No.1031 平成30年3月号

戒壇の錠打ち鳴らす彼岸かな  うしほ

東山動植物園春祭り
名古屋市の東山動植物公園では、東山動植物園春祭り( 3 月17 日~ 5 月6 日)が行なわれる。動植物を観察することは当然として、他に、園内の至る所で桜が楽しめる。多くの人が訪れて園内の各所で花見が行なわれる(写真)。植物園には「桜の回廊」もあり。桜100 種類、3800 本が3 月下旬から4 月下旬にかけて見頃をむかえる。所在地・名古屋市千種区東山元町3 - 70。
地下鉄東山公園駅下車徒歩3 分、入場料500 円(中学生以下無料)。休園日月曜日・パーキングあり1600 台・800 円。問合せ052-782-2111。 写真撮影(カラー)・プリント・文 柘植草風

流 水 抄   加古宗也


鳥曇島の四五戸は魚を干す
残る鴨しきりに潜ぎ島の陰
島いよよ過疎に遍路の金剛杵
青饅や門前茶屋の竹床几
魯山人もどきに生けて薮椿
流人墓しきりになぶり春北風
青饅や伊部づくりの向付
潮騒や越路にいまも蓮如輿
宗悦の髭文字親し花馬酔木
うらうらと来てや小鹿田の飛鉋
謙信は馬上に在し土雛
土雛や伏目がちなる由良之助
土雛やちんぽこのぞく金太郎
土雛に三河の土の匂ひかな
花三分広前に聞く馬蹄音
鳥雲に入る忠勝の槍の先
下萌や古代瓦に左馬
埋め戻す発掘跡や地虫出づ
さるぼぼを絵馬のごと吊りなごり雪
飛騨は春雪醤油せんべいこんがりと
味噌蔵はまるやと決めて花三分
酢海雲や少し浅目の呉須絵鉢
雲雀野や隠亡焼の名残り石
雲雀落ちて麦の青さのことさらに
小満やグラスに満たす紹興酒
小満や讃岐うどんに油揚げ
西野はぎなさん結婚
美しき娘の海渡る聖五月
製瓦場跡とや茅花流し吹く
悼米津希未子同人(平成二十九年一月二十七日)
茶に華に句道に生きて寒の梅
火山灰原は霜抱き易し遠浅間
霜晴の揉手に心透けて見ゆ
マジックショーふと大窓に雪女郎
探梅や演習場に砲の音
大津絵の鬼の牙折れ梅二月
早梅や大き口開く取水口
早梅や見上げて高き疎水橋

真珠抄三月号より珠玉三十句 加古宗也推薦


手相図の前片方の手套脱ぐ     長村 道子
カーデガン着せる遺影や通夜更くる 中村 光児
納め弥撒パイプオルガン洩る扉   池田あや美
負けん気の曾良が追ひ来る絵双六  田口 風子
新年の宴四家族四世代       石崎 白泉
水仙のほかは小暗き瑞泉寺     大澤 萌衣
毟りたる羽毛バケツに寒月下    市川 栄司
校長に注がせて愚痴を忘年会    山科 和子
悴みし手が燃えてくる水仕事    湯本 明子
年用意二人に過ぎる樽の数     工藤 弘子
嬰重し落さぬやうにお正月     髙橋より子
暁の淑気水より水の音       荻野 杏子
万歳の怖くて父の背より見し    東浦津也子
手助をする手袋を銜へ脱ぎ     髙相 光穂
児と爺は陶の湯湯婆ほのぼのと   岡田 季男
冬ざれや天守の裏に不明門     高橋 冬竹
受験生日当たる方へ絵馬吊す    丹波美代子
間違へて戻る冷たき耳二つ     川嵜 昭典
一月は歌舞伎座ですと高麗屋    成瀬 早苗
自動車の町に静かさ淑気満つ    山田 和男
日記果つ数多の友の死を印し    加島 孝允
寒風に半月押されたるごとく    石 ひさし
城下町焼失の絵図寒旱       堀田 朋子
書き込みのてんこもりなる暦果つ  川崎 妙子
昭和平成生きて卒寿の冬帽子    大竹 耕司
木蓮の冬芽覚悟のやうなもの    田村 清美
誰が来ても大根抜いて持たせけり  岩瀬うえの
まづ名乗り上げて近づく大マスク  久野 弘子
狩衣に光る雪片翁舞        今井 和子
初電話いま山頂にいるとのみ    斉藤 浩美

