No.1028 平成29年12月号

園内の移し遺蹟や冬ざるる   うしほ

家康公生誕祭
徳川家康公の誕生日を祝う祭りが岡崎公園内で行われる。3 日間にわたって、色々な催し物が行われる。園内の能楽堂では、波乱と栄光に彩られた家康公の生誕のオリジナル劇が行なわれる(写真)。その他、提灯行列、竹千代祭りなどが、三日間にわたって行なわれる。今年は12月23 日から25 日に行なわれる。詳しくは0564-57-0200(生誕祭実行委員会)へ。今年は、テレビで放映中のおんな城主「直虎」に関した出し物を予定しているようである。写真撮影(カラー)・プリント・文 柘植草風

流 水 抄   加古宗也


神島は潮騒の島夏蚕飼ふ
雨づけば百合の木の百合散り急ぐ
涼風や詩人が好きなマンドリン
おぞましきものに妬心や火蛾の舞
釘をもて多羅葉に句を木下闇
ひまはりや名古屋コーチン放し飼ふ
悼筒井万司同人
万司さん逝きしと報せ汗冷ゆる
きはちすや駄菓子屋の子の店を守る
新涼や炭もて磨く漆盆
木造の新築校舎秋の蝉
半泥子好みの茶盌涼新た
藍生きてをり新涼の灯をかざす
冬瓜を抱いて渡船の列につく
子規庵でもらつてきしと鶏頭花
貧乏山から吹き下ろす秋の風

真珠抄十二月号より珠玉三十句

加古宗也推薦


藍染めの藍の濃淡雁の秋       江川 貞代
削ぎ落とすことあれやこれ馬肥ゆる  阿知波裕子
名月やいつの間にやら雲にのる    酒井 英子
月光は女山づたひに男山へと     辻村 勅代
小鳥来てをりあたたかき哺乳瓶    高橋より子
虫すだく歳時記とじて目をとじて   清水ヤイ子
秋彼岸僧の手品に座の和む      稲垣 まき
句をひとつ詠んだだけの日零余子飯  堀田 朋子
寺の売店一つ置く仏手柑       烏野かつよ
晩秋の路傍彩色道祖神        市川 栄司
さはやかに十指を使ひ手話交はす   奥村 頼子
小鳥来る絞りの町を絞り着て     服部 喜子
瞑想を解く眼前の石たたき      高相 光穂
ふすま屋の大刷毛小刷毛小鳥来る   深谷 久子
九番目の惑星いづこ苹果剥く     堀口 忠男
供花は竜胆群青は好きな色      勝山 伸子
穴まどひ掴みどころなき微熱かな   岡田由美子
曼珠沙華祖父母の愛は知らぬまま   工藤 弘子
強面の男大きな秋日傘        田村 清美
マチュピツは宙の段畑黒ぶどう    舘野 茂子
過ぎしことみな夢となる鳳仙花    甲斐 礼子
梅雨曇り兄となる児の甘え下手    鶴田 和美
鎖骨に窪み秋茄子の帶に刺      大澤 萌衣
水盗む柿盗む日の戦後あり      中井 光瞬
信号を待ちしタンカー鳥渡る     高柳由利子
葉生姜の紅ほんのりと匂ひけり    服部 芳子
秋刀魚焼き又秋刀魚焼き妻を呼ぶ   高濱 聡光
忠魂碑前に錨や秋の声        柳井 健二
秋ともし深き庭もつ湯屋の口     深見ゆき子
廃校に仕込蔵あり秋桜        関口 一秀

