No.1114 令和7年2月号

井垣清明の書53

斉寿(せいじゅ)

平成19年(二〇〇七年)七月
第42回北城書社展(上野の森美術館)

釈 文

壽を斉(ひとし)うす(元・程巨大)

流 水 抄   加古宗也


いかけ屋も来てをり大須年の市
北風吹き抜けし連弾の駅ピアノ
ぐひ呑は孝造が好き燗熱く
門松をとんと見かけずアーケード
のし餅に生醤油三河海苔巻きて
雑煮膳少しの空(く う)を楽しみつ
吉良・花岳寺
外かまど焚き寒竹の子を茹でる
元日の日暮や能登の大地震
熱き茶を飲んで試筆に向ひけり
ふるさとの恵方や低き雲母山
冬禽の声鋭し桧皮葺の屋根
土凍ててをり靴底の戛と鳴る
枯芦や水路を抜ける手漕舟
二つ三つ孫の掌にのせ龍の玉
縄をもて青首大根くくりけり
冬桜愛でて小原の紙漉場
美しきものに寒行僧の列
人日やじつくりと読む 『草枕』

光 風 抄   田口風子


七五三抱かれて父の手に木履(ぼくり)
楠は県の木葡萄色の冬帽子
一陽来復ゼウス隠るる不動尊
銀杏落葉踏む虹色の鳩の首
山茶花切る固き蕾のはうを切る
漱石忌閑か新聞休刊日
追伸を書き過ぎ湯冷めすることに
鶸色のセーター真つ直ぐに駆けて来る
極月の騒めく五百羅漢たち
冬銀河までシースルーエレベーター

真珠抄二月号より 珠玉三十句

加古宗也 推薦


木札には「菜の花」とあり冬花壇     竹原多枝子
ほどほどに元気小春のクラス会      池田あや美
何でもない話のしたい大枯野       加島 照子
裏干しの軍手に湿り開戦日        市川 栄司
雪浅間十円木馬仰ぐ空          鈴木 玲子
砂時計返し早々十二月          高濱 聡光
独り居の兄へ出前の障子貼        工藤 弘子
小春風母からうじて庭に出づ       堀田 朋子
冬日差す問題集の赤シート        鈴木 帰心
十六時三十二分釣瓶落し         坂口 圭吾
暖房車箸能くつかふ異邦人        髙𣘺 まり子
手伝ふなと言はれ不機嫌師走婆      三矢らく子
永らへばしくじり多し温め酒       加島 孝允
味噌仕込箍にあまたの竹の節       堀場 幸子
雨の香よ土の香よ春待ち遠し       飯島 慶子
十二月時の流れに追ひつかず       松元 貞子
おでん鍋造り置きして外出す       新部とし子
正平の自転車渡る冬銀河         堀田 和敬
老いゆくを諾へぬ夫冬木立        重留 香苗
湯婆の湯何度も替へし介護夫       松岡 裕子
北風へ打つその名も赤城太鼓かな     平井  香
測量士来て凍土に杭を打つ        和田 郁江
病む妻に木の実のぬくみ渡しけり     稲吉 柏葉
年の暮故郷に向ふ東武線         長澤 弘明
三世代変はらぬ木馬冬に入る       春山  泉
小春日や目を見て話す若き医師      琴河 容子
小花散らすように障子の小繕い      鈴木 恵子
ロケ隊の風に吹かるる街師走       関口 一秋
焼目よしししやも食べるは頭から     奥野 順子
芝に寝てをり雪吊りの心柱        今泉かの子

