井垣清明の書10
精益求精
昭和60年(一九八五年) 十一月
板橋区書家作品展(板橋区立美術館)
『論語』学而第一・朱熹集注
釈 文
精 益ますます 精を求む。
流 水 抄 加古宗也
雉子鳴いてをり寛政の常夜灯
岡崎・龍城神社
針供養済み八角の石の蓋
春宵や三井の晩鐘腰で打つ
駒返る草や津和野にS L 車
大釜のいま浄蓮に末草
下萌や馬柵噛んでゐる牧の馬
春潮に渦水軍の砦跡
宵雛や白き鬚持つ左太臣
弁慶の見栄に力や土雛
ゆつたりと構へて五人囃かな
鼻少し欠くるも愛し享保雛
男雛女雛緋色美しけし木彫雛
いがまんぢゅうたんと配りぬ雛節句
蛤の羹(あつもの)匂ひ雛節句
雛段や花冠凜々しき左大臣
本棚の隅にも飾り木彫雛
闇に笛聞えて五人囃の座
鳶は輪を描くことが好き風光る
啓蟄や桑名宗社の迷子石
三川の集まる河口風光る
春風や犬駆けてくる沈下橋
しぐれ煮に熱き茶注ぎ入彼岸
真珠抄七月号より 珠玉三十句
加古宗也 推薦
樹木医に山の名を聞く愛鳥日 今泉かの子
過ぎて知る倖せの日々恋蛍 渡邊たけし
小流れを尻立て覗く夏帽子 鈴木 玲子
持て余す重きアルバム昭和の日 田口 風子
初蝶や翅に透けたる草の色 平井 香
庭先に祖父と少年端午の日 荻野 杏子
逃げきつて真顔はりつく水馬 大澤 萌衣
廃材に残る釘抜く春の暮 岡田つばな
木場になほ鳶口鍛冶や青嵐 市川 栄司
雲うつす水の静けさあめんぼう 奥村 頼子
リラ冷えや三分間の心電図 関口 一秀
返信はメールですぐ来燕の子 中井 光瞬
黄塵の軽さ漂ひ水の甕 春山 泉
ひと鉢が垣根を被ふ薔薇となる 生田 令子
恋猫やこむらがへりの重き脛 中野こと葉
初夏や家族新聞発行す 荒川 洋子
惜春やハローワークの人優し 鈴木 帰心
桜まじ名刺を交はす草野球 加島 孝允
麦飯や八人家族いま一人 朝岡和佳江
赤鬼青鬼どなたが抱かす夏みかん 神谷つた子
風薫る循環バスの待合所 村重 吉香
父の日や昭和を生きて来し背筋 渡辺よね子
春落葉深々と踏み木の根径 稲吉 柏葉
母の日や長生き詫びる母を持つ 黒野美由紀
屑繭の値踏みはざつと目秤で 稲垣 まき
白靴や婆軍団の散歩道 磯貝 恵子
巡礼の先々にあり著莪の花 笹澤はるな
走り梅雨五泊の旅の濯ぎ物 久野 弘子
介護士の白服眩し夏に入る 髙橋 冬竹
梅雨津軽なぜか涙がよされ節 杉村 草仙
選後余滴 加古宗也
屑繭の値踏みはざつと目秤で 稲垣 まき
「かかあ天下と空っ風」といえば上州名物として、全国
に知られるところだが、三河地方でも、昭和三十年代の始
め頃までは、農家の副業として養蚕が残っていた。私の実
家からも蚕の集荷場の大きな建物を望むことができた。そ
れどころか、昭和五十年代になっても三河の離島佐久島に
は養蚕農家が残っており、佐久島吟行の折りにブルーシー
トで覆われた蚕飼小屋を覗いたことがある。多数のトヨタ
系企業が立地する現在の西尾市から想像もできないが、作
者の世代にはまだまだ生々しい記憶として残っているのだ
ろう。「ざつと目秤で」という表現が、屑繭の評価額の表
現として、これに優るものはない。と同時に当時の世相と
繭を扱う人々の大らかさが過不足なく表現されていて心が
なごむ。
初夏や家族新聞発行す 荒川 洋子
「家族新聞」というのはどんな新聞なのだろう。と想像
するだけで楽しくなる。そして、その企ての中心に子供の
姿が見えてくるのも、楽しい。たぶん子供の提案によって
始まったものだろう。子供の提案を大切にする家庭は文句
なしに素敵な家庭だ。
黄塵の軽さ漂ひ水の甕 春山 泉
水甕の表面に黄塵が浮いている。ただそれだけの俳句だ
が、中国大陸北西部の砂漠地帯などから舞い上がった砂が
大陸を縦断し、さらに日本海を横断して群馬県までやって
くる。この途方もない距離をやってくる黄塵がいかに軽い
ものであるかを改めて思い驚いている。「水の甕」を素材
とすることで、その家の歴史を想像させると同時に黄塵現
象のスケールと不思議さを地球規模で思わせる面白さがこ
の俳句にはある。
持て余す重きアルバム昭和の日 田口 風子
「昭和」という元号は近・現代史において、じつに重い