選後余滴  加古宗也


かなかなに森一本の道通す     阿知波裕子
「かなかなに森」はじつは「かなかなの森」なのだが、助詞
が「に」になるか「の」になるかで、随分トーンが変わって
くる。「かなかなの森」だと単にかなかなが鳴いている森とい
うことになってしまう。「に」によって美しいかなかなの声を
多くの人にふるまいたい、とわざわざ森のどまん中に一本の
道を通したかのように思えてくる。即ちそれは、作者の強い
感動が言わしめたといっていい。「かなかな」の透明感のある
直線的な鳴き声と「一本の道通す」がじつに心地よく呼応し
ている。
寺の売店一つ置く仏手柑     烏野かつよ
仏手柑はいうまでもなく蜜柑の仲間だが、その形状が仏の
手に似ていることからこの名が付いた。幹には柚子に似て鋭
い刺がある。果実を砂糖漬にして食べるとなかなか旨い。私
も初めて見たときには驚いたが、それにしても「仏手柑」と
はうまい名を付けたものだと思う。仏手柑はそうそう見られ
ない果実だから、皆多いに関心を示す。「寺の売店」はじつに
ぴったりの置き場所だ。こんな売店はよく物が売れるに違い
ないと思ったものだ。《菩提子や奥へ奥へと仏見に》も、難し
い季語をよく使いこなしている。
小鳥来てをりあたたかき哺乳瓶     高橋より子
「小鳥来る」という季語はじつに心が弾む季語だ。子育ても
またそうで、大変ではあっても母親にとっても家族にとって
も充実した時だ。小鳥が来る頃には秋も深まって、ときに「秋
冷」となる。哺乳瓶に入れる乳も少しあたたかくしておかな
いと赤ちゃんがお腹をこわしてしまう。哺乳瓶をあたたかい
と感じたのは大気が冷えてきたからにほかならない。季節の
持つ微妙な感覚をぴたりと言い止めているところが心地よい。
木犀や門塀高き上士町     市川 栄司
「上士」というのは「士」のうちで最上の身分の者をいい、
周代には士を上士・中士・下士の三段階が分けられたという。
江戸時代の日本では武士に上士・下士の区分をつけていた藩
があった。例えば土佐藩がそうで、山ノ内家が土佐に入城し
たときに連れてきた家臣を上士と呼び、それ以前からいた長
曾我部の家臣たちは下士とされ冷や飯を食わされつづけた。
下士の中から坂本龍馬などが登場して明治維新の口火が切ら
れることになる。上士の屋敷には高い塀がめぐらされ、堂々
たる門構えだ。そんな屋敷のどこからともなく木犀の香りが
してくる。木犀の香りは甘いだけでなく、どこか気品があり、
立派なお屋敷が似合う。《分銅屋の框に小鉤冬隣》も「分銅屋」
という固有名詞がうまく生かされてた。
藍染めの藍の濃淡雁の秋     江川 貞代
「藍色」と一口に言っても、驚くほどたくさんの色がある。
藍(あい)・空色(そらいろ)・浅葱(あさぎ)・縹(はなだ)・
紺(こん)・紺青(こんじょう)・紫紺(しこん)・茄子紺(な
すこん)・留紺(とめこん)など、数えて四十八色がある。こ
れらはそれぞれ少しずつの濃淡の違いから生まれた名で、そ
の微妙な違いをそれぞれ愛してきた。日本人の感性はその細
やかさにおいて世界に誇るものだといってよい。藍染めの濃
淡の微妙さを「雁の秋」という季語でくくったのは見事で、
日本人の感性を究極のところで捉えたといっても過言ではな
いだろう。
食みでんばかりの秋刀魚丸ごと焼きにけり   清水ヤイ子
秋刀魚は秋の味覚を代表するもので、旬の味覚の代表的な
ものだろう。秋鯖、秋茄子など数えあげれば切りもないほど
秋はおいしいものが多い。だから「味覚の秋」「食欲の秋」さ
らには「馬肥ゆる」などという季語が生まれたのだろう。し
かし、やっぱり「秋刀魚」が第一だと私は思う。有名な落語
に「目黒のさんま」というのがあるが、目黒川にさしかかっ
たさる大名が家来に「鯛が食べたい」といい出した。ところ
が鯛などすぐ手に入らない。そこで苦肉の策で、目黒川にの
ぼってきていた秋刀魚を釣り上げて、殿にさしあげたところ
「目黒の鯛はうまいのう」といったという話しだ。この落語に
ちなんで、いまも目黒では秋に「さんま祭」を開き、焼きた
てのさんまを無料で通行人にふるまう、というイベントがあ
るようだ。皿をはみ出るような大きな秋刀魚。無論脂がのって、
たまらなく旨いに決まっている。
秋彼岸僧の手品に座の和む     稲垣 まき
秋のお彼岸といえば先祖のお墓にお参りし、僧のありがた
いお説教を拝聴するというのが大方の決まりだったが、昨今
はずいぶんと様変わりをよぎなくされているようだ。何か目
先の変わったこと、面白いことをしないとお参りが少ない。
ついに手品がでてきた、というわけだ。最も、こういう状況
こそお寺の本来あるべき姿なのかもしれない。即ち、寺は里
人の集会所であり、憩いの場であるべきなのかも。
秋刀魚焼き又秋刀魚焼き妻を呼ぶ     高濱 聡光
時代の様子が変われば台所もかなり変り夫の仕事になって
きているようだ。一匹焼けるごとに妻を呼んでいるのだ。