選後余滴  加古宗也


水仙のほかは小暗き瑞泉寺     大澤 萌衣
ここに登場する「瑞泉寺」は鎌倉市にある臨済宗円覚寺派
の古刹のことだろうか。鎌倉時代、夢窓疎石(国師)によっ
て開かれた寺だ。夢窓国師といえば足利尊氏の帰依を受け、
京・天竜寺の開山にもなっている。「水仙のほかは小暗き」
によって水仙の魅力を見事に浮き彫りにしている。水仙の白
さ、水仙の香りがそうで、一見地味な花だが、その分、深く
心に浸透してくる。この句「瑞泉寺」という固有名詞の使用
が大胆で、有無を言わせない強さを持つ。
「瑞泉寺」といえば、もう一つ富山県井波の瑞泉寺が有名
で本願寺別院としていまも威容を誇っている。初代住職は浪
化上人といい芭蕉生前最期の弟子であったといわれている。
浪化上人が北陸における真宗の拠点として門前町の発展に努
め参道にはその頃、京から仏師、彫刻師らを招いたことから、
「井波の透し彫」をはじめ彫刻師の家が軒をつらねる。越前
越後は水仙の多く咲くところとしても有名で、鎌倉・井波と
所を変えながら、いずれも魅力溢れる古刹であるところが、
不思議な呼応だ。
狩衣に光る雪片翁舞     今井 和子
奈良県吉野に今も伝わる「国栖奏」を詠んだもの。正月の
朝賀(小朝拝)の後、行われた祝宴のことで、戦後廃止され
たが、「国栖」にだけは今も旧正月元日に行われている。雅
楽を演奏し舞うその姿は古代へタイムスリップした心地にな
るという。つまり、私も二度ほど「国栖奏」が行われるとい
う断崖絶壁を訪ねたことがあるが、よくもこんな危険なとこ
ろで、と思ったものだ。雪舞う中での国栖奏は緊張そのもの。
ゆえに神と人とをつなぐ絆ともなっているのだろう。
白足袋の爪先にとる拍子かな     春山  泉
人が跳びはねるとき力が集中するところといえば爪先をお
いてない。それは物理的な力だけでなく、精神的な力もその
一点に集中する。手拍子、足拍子というが、足拍子は床を打
つ力であり、腹を打つ音でもある。「白足袋」ゆえに素の力
が見え、いよいよシンプルな響きになる心地よさがそこにあ
る。
一月は歌舞伎座ですと高麗屋     成瀬 早苗
「高麗屋」とは歌舞伎俳優松本幸四郎とその一門の屋号を
いう。歌舞伎関係者や贔屓筋が、親しみを込めて屋号を呼ぶ
のは「粋」そのもので、歌舞伎の世界の心地よい伝統だ。作
者がどこかで、高麗屋と出会ったとき、来春はどんなご予定
ですか、と尋ねたのだろうか。あるいは、承知していても挨
拶代わりに尋ねたのだ。それに対して幸四郎が「一月は歌舞
伎座です」と答えている。こういうことを、〝粋〟といわず
して何というのだろう。
楪の艶表札は古びたり     髙相 光穂
楪は神社・仏閣などで時折見かけるが、庭木として植えて
いる人もいる。細長い葉に光沢があり、裏側は白い。いつ見
てもつやつやしており、それでいて、いつの間にやら新旧の
葉が入れ替わっていることから「ゆずりは」と呼ぶのだろう。
楪はいつも艶やかなのに、いつの間にやら表札は古びている。
つまり、自身の老いにふと気づいたときの驚きがこの句を生
んだのだろう。「表札」が人生を思わせて目に沁みる。
児と爺は陶の湯湯婆ほのぼのと     岡田 秀男
「児と爺は」とはいうまでもなく「「孫と作者」ということ
だろう。この句、「陶の湯湯婆」がいい。「ゆたんぽ」は昔な
がらの陶のものがいい。ただ古いというだけで、簡単に処分
された時代から、もう一度、昔の物のよさを見直す時代へ戻っ
てきているように思われる。「ほのぼのと」がじつにうれし
い言葉の斡旋になっている。
受験生日当る方へ絵馬吊す     丹波美代子
こんな句を読むとふと家族のぬくもりを感じる。それが俳
句における滑稽ということなのだろう。即ち「日当る方へ」
写生の目が効いている。ここには単に日当るというだけでは
なく、日が当たってほしいという、受験生のせつない思いを
読み取ることに成功している。
間違へて戻る冷たき耳二つ     川嵜 昭典
用事を間違えたのか、行く所を間違えたのか、時間を間違
えたのか。いずれにしても間違えたときのショックは意外に
大きい。その時のショックを耳に持ってきたところが面白い。
耳は顔の中で一番冷たいところだという。熱いものを握った
ときに急いで手を持っていくのは耳。戻りながらふと両耳を
押さえたというのだろうか。耳という象徴的なところを一句
の中心に据え迫力がある。
初電話いま山頂にいるとのみ     斉藤 浩美
山頂でご来迎を見る感激を友人か、妻である作者に伝えて
きたというのだろう。この句「いるとのみ」とシンブルに言
い切っているところに、作者との関係がごく親しいものであ
ることがわかる。「俳句は象徴詩」と言われるのも、こんな
ところから読み取ることができる。