意味を持っている。単に時間の長さだけでなく、六十余年
の間に日本は世界的な規模で世界史の渦の中で、ヒステ
リックに右往左往してきたように思う。戦後世代もすでに
七十六年を生きてきたのだが、そんな中で、「激動の昭和」
という思いを昭和世代は持ちつづけている。「持て余す重
きアルバム」には、そんな世代のいつわらざる思いが透け
ており、強い説得力がある。その統括ともいうべきものに
「昭和の日」を置く人も意外に多いように思う。《アベノマ
スクのおじさんと遭ふ昭和の日》をあなたはどんなふうに
読むのだろうか。
樹木医に聴く夏の木々夏の花 奥村 頼子
「樹木医」という言葉が生まれたのはそんなに遠いこと
ではないように思うが、例えば「根尾の薄墨桜」を甦らせ
た樹木医などの登場によって、一気に広く認知されてきた
ように思う。その昔は造園家・庭師と呼ばれる人々がその
役を担ってきたのだろうが、人を治療する医師などが、樹
木医として登場してきたりして、そのロマンとも呼べる響
きによってすっかり注目される仕事になった。私の友人な
ども天然記念物の椿の樹幹が空洞化してしまって枯死寸前
になったとき、その空洞をセメントで丁寧に塗り込め、見
事に再生させた。ところで、掲出句の面白さは夏が生き物
にとって最も活力がみなぎる季節であることを直感したこ
とにある。「樹木医に聴く」によって、樹木医に対する尊
敬と憬れが見て取れるところがいい。
薫風や古茶壺並ぶ一保堂 市川 栄司
京都市内の老舗の茶舗を覗くと、大きな古い茶壺が並べ
られているところがある。その茶壺のどれを見ても美しく
艶光りして、家の床の間に一つ置きたいと思うものばかり
だ。茶盌の人気はあらためていうまでもないが、一時代は
茶壺にも天井知らずの高値がついたことがある。ある大名
からある大名へ献上品とされたりして、茶壺道中などとい
うものもあったようだ。「若竹」の発行所のある西尾も茶
どころとして有名になりつつあるが、ことに抹茶が有名で、
ヨーロッパやアメリカなどに大量に輸出され、お菓子(ア
イスクリーム・ケーキ)にまぜられて人気急上昇だと聞い
た。菓子などに使われる茶は抹茶で、その原料になる碾茶
(てんちゃ)の部で何度かの日本一に輝いている。《江戸前
の蕎麦汁からき傘雨の忌》なども栄司さんのグルメぶりが
すっきり出て楽しい。
樹木医に山の名を聞く愛鳥日 今泉かの子
奥村頼子さんの作品につづいて、再び樹木医の句を取り
上げた。この樹木医は頼子さんの樹木医と同じ人なのか別
人なのかわからないが、頼子さんの俳句がストレートに植
物に焦点が合わされているのに対して、かの子さんの作品
は「愛鳥日」が季語として登場してくる。樹木医は度々山
村に足を踏み入れることがあり、山についても小鳥につい
ても造詣が深い人が多い。即ち、大自然をほんとうに愛し
ている人たちだ。
ところで、「愛鳥日」という季語の歴史はそんなに長く
はない。もともとは「バード・ウィーク(愛鳥週間)」に始っ
ている。
竹林のせせらぎ 今泉かの子
青竹集・翠竹集作品鑑賞(五月号より)
初つばめ湧き水を汲む魔法瓶 田口 風子
燕を初めて目にした吉兆が、そのまま一句全体を包んで、
不思議な明るさを湛えているようです。燕は繁栄の象徴、湧
き水もおいしさはもちろん、天然のミネラル成分プラスなに
かご利益がありそうな。そしてその水は、魔法の瓶ならぬ魔
法瓶へ。果報をもたらす燕の、縦横を滑らかに飛ぶ様子と、
地下から上へ湧き出て何か力をもらえるような水と。縦糸と
横糸とが綾なすような、鮮やかな取り合せ。
春寒や隅にかたまる忘れ傘 服部くらら
持ち主のわからない傘は、そこに置かれているだけで、す
でに場所ふさぎ。とりあえず、不要物として隅にかためられ
ているのでしょう。中七は、現役で使われなくなった傘の、
居心地の悪い心情のようでもあります。肌に感じる冷気に、
身構えるような緊張感を呼び起こす、早春の頃の寒さです。
訃報ありただ無茶苦茶に青き踏む 久野 弘子
作者の無念の思い、口惜しさをそのままぶつけたような、
一句です。まるで地団太を踏んでいるような流れの「青き踏