竹林のせせらぎ  今泉かの子

青竹集・翠竹集作品鑑賞(十月号より)


肩馬へしかと踏ん張る祭稚児     渡辺たけし
津島天王祭での吟。祭稚児として選ばれるのは、神に近い
存在としてみなされる幼い男児です。自分の足で地面を歩く
ことはなく、祭の三日間は肩馬と呼ばれる担ぎ役に肩車をさ
れて移動します。神のよりましを担いで歩く屈強な肩馬もた
いへんですが、古式衣装を身にまとい、白塗りされた稚児も
また、衆目を集め、疲れることでしょう。しかし、行列や祭
礼の要のときには、「しかと踏ん張る」気力が必要です。大
勢の人出でにぎわう中に、本来の祀りとしての一端が窺え、
その背後に、こうして毎年受け継がれてきた祭の歴史も感じ
られます。
送り火やおきとなるまで消ゆるまで     荻野 杏子
送り火を見守る眼差しに思いが伝わります。熾き火に潜む
小さな赤があたかも最後の息のようで、その熾き火が色を失
い、息絶えるまで見届けるのです。やさしい言葉の畳みかけ
が読む者の胸に迫る一方、「送り火や」と季語を上五に置い
たことで、哀惜の念を昇華した、祖霊にたいする大いなるも
のも感じられます。送り火の火影にさまざまな思いが去来し、
そして、今につながる作者の姿も静かに浮かび上がります。
日々あらた日々うつくしやややの夏     村上いちみ
漢字は日と夏のたった二文字。簡単に読めそうですが、も
う一度上から読みを確認したくなる「ややや」。一見、やや
こしくもありますが、そこがまた楽しいところ。さて掲句。
いつだって日々はあらたで、ふり返ってみる日々はうつくし
いもの。けれど「ややの」とくれば、まさにその通り。この
世に生まれ出た小さな命の尊さが際立ちます。しかも夏とい
う生命力あふれる季節。どうかどうか、これからもお健やか
に。
戦没者三一〇万追悼式や終戦日     鈴木 里士
中七は十五音。定型を大きくはみ出しています。三一〇万
という数字をはずせば、ぴったり定型にはまりますが、これ
は作者にとって、どうしても入れなくてはならない数字だっ
たに違いありません。三一〇万もの人の命を奪った、戦争と
いうものの罪の重さ。同じ作者による「インパール戦」の句
も、鎮魂とともに無謀な戦争の愚かさが伝わる作品です。
沙羅に佇つ若き尼僧の盆の窪     池田あや美
清らかでありながら、なんとも艶な一句。「沙羅に佇つ」
若い尼僧のすっきりとした姿は、そのまま清楚な木の立ち姿
に重なります。なめらかな木肌もまた、尼僧の初々しさにふ
さわしいもの。剃髪した尼の露わになったうなじの中央の窪
み。盆の窪。犯しがたい清純さの中に、禁断の美のような危
うさが魅力の作品です。
鶏つぶすそれが御馳走敗戦忌     斉藤 浩美
忘れかけていた何かを突きつけられたような…。きれいに
包装された物に囲まれた現代にあって、どきりとさせられる
一句です。パックされた肉ではなく、鶏を絞め、血抜きをし、
羽をむしり等々の手数の末、食卓に上がる肉。その命をいた
だくというご馳走。元々の暮らし方の原点、命を素手で受け
取るような畏れも感じます。今の平和ぼけした身に、敗戦忌
の季語をもつ掲句の世界が心に迫ります。
御神輿のしんがり爆竹屑を掃く     久野 弘子
御神輿を担ぐ若衆の威勢のよさ。爆竹の大きな音でいっそ
う盛り立てられる祭の行列。そして派手な行列の最後尾には、
火薬の燃えた紙の破片を集め、片付ける祭衆も連なっていま
す。爆竹の紙屑を掃くという小さな行為から、逆に大勢の人
の手によって担われている祭の大きさが見えてきます。そし
て最後の片付け等によって神事は全うされていくのでしょ
う。
熊野灘に巨船四隻花火見る     清水みな子
古来、海の難所とされた熊野灘は黒潮が流れ、捕鯨も盛ん
な海域でした。その沖合に大型の船が並んで、船上からの花
火見物です。夜空に揚がる花火は海面にも映り、あでやかさ
も二重となるのでしょう。船遊びのもつ華やぎ。極上の夜の
ひととき。花火のはかなさも一景、広く深い闇の海を背景と
した、泰然自若の余韻が漂います。
烏賊ばかり残る寿司桶いとこ会     天野れい子
いとこ会の血縁の親しさと、家族ではない少しの距離感が、
寿司桶という一つの大きな器に見えるようです。好物が先に
売れ、烏賊だけが残っているのは、そう改まった席でもなく、
無理して食べることもないからでしょうか。同じ血族として
好みも似ているのか、それとも、単に噛みにくいからなのか、
あれこれ想像の広がる、そして諧謔味も感じられる作品です。
沙羅ひらくやさしい語尾の名古屋弁     杉浦 紀子
「沙羅ひらく」の言葉の響きの何とやわらかいこと。白色
の五弁の花のたおやかな感じが、「やさしい語尾の名古屋弁」
とも響き合っています。「だがね」「してちょう」は、「じゃん、
だら、りん」の三河弁と比べれば、確かに柔らかい響きです。
今は使われなくなった「なも」も、「なもし」の固さと重さ
を避けようとする、市民の言語意識から生まれ出た言葉と聞
きました。

