No.1038 平成30年10月号

チョーク塗る子らが創意の木の実独楽  うしほ

上高根警固祭
豊明市の住吉社では、市の無形民俗文化財の警固祭りが10 月 7 日に行なわれる。近くの神明広場に集まった祭り行列を警固する形で、棒の手隊と鉄砲隊を警護して神明社に入場して来る(写真)。このあと境内で、大迫力の火縄銃発砲と伝統の棒の手の演技が披露される。棒の手は武器を持てなかった農民が棒や農具の鎌を用いて身を守る護身術を身に付けていたのだ。その術は秘伝として口授されているそうだ。所在地:豊明市沓掛町上高根住吉 9・住吉社。名鉄前後駅からバス上高根下車徒歩15分。☎0562-92-8317( 豊明市生涯学習課)。
写真撮影(カラー)・プリント・文 柘植草風

流 水 抄   加古宗也


小椋とは木地師の名なり落葉坂
木枯の谷間猿(ましら)の赤き尻
神の息とも木枯の谷に入る
小春日やナルダン楽器てふ匠
一陽来復名古屋扇子に鶴の舞
豆福の豆買つて出る街小春
詩人と画家のコラボ
赤紙の赤や槐多の裸婦は冬
極月来槐多の僧の太き尿
冬落暉宿してをりし繁の目
冬落暉少女の赤き腰巻に
伯父に恋せし少年や霜柱
詩人の絵見て大雪の虫おさへ
白秋の雀をどりや神の留守
名古屋城址
木枯や大扉閉したる乃木倉庫
大綿や鵜の首に来てまた戻る
乃木は軍神銀杏落葉の中に佇つ
落葉弾めり深井抜ければ隅櫓
松色を変へず凾館五稜閣
いかの足噛んで少しの温め酒
谷汲山華厳寺
霜月の一宇笈摺溢れ出す
山門に忘れ杖あり霜の声
山形の鳥海山
雪嶺の気高さ土門拳を見て
自転車を降り木枯に跼みけり
綿虫や視界の隅に暗きもの
京都
法然の腰掛け石や霜を置く
霜月や法然院に突き当たる
綿虫や窓の小さき外厠
綿虫やぬた場につづく獣道
草津温泉
綿虫や賽の河原に湯の流れ
掌の中の綿虫の魂斐翠色
落葉坂来て御手洗の杓を取る
まだ残る運河の匂ひ雪螢
花石蕗や大沓脱に織部釉
掃き寄せし落葉に真日の温みあり
三和句碑まつり
俳額のひとりびとりを火の恋し
強霜や鳥居の下の力石
群馬
鬼石(おにし)てふ村淡々と冬桜

真珠抄十月号より珠玉三十句 加古宗也推薦


虚子庵の隣に育つ子や晩夏     田口 茉於
まず影のばさと来たれり黒揚羽   平井  香
蝉の木に原爆の歌ひびきけり    中井 光瞬
河童忌や積ん読の本積み直す    石崎 白泉
球場のフェンスにタオル晩夏光   工藤 弘子
茶柱のそれも真っ直ぐ今朝の秋   服部くらら
熱帯夜寝返り打てば妻も打つ    関口 一秀
夜振火が熊野の闇にまた一つ    今井 和子
大花火火薬の匂ひ引きし風     春山  泉
臍撫ぜる土用太郎のぬるき風    牧野 暁行
津軽富士裾野りんごの袋掛け    岡田 季男
初西瓜届けてくれし元患者     浅井 静子
子はすでに別のもの追ふ捕虫網   堀田 朋子
馬鈴薯の花がら空きの電車ゆく   髙相 光穂
頭陀袋肩から外し汗拭ふ      磯村 通子
玉の汗たつぷり貰ふ庭掃除     小川 洋子
不揃ひの丸太組む馬塞竹煮草    新部とし子
恋遠ざかる甚平の馴染むほど    田口 風子
スマートな紳士となりて黒日傘   斉藤 浩美
台風や夫の隣りにゐる安堵     久野 弘子
尼さまになりたかったと生身魂   荻野 杏子
片陰のビルの形に尖りをり     岡田つばな
滝風や崖に伸びたる鉄鎖      山田 和男
鰻屋の列に疲れし顔並ぶ      髙橋 冬竹
梁太き輪中の水屋梅雨晴るる    酒井 英子
阿波踊り見る川風に吹かれつつ   清水みな子
教室でどつと笑ふも暑気下し    鈴木 帰心
米原のホーム膨らむ盆帰省     池田あや美
稚児の髪匂ふ色なき風の中     髙橋より子
切絵図の吉原跨ぐかまどうま    市川 栄司

