No.1113 令和7年1月号

井垣清明の書52

夔鼓 ()

平成19年(二〇〇七年)一月
第25回日書学春秋展(銀座・松坂屋)

釈 文

夔鼓(こ))(『海(い)

流 水 抄   加古宗也


十二月八日佐世保に一人佇つ
師走半ばや静かに混みて神谷バー
バー師走電気ブランは喉を焼く
横蔵寺
霜厳し漆黒しるき木乃伊仏
広島にて
被爆樹の裸にされて生きてをり
多治見修道院
ぶだう枯れて昔数多の修道士
霜晴やピッコロに似し鳶の笛
時雨虹大きくかかり輪中村
小春日や奈良井千軒堰落とす
須賀川
白煙にみちのく匂ひ牡丹焚
ポケットにねぢ込んできし毛糸帽
谷汲山華厳寺
小春日や満願堂に石狸
京都・宇治萬福寺 二句
直歳(しつすい )の魚 梆 (か い ぱ ん)を打つ霜の朝
食堂の脇のさば台冬の鵙
霜晴や急磴の上の華蔵界
吉良墓前祭尺八の高調子
影堂は五三の桐や義央忌
冬桜咲かせ一切経の蔵

光 風 抄   田口風子


冬の目高や横丁にバー琥珀
クリスマスローズ古着は軒に吊つて売る
蔵カフェの句座膝毛布一人づつ
山眠る水子地蔵の千を抱き
水子地蔵一つひとつの冬日向
笹子鳴く水子地蔵にこひのぼり
石蕗は黄に埋木舎(うもれぎのや)にお産の間
冬の紅葉や石垣は牛蒡積
花火屋の小さき屋根神神迎へ
赤べこの首振る一茶の忌なりけり

真珠抄一月号より 珠玉三十句

加古宗也 推薦


登高や鬼城の見たる伊勢の海      荻野 杏子
浜売りのバケツや冬の雑魚山に     酒井 英子
母の葬扉の外は大晦日         鈴木 恭美
神島の空暮るるまで鷹渡る       水野 幸子
そこここに彼岸花咲く保安林      堀口 忠男
凍鶴の話しかけたくなるかたち     大澤 萌衣
間引菜を優しく持てば手に溢る     竹原多枝子
鰤大根煮てをり雪の五所川原      市川 栄司
秋の蚊や聖書開きしまま置かれ     加島 照子
体育の日やリハビリの紙相撲      石崎 白泉
また会ひに来たき観音薄紅葉      烏野かつよ
白日傘たたみてよりの知多の海     桑山 撫子
小鳥来る仕事辞めると決めし朝     琴河 容子
実といふ実漬けて山家の秋の暮     堀場 幸子
新米やさてと輪島の塗り箸を      池田真佐子
北風とわれと押し入る縄のれん     髙橋 冬竹
復興の兆しや能登の今年米       岡本たんぽぽ
模擬店の片付けまでが文化祭      斉藤 浩美
鰯雲黙礼のみで過ぎし人        高柳由利子
さくさくと種無し柿を切り分けし    奥野 順子
点滴棒行き交ふ廊下冬ざるる      長表 昌代
十月や蒔き忘れたる種袋        石川 裕子
曼珠沙華輪中堤に屏風立ち       大杉 幸靖
トンカチにペンチに値札秋祭      川嵜昭典
箸置きはダックスフント秋の宵     神谷 俊廣
厭なこと聞かぬ習はし柿日和      新井 伸子
秋茄子の料理の思案帰り道       荒川洋子
秋寂ぶや一本残る二弦琴        松岡 裕子
麦とろに顔赤らめて四杯目       石川 桂子
秋うらら朝から婿と握り飯       鈴木 帰心

