毎年、恒例の新春俳句大会ですが、今年はコロナ禍の影響もあり、今のところ宿泊は取りやめ、日帰り日程になる見込みです。
多くの会員の方が、ご自分の体調や外出のリスクを考え、出席を勘案されると思います。たとえ、出席がかなわなくても、どうか事前の募集句の方には投句して頂きたいと思います。会員の皆さんの投句料で会の運営をしています。「若竹」十月号巻末に綴じてある投句用紙を使用し、どうぞご協力ください。
新春俳句大会募集句担当 今泉かの子
毎年、恒例の新春俳句大会ですが、今年はコロナ禍の影響もあり、今のところ宿泊は取りやめ、日帰り日程になる見込みです。
多くの会員の方が、ご自分の体調や外出のリスクを考え、出席を勘案されると思います。たとえ、出席がかなわなくても、どうか事前の募集句の方には投句して頂きたいと思います。会員の皆さんの投句料で会の運営をしています。「若竹」十月号巻末に綴じてある投句用紙を使用し、どうぞご協力ください。
新春俳句大会募集句担当 今泉かの子
▽日 時
九月十七日(木) 午前十時より受付
▽会 場
西尾市総合福祉センター4階(花ノ木町)
▽投句締切
正午(当季雑詠二句)
※参加者は天賞一点ご持参下さい。
▽講 話 午後一時より
▽句 会 講話後
▽会 費 五百円(昼食各自用意)
お茶一本用意します。
▽申し込み
荻野杏子宛
〒四四四─〇八七四
岡崎市竜美南三─六─七
※「若竹」の師系について、今回より加古宗也主宰の講話がシリーズで始まります。「若竹」の伝統を学ぶ絶好の機会です。
※コロナ禍の影響により先着三十五名にて〆切ります。各自のはがきにてお申し込み下さい。
主催 若 竹 吟 社
上州の歴史の深さと長さーそれを弘子さんはゆったりと、それでいてしかっりとつかまえている。妙な力みを持たない人だからだと思う。
<加古宗也・(序文)帯文より>
加古宗也抽出12句
毛糸編む男の夢の端にゐて
手足凍てきし重監房の跡地
冬あたたか盲導鈴は語るごと
神還る毛野に五つの活火山
友の輪へ行つたきりなり卒業子
逢へば子のふと眩しくて春の雪
断乳の胸熱からむ夜の濯ぎ
初厨ふたりの嫁に挟まりて
浅間嶺の風の色被て凍豆腐
嬬恋の星をいただき芋煮会
湯の街や夜霧の底に硫黄臭
道広く掃いて煤の日終りけり
重監房跡地へ巣くふ蟻の塚
再現と知るも身に入む房の闇
監房の声なき叫び地虫鳴く
すがれ虫南京錠の幾重にも
冤罪てふ展示記録の冷まじき
秋声や観音寂びる焼場あと
野ざらしの大釜二つ赤のまま
小鳥来る撞く人のなき鐘撞堂
プロミンの秋光まぶし交流館
鬼籍名の増えし九月の納骨堂
実名を捨てし残生木の実落つ
看護師の声掛けやはき秋すだれ
鳥渡る偏見の棘取れぬまま
語り部の瘢痕流し秋の雨
秋澄める盲導鈴の目覚めかな
西行も曾良も旅人鳥雲に
少年に山河の匂ひ五月来る
俎を男も使ふ麦の秋
草笛を吹く少年とその父と
灯台の女神めきたる夕の虹
海を見に来てゐる父の日なりけり
ハンカチを開きしごとく菖蒲咲く
残る人去りゆく人に月涼し
母よりも父恋ふ秋の蛍かな
能面の笑みに秋思のこぼれけり
秋の灯をともして暗き合戦図
媛山に仕へて鹿の鳴く夜かな
蟷螂の目に夕ぐれの海の色
星流る一つは遠き岬の灯
父と子の月日を重ね水澄めり
天文時計鳴るモルダウの朧かな
風信子青くあなたの香となりぬ
時差ぼけの卯月ルソーの「夢」に入る
梅雨晴れてお宮参りの子の産毛
額の花チェロ八分の一サイズ
漆黒の亀の子の瞳に見つめらる
雑踏の顔顔顔や半夏生
かなぶんと電車を降りて金曜日
雷の前の一瞬犬立てり
人体のしくみの図鑑晩夏光
底紅の底見ゆ風の停留所
花柊少女はサンドバッグ打つ
冬ざれやオレンジの洋酒を少し
父と二人やふうふうと根深汁
指長きリストの楽譜冬日向
国引きの神話の浜や秋気澄む
秋風に吊して草履売る茶店
拍手は四つ大社の秋気張る
