No.1109 令和6年9月号

井垣清明の書

一 壺 天

平成16年(二〇〇四年)六月
第39回北城書社展(上野の森美術館)

釈 文

一壺 天(いっこてん)。(『後漢書』方術伝)

流 水 抄   加古宗也


水落とす棚田の畦や陰の神
秋暑し大津絵の鬼牙を欠く
味噌蔵のいまはめし屋に虎魚焼く
土用三郎たつぷり一味唐辛子
土用蜆汽水域に夫婦舟
賜はりし赤間硯を洗ひけり
蛤塚忌献句
蛤塚忌水門川を漫ろ歩す
筆太の六字名号お虫干
お虫干絵伝の端に猫眠る
内堀に石橋架かり蓮の寺
水筋に乗り流灯のまばたける
大文字出町柳の橋袂
掃苔や閼伽桶二つ提げて立つ
師の墓を洗ふ丹念に丹念に
処暑の日の平和の礎指で読む
けふ処暑の軍艦島は指呼の中
糸瓜水採るための瓶二本置く
日本で一番長い日は炎暑
八月や西日のからむ天守台
初秋やトテ馬車鐘を鳴らし過ぐ
八月の畳表を空拭きす

光 風 抄   田口風子


のんほいパーク植物園
百合蝶と化しささ濁るモネの池
樹木医のマリッジリング青葉風
竹の花咲く樹木医の指の先
多羅葉にけふの日を書く夏帽子
榮国寺
馬太傳青水無月の灯に捲れ
腐草蛍に童女塚童子塚
椎落葉千人塚といふ暗さ
くるぶしに吹くどくだみの風ひと筋
東別院
四百五十畳大緑蔭に似てしんと
青筋鳳蝶空の青さに見失ふ

真珠抄九月号より 珠玉三十句

加古宗也 推薦


啜り泣く獅子を鎮むる祭笛       鈴木まり子
仮寝して仏法僧のこゑを浴ぶ      堀口 忠男
今だけの暖簾新茶と染め抜かれ     平井  香
卒寿越え白寿の坂へ合歓の花      石崎 白泉
滴りし山が育む養鱒場         池田真佐子
警策を発止と受けて汗もなし      工藤 弘子
山の子の下校滴り水筒に        重留 香苗
緋目高のしろがねの眼の行き交へる   田口 茉於
貨物機の轟々と飛ぶ風死して      高濱 聡光
梅雨晴間妻とくずし字解き始む     鈴木 帰心
バス停へ点字ブロック蟻の道      加島 照子
昼間会ひし人のことなど蛍の夜     竹原多枝子
槌音の絶えぬ神殿夏燕         髙𣘺 まり子
象へ犀へと汗だくの肩車        堀場 幸子
雷や庭へと溢れ甕の水         春山  泉
梅雨寒や発熱むしろよき気分      荒川 洋子
刃物みな目的を持つ半夏生       堀田 朋子
左右左左と茅の輪かな         山田 和男
夕あきつ数へたくなる貨車の数     飯島 慶子
梅雨湿りして三殿の丹色寂ぶ      奥村 頼子
子燕の飛んで二の丸三の丸       鈴木 玲子
上り下り滑るごとくに幹の蟻      笹澤はるな
海の日や伯父の遺骨を海へ撒く     今泉かの子
七月のゲストハウスより夕日      鎌田 初子
眉太き娘や新ジャガを買い込んで    岡田真由美
熱風や埴輪造りの窯の跡        関口 一秋
下闇や車窓に足裏出してをり      神谷つた子
新築の庭にボルボと青楓        福島 久子
二人しかはとこは知らず柿の花     奥野 順子
鱧の骨切る悪口の堰を切る       川嵜 昭典