選後余滴  加古宗也


浜売りのバケツや冬の雑魚山に       酒井 英子
「浜売り」というのは、公設の魚河岸で競られた魚をさ
らに小分けにして、浜で直売しているのだろう。西尾市内
の一色漁港でもそんな名残りが見られる。魚屋さんや寿司
屋さんだけでなく一般市民にもかつては気楽に小売りする
仲買業者などがいたもので、私の甥などもよく、自転車の
荷台にバケツをくくりつけて、そんな店に買い出しに出か
けた。そして、家へ帰るまでの道中で、私の家などに、活
きのいい魚を放り込んでいってくれたものだ。そんな風景
も、ここ十年ほどの間にすっかり、しぼんでしまったが、
子さんなどこの浜で、そんな懐かしい風景に出会ったの
だろう。
何といっても「浜売りのバケツ」がいい。そんな素朴な
感覚は今こそ取り戻したい感覚だと思う。
登高や鬼城の見たる伊勢の海        荻野 杏子
鬼城が登場し、「伊勢の海」とくれば、若竹同人なら誰
でも知っている《伊勢の海見えて葉の花平ら哉》をすぐに
思い出す。つまり、西尾のど真中に立つ小山、八ツ面山(や
つおもてやま)にのぼって、鬼城のこの句を声に出してう
たってみたのだろう。八ツ面山は男山女山と呼ばれる二つ
の山が一体化した様で立っている山で、その女山の方には
鬼城がやってきた頃には展望台が立っていた。昭和四十年
代には老朽化にともなって取り壊されトイレになった。そ
の代り、その位置よりさらに高いところに新らたな展望台
が建てられ、現在は三河平野が三六〇度かなり遠くまで眺
めることができる。八ツ面山から三河湾が望め、さらにぼ
んやりとだが、神島や伊勢の海が見えた。鬼城は翌日、富
田うしほや浅井意外の案内で伊勢神宮へ参拝するが、憧れ
の伊勢神宮への思いが、「伊勢の海見えて」になったのだ
ろう。四月の三河平野は当時、菜種の栽培が盛んで、文字
通り「菜の花平ら」だった。ちなみに「菜の花平ら」は「な
のはなだいら」と読むのがいいと私は思っているが、八ツ
面山の上から三河湾に向って何十キロにもわたって、黄一
色の平野がひろがっていた。私の実家は、戦中から昭和
三十年代後半まで、菜種を中心に製油業を営んでいたので、
「菜の花平ら」には強い思い入れがある。平成七年にはN
HKテレビの「日本俳句紀行」という番組で、この句につ
いて話した。
現在、この句を刻した大きな句碑が守石荘(若竹吟社)
の中庭に立っている。富田うしほの《ゆるぎなき赤城榛名
や常閑忌》の句碑、金子力水の〈荒鵜飛んで伊勢の神島潮
ぐもり〉と三基が並んで立っている。
突然、もとに戻すが掲出の杏子さんの句は「登高」とい
う季語の斡旋が見事に決まっているのには感心した。杏子
さんは、かつて西尾に住んでいたことがあり、その時、何
度か八ツ面山に登ったのだろう。
トンカチにペンチに値札秋祭        川嵜 昭典
「秋祭」には「里祭」「村祭」「浦祭」「在祭」があげられる。
「春祭」が豊作祈願であるのに対して、秋は収穫感謝祭で
ある。
「祭」は本来「夏祭」だが、これは京都の祇園祭に始ま
るようで、多くの町では夏に祭をやるところが多い。例え
ば西尾の場合も、西尾の氏神である伊文神社の祭であった
ものが、いつの間にやら「西尾祇園祭」とその呼び名が変っ
ている。私の子供時代、私の住む町内では秋祭で、村の鎮
守さまには夜も灯が点され、祭を楽しんだ。境内に少しの
屋台が出て、中には日常雑貨を売る店もあった。ところで
掲出の句には「トンカチ」や「ペンチ」が出てきて意表を
つかれた。家の修繕をしようという人もけっこういるのだ
ろう。何とも心なごむ光景だ。秋祭にはほっとしたような、
どこか解放感のようなものが生まれてくる。
北風とわれと押し入る縄のれん       髙橋 冬竹
「押し入る」が面白い。何かやぶれかぶれであるかのよ
うな表現だが、日本の高度経済成長を支えた世代には、こ
んな八ツ当り的な感情に襲われることがしばしばあったに
違いない。「縄のれん」は居酒屋のそれだろう。
秋茄子の料理の思案帰り道         荒川 洋子
「秋茄子は嫁に食わすな」という言葉がある。「秋茄子に
は種がないから」とか、「秋茄子はうまいから、嫁になん
か食べさせてなるものか」という意味、即ち、嫁と姑の確
執を面白くいったものだという説などがあるが、私は体験
上、やはり秋茄子はうまい。ことに鴫焼きは最高だ。とこ
ろで、作者は、今日はどんな料理にしようかと思案してい
るのだが、即ち、秋茄子が大好きなゆえの思案なのだ。俳
句は大仰にものごとをとらえるよりも、軽いタッチが大切。
茄子料理にあれこれ思案するのも、作者が幸せであること
の証しなのだといえよう。

木漏れ日の小径  加島照子

青竹集・翠竹集作品鑑賞(十一月号より)