選後余滴  加古宗也


木札には「菜の花」とあり冬花壇     竹原多枝子
冬の花壇には、夢が眠っている。やがて土の中から芽が
出てきて花を咲かせる。村上鬼城が初めて西尾を訪ねてき
たとき、八ツ面山上から海の方を眺めて作った句に《伊勢
の海見えて菜の花平ら哉》がある。菜の花畑は私の原風景
の一つでもある。多枝子さんも菜の花が大好きなのだろう。
砂時計返し早々十二月          高濱 聡光
砂時計の砂は想像以上に早く落下するというのが私の実
感だ。砂時計の早さは一定で、その時々で変わるものでは
ないが、十二月はことに早やく落下するような気がする。
この「気がする」という俳句的感覚がじつに面白い。「俳諧」
が匂う。
小春風母からうじて庭に出づ       堀田 朋子
「老々介護」という言葉が生まれて久しいが、少子高齢
化によって、その深刻さはいよいよ冗談ではなくなってき
ている。「母からうじて」がせつない。
独り居の兄へ出前の障子貼        工藤 弘子
少子高齢化の問題は親子間にとどまらず、兄弟姉妹も含
んでいる。限界集落という言葉が盛んにテレビなどにも登
場するが、山村の子供たちが、次つぎに都会へ出てゆき、
村には老人ばかりが残される状況をかつてはいったもの
だったが、いまは、それだけでなく、戦後、次々に生まれ
た公団住宅でこの状況が生まれている。隣りは何をする人
ぞ、どころではない。そんなことを考えると、長寿社会の
難しさが、覆いかぶさってくる。上掲の句は兄妹愛がほの
ぼのと思われるところがうれしい。
十六時三十二分釣瓶落し         坂口 圭吾
「午後四時三十二分」といわず、「十六時三十二分」といっ
たところが面白い。「釣瓶落し」といいながら、そこに何
となくゆとりが見えてくるのがいい。
ルナパークの入口に立つ焼芋屋      鈴木 玲子
ルナパークは前橋市内にある遊園地で、木馬をはじめ、
子供たちの遊具や子供と大人が一緒に楽しめる乗り物など
があるところだ。随分前になるが山紫会の吟行会で訪れた
ような気がする。「入口に立つ焼芋屋」が面白い。
十二月時の流れに追ひつかず       松元 貞子
十二月はとにかく忙しい月だ。そんな感覚は三月にもあ
りそれを、「年内に」あるいは「年度内」に何事も区切り
をつけておきたいという日本人的感覚のせいだろう。落語
に借金取りから上手に逃げきり、年を越してしまえば、ま
た半年あるは一年、借金取りに追われずに済むというのが
あるが、そうはなかなかいかないものの、おおめに見る、
というゆとりが昔はあったような気がする。時の流れに逆
らうというのも時に楽しいことのように思われる。さか
らったからといって「生命まで取られめえ」などと一節も
あったような気がする。
おでん鍋作り置きして外出す       新部とし子
女性の地位向上、などという言葉が盛んに言われた時代
があったが、今日、それなりに女性の地位は向上してきて
いるように思う。民主主義などという言葉も、いってみれ
ば、お互いにどれだけ思いやりをもって暮せるかが大事だ。
掲出の「おでん鍋」を読んで、いやいや作り置きしたよう
には思われない。久しぶりの女子会、夫には夫の大好きな
おでんを、しかもたっぷり作っておこうというのだ。自分
も楽しむ分、夫にも喜んでもらわなければ、というわけだ。
これが愛情というものに違いない。
正平の自転車渡る冬銀河         堀田 和敬
「正平」は「火野正平」のことだろう。つまり、追悼の
一句になっている。火野正平の全国縦断の自転車旅はNH
KBSの人気番組だった。突然の訃報に私も驚いたが、追
悼句としては異例のスケールだし、じめじめしたところが
ない。身内の死にはこんな追悼句を私も作りたいと思う。
湯婆の湯何度も替へし介護夫       松岡 裕子
湯婆の湯が少しさめると熱い湯に替え、また、すぐに替
える。「何度も」はその愛情の深さといっていいだろう。
あなたなら、それがどれだけできるか。私ならそれがどれ
だけできるか。美しい一句だ。
測量士来て凍土に杭を打つ        和田 郁江
「凍土に杭を打つ」という作業は厳しい作業で、杭を打
つごとに凍土に杭がはねかえされる。
測量士のプロとしての気合いが心地よく見えてくる一句
だ。「測量士来て」によって、事件が始まるかのような展
開になっているのが面白い。

木漏れ日の小径  加島照子

青竹集・翠竹集作品鑑賞(十二月号より)


