No.1118 令和7年6月号

流 水 抄   加古宗也


すかんぼの畦ふるさとへいま帰る
その昔砦立つ岡草若葉
駒返る草フリスビー投げ返す
給水塔立ちし里山楠若葉
舎利塔の裏のパスタ屋蔦若葉
知 立
売茶翁ゆかりの一宇杜若
ゆつくりと杜若の池を巡りけり
知立には逢妻川や杜若
境 川
杜若咲いて尾張三河を分つ川
根上がりの松やほつほつ蕊を上ぐ
木蘭や延命地蔵祀る寺
踏切のそばに塚あり夏薊
長篠古戦場
駒返る草鉄砲狭間横並び
薫風や大きく泳ぐブーメラン
筍の刺身八丁味噌で食ふ
藤の香の濃しここからは下城坂
藤棚の下や痰切飴を売る
足助行バスがいま出る藤の棚
飛燕一閃鳴海絞りの店並ぶ

光 風 抄   田口風子


句碑開くとき鶯の谷渡り
水分神社
鎌倉の千木室町の千木鳥渡る
島雲に入る水分の杉襖
花びらのときどき鯉の口の中
てのひらにとまらぬ風の花ひとひら
初燕湧き水に手を濡らしつつ
野面積のどこからも駒返る草
手加減をされれば泣く子桃の花
あと一人揃ふまで吹く石鹸玉
出迎への子をすつぽりと春ショール

真珠抄六月号より 珠玉三十句

加古宗也 推薦


新緑や複々線の先に海         田口 茉於
万歩計今日は桜を見た歩数       竹原多枝子
花冷えや文学館に地酒バー       関口 一秋
おぼろ夜の砂丘の星は道しるべ     中井 光瞬
木曽馬ははづかしがり屋草萌ゆる    堀田 朋子
相ひ似たる佃の屋並燕の巣       市川 栄司
チューリップ挿すカラヤンを知らぬ人  川嵜 昭典
通院のタクシーを止め桜狩       堀口 忠男
庭に梅散る良性といふめまひ      石川 裕子
熊野から遠回りして伊勢参       高濱 聡光
春時雨医者の見立てに痛み引く     鶴田 和美
初雷や鋤き込み終はる一枚田      春山  泉
味噌和えは若布と分葱蛍烏賊      杉村 草仙
切れさうな水早春の梓川        山田 和男
春の富士スイッチバックの駅舎より   平田 眞子
バスのドア春の光を折りたたむ     堀場 幸子
春落葉掃いて法事の客迎ふ       髙橋 冬竹
春手套はづし水都の水を受く      今泉かの子
城の賑はひコスプレの花見客      髙𣘺 まり子
桃の花抜けて猿投の湯治場へ      琴河 容子
自転車の籠に溢るるミモザかな     松岡 裕子
木の芽風芝生広場にサクソフォン    堀田 和敬
剪定の腰を宥める農園主        池田真佐子
紅椿散華に句碑をひらきけり      酒井 英子
開眼の句碑に西尾の薔薇供ふ      乙部 妙子
春耕や田圃傍の野神さま        加島 孝允
ひとすぢの風の道あり夏座敷      飯島 慶子
ぎこちなく名刺交換新社員       神谷 俊廣
新緑の奥に図書館ひっそりと      野中のり子
半世紀住みしこの街花菫        松元 貞子