神楽殿の巨大注連縄風さやか
宍道湖の夕日柱や秋気満つ
秋蜆掻くや鋤簾(じょれん)に船傾ぎ
池の上に二人乗り出し松手入れ
命綱つけ松手入れ上枝から
秋興や泥鰌掬ひは縁結び
秋気満つ腕の太さの舫ひ綱
堀川に橋二十ほど雁渡し
屋根下げて秋の遊船橋くぐる
菊の香や八雲書斎の高机
八雲忌や楽の茶盌の大ぶりな
秋興や八雲の好きな長煙管
朝凪や輪島の海の真っ平ら
能登の灯を海に沈めて銀河濃し
海桐花咲く一両電車で巡る能登
銀漢の果てなくつづく能登の浜
ホテルの灯火蛾の灯となり更けにけり
蓼の花咲かせて能登のどんづまり
能登の海渚を月と走りけり
遠き灯は闇の綻び星流る
潮騒の一夜の宿や銀河濃し
寂しさに恋してしまう夏の月
千枚の棚田にそそぐ月明り
漆黒の遠流の島星流る
奥能登や砦のごとき風囲い
石文や能登の海鳴り夏の月
夏鶯倶利迦羅谷の昏きより
端濡れて水無月祓ひの案内来る
どしや降りの名越の宮となりにけり
受付は村の信徒よ夏祓
形代の和紙の薄さよ小ささよ
傘とかさ重なりおうていて夏越
雨音に消されさうなる名越かな
形代に力を込めて書く名前
形代を撫づ親指の腹をもて
形代に母の名前を書き足しぬ
形代や川音激つ神の元
神官の手より形代風に乗る
神官の祝詞も吹かる禊川
形代の重なり合うて流れ行く
形代や目を閉ぢて聴く川の音
形代の流れて行くも雨の中
懐胎の妻置き赴任春寒し
芥子菜の匂ひやここは異国の地
春興や人種の坩堝たる職場
異国の地馴染めば来たる花粉症
週末はゴルフ三昧夏一人
若人に中年混じる夜学かな
七色の沼からリフト青嵐
峰雲や道を横切るバッファロー
間歇泉高く激しく日の盛る
大南風渓流内の露天風呂
死の谷の膚を突刺す暑さかな
ヘッドライト霧に呑まれるデスバレー
塩湖凍つ轍真直ぐカーレース
バブル崩壊拠点無くなる寒さかな
冴返る帰国の前の大地震
慰霊碑の掃除エプロンがけで春
エプロンのポッケ土筆でふっくらと
杉花粉マスクじゃ足らずエプロンまで
走り梅雨脱ぎっ放しのかっぽう着
紫蘇絞るエプロンまでも染まりけり
おみがきに汚るエプロン盆用意
光りおる鯛の鱗がエプロンに
エプロンに抱え秋茄子もらい来る
報恩講際立つ白のかっぽう着
除夜の鐘やっと外せるかっぽう着
新年や白きレースのかっぽう着
お年玉そっと忍ばす割烹着
お正月やっぱり馴染むかっぽう着
節分や福を集めるかっぽう着
三月や祝膳作りかっぽう着
自註現代俳句シリーズ・12期 42
加古宗也集
公益社団法人 俳人協会
平成31年4月20日、「自註現代俳句シリーズ 加古宗也集」が発行されました。昭和52年より平成18年までの約30年間の作句の中から300句を自選、自註されたものです。
<あとがきより>
<以下、300句の中から抄出>
昭和55年作
私の原風景の一つといっていい。麦踏は春霜を踏み砕き、強い麦を育てるために欠かせない作業。広びろとした麦畑の青さは生命力そのものだ。
昭和59年作
大方の評者が、恋人の争奪戦に譬え、私を勝者として下さった。まあ、それもいいかと思った。
平成5年作
水上温泉郷での作。利根の源流に向かってゆっくり歩いてみた。秋風が荻の葉を鳴らした。
平成7年作
村上鬼城顕彰全国俳句大会出席のため、毎年鬼城忌には上州(群馬)入りする。この年は赤城山の忠治館に宿泊した。
平成15年作
寒牡丹の美しさは生命を絞り出すようなところにある。即ち、地の力を花心に見せているのだ。
加古宗也主宰の第5句集「茅花流し」の句集評と一句鑑賞が、角川「俳句」に掲載されました。以下は、角川「俳句」11月号からの引用です。
坂 口 昌 弘
加古宗也は三年前に創刊一〇〇〇号を迎えた「若竹」の主宰である。第三句集『花の雨』は日本詩歌句大賞(俳句部門)を受賞した。今回の第五句集『茅花流し』は還暦をこえてから約八年間の句を纏めている。宗也は「あとがき」に、「仲間とともに吟行をしているときこそ、私にとって至福の時間だと言っていい」と述べる。作者は至福の時間に何を詠んだのであろうか。一句一句鑑賞するほかはない。