む」。亡き人とのつながりの強さが、今は憤りとなって表れ
ています。「ふさ子さん」と題された哀切の極み、追悼の思い。
目鼻あるもの皆並べ雛まつり 高瀬あけみ
ぬいぐるみ等目鼻をもつものを総動員して、桃の節句のお
祝いです。単なるにぎやかしではなく、より多くのものに幼
子の成長を見守ってほしいという願いがあるように感じます。
背景には多くの人が寄れないコロナの状況もあるのでしょう。
高安に一子誕生春立てり 濱嶋 君江
「高安パパはちょっと違う」五月半ばの新聞の見出しです。
記事には高安の執念が御嶽海を上回った、と。子ど もの存在
が力になるのでしょう。こんな展開を先読みしたかのような
慧眼?誕生のめでたさに立春の明るさを詠んだ好角家の一句。
甘噛みの子猫に少女母となる 村上いちみ
もふもふの子猫を可愛がりつつ、たしなめたり時には叱っ
たり。そんな少女と子猫のやり取りをほほえましい思いで眺
めている作者の姿が浮かびます。これから少女も子猫と共に
成長していくのでしょう。時の経過も含んだ心やすらぐ光景。
雛飾る日を眩しめる雛の目 平井 香
下五の視点の意外性。この目は、やはり一年ぶりに箱から
出され、太陽の陽ざしを眩しく感じているお雛様の目でしょ
う。が、つい深読みすれば、雛を飾る一日の華やぎを晴れが
ましい思いで見ている、そんな心情を表す目とも。そして飾
る方も飾られる方もきっと明るい顔となっているのでしょう。
春の湖見え湖に傾く木立見え 清水みな子
遠景に焦点が当てられ、少しずつ映像がはっきりしてくる
様子が、句の調べとともにゆっくり立ち上がります。穏やか
な春の湖の平らな湖面と、そこに傾きつつ立っている木々と。
「湖」のリフレインと「見え」のリフレインが、静かな湖面
にたゆたっている波や波音のようで心地よい、春光の佳句。
朧夜の夫の命日酒を買ふ 松元 貞子
一読、下五のすっきりとした措辞の新鮮さに惹かれました。
おぼろ月の今夜は夫の命日、とここまでは春の夜のたっぷり
とした抒情、それを一気に反転、端的なあっさりとした叙述。
展開の面白さ以上に、亡き夫とのかつての日常を彷彿とさせ、
そこに今も変わらぬ存在の重さをみる思いがします。
設楽には人気の難路木の芽時 山田 和男
近隣の山を何座も踏破されている、事情通の作者ならでは
の一句。この難路を、設楽出身でありながら私は存じ上げま
せんが、それでも芽吹きの頃の山河の息づかいは生き生きと
蘇ります。設楽は楽しさを設けるところ⁈山の気の清涼さを
最も感じる、木の芽時の季語が、何故か嬉しく思います。
菜の花や駐在さんの鉄亜鈴 長村 道子
明るくて楽しくて、おかしい。鉄亜鈴はいざという時のた
めの物。でも実際、あまり用はないのかも。駐在さんという
呼称や人柄、集落ののどかさまで感じる、菜の花の明るさ。
大垣の掘抜き井戸や風光る 柳井 健二
大垣は豊富な地下水に恵まれた土地。かつて蒟蒻屋が初め
て掘ったとされる井戸が市内に残っています。水のおいしさ、
水のきらめきが季語と響き合う、水の都へ挨拶の一句。
配達人サドルの黄砂肘で拭く 鹿島 照子
この小さな気づき、小さな発見。日常の何気ない一齣に俳
句の種があると、教えてくれているようです。黄砂は、配達
の仕事を担う時間の経過、手が塞がっているのか汚したくな
いのか、肘で拭くその場の状況。簡潔な叙述が妙なる一作。
大漁旗めきて港のさくらかな 岩田かつら
いかにも、です。堂々としています。港は桜どき。爛漫と
咲く桜は、まさに大漁旗の如く。大漁の喜びもさくらに相応
しい。そしてやはり〈ゆさゆさと大枝揺るる桜かな〉鬼城。
十七音の森を歩く 鈴木帰心
さくらさくらくらくらさくらちりぬるを 馬場 龍吉
(『俳壇年鑑 二〇二一年版』より)
掲句を墨で短冊に書き、壁に掛けて眺めてみると、絵を見
ているような錯覚を抱くだろう。
ひらがなの字面の持つやわらかさ、優しさ、しなやかさが、
また、絵のような形体が、見る者の五感を呼び覚ます。掲句
のような句に出会うと、ひらがなという文字を持つ国に生ま
れた幸せを感じる。
きらきら笑ふ給食に初いちご 藤田真木子
