No.1107 令和6年7月号

井垣清明の書46

臨徂徠山
摩崖文殊
般若経碑

平成15年(二〇〇三年)六月
第38回北城書社展(上野の森美術館)

釈 文

文殊師利、佛に白(もう)して言う。「世尊は何故に般若波羅蜜と名づけるか?」と。佛は言えり。「般若波羅蜜は、無辺無際、無名無相、悲思量、無歸依、無洲渚、無犯無福、無晦無明(以下略)」と。

流 水 抄   加古宗也


産土神に蟻の門渡りつづきけり
せんだんの根回り三尋実は青し
なめくぢや昼も小暗き呑み屋街
姥捨山の眼下は千曲夏燕
姥捨山の涼し千曲の大曲り
指の先音なくたてる天道虫
貝塚に土器片遺り蛇苺
隠岐に船着くやご赦免花咲ける
隠岐晴れてをり飛魚の活づくり
汗臭き部室懐かし男ぶり
汗臭さ抜けず陰干し柔道着
半夏生草午後から耳のこそばゆき
新じゃがの茹であり塩の効き加減
名倉家を訪ふ 四句
半夏生いまも旧家に白洲跡
梅雨晴間冬虫夏草指で掘る
優曇華や鴨居に掛かる槍二本
大庄屋跡てふ烏柄杓咲く
涼風の真直ぐに来る瑞泉寺
瑞泉寺参道鑿の音涼し
踏切は開かずと呼ばれ炎天下
土用三郎また水を打つ鮮魚店

光 風 抄   田口風子


ふと初蝶来暗殺の間に一人ゐて
うつかりと座る地獄の釜の蓋
孕雀や観音坂を低く飛ぶ
仁王門潜り青葉の磴上る
賓頭盧の屋根飛び出せぬ雀の子
瀬戸吟行 五句
緑愁やバーの小窓の色硝子
狛犬の鼻の穴まで青葉光
茅花流し陶土濁りの川に沿ひ
燕の子川面は風の湧きやすし
蟾の恋始まつてゐる水曜日

真珠抄七月号より 珠玉三十句

加古宗也 推薦


春宵やうつらうつらと老いてゆく     中野まさし
株分けやこんと割りたる陶の鉢      荻野 杏子
首塚を来て胴塚に花の冷え        池田真佐子
咄家の落ちに暮春の胸ひらく       工藤 弘子
万緑に縄跳びの技くり出せる       竹原多枝子
土蜘蛛の眼と合ふ高さ壬生狂言      堀田 朋子
うぐひすに隣も家人呼んでをり      平井  香
あやふきを遊ぶ蚯蚓の細かりし      大澤 萌衣
画眉鳥に負けず鶯鳴き立つる       堀口 忠男
新樹光嬰の肌着を透かし干す       中井 光瞬
母の日や粗にしてうまき煮ころがし    市川 栄司
麦秋の風や一向一揆の地         橋本 周策
握力は衰へぬ父夏兆す          飯島 慶子
昭和の日自転車で来る紙芝居       加島 照子
お土産の焼刺の鯖身を解す        磯村 通子
生飯台をまだ知らぬらし雀の子      服部くらら
窓の無い工場に慣れてミモザ咲く     高濱 聡光
美濃は夏地べたに石の馬繋ぎ       堀場 幸子
ヤンマーの祖父の農帽麦の秋       髙𣘺 まり子
鴬のしきりや燃えるゴミ出しに      石川 裕子
ビール乾すセミの仲間といまだなほ    荒川 洋子
すれ違ふ女人高野の黒揚羽        水野 幸子
桜あんぱん買ひたくてまた桜見に     内藤 郁子
桃の花この子もうすぐ兄となる      堀田 和敬
鷹鳩と化して小犬を抱いて来る      稲吉 柏葉
初蝶のすぐ白雲にまぎれけり       稲石 總子
翅欠けし蝶へいのちの砂糖水       杉村 草仙
色違ふ二両電車や春惜しむ        鈴木美江子
ゆっくりと巨体を沈め冷し牛       笹澤はるな
一斗缶にどぜう泳がせ川魚屋       鈴木 恭美

