁草履      長村 道子
闇に舞ふやうに夕顔三つ四つ    新実 町子
遠花火今は空いてる二階部屋    服部 喜子
炎天下賽の河原は影もなし     岡田 季男
美しき女となりし帰省の子     小川 洋子
新涼やふとガリ版のインクの香   近藤くるみ
掠り傷日にけに増えて日焼の子   工藤 弘子
盆飾りきつちり畳む元の箱     金子あきゑ
熊蝉の命削つてをりにけり     安藤 明女
遠花火暮れ時少し早くなる     高濱 聡光
親の手を離し小さき茅の輪越す   東浦津也子
ふる里は遠し火の国魂送り     甲斐 礼子
ワイシャツの男憩へる木下闇    成瀬マスミ
海ほほづき海見て鳴らす少女かな  高柳由利子
筑後川の泥色を見る帰省かな    田口 風子
白靴やしろぐつに合ふシャツが欲し 田村 清美
傾きし仏に咲けり夏あざみ     浅野  寛
青芒かつて特攻基地たりし     高相 光穂
アルプスに雲をふやして竹煮草   水野 幸子
星祭多き願ひに竹撓ふ       喜多 豊子
盆提灯あやふき嬰の一歩二歩    岸  玉枝
涼気呼ぶ生糸の街の名残り堰    鈴木 玲子
櫛挽の宿と呼ばれて晩夏光     堀田 朋子
自転車の前籠に犬梅雨あがる    川崎 妙子
茉莉花や三時のお茶はジャスミン茶 前田八世位
出発の旗振るガイド大夏野     松元 貞子

選後余滴  加古宗也


炎天下賽の河原は影もなし   岡田 季男
作家の五木寛之は恐山を「日本三大霊山」の一つに挙げて
いる。他の二つは「比叡山」と「高野山」だ。五木は「三大」
と並列にならべているが、私は少しの違和感を禁じえない。
比叡山は最澄によって天台宗が、高野山は空海によって真言
宗が開かれることによって不動の霊山になった。ところが恐
山はカリスマというべき宗教者の登場によって霊山になった
のではなく、恐山そのものが異界というべきところだ。大衆
の自然発生的な信仰によって生まれた霊山といってもいい。
恐山の荒涼とした風景は一歩踏み入った途端に異界に身を置
いた感覚に襲われる。樹木らしい樹木は全く無く、積み上げ
られた熔岩、硫黄煙があちらこちらと噴き上げ、硫黄臭が漂う。
かつては、いたこと呼ばれる霊能者が熔岩の前に筵を敷いて
座っており、口寄(くちよせ)をしてくれた。巫女が神がかっ
て霊魂を呼び寄せ、いたこが死者の言葉を伝えてくれる。下
北半島先端にあるこの恐山は、賽の河原というにふさわしく、
炎昼の太陽は賽の河原を灼き、人を灼き、影すらも灼き尽く
してしまう。「影もなし」が痛烈で、恐山を言いつくしている。

炎昼やびりつと軽く裂ける古布   稲垣 まき
作者の夫はかつてテーラーとして、その腕のよさは地元で
知られた人だった。その夫人である作者はそれを手伝いなが
ら、その洋服の素材の見分けから仕立まで、ことごとに理解し、
身に付けてきたにちがいない。古布の哀しいほどのもろさに、
承知しながらせつなくなる作者なのだ。「炎昼」といいう季語
が厳しくも確かな斡旋になっている。

頼るもの選ばぬ強さ葛茂る   堀田 朋子
「むこう三軒両隣り」という言葉があるかと思うと、《五月
雨や大河を前に家二軒 蕪村》などという俳句もある。もち
つもたれつが人生で、そんな視線で葛の繁茂を見ているとこ
ろが面白い。「頼るもの選ばぬ」とは、何かを頼りにしている
ことで、猛烈にあたりかまわず延びてくる葛の蔓を見ながら
も、結局人間と変わらないことに気づいたのだろう。それでも、
人間はやっぱり誰に頼ろうかと迷うけれども、葛にはそれは
ない。何だかややこしくなったが、「選ばぬ強さ」だから葛の
方が強いと結論づけているところに絶妙な俳味を読み取るこ
とができる。それにしても葛ほど繁殖力の強い植物は他に知
らない。但し、この句と全く関係ないが、私は「くず湯」が
大好きで寒い夜はたいていくず湯をといて楽しんでいる。

昼寝覚夫も柱もいびつなる   工藤 弘子
昼寝から覚めたややぼやけた頭で回りを見廻すと、夫と柱
も歪んで見えたというのだ。柱はともかく夫までいびつに見
えたとは。夫婦も長くなると時に素直になれないときがある。
「いびつなる」と捨て台詞のように言い放つことで、ひょっと
したらストレスが吹き飛んだのかもしれない。