竹林のせせらぎ  今泉かの子

青竹集・翠竹集作品鑑賞(一月号より)


ガイド英樹佐賀の縁者や秋たのし     金子 あきゑ
佐賀吟行の三日間に亘って行き届いたサービスをしてくだ
さった名ガイドの江口英樹さん。田口風子さんの甥という縁
から、明るく爽やかな人柄とともに縁の無かった佐賀の地が
身近な土地になりました。佐賀の空を、風を、風物を、生き
とし生けるものを甘受し詠んだ、「秋たのし」。
山茶花や団地はひとと共に老ゆ     村上 いちみ
高度経済成長の時期を過ぎ、当時建設された団地も劣化が
進み、時代を支えてきた入居者も高齢化が目立ってきていま
す。冬の寂しい風景の中に、咲いては散り、散っては咲き継
ぐ山茶花。入れ替わり暮らす人が変わる、団地という大きな
容れ物を通して、人の営みを静かに受け止めている、穏やか
な心のありようを思います。
秋風と行けば弥生の吉野ヶ里     中井 光瞬
「秋風と行けば」の軽いうたい出しに、吉野ヶ里に広がる
大きな青空と明るい陽光が感じられます。佐賀吟行三日目に
訪れた吉野ヶ里遺跡は、折しも女子高生や小中学生の校外学
習の時期と重なり、広い草原のあちらこちらに、にぎやかな
声が聞かれました。実りの秋にふさわしいようなあの日の風
は、はるか遠い時代の弥生の風。風の運んでくれた、爽やか
な吟行詠。
娘に聞けば皆捨てるもの冬支度     岡田 季男
まったく以てその通りと頷いてしまった一句。掲句の「冬
支度」は寒い時期を前に、入れ換えのための冬物衣料の類で
しょう。若い故か、物に執着がないのか、娘に聞けば、不要
の物としてあっさり処分に回されてしまいそう。もったいな
い精神を盾に、なかなか物を捨てられない世代の共感ととも
に、何ともいえぬ俳味が魅力の作品です。
冬雲の晴れず動かずずっしりと     横矢  寛
冬の雲のじっと垂れ込めている様子が、素直な詠みぶりに
描き出されています。打ち消し表現が繰り返され、「ず」の
リフレインがそのまま結句の「ずっしりと」につながります。
空を覆う冬雲の重量感を詠みながら、不思議と暗鬱な影はそ
こにありません。
笹竹も祓はれてより煤払ふ     大竹 耕司
そう言われてみれば確かにと頷いた一句。どこか立派なお
堂でしょうか。煤払いは、歳神様を迎えるための準備。その
道具調達として、まず笹竹を伐り出してくる作業があり、そ