選後余滴  加古宗也


麦秋の風や一向一揆の地          橋本 周策
「一向一揆」というのは、室町末期に越前、加賀、三河、
近畿などで起った宗教一揆のことで、一向宗の僧侶や農民
が大名の圧政に抗して起こしたもの。一向宗というのは、
「一向に阿弥陀如来を信ずる」から、ということの意で、
浄土真宗のことをいう。ここにあげた一向は、おそらく三
河の一向一揆をさしていると読むのが自然で、三河平野の
一向、安城、岡崎の真宗寺院を拠点として起った。三河の
それも安城は古くから田園地帯で、最近まで日本のデン
マークと呼ばれたところ。蓮如上人が開いたと言われる安
城、野寺の本證寺は、百姓、町人だけでなく、徳川の家臣
も信者(門徒)に多く、家康も鎮圧に苦渋をなめつづけた
といわれている。やがて家康の騙し討ちで、鎮圧に至るが、
後々まで、「家康の三大危機」と呼ばれた。
おだやかな田園風景の中に、かつての三河の民百姓の生
き様が浮かんでくるのは、作者の民百姓へのあたたかな眼
ざしがそこにあるからだ。本證寺は現在も城郭造りをくっ
きりと残している。
土蜘蛛の眼と合ふ高さ壬生狂言       堀田 朋子
京都・壬生寺で毎年行なわれる「壬生狂言」は無言演劇
の極致というべきものだ。今年は四月二十九日から五月五
日の大念仏会の期間に行われる。仮面をかぶった演者たち
が、笛や太鼓に合せて演ずるもので、笛や太鼓が演者の声
のようにも聞こえるのは演者の演技力というべきものだろ
うが、その役は、何代にもわたって、男系男子のそれも一
つの家系によって受けつがれているときく。
私が見たときも、娘役が大男で、毛ずねがかなりはっき
り見えたが、その男も次第にかわいい娘に見えてきた。歌
舞伎俳優が世襲であることと通じているのだろうか。
母の日や粗にしてうまき煮ころがし     市川 栄司
「粗にしてうまき」が見事な措辞。「煮ころがし」という
素朴な田舎料理が、やっぱり最高にうまい、というのだ。
そんな料理を作ってくれた母親があらためて、いとおしく
思われるのだ。「母の日」という季語の斡旋がうまい。
株分けやこんと割りたる陶の鉢       荻野 杏子
「こんと割りたる」が見事な措辞。いかにも簡単にしかも、
美しく割れたことを読者に思わせる。ぐずぐずといじりま
わしていては、じつは株を痛める。その辺りのことを十分
心得ての鉢割りだ。
今年も杏子さんから、大輪の、いや大々輪の白牡丹の花
をいただいた。句会場に芳香がいっぱいにひろがったばか
りでなく、白い大輪にただただ溜息が洩れた。
生飯台をまだ知らぬらし雀の子       服部くらら
生飯台というのは、小鳥や小動物のための餌を載せてお
く台のことで、愛鳥家が庭に設置したり禅寺の食堂の脇に
それを見かけることがある。禅寺の場合、その日作られた
食事を少し小動物に提供するために、生飯台が用意されて
いる。たいていは、やや高い位置に餌が置かれるため、まだ、
十分飛ぶことのできない雀は見つけることができない、と
いうのだ。いかにも雀がかわいいことを生飯台の高さで表
現したところに俳諧がある。
昭和の日自転車で来る紙芝居        加島 照子
「昭和の日」とは国民の祝日の一つ。二〇〇六年までは「み
どり」と呼んでいたものを、二〇〇七年から「昭和の日」
と呼ぶようになった。「激動の昭和」という言葉があるが、
昭和はその半分は戦争とその復興の歴史でありその後、高
度経済成長の歴史になる。ただ、この句のように、戦後の
けっして裕福ではないが希望に満ち溢れた時代をイメージ
する人が高齢者には多いように思われる。昭和三十年代に
は紙芝居というものが人気だった。無声映画の時代、活動
写真の弁士をしていた人たちが紙芝居屋に転向した。その
頃、運搬車と呼ばれる大型の自転車の荷台に紙芝居を積み、
その下につくられた箱の中にはいっぱいの水飴が入ってい
た。観客になる子供たちはいくらかの観覧料を払うと、こ
の水飴がもらえる。水飴を割りばしにこねていると、だん
だん白くなってくる。それを楽しみながら紙芝居も楽しむ
という趣向だ。戦後は、けっして経済的に豊かな時代では
なかったが、誰もが明日への希望を持った幸福な時代だっ
たように思う。「自転車で来る」がその時代をわしづかみ
にした表現になっている。
桃の花この子もうすぐ兄となる       堀田 和敬
二人目のお孫さんが、もうすぐ生まれるのだろうか。「も
うすぐ」に強い期待と喜びが表現されて心地よい。「桃の花」
の季語も過不足なく効いている。
一斗缶にどぜう泳がせ川魚屋        鈴木 恭美
この川魚屋はどこだろうか。その昔、西尾にもあったが、
いつの間にか、店を閉じてしまったのは惜しまれる。「一
斗缶」の生簀が「川魚屋」と恐ろしいほど呼応している。

木漏れ日の小径  加島照子

青竹集・翠竹集作品鑑賞(五月号より)