(『俳壇年鑑 二〇二一年版』より)
給食に初物の苺がでて喜んでいる園児の様子が目に浮か
ぶ。擬態語「きらきら」の斡旋が素敵だ。子どもたちの目の
輝きだけでなく、苺のつやのみずみずしさまでが感じられる。
打水の最後はなんとなく捨てて 益岡 茱萸
(『俳壇年鑑 二〇二一年版』より)
季語は「打水(夏)」。打水は、本来、茶会で客をもてなす
ために行うものであった。そのことを踏まえると掲句の俳味
がさらに増す。
「客人を迎える」という緊張の糸が、「なんとなく捨てて」
という、いささかぞんざいな所作でぷつりと切れる―その
「緊張の緩和」から生まれる可笑しさ。人は時折このような
面白い仕草を見せる。それも無意識のうちに。
大試験のうしろ姿ばかりなり 伊東 類
(『俳壇年鑑 二〇二一年版』より)
季語は、「大試験(春)」。大学の大教室での卒業・進級試
験の様子が目に浮かぶ。大人数の試験の場合、監督は二、三
名で行う。一人が前の黒板を背にして立ち、他の一、二名は
後ろに立つ。この句は、後方にいる監督者の視点から詠まれ
たものだ。大試験の行われる学年末は、教師にとっても様々
な感慨の湧く時期である。教え子の「うしろ姿」を眺めなが
ら、彼らの成長や卒業後の行く末を思う教師の心の声が、掲
句から聞こえてくるようだ。
鳥の名をよく知ってゐる夏帽子 三浦 恭
(『俳壇年鑑 二〇二一年版』より)
丸眼鏡、チェックのシャツ、帆布のデイパック、その中に
「ポケット野鳥図鑑」と句帳―とこの人のイメージが次々と
湧いてくるのは、季語「夏帽子」の斡旋のよろしさによる。
川幅を誇るがごとく川涸るる 片山由美子
(『俳壇年鑑 二〇二一年版』より)
季語は「川涸るる(冬)」。有情の人間と異なり、川は感情
を持たぬ非情な存在である。したがって、掲句の「誇るがご
とく」は、冬となり水源地が氷結して川底があらわになった
川を見て、水をたたえていた頃には気づかなかったその川幅
の大きさを発見した作者の感動を詠んだものと解釈する。
唐突であるが、掲句を読んで、父方の祖母の葬儀の日の「骨
上げ」のことを思い出した。祖母は、小柄で華奢な体であっ
たが、嫁ぎ先の畑仕事を早々と済ませ、隣家の畑の手伝いに
いくほどの働き者だった。その祖母が荼毘に付され、骨上げ
の段となったとき、その場にいた者は驚きの声を上げた。祖
母の骨が、あの華奢な体からは想像ができないほど太くがっ
しりとしていたからだ。戦前戦後の大変な苦労の中を生き抜
いてきた祖母の生涯に思いを馳せ、一同は遺骨に向かい手を
合わせた。
有情、非情を問わずこの世のものは、それが纏う「覆い」
を取り去って初めてその真の姿を現す。私たちは、この「覆
い」の存在によって、多くのものの本当の姿を見過ごしてし
まいがちだ。
俳句は、そのような、見過ごしてしまいそうなものごとの
姿を、見過ごすまいとする営みであろうか―この句を読み、
そのようなことを思った。
ちちははに遅れて浴ぶる落花かな 黛 まどか
(『俳壇年鑑 二〇二一年版』より)
この句の眼目は中七の「遅れて浴ぶる」である。この措辞
によって、筆者とご両親との親子関係がいかに麗しいもので
あるかが想像できる。ご両親は、作者の幼い頃から作者を愛
情豊かに育んでこられたのだろう。作者の人生の一番の応援
者として、前を進んでいく作者を後ろから慈愛をもって見
守ってこられたのだろう。
やがて、シーソーが右から左へと高さを変えていくように、
作者がご両親を見守り、労わる時がきた。桜の花が散る様子
をうれしそうに眺めているご両親―そしてそのお姿を、これ
また嬉しそうに見守っている作者。振り向いて作者を手招き
するご両親の笑顔に、作者も笑顔で応える。そして、作者は
おもむろにご自身も落花を浴びたのである。
一幅の絵のような、こころ温まる句である。
湯どうふの欠片を掬ひつづくるも 島田 牙城
(『俳壇年鑑 二〇二一年版』より)
れんげを駆使しても、掬い損なう「湯どうふの欠片」―ま
るで生き物のようだ。誰もが経験のあることであるが、「掬
ひつづくるも」の措辞が掲句に上質の俳味を与えている。