また時雨きしお木像拝さばや
四十七人の刺客義士の日とは笑止
作者の住む西尾市には吉良上野介の菩提寺・華蔵寺がある。宗也は吉良の木像に「拝さばや」と思い、赤穂浪士を「義士」とは呼べないという吉良びいきである。吉良は地元では名君と慕われている。多くの日本人は「忠臣蔵」を通じて吉良を悪役と思ってきたが、吉良を名君と評価する人々がいることは、歴史的に公平な評価とは何かを思わせる。
美しきをみなと佇てり冬泉
螢火やをんなの息の甘かりし
白川の女やさしき冬菜畑
女性を思う気持ちを率直に詠む俳人は珍しい。正岡子規が写生を唱えて以来、一般的に異性に対する思いを詠むことは少ない。宗也は還暦をこえても、女性への思いを詠む。俳句では「美しき」といった主観的な形容詞は使われることは少ないが、作者はこれらの形容詞でしか表現できない女性の姿を捉える。「若竹」前主宰で義父の富田潮児から俳句を作らないと娘と結婚させないと言われ俳句を再開した逸話を連想する。
薔薇に香と棘なかりせば愛されず
人なべて甘きに弱く一位の実
美しいものには棘があり、その棘が刺さっても美しいものに近づきたい思いである。二句目には、「一位の実は甘けれど微量の毒あり」という前書がある。甘い言葉には毒が隠れているようだ。
初夢の釈尊の掌の広さかな
釈尊の舎利ある不思議雪ばんば
初夢に釈迦の大きな広い掌が出て来るというのは珍しい。釈迦は二千数百年前に没し、死後は焼いて川に流せと言い残したという。仏舎利塔の舎利には、遺骨に似た宝石や貴石等が代替品とされてきた。作者はアジアの仏舎利塔にどうして多くの釈迦の遺骨があるのかと、疑問に思ったのかも知れない。釈迦をテーマとするユニークな二句である。
引く波にわが魂引かれ涅槃西風
作者の魂が引き潮に引かれている。この句は魂と釈迦入滅と西方浄土の関係を思わせる。魂が体から出て涅槃に向かうイメージである。
鮎錆びて水に匂ひの生まれけり
自転車に乗るコスモスの風に乗る
詩的な発想である。鮎が錆びたような模様と色になる頃、川の水に「匂ひ」が生じると詩的に詠む。二句目はコスモスの咲き満ちている花野を風におされて自転車が進む詩的なイメージである。
老鶯や山の神にも酒少し
神は留守なれば報賽軽くせり
山の神の小さな祠に酒を少し注ぐと言い、神は出雲に出かけ留守だからお礼参りの賽銭は少しと言う。神々を詠んでユーモアが感じられる。
小春凪とは天蚕の浅黄色
雲雀は天を人は水辺を好みけり
小春のような凪とヤママユの色の配合は美しいポエジーである。二句目は、孔子の言葉「知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ」を連想する。孔子は山と川を好む人を対比したが、宗也は雲雀と人の好みを対比する。宗也は自然を好み、吟行の旅で至福の時間を楽しむ。
一 句 鑑 賞
真青な淵を目指すのは少年と思われるが、少女であっても差し支えない。深い色と静かさを湛えた淵は泳ぎ子にとって神秘的であり、ずっと憧れの処だったに違いない。「めざしけり」に迷いなく抜き手を切る動きまでが見えてくる。
真青な淵は、これから少年が生きて行く人生の象徴として提示されているかのよう。遠目には美しくても、そこは思い掛けない深さや、妖しいまでの光に溢れているかも知れない。身を投じ沈みそして浮かぶ、生きることの奥深さを学びつつ成長していく少年。少し深読みだがそんな風に思えた。
作者は実にシンプルに、泳ぎ子と真青な淵だけを描き、後は読み手に委ねるという手法をとった。
このように省略を尽くした作品を発表するときは、どうしても一抹の不安が付きまとう。