お隣りの墓にも春の水足して         岡田つばな
春彼岸の墓参りに出掛けた作者のちょっとした仕草に共感
を覚えました。隣り合わせても墓同志のお付き合いはおそら
くないと思いますが、縁あってお隣りになった墓石に春の水
が優しく注がれる様子に読み手もほっと暖かくなる様な気が
しました。
梅二月煉香むつくり炷きこめて        辻村 勅代
煉香は沈香を始めとした粉末状の原料を蜜や梅肉等で丸薬
状に練り固めたお香の事です。平安時代には貴族のたしなみ
として一人一人が自分だけの香りを持ち、衣服に香りを薫き
染めました。千年を越える煉香の歴史は、脈々と伝えられて
います。梅の花がほんのり香る頃には私も奥ゆかしい平安貴
族の様な香りを試してみたくなりました。
春光や牛のよだれの風に乗り         今泉かの子
一日の涎の量は人は一・五ℓ、牛は百〜百九十ℓと、正に
風呂の量位出ます。勿論胃に送り込まれるので、外に流れ出
るのは一部です。草だけを食べて健康に育つ為に大量の唾液
が牛には必要不可欠なのでしょう。
春の風に乗ってゆらゆらしている長閑な風景が、何とも楽
しく見ていても飽きないと思いました。
手のひらよりこぼれてしまふ雛あられ     斉藤 浩美
雛あられは小粒で愛らしくふわっと軽いので、手から零す
事はよくあります。雛段には人形と必ず雛あられを飾り唄を
唄って娘の成長を願った事が昨日の事の様に思い出されま
す。雛人形を飾らなくなった今も雛あられだけは忘れずに食
べています。
亀鳴くと云へば鳴かぬと子は泣けり      鈴木 玲子
鎌倉後期の「夫木和歌集」に藤原為家の和歌に詠まれたの
が起源とされています。亀には声帯がなく鳴かないのですが、
俳句らしい空想の楽しさ想像力の素晴しさが鳴かない亀を鳴
かせて実に多くの秀句が詠まれました。泣いた子も見えない
世界の楽しさがいつか分かると…。
大き欠伸小さき溜息春愁           渡辺 悦子
春は花が咲き鳥が囀る季節ですが、そんな時に特別な理由
がある愁いでなくても、ふとした事で心が曇るのも春ならで
はの事です。大きな欠伸のあとに小さな溜息をつく作者の様
子を、大きいと小さいをうまく読み込まれていて面白味を感
じる句になったと思います。
菜の花やおいでんバスは尻を振る       池田真佐子
おいでんは三河地域の丁寧な勧誘語「いらっしゃい」の方
言が変化した言葉。おいでんバスは豊田市主体の、コミュニ
ティバスとして運行しています。曲がりくねった道を通過す
る時のバス後部の様子が尻を振った様に、感じられ菜の花の
季語とほのぼの感が相まって楽しい。
古書肆うららか漱石晶子ひと括り       堀場 幸子
古本屋には実に幅広く多彩な本があり値段も手頃なので、
宝探しの様な楽しさがあります。売り手にしてみれば内容の
云々より括り易さを優先している感もあります漱石晶子がひ
と括りならば愛読者にとっては願ってもない事です。野菜を
売るのに近い様相で買手にすれば、値打ちなひと括りは迷わ
ず買ってしまいそうです。
黄水仙今年私は卆寿なり           安藤 明女
卆寿とはおめでとうございます。人生百年時代に突入した
とは言え元気に句を詠み卆寿を迎えられる幸せは、私の目標
としている所です。これからも百寿、茶寿へと私達の先駆者
となって頂きたいものです。
今朝生まるる仔牛立ちたり春光        堀田 和敬
まだ湯気の出ている位の生まれたての仔牛が立ち上がる瞬
間の出会いはとても感動的だったと思います。
生命力のたくましさを間近にして自分も勇気付けられるそ
んな時を春光とした季語によく合って素敵です。
根も楽し水栽培のヒヤシンス         今村 正岑
通常、土に隠れている根の成長をじっくり観察できるのは
水栽培ならではの事です。根の透明感と花の色彩は、まるで
水中で踊っている如くいつまでも見ていたいと、感じさせま
す。春の訪れをのんびり楽しんでいる作者が生き生きとした
根の様子に着目したのが読み手の共感を得られると思いまし
た。

