流 水 抄 加古宗也
伏見稲荷参拝
四月馬鹿過ぎしに大大吉を引く
堰落つる水に歌ありのぼり鮎
この渓の青さ一入鱒育つ
貝塚に散る貝殻や鴉麦
茅花流しや廃線路そのままに
はるかより金管の音や青嵐
烏の子跳んでは首を傾げけり
老鶯や鏡の如き一碧湖
美しき娘の海渡る聖五月
半田 国盛・みつかん酢 五句
黴の香や阿弥陀てふ名の大滑車
酒蔵や少年が折る紙兜
辛口の冷酒や軒の酒林
黒塀は男の風情旧端午
大本営跡とや一夜酒かもす
三ケ根山
比島はるかに老鶯のしきり鳴く
真珠抄八月号より珠玉三十句 加古宗也推薦
暮れゆくを楽しむ夏の白ワイン 東浦津也子
羽抜鶏信長塀へ突っ走る 斉藤 浩美
紫陽花に雨あきもせず長電話 勝山 伸子
新樹光中に歯固め石探す 鈴木 帰心
優曇華の羽化を待ちゐるルーペかな 久野 弘子
夏山や遭難教師の今も知れず 牧野 暁行
業平忌いまかきつばた二番花 江川 貞代
青芝に寝転ぶ肘の若かりし 川嵜 昭典
番傘の油匂へり男梅雨 市川 栄司
楷若葉論語読む声揃ひたり 今井 和子
蟹のみの昼の糶終へあいの風 嶺 教子
朝凪の浜に七卿落の店 渡邊たけし
庭に百合初めて持ちし爺の部屋 岡田 季男
風少し出て万緑のさざ波に 田口 風子
夏の月電源切つてわたし消す 大澤 萌衣
十薬を刈り干す母のしたやうに 重留 香苗
苔太りして下闇の道祖神 鈴木 玲子
枇杷の実を挿して点滴静かなり 筒井まさ子
鴉の子奏楽堂を闊歩せり 柳井 健二
慈悲心鳥霧積川を低く飛ぶ 島崎多津恵
葉柳や八幡堀の橋いくつ 石崎 白泉
親鳥の卵をかくす鳰浮巢 堀口 忠男
打ち打ちて藍の艶ます上布かな 酒井 英子
よく走りよく転ぶ子よ夏帽子 石川 茜
初夏や文机美しき二畳の間 烏野かつよ
春の野に犬を放ちて放たれし 鶴田 和美
車椅子の人に跼める目の涼し 長村 道子
アナウンス入り混じる駅夕薄暑 奥村 頼子
花屋に買ふ子とおそろひの麦藁帽 池田あや美
ベラ釣りの舳先を伊勢へ回しけり 川端 庸子
選後余滴 加古宗也
暮れゆくを楽しむ夏の白ワイン 東浦津也子
時計を見て、もうこんな時間なのか、と驚くのが夏の日暮だ。
ゆっくりと周りの景色を楽しむことができるのも夏の夕暮で、
そんなとき何となく得をしたような、自分だけに贅沢な時間
をもらったような気分になる。ゆっくりと少しずつワインを
楽しむ作者は今日の幸せを噛みしめているのだろう。この句
「暮れゆくを楽しむ」がじつにいい。
優曇華の羽化を待ちゐるルーペかな 久野 弘子
ここにいう「優曇華」はクサカゲロウのことで、夏に卵を
草木や古材・器物などに生みつけたもの。約一・五センチの
白い糸状の柄がありそれが花のように見えることから、仏教
の説話の中に出てくる優曇華に似ているとかで、その名が付
けられた。優曇華は三千年に一度開花、果実は食用になると
いう。クサカゲロウのほか、ウスバカゲローの卵という説も
あり、じつは先日、作者がビニールの小さな袋に入れて句会
に持参した。余りに小さいので、その羽化がしっかり確認で
きなかったが、作者は皆のためにルーペを持参、代る代る優
曇華の羽化を観察したが、結局、私にはよくわからなかった。
しかし、こういうこともまた風狂というのだろう。当然、句
会は盛り上がった。
十薬を刈り干す母のしたやうに 重留 香苗
男の子は父親の背中を見て育つ、といわれるが、女の子は
母の背中を見て育つのだろう。「母のしたやうに」がせつない
ほど胸に響く。母恋の一句であり、句またがりがじつに効果
的に生かされている。
夏の雲水逸らせて地蔵川 荻野 杏子
「地蔵川」を舞台とすることで、人為を越えた力を感じさせ
る。夏の雲が川面に映っているのだろうか。いささか流れの
早さも感じさせて、読者を不思議の世界へ引き込んでゆく。
つづく句に《梅花藻》が登場することで、地蔵川が清流であ
ることが追認できる。
番傘の油匂へり男梅雨 市川 栄司
昨今、番傘を見ることはすっかり少なくなった。竹の骨組
に油紙を貼りつけて雨をはじくのだが、やや重たいことと、
西洋風の蝙蝠傘がやはり使いやすいし軽い。しかも、近頃では、
極めて安価になったことも番傘後退の理由だろう。「番傘の油
匂へり」に昭和の匂いがあり、作者を懐かしい時代、青春といっ
てもいい時代へ誘っている。
論語朗誦若葉明りの花頭窓 今井 和子
江戸時代、各藩は藩校を持ち、藩内士族の優秀な子弟を教
育した。そして、その教育の中心は儒教で、その中でも孔子