選後余滴  加古宗也


啜り泣く獅子を鎮むる祭笛          鈴木まり子
「西尾祇園祭」と前置きがある。これは西尾市の氏神であ
る伊文神社の夏祭りで、京都の祇園祭りに習って、江戸時代
に始まり、戦中とコレラ騒ぎのときのお休みを除いて、十分、
西尾の風物詩でありつづけてきた。祭りの栄枯盛衰は顕著で、
戦後すぐに復興した屋台巡行では、西尾の江戸時代からの伊
文神社の氏子六か所の町内会が屋台をひきながら笛太鼓を鳴
らし、浴衣姿で市街地を練った。また、大名行列が行なわれ、
肴町の人々が江戸時代の参勤交代の様子を復元、市長が馬に
乗ってお殿様の役を、若殿がかごに乗って、「下に下に」の掛
け声もよろしく市街地を練り歩いた。そして、天王町の獅子
舞は最後に泣き獅子が演じられる。つづらの中に入ることが
いやで、獅子がすねて泣く場面は、じつに見事で笛・太鼓の
音と、獅子が頭から首にかけてつけた小鈴を鳴らす様が、ま
るで、獅子が泣いているように見え、聞こえることから「泣
き獅子」といい、市の無形文化財になっている。ひとしきり
泣き獅子が演じられたあと、獅子舞のリーダーのかけ声で、
つづらの中に入れられ、獅子舞は終了、と同時に西尾祭りが
全て終了ということになる。また、来年、というわけだ。
刃物みな目的を持つ半夏生          堀田 朋子
「目的を持つ」が何ともすごみを持つ、現在は家庭で普通
に使われるものに包丁や果物ナイフがある。のこぎり、かん
な、その他の道具、そして、かつて武士が腰にさしていて刀
のような凶器としての刃物もある。それは現在でも、その使
い方によって、直ちに凶器にかわりうるものばかりだ。刀剣
の類は美術品であると力説する人もあるが、やはりその出自
は凶器だ。「半夏生」にという季語が、怖ろしいほどきいて
いる。そして、使い方をまちがえてはならない、と自身にも
他人にも警告を発している。
そういえば、ノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士や朝永振
一郎博士が、原子力を戦争に使うな、と警告を発したにもか
かわらず、原爆が投下され、ミサイルが発射されている。
滴りし山が育む養鱒場            池田真佐子
「醒ヶ井養鱒場」での作品。「養鱒場」だから、鱒を孵化さ
せ、それを成魚にまで育てるところ。そして、そこでは当然
のことながら、鱒の研究がつづけられている。私が驚いたの
は、ひろびろとした緑蔭がひろがっていること、そして、た
くさんの養鱒池の水の美しさだ。とことん澄んで、緑を映し
ている。こんなところが公園であったら、どんなに心地よい
ことかと思ったが、実際に一般市民に散歩を許している。そ
して、この美しい水を、山の滴りが集っているのだと直感し
たところが見事だ。
ちなみに、養鱒場から少しのぼったところに食事の店があ
り、そこで鱒料理がいただける。やはり、私は鱒の塩焼きが
一等だった。
緋目高のしろがねの眼の行き交へる      田口 茉於
緋目高がこのごろすっかり人気ものになっているようだ。
金魚に代わって目高を飼う人が増えていると、つい先日、前
橋市内の自然保護を目的とする施設で聞いた。そして、目高
の交配がおそろしく進行して、従来、普通に見られたあの黒っ
ぽい日本メダカが絶滅寸前だという。三十年程前に西尾市内
に開設された「生きものふれあいセンター」で、その初代の
センター長岡田速さんに、日本メダカが絶滅危惧種になって
いることを教えていただいたことを思い出す。岡田速さんは、
若竹同人・岡田季男さんのお兄さんで、かつて、植物に関す
るエッセイを「若竹」に連載していただいた方だ。
緋目高の眼が「しろがね」(銀色)であること、そして、そ
の眼の動きが挑戦的であることの発見が意表を突いて面白い。
警策を発止と受けて汗もなし         工藤 弘子
私も何度か坐禅をしたことがある。坐禅を経験するまで
は、警策を打たれたときの痛みを想像して、少々、緊張した
ものだが、実際には大きな音とは真逆に全く痛みをおぼえな
い。警策を打つことで、無駄な緊張を取り除き、坐禅をする
者を空の世界へ誘うものなのだ。「空とは何か」と問い返さ
れると私には答える術がないが、空は空なのだ、とある高僧
が言ったのを思い出した。
左右左左と茅の輪かな            山田 和男
先の深吉野吟行会の帰路、大宇陀の水分(みくまり)神社
に参拝した。茅の輪くぐりの直前であったことから、すでに
本殿の前に茅の輪が設置されていた。そして、茅の輪のすぐ
脇に「茅の輪くぐり」の作法を解説した案内板が立っており、
作者が大きな声で、何度も読み上げてくれた。茅の輪くぐり
は「左右左左」と算用数字の8の字に回る。このとき、皆、
すっかり童心に帰っていたことはいうまでもない。
深吉野に狼の像夏木立               和男
深吉野はニホンオオカミ絶滅の地。

木漏れ日の小径  加島照子

青竹集・翠竹集作品鑑賞(七月号より)