出発の旗振るガイド大夏野   松元 真子
視界三六〇度全てが緑。涼風がふんだんに吹き流れて、そ
の心地よさは例えようもない。「さあ、出発しますよ」。ガイ
ドさんが○○観光と染め抜かれに小旗を振る。「もう出発か!」
という声があちこちであがる。大夏野の心地よさは格別で、
日頃の悩みなどは薫風が吹き流してくれる。この句、映像の
復元力が抜群であるだけでなく、心の底から懐かしさが感じ
られるのがいい。旗によって抵抗感もなく動かされる自分も
童心に帰ったようでうれしいのだ。

花火待つ理科の先生星語る   岡田由美子
花火が揚がる前の何となく手持ちぶさたの心持ちが面白く
描写されている。夜空を見上げながら、そんな虚しさをかこっ
ている作者に先生が星の話しを始めたのだ。理科の先生の子
供たちに対するサービスなのだ。国語先生なら天の川の伝説
を語ってくれたのかもしれないが、たまたま理科の先生。星
座の話しだったのだろう。星の話しは作者の心に痛く沁みた。
うれしかった。と同時に先生という仕事を持つ人の性が見え
て、それが心地よい俳味になっている。

なんのかの句に暮れ吾れも生身魂   深見ゆき子
なんのかのと言いながらも俳句が自分の暮しの中の重要な
部分になっていることに気付いたというのだ。「句に生かされ
る」という感慨がそこにはあり、句に生かされているなと思っ
ているうちに、こんな齢になっていた。周りの人に愛され、
周りの人を愛する日々に感謝。

ふる里は遠し火の国魂送り   甲斐 礼子
送り火を焚きながら、しみじみとふる里が思われたのだろ
う。「火の国」は「肥の国(肥前・肥後)」のこと。特に肥後
の国(熊本県)を指すことが多いようだ。さらに「肥の国」
の語源は「火の国」で、阿蘇山をさしているようだ。作者は
滝廉太郎の歌曲「荒城の月」が生まれたところがふる里だと
聞いたことがある。先年、熊本に出かけたことがある。会の後、
地元の俳人が二次会を開いてくれた。五人で四升の焼酎を呑
み乾した。これぞ「肥後もっこすだ」と思ったものだ。

竹林のせせらぎ  今泉かの子

青竹集・翠竹集作品鑑賞(八月号より)


麦秋や斎宮跡の土器数多   石崎 白泉
斎宮とは伊勢神宮の祭神へ奉仕した未婚の皇女のことを言
います。その斎宮が住まわれた宮殿跡から、役所名を墨書し
た土器や土師器、また一般の住居跡からは出土しない緑釉陶
器や、蹄脚硯(官庁専用の硯)の破片が発見されました。そ
の数は古代の同じ地方都市である太宰府を大きく上回り、平
安京に匹敵するほど。遺跡は伊勢神宮から十五㎞程離れた、
都と神宮とを結ぶ伊勢道にあります。それらの出土品の数々
から窺われる、斎宮の華やかな暮らしぶり。今、地上には一
面に輝く麦畑が広がり、収穫の時を迎えようとしています。
遠い平安の頃へ時の流れは遡り、清らかな皇女の麗しい生活
が、明るい麦の生気と共に束の間よみがえります。

木虫籠の紅殻格子余花の雨   嶺  教子
木虫籠は、きむすこ、又はきむこと読みます。金沢のひが
し茶屋街の町家に見られる細い出格子は、外から中は見えに
くく、中からは通りをゆったり眺められる設えです。見えに
くさと見えやすさが、台形の縦桟でうまく調整されているの
です。紅殻格子の赤みを帯びた格子が所々に、あるいは連なっ
て、雨に濡れいっそうその赤みを増しています。雨に洗われ
たような町並みと、立夏を過ぎた雨の桜の風情と。北陸、加
賀の雅な情景が浮かぶ作品です。

花あやめ上野介斬首の碑   中村ハマ子
上野介は官職名。ここでは小栗上野介忠順を指します。江
戸末期の幕臣として渡米し、財政改革や軍事施設を建設する
も、戊辰戦争で抗戦を主張し、その後帰順の意を表明したも
のの、不穏の企みをする者として新政府軍によって斬首され
ました。花あやめは、白色と紫色が基本の陸生の花。邪気を
祓い生命力を象徴する花とされてきました。あやめは文目、
綾目の意味をもつ言葉ですが、斬首の強い二文字から、ふと
背後にあやめる(殺める)の意も隠されているように感じま
した。