掲句の思い切りのよさに、作者の力量と、円熟味からくる余裕が感じられる。
奥名 春江
作者は「あとがき」に「仲間とともに吟行をしているときこそ、私にとって至福の時間」と記し、収録句は殆どが吟行によって得られたと述べている。集中、虫を詠んだ句も多く、〈けら鳴くや百雪隠に百の甕〉は京都・東福寺、〈深吉野の星無き夜は螢火を〉は東吉野村での作であるが、掲句の舞台はどこであろうか。「草罠」とは、草を束ねて結び、人や動物の足が引っ掛かるようにしたもので、ばった
が掛かるのは想定外であろう。ところがこのばったはあわてていたのか、たまたま草に足を絡めてしまったのである。逃げ飛んでは行ったものの、脚の何本かが捥がれたのかも知れず、あのあっけらかんとした表情(?)がかえって「あはれ」を誘う。例えば、〈人は人責むる弱さを蝉の殻〉〈人はすぐ回顧に逃げて日向ぼこ〉などにも滲み出ているこのような哀感は、村上鬼城の精神を継承して、生きる証を求めて来られた作者ならではのものであろう。
寺島ただし
この句には「悼 飯田龍太氏」と前書きがあり、註として「家武村=現在の西尾市家武町。『雲母』誕生の地」とある。「家武」は「えたけ」と読み、当町は、飯田龍太が父飯田蛇笏から継承した俳句雑誌「雲母」発祥の地である。加古氏はその愛知県西尾市に生まれ、現在も居住している。家武町は、隣町と言って良い地域であろう。「雲母」は創刊時には「キラヽ」という誌名で、当時の村の小学校の校長・教頭が編集、寺院の住職が発行人として創刊された。蛇笏は、第二号から雑詠欄の選者をつとめた。当地は鉱石の雲母(キララ)が産出したので「キラヽ」と命名されたが、蛇笏が「雲母」と改名する。飯田龍太は平成十九年二月二十五日に逝去した。それから約一ヶ月、「雲母」誕生の地は、桜の満開の時期を迎えた。龍太の死を荘厳するかのような桜が見える。地元の人々にとっては当たり前の風景が忘れ得ぬ景として切り取られた瞬間である。
井上 康明
村上鬼城の〈街道をキチキチととぶばつたかな〉と〈雹晴れて豁然とある山河かな〉を思い遣っての作だと思った。
〈鬼城忌〉が取り合わされることで、〈山河〉も〈きちきちばった〉も、鬼城の生涯や作品世界を引き受けてうんと特別な言葉になる。山や河のある雄大な自然へと、きちきちばったが飛び立つ。上五に置かれた〈鬼城忌の〉によってこの世界に奥行きが生まれて、境涯俳人と評される鬼城俳句の世界観が立ち上がってくるのだ。大自然に育まれる生の営みの感動を詠み上げることは、自らの生きている証を刻むことでもあると。
集中には、鬼城の弟子であり、作者の師である富田うしほ、潮児を詠んだ作品が数多い。それらの師を尊ぶ作品群のなかにあって、掲句は、師資を継承することを使命に活動する作者の思いが込められたずしりと重い一句であるように感じた。
杉田 菜穂
春立つや童話の原書指で読む
調香のシャーレに落とす春の月
五線譜へのせよ天使と春の虹
かぎろひて泡にもなれぬ人魚像
朧夜を青く群舞の浮み上ぐ
鐘霞みをり宮殿に鏡の間
初蝶もつれあふ鏡の回廊
寒月光ちりちりとシャンパンに泡
寒月や叩いてのばす金の箔
冬銀河王家の谷は地下に伸ぶ
シリウスやナイルの西を王の墓
いつよりの黄金のマスク冷たし
断食月(ラマダン)や足音もたぬ黒揚羽
水仙の夜は小さきいのち抱く
図鑑閉づギリシャ神話の星朧
関門の風は異国のつちぐもり
春ごたつ潮に逆らふ船の音
彼岸潮平家滅びし時も引き
パン売りの音楽隊に百千鳥
卯波立つ門司はバナナのたたき売り
烏賊の胴さけば風来る壇ノ浦
水豆腐維新とありし箸袋
海に向く東司の窓にいわし雲
砲筒を馬関に向けたまま雨月
長州の名残りに秋の蚊を打つて
月の海赤子泣きやむほどの揺れ
海峡に五郎助鳴けば眠る猫
時雨虹渡船は水尾を光らせて
出稼ぎは海あるところ霧笛鳴る