の竹をお祓いし浄めてから煤を払う作業へと入るのでしょ
う。「はらわれてよりはらう」の重畳表現に、正月事始めと
してのめでたさも込められています。
地歌舞伎の科白書いては覚えけり     白木 紀子
「科白書いては覚えけり」繰り返し書いては覚えるという
暗記の仕方の懐かしさと素朴さが、郷愁をもつ季語の奥行き
を深め、また響き合っています。里に伝わる伝統芸能の一つ
歌舞伎は全国各地に見られ、近くでは岐阜が有名ですが、愛
知北設の田峰地区でも「村が三軒になるまで奉納します」と
の熱い思いで今も続けられています。
秋佳肴有田陶函弁当膳     原田 弘子
それは本当に立派な陶製の玉手箱のようでした。蓋を開け
ると、趣向を凝らした器とともに、繊細な細工の旬の食材が
美しく収められてありました。漢字のならぶ一句に、陶箱の
硬質な固さと手の込んだご馳走の数々が思い出されます。小
鉢の「ごどうふ」も有田の郷土食。口福眼福の昼餐。
深吉野の秋の譜奏す句碑いくつ     安藤 明女
吉野は万葉の時代から、山や川や雪、そして桜と数々の名
歌、名句が詠まれています。句碑の数も多く、句碑めぐりマッ
プもあるとか。掲句はこの歌枕のもつ歴史的力を土台に、日
本の文学的感興の一つ、秋の情緒を詠んでいます。しかもとっ
ても軽やかに。それぞれの句碑がもつ来歴や感興は、吉野と
いう土地、秋という大きな季節へ集約されます。それは時に
秋の爽涼たる奏、時に秋の蕭条たる譜。格調をもちつつ弾む
ような調べに、明るく澄んだ秋の気配までも伝わります。
神の留守同じ所を二度三度     鎌田 初子
いつも頼りにしている神様はすでに出雲へ旅立ってしまわ
れ、お留守。そのせいか同じ所を行ったり来たり無駄足を踏
んでしまいます。こんな思いは実はよくするのですが、ここ
は、ひとまず神様の不在のせいにしておきましょう。
木の葉降りやまぬ木歩の終焉地     鈴木 帰心
富田木歩は幼くして歩行不能、貧困、結核と苦しい境遇に
置かれ、関東大震災発生時には生涯の友、新井声風がいった
んは背負い出たものの、火炎に呑まれ、墨堤に横死を遂げま
した。享年二十六歳。辛苦というより晴朗とした句境に将来
を嘱望されてもいました。この終焉の地は声風が木歩と離別
した所。ここで命を落とした木歩に、木の葉はとめどなく降
り注がれ、また、生き残った声風の木歩へ捧げる気持ちも、
同様にここに残されているのでしょう。