水の秋酒蔵開く杜氏唄           中井 光瞬
「杜氏唄」は「酒造り唄」とも言われ、酒蔵での作業にリ
ズムを作り、時間を測り、数を数える事が出来る唄です。
全国の地域によって違いはありますが、機械化が進み唄う事
が少なくなってきたのは時代の流れでしょうが残念です。酒
造りに欠かせない良質な水を季語にされたのも、賢明な選
択に思われました。奇しくも「伝統的酒造り」がユネスコ
無形文化遺産に登録されたのも日本人として誇らしいです。
佇みて邯鄲の声手操りけり         工藤 弘子
コオロギ科の虫で十五ミリ程の邯鄲の雄は、「ルルル」と
美しく儚げに鳴き「鳴く虫の王様」とも言われています。
しかし姿が小さく鳴き声を頼りに探すのが難しく、私は今
もって未確認です。作者の句の様に手操り寄せる事が出来
たらと思う読み手もきっと多いと思います。
酔いし花まだ浅き花酔芙蓉         鈴木こう子
酔芙蓉は明け方白い花をつけ、昼頃からピンクへと除々に
変化し、夕方には萎んでしまう一日花です。花弁の中に「ア
ントシアニン」と言う酵素が生成される為で、白から赤へ変
わるのは昆虫へのアピールです。視力が良くない蜂に訪花し
てもらう為に効率良くしているのです。自然の営みに納得の
一句となりました。
なにもなき暮しのぞきに小鳥来る      米津季恵野
何もなき暮しとは、恙なく毎日を送られている事です。
平凡な日常こそ一番の幸せと、年を重ねる毎に痛感していま
す。派手な飾りも見栄を張る事もなく、あるがままの毎日
の生活こそが何物にも代え難いと思います。きっと幸せを運
ぶ小鳥が覗きに来そうです。楽しい句に仕上がりました。
ソプラノは絹の手触り秋澄めり       髙𣘺まり子
ソプラノは女声歌手の最高部の音域を指すパートです。
透明でクリアな響きが華やかな印象を与えるのを、絹の手
触りに例えた作者の感性に確かにと共感が持てます。そん
な声が秋の澄み渡る空気感にとても相応しいと思いました。
電力王見下すダムやあきつ飛ぶ       鶴田 和美
福沢桃介が木曽川水系の水力発電をし、我国初のダム式
発電所を作ってから今年で百年を迎えました。大正から令
和迄歴史を紡いできた大井ダムは今も稼働を続けています。
自然の景観を損う事もあるダム開発ですが、恵那峡の自然
豊かな風景はダムの完成によって水を湛える湖が形成され、
今はあきつが悠々と飛んでゆく素敵な所となっています。
三線に乗せる島唄月今宵          安井千佳子
琉球時代から癒しの音を奏で続ける三線は、心に優しく
響き渡る様な柔らかい音色で、聞いていると温かい気持ちに
なってきます。人の声や自然の音によく馴染み、かつて沖縄
で「島唄」の弾き語りにうっとりした事を思い出しました。
蛇皮は特長ですが沖縄に生息していないニシキヘビを使用
し、インパクトのある楽器は目にも楽しませてくれます。
逆打ちの異人遍路や秋湿り         大石 望子
一番から八八番迄巡拝するのは「順打ち」反時計回りを
「逆打ち」と言い、閏年に「逆打ち」をすると修行中の弘法
大師に会えると今でも信じられています。最近は信仰を問
わず昔ながらの日本の風景や文化的な体験が外人に人気の
様です。
手探りの土のほとぼり大根蒔く       鎌田 初子
土のほとぼりとは言い得て妙です。きっといつも土と対話
をしている作者ならではの姿勢を思い浮かべました。手探り
で感じ取る貴重な感触こそ五感をしっかり捉えている証で
す。土を耕し種を蒔いて収穫迄の成長を見守るのは、子供
を育てるにも似ていると思います。きっと美味しい大根に
育ってくれそうで楽しみです。
絶景を少し外して紅葉撮る         梅原巳代子
絶景を外す程見事な紅葉は、さぞ見応えのある紅葉だっ
たのでしょう。絶景は一年通して変わらずに見る事は出来ま
すが、紅葉は今だけのシャッターチャンスです。良いタイミ
ングで何よりの記念写真が出来ました。
声援に訛も交る運動会           中澤さくら
運動会の応援は我を忘れて叫びますので、訛を気にする
事はありません。思い切りの大声で吾子を応援出来るのも、
運動会ならではの風景で楽しいです。私も子供の運動会の
風景を懐かしく思い出して感傷に浸ってしまいました。