の『論語』が最も大切にされた。藩校の一角にはかならず孔
子廟が立ち、お参りするのが慣いだったようだ。藩校といえ
ば最も有名なのが昌平坂学問所で、全国から優秀な子供たち
が集まった。昌平坂学問所は明治になって、東京帝国大学へ
発展してゆく。その後を湯島聖堂と呼び、現在もお茶の水に
ある。そして、今も江戸時代のままの孔子廟と建物等を遺す
のが、岡山県備前市にある閑谷(しずたに)学校跡だ。備前
瓦で葺かれた赤い屋根は美しく、当時からあるという槐の大
木が二本初夏には美しい若葉を見せ、秋には息を呑むように
美しい紅(黄)葉を見せる。槐の木の下に立って閑谷学校を
眺めると、花頭窓から『論語』が漏れ聞えてきた。いや聞え
てきたような気がしたのだ。閑谷学校は江戸時代の建造物と
して、最も美しいものの一つだといっていい。俳句の楽しさ
の一つは、短い言葉で見事にタイムスリップさせるところに
ある。さらにこの句「花頭窓」を持ってくることで、耳目を「花
頭窓」に絞り込んで見せたところにある。
朝凪の浜に七卿落ちの宿 渡邊たけし
「七卿落」とは「文久三年(一八六三)八月十八日、三条実
美(さねとみ)、三条西季知(すえとも)、四条隆歌(たかうた)、
東久世通禧(みちとみ)、壬生基修(もとなが)、錦小路頼徳(よ
りとみ)、沢宣嘉(のぶよし)の七人の公卿が討幕計画に敗れ
て官位を奪われ、京都を逃れて長洲に落ち延びた事件」(『広
辞苑』)。浜に立って幕末のあの激しく日本が動いた時代を回
顧しているのだ。このように歴史をたぐり寄せるためには、
そのきっかけが必要になるが、この句のそれは「宿」。間もな
く明治維新を迎えるその時代こそ、青春の血の騒ぐ時代でも
ある。司馬遼太郎の『龍馬がゆく』がふと思い出された一句だっ
た。
車椅子の人に跼める目の涼し 長村 道子
車椅子と人と目を自然に合わせる高さにするには跼むのが
いい。しかし、意外に跼んで話そうとする人は少ない。それ
のできる人はやさしい人であり、目の涼しい人だ。
夏山や遭難教師の今も知れず 牧野 暁行
無類の山好きの教師のいたことを私は知っている。山男に
心の穢れた人はいない。精悍な顔をした山男だった。
竹林のせせらぎ 今泉かの子
青竹集・翠竹集作品鑑賞(六月号より)
御神籤の大々吉や松の花 金子あきゑ
上には上があるものです。大々吉とは大吉の上。なんとめ
でたいのでしょう。縁起がよいこと、この上なしです。それ
にしてもそうそうある御神籤ではなく、この大々吉のある神
社は限られているようです。この辺では、竹島弁天の八百富
神社とか。京都での吟となれば、伏見稲荷辺りでしょうか。
この恵まれた運気のおみくじと松の花。松は、冬でも色を変
えないことから誠実さをよんで、よく慶事に用いられますが、
その花は花というにはそぐわない素朴なもの。めったにお目
にかかれない有り難いおみくじと、格の高い木の、目立たな
い花の有り様と。まさに取り合わせの妙。響き合う言葉は二
つの波紋となって、各人各様、心に綾なす作品です。
鳥雲に真田廟所の高野槙 今井 和子
大河ドラマ「真田丸」でぐっと身近になった真田一族。一
戦国大名として真田家の地位を確立させた昌幸は、関ヶ原の
戦いにより、敗軍の将として幸村ともども高野山に配流され、
最後は九度山で病死しました。再起の夢は叶わず、しかも「公
儀はばかりの仁」として葬式の許可も下りず、火葬されたと
いいます。その霊廟に高野槇が供えられていたのでしょう。
高野槇はもともと高野山に自生し、空海が修行の妨げになる
として花や果樹の栽培を禁じたことにより、一年中緑の光沢
を保つ供花として利用されてきました。燃えにくいだけでな
く耐水性にも優れた、香りも姿も美しい木です。季語は「鳥
雲に」。北へ帰る鳥たちの影は雲間へと消え、後に残るのは
空の広さだけ。空を渡って消えてゆくものと強い生命力をも
つ緑の供花。歴史の波間に消えていった、もののふのおたま
やに、冬の凛然たる美しさが薄らいでゆく淋しさが重なります。
春寒の寝たまま沈む湯船かな 筒井 万司
作者は今、病床におられるのでしょう。介護用の大きな装
置に身を委ねての入浴。季語「春寒」に単なる春になってか
らの寒さだけではない、横たわったままで湯につかることの
不安感も重なります。それでも、「湯船かな」のゆったりと
した詠嘆の調べに湯気にほぐされていく心身も感じるので
す。たとえ今、身は思うにまかせなくとも、五七五の調べに