俳句常夜灯   堀田朋子


空蝉を手に転校の別れ告ぐ     有馬 朗人
(『俳壇』十月号「隠岐の島」より)
直前の句から、先の大戦後、疎開先より元の学校へと戻る
時の別れの場面と思われる。国や大人の都合で親元を離され、
再び終戦によって、つかの間親しんだ人と場所から離れて行
かなければならない。戦争という異常な状況下でも子供には
子供らしい悲喜こもごもの日常があったはずだ。誰もが自分
の力の及ばないものに翻弄された時代だったのだろう。その
やるせなさの象徴として、少年は“空蝉”を握っている。
少年には空蝉さえ宝物になる。その空洞には、良き思い出
と淋しさ、同時に敗戦に対する無念さと哀しみも込められて
いるだろう。繊細な空蝉を壊さないようにと、柔らかく握り
締めている少年の心に寄り添いたい。若き日のエポックとな
る瞬間を詠まれたのだと思う。この時の心象は作者の人生に
影となり糧となって、胸底の湿りとなっていることだろう。
柔らかき肉にぶつかるプールかな     中西 夕紀
(『角川俳句』十月号「まぶしき顔」より)
誰でもこんな経験があるはずだ。家族でも知人でもなくて、
ただその時、同じプールに居合わせただけの人の肉体だ。服
を脱げば、人は皆等しく、傷つき易い皮膚一枚に包まれた肉
の塊なのだ。そしてそれは、僅かに熱を帯びてもいる。
「柔らかき」とはそういうことだと思う。作者は、他の人の
肉体との一瞬の触れ合いに、自分も同じ肉体を持つことに気
づいたのだろう。不思議と新鮮な気づき。「肉」という即物
的な表現に、人間の本質に迫った実感がある。
なんでもない、出来事とも言えないことを、ひょいと掬い
上げて句にできることに感嘆する。
帰省して洗ひざらしの寝巻よき     辻  桃子
(『角川俳句』十月号「霍乱」より)
長い移動時間の後、故郷の家にたどり着く。母の元へと。
母はなくとも母との思い出の世界へ。この「洗ひざらしの寝
巻」は、他でもない作者のためだけに洗濯されて、いつでも
取り出せるいつもの場所にそっとしまわれているものだろ
う。どなたの手によるのか、幾度も洗われた寝巻は柔らかく
て、作者の身体にすいと馴染む。その瞬間、帰ってきたとい
う安堵に包まれて、身も心もほおっと緩む。「よき」とはそ
う言い切るしかない実感なのだろう。
そんな「寝巻」を持つ人は幸せな人だ。辛いことも多々あ
る生活の中に、そんな幸せの一つ一つを散りばめて生きて行
けたら素敵だと思う。そう感じさせてくださる句です。
ほつちやれは岸に寄せられ銀河濃し     陽 美保子