選後余滴  加古宗也


切れさうな水早春の梓川 山田 和男
「梓川」は「長野県にある犀川(さいかわ)の支流。槍ヶ
岳に発源、槍沢を経て上高地(かみこうち)の谷を南流、
松本盆地に至り、北東流、長さ60キロメートル」(広辞苑)。
とある。「若竹」では、富田うしほの時代から度々通った
ところで、信州・志賀高原の地獄谷温泉(後楽館)へ、う
しほは80回訪れており、若竹夏山句会の会場として後楽館
には30回ほど訪れている。さらに、うしほは、志賀高原の
登山コースで上州入りすることも多く、梓川に沿った道を
コースにすることが多かった。槍ヶ岳を源流とするところ
から、清流で、早春には雪解水が流れる。「切れさうな水」
はまさに実感で、梓川の早春の信濃を正しく自分のものに
している。ちなみに、富田うしほの句に「梓川の源近くき
て涼し」がある。
万歩計今日は桜を見た歩数 竹原多枝子
日本人の桜好き、いや作者の花見好きが軽いタッチで描
写されて心地よい。「余念なく落花舐め取る鹿の舌」と、
鹿も櫻が大好きなんだと読み取ったのも面白い。この鹿は
安芸の宮島の鹿だろうか。
庭に梅散る良性といふめまひ 石川 裕子
日本人の花好きは、桜と梅に大ざっぱにいって集約され
るように思う。桜を「花見」といって一番手に挙げるが、
梅も探梅、観梅と古くから花を愛されてきた。「梅散る」
頃は大きく季節の変わる頃で、体は変調を起こすことがあ
る。「めまい」もその一つだが、この句「良性といふめまひ」
を言っており、ここが上質の俳味になっている。「軽いめ
まひ」ということだろうが、めまいに実際、良性、悪性が
あるのだろうか。といいながら「良性」という表現が面白い。
桃の花抜けて猿投の湯治場へ 琴河 容子
じつをいうと、私は桜よりも桃の花の方が好きだ。それ
は香りのよさとともにあのいかにも暖かな花の色が好きな
のだ。幼稚園(保育園)には、たいてい「桃組」というの
があるが、それは桜のような、いささか緊張を強いるよう
な意味付けがなく、素直にその花の色を、花の香りを好ま
しく感じる人が多いからに違いない。
猿投温泉は、ここは温泉ですと、声高に宣伝されるよう
な湯治場でないところが私は好きだ。その昔、行ったとき、
鯉を一匹、まるごと煮た料理をごちそうになったことがある。
開眼の句碑に西尾の薔薇供ふ  乙部 妙子
奈良県吉野郡東吉野村(通称・深吉野)に私の十基目の
句碑が立った。深吉野のそれも山寺の光蔵寺(住職・平松
賢隆師)に四月五日、除幕式が行なわれた。遠隔の地にも
かかわらず、三河から、尾張から大勢の同人が出席してく
ださった。身に余る光栄といっていい一日だった。「坐(い
なが)らに浄土ヒマラヤユキノシタ」と「深吉野は水分(み
くまり)の国葛湯かく」の二基。西尾からわざわざ薔薇の
大きな花束を用意して下さった仲間の心づかいが嬉しかっ
た。
新緑や複々線の先に海 田口 茉於
「複々線」とはかなり大きな駅か、鉄路の終着駅なのだ
ろうか。「先は海」とあるから、船からの荷を積み上げる
倉庫群のあるところかもしれない。「複々線」と目を寄せ
させておいて「先に海」と一気に視野を拡げさせる技巧が
見事だ。「新緑」という季語によって、明るさと安らぎの
空間が演出された。
木曽の馬ははづかしがり屋草萌ゆる 堀田 朋子
木曽を訪れると、木曽馬を大切に守り育てている施設が
ある。木曽馬は脚が太く、胴体も太い。堂々とした馬だ。
その近くに、かの悲劇の主人公・木曽義仲の墓がある。武
勇に優れた源の一族で、その強さは頼朝をおそれさせた。
ちなみに大津、義仲寺へ行くと芭蕉堂のそばに
木曽殿と背中合せの寒さ哉 芭蕉》
の句碑がある。
相ひ似たる佃の屋並燕の巣 市川 栄司
東京都中央区の南東部に佃はある。隅田川の川口にでき
た小島があり、そこに住む漁師たちが始めた、小魚の煮付
けをその後、佃煮と呼んで人気を得た。保存食として喜ば
れた。佃の漁師たちは、戦国時代末期、船で家康の危機を
救ったとして、佃の地を与えられ、江戸湾の漁を許された
という伝説がある。もともとは蜑部落、ゆえに小さく似た
家がたくさんあるのだ。「燕の巣」という季語の斡旋によっ
て、佃が穏やかな漁村であることが心地よく伝わってくる。
新緑の奥に図書館ひっそりと 野中のり子
図書館は何よりも静かであることが大切だ。この静かさ
を演出する舞台装置として、「新緑」があることをさりげ
ないが見事に言った。

木漏れ日の小径  加島照子

青竹集・翠竹集作品鑑賞(四月号より)