十七音の森を歩く   鈴木帰心


今回は、『俳壇年鑑 二〇二四年版』(本阿弥書店)掲載の
「諸家自選作品集」の二二〇〇句の中から、異なる作者の作
品を二句ずつ選び、それらを並べて鑑賞してみた。
みんなみな蜜豆たのむ柔道部          三宅やよい
卒業歌二番は顔を上に向け           福島  茂
(『俳壇年鑑 二〇二四年版』より)
青春の爽やかな一コマを切り取った二句。
《「蜜豆」の句》 大柄の柔道部員たちが、小さな(小さく見
える)容器に盛られた蜜豆を、スプーンで掬いながら食べて
いる情景を思い浮かべた。縦の関係を重んずる柔道部。上級
生が「俺、蜜豆」と真っ先に注文すると、下級生たちも「自
分も、蜜豆」という声が次々にあがる。五月人形の金太郎の
ような部員たちが、一斉に蜜豆を食べている情景― 実に微
笑ましい。
《「卒業歌」の句》 卒業式も終盤となり、司会より「校歌斉
唱」の凛とした声が式場に響く。いよいよ旅立つ時がきたと
いう感慨に浸っている卒業生たち。三年間何度も歌ってきた
校歌も、母校で歌うのは、今日が最後。一番は涙を堪えなが
ら下を向いて歌っていたが、二番に差し掛かると卒業後に広
がる未来へ思いを馳せ、顔を上に向けて声高らかに歌いはじ
める卒業生。その中には「俺、蜜豆」と言った柔道部員の紅
潮した顔も見える。
わづかなる落差喜び春の水          牧長 幸子
虫籠にほのかなぬくみありにけり       露木佳世子
(『俳壇年鑑 二〇二四年版』より)
自然界のもの言わぬ物、また、微細なものへの作者の慈し
みの気持ちが伝わってくる二句。
《「春の水」の句》 春の到来を喜んでいるのは人間だけでは
ない。自然の生きとし生けるもの、のみならず、水のような
無生物も喜びを体で表している。
springという英語の原義は「はねる、弾ける」である。そ
こから、この語は「バネ、春、泉」の意味となった。掲句の
「春の水」はまさにこの英語の spring の語義と響き合う。「わ
づかなる落差喜び」の措辞に、「春の水」への作者の眼差し
の優しさと感性の細やかさを感じる。
《「虫籠」の句》 この句からも、小さきものを愛おしむ作者
の優しい眼差しが感じられる。虫の生み出す体温は微々たる
ものである。しかしこの世に生を受けたものは、例外なく、
「ぬくみ」を生み出している。それが、自分自身だけでなく、
周りのものをも温めている。この世のすべての物は繋がり合
い、支え合っている― これがこの地球の本来のありような
のだ。
この二句から、イギリスの詩人、ウィリアム・ブレイクの
詩の一節「一粒の砂に世界を見、一輪の野の花に天をみる」
が思い出される。
硝子屋が来て新緑を入れてゆく        波切 虹洋
石蕗の黄の心晴れても曇りても        岩田 雪枝
(『俳壇年鑑 二〇二四年版』より)
五感、とりわけ、視覚を心地よく刺激してくれる二句。
《「新緑」の句》 硝子屋が新しいガラスを窓枠にはめ込んで
いくたびに、ガラスに庭の新緑が映り込む。まるで、一枚、
また一枚と水彩画が飾られていくかのようだ。「新緑を入れ
てゆく」の措辞がとても心地よい。
《「石蕗」の句》 その日の心理状態によって、心地よいと
思ったり、遠ざけたいと思ったりする色がある。掲句を読み、
石蕗の黄は、確かに心が晴れやかな時も、心が曇っている時
も、眺めていられる色だ。そういえば、家族や親友も、石蕗
の花の色のように、人生の晴れの日、曇りの日に寄り添って
くれる存在だ。
自分はそのような存在になれているだろうか―反省しきりだ。
天瓜粉生老病死瞬く間           萬燈 ゆき
しりとりの途中の別れ夏帽子        桐野  晃
(『俳壇年鑑 二〇二四年版』より)
人の一生の無常をしみじみと感じさせる二句。
《「天瓜粉」の句》 「天瓜粉」で思い出すのは、筆者の場合、
夏の保育園のお昼寝である。お昼寝が終わった後、先生の前
に一列に並んで、順番に首の周りに天瓜粉をパフで付けても
らった(昭和三十年代の話)。その幼き時代から瞬く間に時
は過ぎ、筆者も高齢者の仲間入りをし、掲句の「生老病死瞬
く間」を実感する年齢となった。人の一生は本当にあっと言
う間である。
《「夏帽子」の句》 子どもたちが、しりとり遊びを中断して、
めいめい、親と一緒に家に帰った、というほのぼのとした情
景を描いた句として、掲句をまず味わった。だが、「天瓜粉」
の句と並べて鑑賞すると別の感慨を覚える。
人の一生は、突然、急展開を迎えることがある。家族や友
との思いがけぬ別れを経験した方も多い。掲句の「しりと
り」を、そんなかけがえのない人たちとの「心の交流、言葉
のやり取り」の象徴として味わうと、「途中の別れ」の措辞
は、「人生の悲哀」という意味合いを帯びてくる。
一日一日を丁寧に生きていきたい。人との付き合いを大切
にしていきたい、という気持ちになる二句である。