選後余滴  加古宗也


蝉の木に原爆の歌ひびきけり     中井 光瞬
一九四五年八月六日、アメリカが投下した原子爆弾によっ
て、瞬時にして二十数万人の市民が死んだ。その後、毎年八
月六日には広島市内の爆心地といわれる俗に「原爆ドーム」
の前で慰霊祭が営まれている。今年は少女が朗読した作文が、
全国の心ある人々の強い共感を呼んで、原爆許すまじの声が
再び高まった。掲出句の作者・中井光瞬さんは広島の人。原
爆許すまじの歌が蝉の鳴く一本の樹木にひびいたというの
だ。蝉のようにおそらく感情を持たないであろう蝉にまで、
そして、樹木にまでひびいたと感じた。その感性は尊い。子
と、自らも被爆しながら、被爆者のために死ぬまで医療にた
ずさわった長崎医大の永井隆医師のことが思い出された。い
うまでもないが、藤山一郎が歌って、いまなお多くの人々に
歌いつがれている『長崎の鐘』は、彼のことを歌った歌だ。
尼さまになりたかったと生身魂     荻野 杏子
「生身魂」というのは単に長命というだけではなく、慕い
尊敬する年長者の長寿を祝って食物などを贈る盆行事。「尼
さまになりたかった」とはどういう心境なのだろうか、と思
うと同時、そう思う人の人柄が偲ばれて心がぬくもる。「生
身魂」といえばわが師・富田潮児は生身魂という呼び方が、
ぴったりと当てはまる人だった。小柄で痩せっぽっち。さら
に十八歳にして失明した。七十歳頃から耳も急速に不自由に
なり、目は一級、耳は二級の身体障害者の認定を受けていた。
にもかかわらず、怒った姿を見たことがない。そして、周り
の人全てに愛情をそそぐことを忘れない人だった。
臍撫ぜる土用太郎のぬるき風     牧野 暁行
ここ数ヶ月、体調を崩していたが、見事に回復に向かって
おり、うれしいことだ。「病いは気から」という言葉があるが、
病と闘うにはまず気力であることはいうまでもない。上掲の
句の如くに、その悠々たる構えが、病いをぐんぐんとよい方
向へ引っぱっているのだと思う。間もなく牧野同人会長の豪
快な笑い声が復活することは間違いない。
津軽富士裾野りんごの袋掛け     岡田 季男
全国各地に俗称「富士」と呼ばれる山がある。いずれも名
峰で、それぞれの国を代表する美しい山に魅せられる。例え
ばこの「津軽富士」は「岩木山(い わきやま)」のこと。その美しい立姿か
ら「富士」の美称がつけられた。津軽富士の裾野は日本を代
表する林檎の山地。はるか彼方まで林檎畑がひろがる。そし
て、この句、林檎の花ではなく「袋掛け」であるところがい
い。「袋掛け」だけで、その前段の花も想像させるし、袋を
掛けられた林檎の意外に美しいのにも気づかされる。さらに、
「袋掛け」によって自然の美しさだけでなく、手塩をかけて
林檎を育てあげるお百姓の姿と、その誇り、労働の尊さすら
も見事に表現しつくしている。「客観写生を突き抜ける」と
はこういうことをいう。
恋遠ざかる甚平の馴染むほど     田口 風子
甚平というものは本来は老人のためのファッションといっ
てもいい。若者が着ても無論問題はないのだが、若者たちは
ダサイといって着たがらない。作者が甚平を着はじめたのは
何歳くらいからだろうか。いつの間にか、すっかり甚平にな
じんでいる自分に気付いて苦笑いしてしまう。甚平がしっく
り来る年齢とは恋を忘れる年齢なのだろうか。
風死すや擦れ違ふみな黒鞄     川嵜 昭典
今夏はことのほか猛暑がつづき熱中症患者が全国津々浦々
に発生した。猛暑の中で一番たまらないのが「風死す」とい
う天候だ。まさに息苦しい。立秋どころか、九月まで超異常
気象が続いた日本列島だった。猛暑だからといって、自堕落
に過ごすことができないのが多くの勤労者だ。クールビズと
いう言葉が一時流行したことがあったが、通勤鞄だけは持た
ずに出かけるわけにはいかない。管理社会という言葉がある
ように勤労者には、何とも社会の手桎足桎がある。「黒鞄」
はそこを具体的にしかも象徴的に表現している。じつに厳し
い一句。
まず影のばさと来たれり黒揚羽     平井  香
黒揚羽の影を「ばさ」と把握した手腕は見事。大正俳壇に
あって卓越した俳人として知られる原石鼎の句に《花影婆娑
と跳むべくありぬ岨の月》があるが、黒揚羽の影を「ばさ」
と感じ取ったところに作者の新たな成長を見ることができる。
熱帯夜寝返り打てば妻も打つ     関口 一秀
親族の血縁の濃さを示す数字に一親等、二親等という表現
があるが、面白いことに夫婦は「ゼロ親等」だ。ゼロとは一
身同体という意味であり、それを見事に具体化した一句だと
いえる。しかも、妻への作者の心遣いが、じつに自然体であ
るのがうれしい。「熱帯夜」を季語とする俳句として出色の
ものだ。
鰻屋の列に疲れし顔並ぶ     高橋 冬竹
鰻を食べて精力をつける。その前にかなりへたばっている。