仏足石の渦巻く指紋金の風         今泉かの子
インド初期の信仰には仏像はなくお釈迦様の足跡を拝み
ました。その足は偏平足で足の裏には色々な紋様が刻まれ
ています。「瑞祥七相」と言われる美しい指紋の渦巻きの
中には魚紋もあり、足の指と指の間には水かきもあったと
伝わっています。奈良の薬師寺には現存最古の仏足跡があ
り再び訪ねたい所です。金の風の季語が存在感を増してい
る様です。
びんざさら一打ちすれば白き風       鈴木 帰心
富山県五箇山地方の「こきりこ節」に使われる「こきり
こささら」は煩悩の数一〇八枚の竹の板を打ち鳴らし、厄
除けの縁起物で今も伝承されています。「シャンシャン」
「ジャッジャッ」と音で豊穣の祈りを祝う純朴な踊りで、
踊り子や囃し方が手に持ってリズムを取る楽しいこきりこ
が鳴れば、秋の風にふさわしく清々しさが感じとれます。
一言のつもりがつるべ落しかな       髙柳由利子
日常的によくある光景です。お喋り好きな私も同様の事
が何度もあります。「久しぶり」と一言話し出したら次か
ら次へと会話が弾み時間の経つのも忘れてしまいます。
何よりそんな話が出来る友人がこの頃とても貴重な存在
に思える様になりました。コロナ禍から外出を控える事が
増えて友人と会う機会がめっきり減った為かも知れません。
野分去る微熱のやうな風残し        水野 幸子
台風一過と言えば空が晴れ渡り爽やかな気持ちになりま
すが、昨今の気象状況は温暖化の影響か台風が通過した後
も、熱さが残っている事もありました。微熱の例えがとて
も分りやすく巧く言い表わされていて共感を覚えました。
舞ひ上る揚羽のために香る枝        春山  泉
揚羽の幼虫は柑橘類の葉を好んで食べます。私もかつて
子供と一緒に飼育観察した事がありますが、幼虫から蛹へ
そして羽化する瞬間はとても感動したものです。自然の営
みに深く気付かされ、揚羽の為に香る枝とは何と素敵な表
現をされたのだろうと納得の一句に出会えたと思いました。
引つ張ればのびる耳たぶ火恋し       大澤 萌衣
耳を揉解すと全身の血行が良くなり、自律神経が整う為
気分が落ち着きリラックス出来ます。又温めると脳や内耳
の血流も良くなり体がぽかぽかして来ます。気持ち良い角
度で耳を引っ張ったりするマッサージが効果的の様です。
秋が深まり朝夕寒さを覚える様になると、そろそろ火が
恋しくなってきます。とても取り合せが良く私も思わず耳
を引っ張っていました。
髪洗ふネイル気付かぬ夫とゐて      岡本たんぽぽ
ネイルを変えても髪を切っても気付かぬ夫とは我家も同
様です。長い時間共に生活していると余程の事が起きない
限り気付かない物だと諦めの半面、平穏無事に暮らしてい
る証しだと思う様に切替えました。きっと別の形で気持ち
を表してくれると信じています。
命毛をもてあましをる良夜かな       安井千佳子
筆の穂先の一番長い毛が命毛で、書く為には最も大切な
部分です。月の明るい美しい夜に静かに墨を摺りながら
じっくり考えて、いざ書き始める緊張感の作者の様子が思
い浮かびました。
托鉢の僧皆跣夏の朝            石川 裕子
タイでは早朝から托鉢する僧をよく見かけました。オレ
ンジ色の袈裟の僧衣の下に鉢を持ち勿論裸足です。一般の
人は炊きたての食事や線香等のお布施をします。それは徳
を積むという意味があるからです。そして跪き、読経を聞き
ます。僧侶への敬意の表れと、それが日常でもあるのです。
国民の九十五%が仏教徒の国民性は日本にはない素晴ら
しい文化だと思います。
秋果山盛りポポーもまた加えをり       冨永 幸子
あけびに似た楕円形で色は薄緑色で、幻の果物と言われる
ポポーは味はねっとりと甘いクリームの様で、森のカスター
ドと例えられます。なかなか見かける事のない果物なので、
見つけたらぜひ又試してみたいと思っています。それにして
も秋の果物は美味しい物がありすぎて目移りしてしまいます。
ラマダンや無食無欲の貌涼し         堀田 和敬
イスラム教徒は信仰をより深める為にイスラム暦の第九
月の一ヶ月間日の出から日没まで欲望や悪を遠ざける為の断
食をします。日中は普段通りの生活ですが子供の頃から体
が慣れているせいか、私達が思うより苦痛ではないようです。