一句一会    川嵜昭典


赤い羽根いつしか落とし丸の内     星野 高士
(『俳句』十二月号「落日」より)
言うまでもなく人は一人では生きられず、助け合いが必要
である。そして、そのような心持ちをさりげなく表していた
つもりの赤い羽根が、いつの間にか無くなってしまった。そ
れがこともあろうに、人情とは程遠いビジネス街である、丸
の内で気付いてしまったときの、寒々とした気持ち、そして
一方で、滑稽さが感じられる句。ただ、そんなビジネスの世
界でも、健康保険や厚生年金など、助け合いの精神を汲む仕
組みはしっかりと根を張っており、ビジネスはビジネスでそ
う無機質なものでもない。赤い羽根ではないが、別の助け合
いは制度として存在しており、むしろ、作者が、赤い羽根の
助け合いの気持ちを持ちつつも、別の助け合いの精神を持つ
丸の内へ足を踏み入れて、丸の内で働く人々の息遣いを聞い
たとも考えられる。さまざまな見方を提示する一句。
くるくると回して秋の日傘かな     中岡 毅雄
(『俳句』十二月号「真顔」より)
「くるくると回して」というのは、何気ない、日常的と言
えばとても日常的な行為である。これが「(夏の)日傘」で
あるならば、単なる暑い最中の行為で終わってしまうが、「秋
の」という言葉が付いたとたん、読者の心の中には、残暑厳
しい中にも爽やかな風が吹き、その中に佇む一人の人の様子
が思い描かれることになる。そうすると、この、くるくると
回す行為に対して、何か楽しいことがあるのだろうか、心躍っ
た昔を思い出しているのだろうか、などと想像が広がってい
く。秋の、という言葉がぐっと想像を広げるときの、自身の
心の広がりを楽しめる句。
さざ波のいただき光る花の冷     月野ぽぽな
棘に触れ葉の先に触れ梅雨の蝶     同
(『俳句』十二月号「旅立ちの指」より)
「さざ波の」の句。花冷えのときというのは、すっと気持
ちが沈む。塞ぎ込むわけではないが、ものの見方が一段低く
なり、またひどく物質的になる。すると、今まで見ることの
なかったようなさざ波にも、高低差があり、光を持つことに
気付く。この、気持ちが沈むようなときに見る光は、白黒写
真の中に一点の紅色を見るように、作者の心に突き刺さる。
さざ波という微かなものから、突き刺さるような力を放られ
ることに作者は驚く。とても繊細な感性だ。
「棘に触れ」の句。同じ蝶でも「梅雨の蝶」というのは、
何となく飛び方も生き方も不安定な印象を受ける。人から見
れば棘の先や葉の先というのはとても小さなものだが、蝶か
ら見れば、一つの安心できる取っ掛かりなのだろう。しかし
人から見れば、それらはとても繊細なものであり、そんな小
さなものに頼らねばならない蝶に同情を超えて、見る人自身
の不安を重ねてしまうのではないだろうか。両句共に小さな
ものの世界に自身の心を重ねている句だと思う。
栄転といはれ田螺が掘り出され     宮坂 静生
(『俳壇』一月号「読初」より)
転勤の解釈は、人によってさまざまである。「栄転」は、
今の職務よりも昇格しつつ転勤することだが、仮に本社から
地方の支社に支社長として赴く場合は、人によっては左遷と
取ってしまうかもしれない。掲句の栄転も「田螺」という言
葉から考えればこのような状況なのだろう。傍から見れば昇
格でも、本人は何とも言えない思いを持つ。一方、田螺は水
中のものであるならばほぼ何でも食べてしまうようなしぶと
さを持つ。食べてみても、意外に─と言ってはいけないか
もしれないが─味わいがある。そんな田螺を食べながら、
泥にまみれ、しぶとく生きていくのもまた一興だと、気を持
ち直している穏やかさが、この句からは感じられる。また、
その動物を食べてしまいながらも、その動物から教えられる
というのは、人間らしい皮肉でもある。
サンタクロース楽々と子を抱き上げて     神野 紗希
(『俳壇』一月号「食べてみ」より)
サンタクロースといえばプレゼントだが、そうではない、
違う一面を見せる一句。どうしてもサンタクロースといえば
おじいちゃんというイメージが湧くが、「抱き上げ」という
言葉によって、大人と子供という対比になっている。大人が
子供を抱き上げるというのは、次の時代を期待するというこ
とだ。すなわち「楽々と」という言葉は、なんの疑問も抱か
ず、純粋に、次の時代を担う子等を愛しているという気持ち
を伝えるということになる。何のわだかまりもない愛を感じ
させる句。
色鉛筆みな尖らせて紅葉描く     小野 元夫
(『俳壇』一月号「告白」より)
紅葉を描くのであれば、赤や黄など、それなりの色の鉛筆
を用意すればいいように思うが、描く人の目には、紅葉の、
多様な色合いが見えるのだろう、「みな」という言葉が面白い。
紅葉の、繊細な造形を見、それを先入観なく捉えようという
人の姿が浮かぶ。