浮寝鳥ここが最後の捕鯨基地
河馬好きと自己紹介の四月かな
春めくやザンブザンブと泳ぐ河馬
春疾風河馬はゆつくり口開く
風薫る動かぬ河馬へ子らの野次
秋高し肩車して河馬を待つ
耳だけの河馬に挨拶冬ぬくし
冬の暮雄叫び聞こゆ動物園
ケニア3句
アフリカの河馬に会はむと夏休み
夏の朝河馬サバンナを走りをり
マラ川の河馬親の背で水遊び
河馬作品コレクション3句
弘法忌東寺露店に河馬探す
春の夜青き陶器の河馬とをり
風光る河馬一筋の彫刻家
ムーミンと呼ばれし日あり山笑ふ
横たはる河馬の広き背小鳥来る
北国のひかりとなりて燕来る
空よりも水きらきらとリラの花
ポプラより風のうまるる立夏かな
五月くる牧舎に海の匂ひして
アカシアの花のこぼるる橋渡る
夕虹やクラーク像の遥かより
火の山の遠くなりゆく晩夏かな
はまなすや海辺の町の啄木碑
白樺の風より白き秋の蝶
ポトロ湖の野菊をははに摘みにけり
小鳥来る音楽堂の小道かな
火の色をそのまま夜のななかまど
秋燕の空あをあをと開拓碑
水澄みて運河に星をふやしけり
鳥渡る地球岬のくるるまで
正装も一着入るる夏の旅
回転ドア出で初夏のニューヨーク
摩天楼仰ぐ闊歩の白き靴
朱夏のアメリカ大皿のスペアリブ
カーネギーホールに座すや聖五月
ゴスペルを唄ふ女のうすごろも
夏の夜の夫のテノール衰へず
街薄暑イエローキャブに手を上ぐる
メトロポリタン美術館で二句
シンボルは青き河馬とや新樹光
フェルメールの少女ほほえむ罌粟の花
9.11メモリアル&ミュージアムにて三句
薔薇一輪グランドゼロの碑に
三千のたましひ眠る噴井かな
その中に残る一樹の若葉映ゆ
ビール酌む自由の女神眺めつつ
朝ぐもり財布に残るドル紙幣
泉汲む双手に木洩れ日の斑
太陽をちりぢりにして汲む泉
泉噴く水輪の影は光なり
湧泉の深く澄みたる底に宙
金と銀の鞍止めてある泉かな
泉には小人七人住むと言ふ
手に触るる水柔らかき泉かな
身ほとりに青空集め泉湧く
生みたての卵のやうに掌に泉
鳥獣のみな集まつてくる泉
老の手を沈め泉のこゑを聴く
泉より奥は道絶え山の声
森の中泉は夜もかくあらむ
一すぢの日矢たちのぼる泉かな
人去りて泉の音色戻りけり
サングラス持つ手振られて迎へらる
サングラス掛けても目立つ片えくぼ
マニキュアもペディキュアもしてサングラス
海が好きことに真夏の海が好き
石蹴つている児が一人夏の海
サングラス持つ手で指せる島の数
渡船場の膝に畳みしサングラス
島へ着きすぐに取り出すサングラス
崇運寺へ灼けし石段数へつつ
サングラスはづす板碑の六地蔵
八千草に屈めば島の香のそこに
夏草や両手でなでる島の山羊
ハンモック一つは地面すれすれに
サングラスはづして道を訪ねけり
夏の風追ふ自転車を漕ぎ出せり
《努力賞》軽 井 沢 酒 井 英 子
樫鳥の樫の実を食み辰夫遺居
鰹縞織る新涼の筬の音
石の教会水音と秋の声
軽井沢高原教会
一つづつ屈みて灯す秋思かな
樹にはランタン地にはキャンドル秋の声
宵闇や灯をもて佇てる修道女
夜のとばり包む別荘虫の声
秋の滝水手から手に注ぐ車椅子
垣のなき別荘群や涼新た
万平ホテル
ジョンレノン弾きしピアノや秋思ふと
秋声や三笠ホテルの調度品
窓枠は幾何学模様初紅葉
軽井沢タリアセン
栗鼠飛んで遊べるペイネ美術館
ボートみな戻り山湖の秋昏るる
噴煙を離さず秋の大浅間
セシウムを背負ひし町の誘蛾灯
止まりたる生活のままに草茂る
遮断フェンス越えてたわわな青胡桃
金葎停止禁止の一本道
青葉闇廃墟となりし郊外店
草いきれ数値の違ふ線量計
置き去りのフレコンバック油照
遠望の第一原発風死せり
山百合や静寂の深し帰還地区
八月の浜辺声消す大堤防
ふくしまの地に輝ける夕焼空
白水にいわき訛の白日傘
堂涼し徳尼好みの阿弥陀仏
気怠げな案内の僧の藍甚平
凛然と紅仄めくや古代蓮