(『俳壇』十月号「ほつちやれ」より)
「ほつちやれ」とは産卵後ぼろぼろになった鮭のことと但
し書きにある。北海道の方言だ。海で数年をかけて成長した
鮭は、産卵のために川に戻る。一生に一度きりの産卵を終え
た後は、身の赤味は抜けて真っ白になり、皮膚は剥がれて死
んでいく。それらが川の流れの緩い岸辺に寄り集まって浮い
ている。やがて熊などの餌となり、新たな命の糧となる。
鮭として生まれ死んでいく命のありようは、なんと過酷で
切ないことだろうか。けれど作者は、この光景に一転「銀河
濃し」という天上の季語を斡旋する。次の代へ命を継ぐ責任
を果たした、輝かしい死として慈しんでいる。鮭の魂は天へ
と登り、一つの星となって銀河という河を泳いでいるという。
そんなロマンチックな想像に惹かれる。
月魄となる山中の飛瀑かな     井上 弘美
(『俳句四季』十月号「月魄」より)
月光の下、深い暗緑色に鎮まる森に、一本の飛瀑が薄白く
高みより流れ落ちている。さながら一幅の絵画、東山魁夷の
日本画のように高い精神性が感じられる。
「魂魄」という言葉がある。魂は精神を司り、死後冥土へ
魄は肉体を司り、この世にとどまるという。「月魄」とは、
月の精、月に宿る神、あるいは月が纏う白い光ということだ
ろうか。飛瀑の鮮烈な魄が、天へと上り月の精櫃な魄となる
という。この世のあらゆる事柄は、あらゆる因縁によって連
鎖を繰り返して存在している、そんな意味を深読みするのは
詮無いことかもしれない。ただしんと、人間以前から在った
であろう自然の深さに浸ればいいのかもしれない。
その直後父は現地へ広島忌     澁谷あけみ
(『角川俳句』十月号「新涼」より)
一読して、まず残留放射線というものが浮かぶ。原子爆弾
投下の後、時を置かずして、作者のお父様は、惨状の広島市
内に入られたという句。理由は詳らかではない。けれども、
その行動がお父様のその後の人生に、少なからざる影響を及
ぼしたであろうことが伝わってくる。
武器として使用された、世界で初めての原子爆弾だった。
使用した者たちにさえ、その影響は不確かだったはずだ。あ
らゆるものが放射性物質と化して放射線を出していただろ
う。お父様は五感の全てで一生消えることのない記憶を心に
宿し、重ねてその身にも健康被害を受けられたのだろう。
作者ご自身のことではない。七十二年前のことだ。けれど
情緒に流れない詠み方に、娘である作者の父の人生を思う心
が立ち上がる。「広島忌」という季語が持つ力強さを改めて
感じさせられた。