駄々つ児に構つてをれぬ梅雨の蝶   水谷  螢
梅雨の貴重な晴れ間を飛んでいる蝶。お日様の照らす明る
さの中を舞いながら、花の蜜を吸いに飛び廻るのです。です
から、駄々っ児のわがままには耳を貸すゆとりはありません。
いくら子供が泣いても、わめいても、こちとらのやらなけれ
ばならないことが優先するのです。行動的なエネルギーあふ
れる蝶のつぶやき。思わず応援したくなるような、楽しい一
句です。

底澄みのいさご戯むる泉かな   新部とし子
泉のもつ清らかさを詠んだ一句。底まで澄んでいる泉に、
戯れるように踊っている砂子。いさごを遊ばせる泉は豊かな
水を湛えています。「いさご」とは小さな石や砂を表す雅な
言葉。吟味された言葉は読んでも心地よく、サ行の音が一句
の中にバランスよく配置されています。地下から絶えずわき
出る水の透明感、冷たさ、そしてその勢い。泉そのものの清
新さを越えて、人は常に心の中にこんな泉のように、清らか
な場所を持っていたいと願うものなのかもしれません。

美濃晴れて輪中青田の水明り   重留 香苗
田植えから順調に根付いた青田の持つ生き生きとした緑。
水明りという言葉から、青田の稲は密集するほどではなく、
まだ稲の間から水面が見える程度の生育と捉えられます。わ
ずかな風にそよぐ稲のたおやかさと、揺れ動く水面に反射す
る光の明るさ。輪中地域は江戸の昔から水害常襲地として利
水工事で開拓されてきた、水の郷。晴天の鮮やかな空を背景
に、美濃の明るい田園風景を詠んだ、堂々たる一句です。

知らぬ間に子の居る小さき茂みかな   川嵜 昭典
ちょっと目を離した隙に、子供が勝手に動き、姿が見えない
ということは、時々あります。さっきまで、そこにいたはず
なのに。遠い昔、行方知れずになった子は、神隠しとされ神
や天狗の仕業とされてきました。掲句は、親の気づかない間
に、低木の小さな茂みへ動いていた我が子を、認めた一瞬を
詠んでいます。ちょうど子供の背丈と同じ位か、あるいは隠
してしまう位の茂み。よく葉が茂り、枝々が重なり合って、
そこには暗がりも生まれています。小さな茂みの持つ暗さは、
子供を隠して見えなくしてしまう危うさも孕んでいるので
す。我が子の健やかな成長を願う、親の慈愛の深さを改めて
感じる作品です。

荒南風や山に突き出る修行岩   山田 和男
伊吹山での吟。古来伊吹山は荒ぶる神の山として知られ、
修験道の霊地として有名でした。標高はさして高くないもの
の、全山石灰岩から成る特異な山の姿や、稚内と同じ平均気
温など厳しい気象条件から、山中には修行場所が数多くあっ
たようです。「山に突き出る修行岩」の措辞は、まさに象徴的。
山から突き出た岩は常に風雨にさらされ、深い雪に耐えるの
です。それは山野を巡って修行を積んだであろう修験者の姿
に重なります。季語「荒南風」は梅雨の時期の激しい南風。
草木もなぎ倒しそうな南からの強風が、伊吹山に吹きつけて
います。的確な季語の斡旋に笈を背負い、法螺を鳴らして修
行を積んだ修験者の苦行の一端が偲ばれます。

俳句常夜灯   堀田朋子


生きて在れば生きて在ればと金魚の尾   宇多喜代子
(『俳壇』八月号「昭和二十年夏」より)
先の戦争に向き合われた句。上五中七のリフレインの真っ
すぐな表現に引き込まれる。そう願う存在が誰か特定の人を
思って詠まれたのかは知る由もないが、下五の「金魚の尾」
に深く感じ入る。意表を突く季語の斡旋だ。金魚の尾が持つ
可愛さ、可憐さ、透明感のある儚さが、句いっぱいに満たさ
れた。失われたのは、幼くけがれのない命なのだろう。
戦争によって未来を断ち切られることの口惜しさが切なく
沁みる。命とは斯くも傷つき易きもの。それを守り抜く意志
と力が、我ら人間にあるのかと、問われている様な気がする。