十七音の森を歩く   鈴木帰心


わたくしが笑へば笑ふ初鏡           前田 典子
(『俳句年鑑二〇二四年版』より)
笑いは周りに伝染する、という。まずは鏡に向かって笑い、
自分に笑いを伝染させることから、この一年を始めよう。
今年が笑いの絶えない一年になりますように。
書き出しの十行削り涼しさよ          三橋 五七
(『俳句』十一月号「ヒーローショー」より)
原稿を書く時、肩に余分な力が入り、書き出しが気負い過
ぎてしまうことがある。そんな書き出しをばっさりと削って
しまうと、灰汁や澱の様なものが取れて、清々しい文章とな
る。
自然体で書く―それは、句作にも通じる。
不器用な男のはずの祭笛            野村 英利
(『俳句四季』十一月号「山背吹く」より)
人は時々、他人への思い込みが的外れであったことに気づ
く。
掲句の男は、話し方も朴訥で、身のこなしも洗練されてい
ない。常日頃、自分のことをひけらかすこともせず、どちら
かと言えば、口は重い。それで、作者は、彼のことを「不器
用な男」だと思っていた。しかし、祭の日、その男が笛を見
事に吹く姿に作者は驚き、彼のことを見直したのだ。
目を丸くして驚く作者の顔、笛を吹く男の指先や口元まで
が見えてくる―ドラマのワンシーンのような句だ。
墓洗ふ妣の小言の終るまで           水田 光雄
(『俳句』十一月号「戻り鰹」より)
母親の小言は、子供への愛情の裏返しである。だが、作者
にとって生前のお母様の小言は、少し鬱陶しかった。しかし、
お母様が旅立たれた今、小言のひとつひとつが、作者には懐
かしく思い出させたのだろう。墓の前で、お母様の小言に微
笑みながら口ごたえをしていたのかも知れない。
「妣の小言の終るまで」の措辞が胸を打つ。
やさしさはやさしさを生むこぼれ萩      矢須 恵由
((『俳句年鑑二〇二四年版』より)
一昨年の秋、筆者は村上鬼城の菩提寺、龍廣寺(高崎市)
を訪れた。境内には鬼城も愛でた白萩が、地から湧き出ずる
かのように咲いており、参詣の私たちを出迎えてくれた。
「やさしさはやさしさを生む」という言葉が素敵だ。相手
を貶める言葉をあまりにも多く目にする昨今。そんな負の
ループから抜け出して、「やさしさのある句」を詠みたいも
のだ。
帰りきてなほ帰心ある秋の暮         正木ゆう子
(『俳句』十一月号「帰心」より)
「帰心」とは「故郷やわが家に帰りたいと願う心」と辞書
にある。久しぶりに帰郷した作者。故郷に帰れば、その心は
十分に満たされると思っていたが、そうではなかった。
なぜなら、作者は、自分の今住むところにまた直ぐに戻ら
ねばならず、それゆえ故郷を発つことに早くも後ろ髪を引か
れる思いになっているからだ。「あと何回此処に戻ってこら
れるだろうか」という思いも去来しているのだろう。
銀やんま前へ前へと影をつれ          角田 和之
(『俳句界』十一月号「里の秋」より)
銀やんまは、つつー、つつーとぎこちない飛び方をするこ
とがある。その様子を掲句では「前へ前へと影をつれ」と表
現した。蜻蛉の実態をよく把握した見事な観察句である。
出張のホテルにあらず夜食濃し        櫂 未知子
(『俳句』十一月号「琉球」より)
出張先のホテルで夜食が出された。それは、作者に講演を
依頼した主催者の計らいだったのかも知れない。ところが、
その夜食が、夜食のレベルを超えてとても豪華なものだっ
た。それを「濃し」と詠んだところに俳味がある。
表題に『琉球』とあるので、沖縄流のもてなしに、作者は
主催者側の心遣いの温かさを感じたのだろう。
電灯の半分黒く虎落笛             野城 千里
(『俳句』十一月号「螺子の箱」より)
白熱電球は、長く使うと黒ずんでくる。「半分黒く」の措
辞から、この電灯は相当使いこんだものであることがわかる。
そんなうら寂しさに加え、外は虎落笛。侘しさが心に染みる。
洟をかみながら怒つてゐる子かな       若杉 朋哉
(『俳句』十一月号「熊ン蜂」より)
洟もかみたい。癇癪も止まらない。その二つを同時にやっ
ている子― なんとまあ、その忙しいことと言ったら。しか
しその姿はいかにも愛らしい。
十二支のひとつは架空冬ぬくし        前田 攝子
(『俳句年鑑二〇二四年版』より)
確かに、十二支のひとつ「龍」は架空の生き物だ。現実の
中に架空を一つ紛れ込ませている―これには深い意味がある。
近松門左衛門は、「虚実皮膜(事実と虚構との微妙な境界
に芸術の真実があるとする論)」を唱えた。フィクション
は私たちの想像力をかき立てる。