旅の足洗ふ水桶春ぼこり 今泉かの子
豊橋市の二川宿は、当時の町割をほぼ残し、本陣・旅籠
屋・商家等切妻屋根の家々が軒を連ねて建ち並びます。落着
いた色合いの家々に軒や格子が陰影を作り、旧宿場町の風情
を醸し出していて、時が流れてもこの町並みは大切に引継が
れています。旅籠屋のミセの間では旅の汚れを落す事が出来
ました。長旅の疲れも足を洗ふ事でほっとしたに違いありま
せん。季語が自然に溶け込んでいます。
海猫わたる伊良湖水道潮しぶき 江川 貞代
海猫はカモメ類ですが本州で繁殖するただ一種類のカモメ
です。春先にはそれぞれの越冬地から繁殖地である近海の島
に渡る時の鳴き声が猫に似ている面白い季語です。伊良湖水
道の雄大な自然を詠み、春らしい伊良湖の景を思い起こす事
ができる素敵な句になりました。
雪煙に巻かれ五箇山流刑小屋 鈴木 帰心
富山県南砺市に江戸時代の加賀藩流刑地があり、流刑小屋
が残されています。冬には二~三m積雪の豪雪地帯の流刑小
屋は外部と全く交流も出来ず、日常から完全に隔離されま
す。五箇山では塩硝や和紙の生産地で知られ、雪深い地域な
らではの伝統が今も残されています。積もった雪が風で煙の
様に舞い上る「雪煙」は季語として最もふさわしい一句の仕
上りになっていると思いました。
歌ふたび少女に戻る手毬唄 水野 幸子
毬をつきながら童歌を歌った子供の頃を思い出しました。
今程色々なおもちゃに溢れていなかた当時は、毬ひとつが何
よりの宝物の様に思え、何時間も飽きる事なく「あんたがた
どこさ……。」「一番はじめは一宮……。」等と歌っていたの
は実に楽しく、作者に共感を持ちました。
さみどりの菜屑も刻み七日粥 堀場 幸子
七草粥に入れる七草にはこだわらず、さみどりの菜屑を刻
んだ作者の生活の知恵に多くの主婦の共感が得られます。正
月の疲れた胃を労るにはお粥が一番のごちそうであり、中に
鮮やかな緑が少しアクセントになり更に美味しそうです。
牡蠣啜る頣を上げ汁もろとも 髙𣘺まり子
牡蠣小屋での焼き立ての牡蠣は、旨みの詰まった一番おい
しい食べ方かもしれません。栄養たっぷりで免疫力アップや
健康増進、美肌効果と良い事づくしなのですから、汁を残さ
ず啜るのは最もです。こんな美味い牡蠣を食べたらすぐに一
句詠みたくなる気持ちはとてもよく分ります。
フリージアかかえオペラ座の階段 大澤 萌衣
パリのオペラ座は豪華絢爛なパリの社交場となっており、
大理石の大階段、きらびやかなシャンデリア、天井画と、中
に入っただけでも圧倒される事ばかりです。「オペラ座の怪
人」の上演や、ドガの踊り子のモチーフにオペラ座の舞台裏
が描かれています。天井画の「夢の花束」はシャガール作で
パリを象徴するモニュメントが描かれていて、見上げている
と目眩がしそうです。フリージアを抱えた作者の華やいだ気
持ちは階段を前にして増々高揚しそうに思いました。
煮こごりや話の続き聞き損ね 髙柳由利子
ゼラチン質の多い魚や肉等の煮汁が冷えてゼリー状に固
まったものが煮こごりです。話が盛り上がって本筋から外れ
てしまう事は多々あります。煮こごりになってしまう程時間
が経ってから話の続きに気が付くとは、面白い発想だなと思
い楽しくなりました。
ボサノヴァの気だるい吐息暮れの春 飯島 慶子
ボサノヴァは南米ブラジルの音楽で、サンバとジャズが融
合して生まれたスタイルです。ゆったりした雰囲気と素朴で
ありながらジャズの影響でオシャレで、複雑なサウンドは気
だるさが合います。リラックスでき、明るく前向きな気持に
もさせてくれる「イパネマの娘」は私の気に入りの曲です。
樏を履き早足で友を追ふ 松岡 裕子
雪国の生活には欠かせない道具の「樏」は深雪の中に足を
埋もれさせない様に靴の下に円形のつるや木で作られてお
り、滑らない工夫が施されています。名古屋ではめったに見
ないのですが、生活の知恵として雪国では必須なのでしょう。
日常の何気ない動作ですが、雪国の生活が垣間見られる様に
感じられ、素直に納得できる句となりました。
狐火を見に行く眉に唾つけて 水野由美子
狐が口から火を吹くと言う俗説が今も伝わっているようで
す。近付こうとするとふっと消えてしまうので、正に眉に唾
をつけるおかしみに読み手が引き込まれていく様です。