一句一会     川嵜昭典


その男担いで来たるヨットの帆        すずき巴里
突堤の一人ひとりや秋湿り            同
(『俳壇』十二月号「ハロウィンの馬車」より)
言うまでもなく人にはそれぞれの生き方があり、そうする
権利を持っている。そしてその人の人生にこちらが入ろうと
しても、どうしても立ち入れない瞬間というものがある。
「その男」の句は、男の、帆を担ぐ筋肉や汗を想起させる。
その体つきは彼が洋上で培ったもので、彼自身のものだ。
「突堤の」の句は、「秋湿り」の季語に、それぞれの人の持つ
影を感じる。その影も、彼ら自身のものであり、こちらから
入る余地はない。一方で、それを尊重しつつ、彼らに共感す
ることはでき、その共感が俳句という形となって現れる。
両句に共通するのは、一人一人の独立した生き方であり、
それを見つめるこちら側は静かに見守っているということだ
ろう。一人一人の人の重さと、また共感する側の静かな重さ
と、どちらも痛切に感じられる。
クリスマス赤提灯に灯の入る         鹿又 英一
(『俳壇』十二月号「蕎麦味噌」より)
街のクリスマスの賑やかさ、華やかさから少し離れた場所
だろうか。遠くに明るい光が見え、こちらは少し薄暗い通り
であると思う。そこの赤提灯で、今日も酒を飲む。いつもと
同じことだが、今日はクリスマスだと思って酒を飲む。その
気持ちだけでも、今日はなんだか特別で、大げさに言えば生
きている感慨が押し寄せてくる。それもクリスマスの一つの
大切な在り方だと思う。
白昼の紋あきらかに秋の蝶          藤本美和子
(『俳壇』十二月号「伊勢」より)
作者の目線の高さにあるからこそ紋があきらかになるので
あり、大きく飛翔する夏の蝶と比べ、秋の蝶の羽ばたくよう
すをいとおしく感じている句。また「白昼の」という言葉は、
蝶が、自身の姿をありのままにさらけ出しているかのようで
あり、いとおしさに拍車をかける。空間を自在に動ける蝶と、
地面の上でしか移動することのできない人間とは感覚が明ら
かに違うはずなのに、それでも蝶に共感してしまうのは夏に
は夏の、秋には秋の季節をお互いに懸命に生きているからだ
ろう。
昭和百年これほどまでの残暑とは       和田 順子
私を何処に立てよう芒原             同
(『俳壇』十二月号「暮坂峠」より)
「昭和百年」の句。〈草の戸の残暑といふもきのふけふ 虚
子〉〈朝夕がどかとよろしき残暑かな 青畝〉などという句
を見ると、やはり昭和期の残暑は少し長閑なところがあり、
近頃感じる残暑とは違うように思う。昭和百年は二〇二五
年。本当に暑くてやりきれない。季語の本質を生かしつつも
季語の意味や有りようが変わっていくのは仕方のないこと
で、今の俳人であるからには今の季節を詠んでいかなければ
ならないと思う。
「私を何処に」の句。芒原にぽつねんといようとしても、
その芒の力に圧倒される。また、自分の心の寂しさは、この
芒原の中には無いようにも思う、という作者の心情が伝わる。
「何処に立てよう」という、自分を第三者的な目で見つめて
しまうほど、心に空いた穴は痛切なものなのかもしれない。
雪割って父のつくりし通学路         林 裕美子
(『俳壇』十二月号「風の日は」より)
雪が積もれば子供の力では手に負えず、大人は雪の日ほど
早起きをして労働をせなばならない。大人は働き者だと子供
のころはつくづく思ったものだ。掲句の「通学路」という表
現に、父親の愛情や優しさが感じられる。またそこを素直に
登校する作者の姿にも、父への日常の信頼が感じられる。
新しき足来る小春日の足湯          杉山 久子
(『俳句四季』十二月号「冬青空の」より)
上から順に「新しき足来る」と読むと、何だろうか、とど
きっとする。そこに「足湯」という解が分かるとほっとする
のだが、何よりこの句は「小春日」という季語が効いている。
小春日の長閑さと優しさが、はてなから始まり足湯という解
に至るこの句全体を豊かに調和させ、読み手にその場にいる
かのような思いを持たせる。やはり俳句は季語なのだと、再
び気づかせてくれるような句。
どちらかは残さるる人十二月         土生 依子
(『俳句四季』十二月号「日暮の詩」より)
人と出会って別れるとき、その出会った人によって自分の
去り際も二通りになる。一つは自分の方から去っていく場
合。もう一つは相手を見送る場合。掲句は後者の場合だが、
そのとき、その人が大切であったのだとはっと気づくことも
多い。人との出会いという意味で「十二月」という季語は、
他の月よりも、そこに喜びも悲しみも、華やかさも暗さも存
分に含んでいるが、その悲しさや暗さの面をほんのりと感じ
させる掲句は、とても新鮮な句だと思う。