春愁を置けばゴッホの黄のゆらぐ       工藤 弘子
世界で最も有名な画家の一人ですが苦悩する芸術家として
も知られています。生前はたった一枚の絵しか売れませんで
したが死後多くの名作が人気を博しました。中でも黄色と青
色の配色を好んで用い、黄色の持つ温かさやエネルギー、活
力への強い傾倒があり、明るい絵を描いて自分を元気付けて
いたのかも知れません。ゴッホの絵には病んでいた頃の絵に
すら独特の生命感が観る者を引き付けます。春愁の季語が
ゴッホの絵を見事に物語っていると感じました。
伊能立ちし吉良海岸の夏を歩す        髙橋 冬竹
伊能忠敬は五十五才で蝦夷に渡り測量を始めます。生涯を
通じて学びを続け非常に精度の高い日本の実測地図を作りま
した。吉良に立ち寄ったのは五十八才位だったそうです。私
も訪れた折には伊能忠敬を偲んでみようと思いました。
青き嶺縫ふやうに来て秋野不矩        服部くらら
天竜にあるこの美術館は葦葺と西欧城を紡佛させる雰囲気
で隠れ家的な印象を受けます。館内は履物を脱いで床に座っ
て鑑賞するユニークな建物です。秋野不矩は西洋絵画の技巧
を日本画に取入れ独自の日本画を描く私も好きな画家の一人
です。インドに魅せられた作品も多く伝統的な岩絵具を用い
つつ斬新な構成の作品が多く見られとても楽しいです。
坂道を登って来たかいのある美術館と不矩の暖くて癒され
る感じを、再びどっぷり浸ってみたくなりました。
さざれ石立夏の陽差しはね返す        新部とし子
小さな石の欠片の集まりが炭酸カルシュウムによって埋め
られ一つの大きな石の塊に変化したものが巖です。
立夏の陽差しをはね返す力強さをさざれ石に見つけた作者
の気概を感じさせ、夏の暑さを乗り越える意志を感じます。
野反湖の白根葵を子ら守る          関口 一秋
群馬県の標高二〇〇〇m近く群馬・長野・新潟の県境にあ
る湖です。中学校のふるさと教育で植栽・保全活動に取り組
んでいるので毎年季節になると薄紫の愛らしい花を咲かせま
す。今後もこの環境活動を続けて頂きたいものです。
平飼の卵の甘さ麦の秋            磯村 通子
日本では九〇%以上が「ケージ飼い」をしているが、鶏が
鶏舎の中を自由に動き回る事で本来の習性に近い行動を取り
鶏にとってはストレスの少い事は間違いありません。生産効
率が悪く沢山の流通量が確保できず価格が高いのが難です
が、濃厚で旨みやコクのある卵本来の味わいをしっかり感じ
られる「平飼」の卵を私もぜひ味わってみたいと思いました。
空井戸並ぶ白井の宿の八重桜         鈴木 玲子
渋川市にあるかつての白井城下町には昔程の賑わいは失な
われていますが、土蔵造の家並や八ヶ所のつるべ井戸が残さ
れています。花が大きく鮮やかなピンクの八重桜はいつもの
季節に見事に開花し、訪れる人々を和ましてくれています。
雀斑の少女のスキップ巴里祭         斉藤 浩美
雀斑とは「そばかす」の事でフランスでは立派なチャーム
ポイントです。日焼けが太陽に当たった健康的な肌というイ
メージがあるので、スキップする少女は誇らしげに見えま
す。美白にこだわる日本の美容は行過ぎではないのかと、常
日頃疑問に感じている私でもあります。巴里祭の季語の取合
せもよく合っていてスキップする少女に共感できます。
霾や渡来の玉のささめける          髙𣘺まり子
太古からの気象現象で東アジアの砂漠からの強風により、
吹き上げられた砂塵が風によって運ばれ、時には空が黄褐色
に煙る程です。渡来の玉がささやく様子を想像して、とても
素敵な詩心を感じさせる句になっていると思います。
貝殻は貝のしかばね花とべら         稲吉 柏葉
海岸近くの丘陵地に自生する海桐は白から黄色に変化する
花弁は一センチ程のヘラ形で、潮風に揺れる白い花がほのか
に甘い香りを漂よわせます。私は沖縄で見かけましたが印象
に残る白い花弁は貝殻に似ています。貝殻を拾って海の思い
出を家に持ち帰りましたが、貝の屍もやがて化石になってゆ
くのだと改めて納得しました。
杜若野点愛する売茶翁            杉浦 紀子
売茶翁とは江戸時代の黄檗宗の僧の事で、万福寺で修業し
て中国伝来の文化に触れ視野を広げました。千利休の抹茶と
禅を結び付け形式化してしまった抹茶の世界に批判的な目を
向け、庶民に澄んだ煎茶を肩肘張らない日常的なお茶の作法
を広めました。若冲とも親しく多くの肖像画が残されていま
す。香りと風味の奥の精神世界をゆったり感じたいものです。