とうすみとんぼとぼんやり惹かれあふ   宮本佳世乃
(『俳壇』八月号「うすばかげろふ」より)
作者は、虫・動物・花・木などの自然界の命あるものとの
すぐれた交感力をお持ちの方だ。「とうすみとんぼ」は灯心
蜻蛉と書く。糸とんぼの中でも取分け小さな種類の俗称だ。
穏やかな里山の水辺での出会い。女性は取分け小さなもの
に惹かれる習性がある。惹かれて心を通わせてしまうのだ。
草に留まり首を傾げてこちらを見つめる仕種などに、とんぼ
と自分との間に何か関係が結ばれたように感じる経験は、誰
しもあるのではないだろうか。もしかしたら、大いなる錯覚
かも知れないけれど。それが、「ぼんやり」という形容となっ
たのだろう。しかし、錯覚でもいいのだ。小さなとんぼと同
じ空間で生きているという実感を作者は喜んでいるのだから。
季語に寄り添う幸せの一句だと思う。

鮑海女磯の石蕗もて眼鏡拭く   平賀 節代
(『俳句四季』八月号「菅島しろんご祭」より)
「眼鏡」とは潜水用の磯メガネのこと。素目で潜っていた
以前は、目の充血や、岩場を手探りで探すためウツボに噛ま
れるなどの危険に晒されていた。明治半ばに磯メガネが開発
されて以降、次々と革新されているらしい。海女にとってと
ても大切な道具と言えよう。
人生を海女という職業に身を捧げたとしたら、海女気質と
いうものがあって然るべきであろう。我が身一つで稼ぐ誇り
高き自負心、ささいな不都合に囚われない磊落さ。作者はそ
の一端を、ある海女の石蕗の葉で眼鏡を拭く仕種に垣間見た。
花には遠い磯の石蕗の肉厚の葉は、夏陽に照って誠に清浄に
思えたはず。期せずして目にした光景を、そのままに詠まれ
たことで、返って新鮮な発見の喜びが伝わるようだ。同時に、
一人の海女の姿が鮮明に立ち上がって来る。

香水瓶中に野獣と美女が棲み   宮坂 静生
(『俳句四季』八月号「香水」より)
面白くて、ちょっと怖い気もする句。香水は、もとは宗教
的用途で用いられ、近代以降たしなみや楽しみとして発達し
てきたものだ。現在、美しい容器に色とりどりの香水が売ら
れている。男性用も数多ある。付けた人の体臭と混ざり合っ
て香りを放ち、時間とともに変化するという。奥深いものな
のだ。モンローが愛用したことで有名なシャネルの五番や、
毒を意味するプアゾンというディオールの香水などを思い浮
かべると、その魅惑さに搦め捕られそう。
男っぽく、意志を強く持ちたい時、清純な女、はたまた妖
艶でありたい時、各々に適した香水があるのだろう。確かに
「野獣と美女」が棲んでいるのかもしれないと思わせられる。
洒脱な表現だ。香水は心して使うべきもの、そして、香水に
ご用心、そんな句だろうか。

母歌ふ病んでも歌ふ春の月   金澤 諒和
(『俳句界』八月号投稿より)
母を恋う句だ。平明な言葉、自然なリフレイン、寄り添う
季語。何度も声にしたくなる句。
作者の母は、何かにつけ、何はなくても歌を口ずさむ方な
のだろう。作者は、背に負われ、手を引かれつつ、そんな母
に親しんで成長してきたのだ。現在、病を得た母は今も変わ
らず歌っている。病への不安から平常心へと戻るための口ず
さみだろうか。そんな母を「春の月」が見守っている。秋冬
の煌々とした月と異なり、春の月にはそっと慰撫するような
優しさがある。この季語には、作者の母を慕う気持ちが籠っ
ている。昨今、認知症によって人となりまで変わることが多
い。母が母でいてくれることに感謝している句だと思う。

合歓咲くや酒屋へ三里書肆へ五里   松本 勇二
(『俳句四季』八月号「百葉箱」より)
合歓の木は生命力の旺盛な木だ。枝を拡げて成長し、二十
年もすれば立派な大木となる。一転して、その花は可愛いピ
ンクで、それはそれは繊細だ。どっさりと咲かせて人の目を
奪う。そんな花に取り合わせて言い切った「酒屋へ三里書肆
へ五里」は、絶妙に面白い。
作者の住まいは、町から少々離れているようだ。町へと向
かう道の脇に、毎年花咲く合歓の木があるのだろう。ここか
ら酒屋へは12キロ、書店へは20キロ。歩くには遠いが、車を
駆れば、ドライブ気分で道々の山野の四季に浸ることができ
るというもの。作者はこの距離を楽しんでいるようだ。
美味しい酒と時々に楽しめる本があれば、我が人生は上々。
況んや俳句もある。可愛らしさと男っぽさが気持ち良く両立
している。