竹林のせせらぎ  今泉かの子

青竹集・翠竹集作品鑑賞(八月号より)


絆とは幾何学模様風青し     酒井 英子
このとびっきりな上五中七。センセーショナルともいうべ
き措辞。広辞苑によれば絆は「②断つにしのびない恩愛」。
幾何学模様といえば、三角や円、四角形などの図形を組み合
わせた模様です。つながりの形而上的なものと形而下のもの
ということでしょうか。「風青し」は緑を吹き抜ける強い風。
その風すじと、人と人とがつながり広がっていく縁というも
の。線で結ばれる家系図、交友図等、様々に連想が広がります。
キの頭韻が読んでも清々しい、新鮮で不思議な魅力の一句。
蔵の扉のどこも錠前青嵐     田口 風子
こちらは同じ風ながら嵐とつくせいか、さらに勢いを感じ
る「青嵐」。堂々とした明るい響きの季語です。どこか歴史
に因んだ由緒ある土地でしょうか。蔵の並ぶ通りには、それ
ぞれにふさわしい重量感のある錠前がかかっています。青嵐
の吹き渡る風の強さと錠前のどっしりとした重厚感がほどよ
いバランスを保って、歴史的背景を感じさせる一句です。
頭を上げて急流よぎる青大将     牧野 暁行
同じ青でも下に大将がついた、こちらは日本最大の無毒な
蛇。その蛇が頭だけ出して急流を横切っている光景が浮かび
ました。「頭を上げて」の動かない頭から、流れの速さに抗
して身をくねらせる蛇の動きが想像されます。人家に棲みつ
き「主」と呼ばれることもある青大将の逞しさを感じます。
万緑の窓あの日の蓄音機     奥平ひかる
掲句は「あの日」と題された、「あの日から」「あの日乗り
越え」に続く三句目。あの特別な日の蓄音機。レコードに落
とされた針、そして蓄音機から流れ出た調べ。でも、ひょっ
として、蓄音機に集まった人々との語らいの一場面なのかも。
ともあれ、生命力あふれる木々の緑に窓は開かれ、今も変わ
らない輝きをもったあの場面が、遠い記憶の中から蘇ります。
勁く腕掴まれしこと螢の夜     三矢らく子
〈ゆるやかに着てひとと逢ふ螢の夜〉信子、〈死なうかと囁
かれしは螢の夜〉真砂女。螢の夜は艶なる風情が漂いますが、
掲句も勁く腕を掴んだのはきっと男性。「勁」の字は、まっ
すぐで力づよいという意味をもつそうです。螢の飛ぶ薄暗い
闇の中、思いの強さからその息遣いが艶っぽく伝わります。
傘寿まで秘めし恋あり蓮の花     堀尾 幸平
秘するが花。なんと、恋情の種火は胸の奥底にあって、
八十歳まで失われることはなかったのです。泥の中から美し
く咲く蓮の花は、極楽に咲く花とも例えられます。そんな花
の清らかさとストイックな思いと。健康寿命の言われる昨今、
胸算用は「人生百まで」と聞きます。思い人の存在は、不老
に抗する一番のエネルギー源なのかもしれません。
桑の実や父は蚕糸課勤め上ぐ     深谷 久子
かつて石炭は黒いダイヤ、蚕の繭は白いダイヤでした。明
治以降、外貨を稼ぐために養蚕農家が奨励され、お役所にも
蚕糸課という部署があったそうです。お父上の携わっておら
れた仕事は、近代化を目指す日本を支えてきた業務の一つ。
童謡「夕焼け小焼け」の一節♪山の畑の桑の実を小かごに摘
んだはまぼろしか~のフレーズはそのまま掲句の世界へ。ご
尊父への深い尊敬の念と、かつての日本への郷愁が漂います。
糸取りや縁切り状は女より     平井  香
このスパッとした言いよう。潔さ。とり、きり、よりと、
リ音の繰り返される響きも爽快です。「糸取り」は文字通り蚕
の繭から糸を取る作業。中の蛹が羽化する前に煮て殺し、い
くつかの繭の糸を縒り合わせて一本の糸にします。独特の臭
気の中繰り返される作業。肝を据えての縁切り状は、我慢強
く仕事を続ける女の強さに裏打ちされたものかもしれません。
到来の蕗煮ふくめてバッハ聞く     丹羽美代子
そんじょそこらの蕗ではありません。これは、よそ様から
のいただき物。灰汁抜きなど丁寧に下ごしらえをして、時間
をかけてやわらかく煮ふくめたもの。そしてバッハです。きっ
といつも聴くお好きな曲があるのでしょう。蕗の首尾は上々
にして、名曲に身を預ける至福のひととき。
素袷に匕首をしのばす仁左衛門     白木 紀子
「女殺油地獄」は、放蕩息子の与兵衛が借金の返済に困って、
近所の女房お吉に金の無心を迫り、油にまみれながら惨殺し
てしまう世話物。親に反抗し、虚無的な与兵衛は現代の若者
とも通じ、また衝動殺人も今に通ずるところ。与兵衛演ずる
片岡仁左衛門は、直接素肌に袷を着、あいくちを忍ばせてい
ます。やさぐれた男にふさわしい出で立ちなのでしょう。
菜種梅雨木綿豆腐を手でくだく     飯島 たえ子
料理によって豆腐は、包丁を使わず素手でくだいた方が、
その断面から味がよくしみ込みます。掲句はタ、ダ行の音が
それぞれバランスよく配置され、読んでも滑らかな響きです。
菜種梅雨のやわらかな雨の降りようと、やさしい雨の響きが
豆腐をくだく感触に似つかわしい、皮膚感覚の一句です。