一句一会     川嵜昭典


一日は必ず雨のさくらかな 嶋田 麻紀
(『俳壇』四月号「さくら」より)
桜の時期のニュースは必ず雨の予報とセットになってい
る。雨の予報に残念な気持ちを抱いたり、雨の桜もいいもの
だと思ったり、そのときの気分によって思いも揺れ動く。し
かしこの揺れがまた春には合うようにも思う。そして気分が
揺れる自分を許してしまうのも。また「一日は必ず雨の」に
は、陰陽両面を併せ持つ桜にはぴったりの措辞であると思
う。桜の花がこれほど人々に愛されるのも。陰陽の画面に揺
れる人の心に桜の画面がぴったり重なるからかもしれない。
ぶらんこの遠くの空へ胸張つて 西山  睦
(『俳壇』四月号「遠くの空」より)
考えてみれば、ぶらんこの正しい漕ぎ方などというものは
教えてもらったことがない。おそらく誰もが何となくぶらん
こに乗り、漕ぐうちにそれなりのやり方を見に付けるのだろ
う。そして誰もが、その振り子運動の一番前まで来たとき、
胸を張るような格好になる。空へ向かうような、ちょっとし
たスリルと気持よさは格別だが、それはまた大人になると
すっかりと忘れてしまうものでもある。掲句の「胸張つて」
はそんな子供の頃の気持ちを思い出させてくれる。
白鳥に四囲の雪山濃く淡く 辻 恵美子
(『俳壇』四月号「田にしらなみ」より)
白鳥と雪山。どちらも白いが、濃淡は当然にある。しかし
この濃淡は、白鳥は自身が動きながら身に纏った白であり、
雪山は自身はそのままに、周りが変化していき纏った白であ
る。一見動いていなさそうな白鳥と雪山との風景に対して、
掲句は動と静の対比のような捉え方をしているのが面白く、
また句に動きがある。
記紀の世のこゑのびやかに春の鳶 朝妻  力
(『俳壇』四月号「今城塚古墳公園」より)
「記紀」は古事記と日本書紀のこと。古事記には鳶は登場
しないが、日本書紀には神武天皇に日本建国を導いたとされ
る「金鵄(きんし)」という金色の鳶が登場する。日本書紀
の成立は西暦七二〇年頃だと言われるが、思えば、その頃か
ら書物に鳶が登場し、その鳶がずっと今の世も泣き続けてい
るというのは不思議なことだ。人間も変わらないが鳶も変わ
らないのか、人間も鳶も変わってしまったのか、それは分か
らないが、いずれにしろその声は変わっていない。掲句はそ
の変わっていない声一点のみに感じ入っており、その一声で
千年以上の時を遡ることができるのは俳句のいいところだ。
名簿より同姓同名消えて寒 村上喜代子
地中はや動き初めたる牡丹の芽 同
(『俳壇』四月号「なにいろと」より)
「名簿より」の句。面識もないが、いつも隣同士で載って
いた名前。どこの誰だかは分からないが、親近感が湧き、あ
る意味で同志のような気持だったのだろう。運命を共にして
いるような気持にもなっていたのだろう。相手に伝えるとも
なく一方的に抱いていた思いは、それが途切れてしまうとど
うしようもないやるせなさを感じてしまう。「寒」という季
語がそれに拍車をかける。
「地中はや」の句。その時期にその花が咲く、というのは
忙しく過ごしている我が身を顧みるととても嬉しい。それは
地上の木や花だけではなく、大地が動いているからだ。とい
う掲句の着眼は、我が身の小ささを思わせる。そしてそんな
に焦ってはいけない、という自戒も抱く。
アトリエに日差し隅までシクラメン 能勢 ゆり
(『俳壇』四月号「風信子より」)
アトリエに差し込んだ日差しは、シクラメンまで届いてい
るのだろうか、と情景が妙に気になる句。別にシクラメンに
届くか届かないかは大したことではないのだが、何となくシ
クラメンのある場所の手前まで日差しが伸び、その先にシク
ラメンがあってほしいと、そんなことを思う。この場合「隅
まで」の隅にシクラメンがあり、日差しを目で追いかけた先
にシクラメンが飛び込んできた、という構図だ。
春の風邪光源氏の不実なる 中野 千秋
(『俳壇』四月号「思ひ」より)
今の世の中に光源氏がいたら、とそんなことを思ってしま
う。少し動けばすぐに棘が刺さるような、コンプライアンス
やハラスメント云々と言われる今の世の中で、仮に光源氏が
いたとしてもあんなに美しい物語には描かれなかっただろう
し、そもそもあんな行動は取れないのではないかと思う。
「春の風邪」は、どことなく鬱陶しい。冬に罹れば流行って
いるからと言い訳もできるし、夏風邪は何となく大らかだ。
その点春の風邪は、周囲に罹る人も少なければ共感も得られ
ず、さぼっているかのような印象を持たれてしまって世間的
に分が悪い。今の光源氏とどこか似ている。