十七音の森を歩く   鈴木帰心


「若竹」七月号に引き続き、最後の句を除き、『俳壇年鑑
二〇二四年版』(本阿弥書店)に掲載の「諸家自薦作品集」
の中から、異なる作者の作品を並べて鑑賞する。
濃紫陽花いつまでわたしでゐられるか       山本  環
秋の暮ものに置き場所吾に居場所         大東由美子
朝桜ときどき母にもどる母            五島 節子
(『俳壇年鑑 二〇二四年版』より)
老いへの感慨を詠んだ三句。
《濃紫陽花」の句》 紫陽花の「花(実際は萼片が変化したも
の)」は、そのままにしておくと、梅雨が終わり、夏が終わり、
冬になっても落ちず、ドライフラワーのようになる。園芸の
本には、「立ち枯れた紫陽花の姿も風情があるが、翌年のこ
とを考え、早めに花を切ることが大切」と書かれていた。紫
陽花のためには、その通りなのだろうが、人の一生は一度き
りだ。老いを受け入れ、自分を労わっていくしかない。
「いつまでわたしでゐられるか」の措辞が胸を打つ。
次の二句は、「濃紫陽花」の句と共に鑑賞させていただく。
《「秋の暮」の句》 片付けのコツはものの「置き場所」を決め
ることだ。人間も同様。老いてゆく身には、「(わたしでゐら
れる)居場所」が必要だ。これは、「安全基地(心細いとき、
そのことを素直に話せて、頼ることができる存在)」のよう
なものかと思う。家庭や句会は、大切な「居場所」と言え
る。
《「朝桜」の句》 季語「朝桜」から思い出されるのは、中村草
田男の次の句である。
朝桜みどり児に言ふさやうなら           草田男
この句からは、「新たなる命の芽吹きへの期待」が伝わっ
てくる。掲句は、この草田男の句と響き合う。詠まれている
対象は、草田男の句は「みどり児」、掲句は「母」と、異な
るが、「命のもつ力」を詠っている点では通じ合う。
「(わたしでゐられる)居場所」がやや朧げになられたお母
様が、「母」にもどられたときの筆者の嬉しさやほっとする
気持ちが、掲句から伝わってくる。
草餅と貼紙一つ小商              田桐 美流
春の雪仔牛コユキの名をもらふ         佐藤 公子
交番に誰もゐなくて紙雛            名和 永山
(『俳壇年鑑 二〇二四年版』より)
十七音で描かれた情景からドラマが展開していく三句。
《「草餅」の句》 この店は、路地裏の目立たないところで、ひっ
そりと商いをしている。老夫婦二人なんとか食べていければ
いい、くらいの思いで店を開いている。「草餅」の張り紙も、
細筆で小さく書かれており、店の前を通り過ぎる人の目にか
ろうじて留まるくらいのものだ。しかし、この店には、常連
客がいる。それは、「街の雨鶯餅がもう出たか(富安風生)」
と店の前で呟くような客だ。
《「春の雪」の句》 待望の仔牛の誕生を喜ぶ酪農家の家族。お
りしも、春の雪が降っており、家族は仔牛を「コユキ」と名
付けた。この名前の響きのなんと愛らしいことか。一頭一頭
の牛をこよなく愛し育てているこの家族の日常が伝わってく
る。
《「紙雛」の句》 この交番の巡査さんは、心やさしい方だ。「紙
雛」を飾っていることからもこの方の人柄が伺える。町の人
たちにも慕われていて、自転車で巡回していると、皆から声
を掛けられる。この町は平和で、コロッケの美味しい店があっ
て─と、情景がどんどん浮かんでくる。
父の日や親の匂ひと古箪笥           香原 政春
帰省子のみしみしと家鳴らしけり        三浦  恭
(『俳壇年鑑 二〇二四年版』より)
家族の存在は五感と深く結びついていることを実感する二
句。
《「父の日」の句》 ここでは、掲句を亡き父への思いと重ねて
鑑賞する。
実家の玄関を開けると、慣れ親しんだ実家の匂いがする。
それは、「親の匂ひ」でもある。古い箪笥を開ければ、ナフ
タリンの匂いに交じって「親の匂ひ」がする。「父の日」と
あるので、その匂いに父の面影が偲ばれ、父との思い出が
蘇ってくる。懐かしくもあり、切なくもある感情が込み上げ
てくる句である。
《「帰省子」の句》 帰省されたのは息子さんだろうか。親、と
りわけ母親は、自分のお腹を痛めた子供の気配には敏感であ
る。「みしみし」の措辞から、息子と一緒に暮らした頃のこ
とを懐かしみつつ、息子が会いに来てくれた嬉しさを噛みし
めている作者の姿が見える。
緑陰に入るフルートにオーボエに        宮田  勝
(『俳句』七月号「五月場所」より)
中七下五は「フルートに入るオーボエに入る」と解釈し
た。木陰でフルートとオーボエの二重奏をしているところに
出会った作者。自らもその緑陰に入り、しばし、その演奏に
聴き入った。掲句から、目を閉じて緑陰でくつろぐ作者の姿
が見える。