俳句常夜灯   堀田朋子


再会を約し涼しく生くるべく     千原 叡子
(『俳句四季』八月号「巻頭句」より)
どなたと別れられたのかとつい想像してしまう。ロマン
ティックな関係の人となら、句はぐっと甘やかになる。今別
れると簡単には「再会」できぬ人なのだろう。それでも〝ま
たお会いしましょうね〟と言う。その約束が、その後の作者
の生き方を「涼しく」してくれるような人に違いない。
「涼し」という季語は、単に肌感覚だけでなく、心や行動
のあり様までも表す。会いたい時、飛行機を乗り継いででも
会いに行こうとはしない。宇宙の運行のようなものに身を任
せておれば、会うべき人にはいつかまた会えるだろうという
想いは「涼しい」。この人と再会した時、より良い生き方を
してきた自分でありたいという想いも「涼しい」。自然体と
潔さが融合した、極めて日本的な「涼し」という季語の美し
さを堪能できる句として惹かれる。
開拓の端にトマトの畝三筋     柏原 眠雨
(『俳句四季』八月号「季語を詠む」より)
「開拓」というと北海道なのだろうか。私自身の経験に引き
寄せて読ませていただくと、広島県瀬戸内側の山辺の僅か数
戸の〝開拓団〟になる。山腹に拓かれた集落は水利に恵まれ
ていないため、煙草の葉の栽培が主な生計の手段だった。煙
草の葉を乾燥するための建屋が珍しくて、米作農家とは異な
る風情に興味津々だったのを思い出す。その頃、私もきっと
畝三筋ほどのトマトを目にしたはず。そう思わせる臨場感が、
掲句にはある。「開拓の端」なら、そう瑞々しいトマトではな
いかもしれない。地に近い葉は黄茶気ているかもしれない。
でも大丈夫、水が不足がちの方がトマトは甘く育つらしい。
掲句の「トマト」は生活の象徴なのだろう。この地で開拓
労働の苦労と喜びを散りばめながら生き抜く人々の、存在の
証なのだと思う。そこに作者の温かい着眼点がある。
十一面観音穭田となりぬ     友岡 子郷
(『俳壇』八月号「貝風鈴」より)
観音菩薩は、如来よりも親しみが持てる。人間に手を差し
伸べて救済してくれる仏様だから。中でも「十一面観音」は、
苦しんでいる者をすぐに見つけるために全方向を見守ってい
るとされ、人気が高い。奈良の聖林寺の観音様も、滋賀の光
源寺の観音様も、その地の人々に心底愛されている。
辺りは穭田。丹精を傾けて育てた稲を、今年も無事刈り取
ることができた。その幸せと肩の荷の軽さを人々は観音様に
感謝する。「穭田」は、成就した幸せの具現化なのだ。観音
様と取り合わせることで、この季語の本意がしみじみとする。
牡丹崩るる牡丹の香のなかに     長島衣伊子
(『俳句四季』八月号「砂のこゑ」より)
牡丹は気高い花だ。その散る様は、張り詰めた完全なるも
のが壊れて崩れるようだ。「牡丹崩るる」という表現は、そ
れがあまりに的確であるために、世に数多ある。よって残り
の八文字で勝負しなければならないわけで、誠に勇気のいる
句作なのだと、常々思う。
牡丹は牡丹自身の摂理に則って、散るべき時に散る。それ
を作者は、「牡丹の香のなかに」散ると見る。牡丹の静かな
自己完結の姿が、眼前にある。作者の自らの生き方を探り続
ける心が見つけた切ない事実なのだ。二番目の牡丹を〝ぼう
たん〟と詠ませることで、情感は一層深くなった。
柿若葉磨る墨に指映りゐる     津川絵理子
(『俳句界』八月号「新作巻頭三句」より)
今の世、女性らしいという評は問題視される向きもあるが、
男女の性による相違は認めて、お互いに楽しめば良いと思う。
掲句は、女性ならではの繊細な視点にはっとさせられる句だ。
「磨る墨に指映りゐる」の描写が物語るものは、静かだが饒
舌だ。墨に硯が適い、サラッと艶やかで光沢のある墨が磨れ
た。気づけばそこに、柔らかく墨を握る我が指の影が。女性
が自らの指を見るとは、内省の時ということだろう。作者は
今、墨の香りや微かな磨り音に、心の静まりを得ている。
頃は、初夏。部屋の窓からは「柿若葉」が望める。「柿若葉」
の柔らかさと清潔さが中七・下五に適う。掲句の世界に光を
与えている。日の光に濡れるかのような若葉からの反射光が、
磨る墨の表面を照らしているのだと思う。
作者はこれから何をしたためるつもりなのだろうか。心を
定めたあとの、迷いのない昂ぶりも感じ取ることができる。
あの夏の罅を赦してマリア像     坊城 俊樹
(『俳句界』八月号「新作巻頭3句」より)
「あの夏」とは昭和二十年八月九日を境とした長崎の夏。
浦上天主堂には、原爆投下後の瓦礫の中から発見されたマリ
ア像が安置されている。右頬には焼け跡が、瞳も肌も彩を失
い、傷つきながらも頭部だけ残った『被爆マリア像』は、人々
の魂の平和と救いの「仲介者」として光を放ち続けている。
俳句には〝社会派〟という分類もある。掲句にも、平和・
反戦・非核といった思いを読み取ることはできるだろう。け
れど、思想が先走った句には浅薄さがただよう。掲句のキー
ワードは「赦し」にある。原爆に見舞われた地の人々が、米
軍憎しから、被害者意識を克服してきたことへの崇敬。どれ
だけの身と心の修羅を嘗め尽くせば、原爆を人類普遍の罪と
して捉えなおすことができるのだろうという驚嘆。作者は、
人間の〝赦す〟という行為を深く掘り下げているのだと思う。