のせて句を詠まれることの尊さを思いました。
介護士は笑わせ上手花筵 松元 貞子
こんな介護士の方がそばにいてくれたら、それは幸せなこ
と。笑顔のもたらす効能は大きく、笑いは副作用のない薬と
もいわれています。笑わせ上手な介護士は、プロの中のプロ
でしょう。その場に広がる笑い声は、足下に広がる桜のはな
びらの散り敷いた様子を立体的に立ち上げ、明るい景を生ん
でいます。
花ミモザダンスホールの灯がうるむ 濱嶋 君江
ダンスホールは社交ダンスを踊るための、かつての大人の
遊び場。社交ダンス自体は、今でも一部の人の間で熱狂的に
愛され、教室もあり、その選手権会場たるや熱気にたじろぐ
ほどです。が、ここはレトロな世界。「ダンスホールの灯」
はミモザの花の黄色い花房を思わせ、その鮮やかさは遠くか
らでも目立ちます。下五の「灯がうるむ」は明るさがぼやけ
て見える、遠い記憶の中の景でしょうか。ミモザは銀葉アカ
シアのフランス語名。ミモザとダンスホールのちょっとハイ
カラな響きも作者の遠い思い出の中ににじんでいるようです。
花菜畑人のつくりしけもの道 堀田 朋子
けもの道とは、獣の行動圏内に自然とできるもの。でも案
外人間の都合によって変わってきているのかも…。と、一旦
思ったものの、季語のご威光を以てして、句意が理解できま
した。一面に広がる菜の花畑の中、獣と同じ、命をもつ生き
物である人間が、踏み分けるように細い道を歩いている光景
です。きっと、菜の花の丈も高く、旺盛な春のエネルギーに
あふれているのでしょう。黄色はビタミンカラー。春の光の
中、人の本能も解放されていくのでしょう。また「花菜畑」
のア音も明るく響きます。またいつか巡り来る春に、まぶし
い色と香に包まれたこんな道を歩いてみたいと思いました。
縄跳びの縄が梳きゆく若葉風 沢戸美代子
なんとはつらつとした景。「梳きゆく」の措辞が見事です。
縄跳びは一人用の放物線状に孤を描く縄でしょうか。若葉を
そよがせる風の中、リズムよく繰り返される縄の軌跡に作者
は筋目を入れるように感じたのでしょうか。それとも長縄で
しょうか。大勢で二人の持ち手が回すとなれば、描く孤はゆ
るやかな曲線となり、入れ替わり飛ぶ子供たちの声も若葉の
明るさと相まって楽しく聞こえてきそうです。夏の初めのみ
ずみずしい気息が伝わります。
つつじ咲く波のかたちの千枚田 稲吉 柏葉
確かに、波のかたちでした。先だって、名古屋への帰途、
四谷千枚田に寄って実感しました。千枚田は景観のすばらし
さと共に、先人の労苦もまた思われる場所でした。愛しいよ
うな小さな田。広い海から打ち寄せる波の模様は、人の手が
作ってきた千枚田の様子を言い得ています。つつじは、花が
次々と咲く「つづき咲き」がその名の由来の一つ。次々と打
ち寄せる波と響き合う、季語の斡旋も見事な秀句です。
俳句常夜灯 堀田朋子
このさくら人のこころの中へ散る 後藤比奈夫
(『俳壇』六月号「とある桜と」より)
「とある桜と」と題された十句中の一句。氏は一九一七年
に生を受けられ、なんと今年、百歳の長寿を得ておられる。
何処の桜と知れないが、みごとな老齢の一本桜らしい。しか
も訪ねるに労を用する場所に立つ。それでもこの春、ぜひと
も会いに行かねばならなかった桜なのだろう。「このさくら」
と平仮名表記であることに、氏にとって特別な桜であること
がわかる。老桜の前に人は無防備になる。静かで神々しくて、
嘘がつけない。我人生の来し方も行く末も何もかも知ってい
るように思える。今、この散る桜の下で、お互いに心を尽し
て生きて来た年月を讃え合っておられるようだ。
「こころの中へ散る」とは、そういうことではなかろうか。
鳥ぐもり恥骨上げつつ歩く 渋川 京子
(『俳句四季』六月号「大きな夜」より)
「鳥ぐもり」は、春に渡り鳥が帰って行く頃の曇り空。後
に残る者には淋しさと愁いを感じさせる。また、過酷な空の
旅が待ち受けている鳥達の無事を祈る気持ちも湧いてくる。
その気持ちが自己に反転して、〝私も頑張るよ〟という心境
となるのだ。それが「恥骨あげつつ歩く」という稀有な言葉
で表現されているのだろう。人体にある二百余本の骨の内か
ら「恥骨」に限定されたことが面白い。この骨は左右の骨が
会合して形成されている。結合部分が緩まぬようグッと力を
込めるに相応しい骨だと思う。さあ春だ。旅立つ鳥に負けぬ
よう、前へと進もう。楽しくて力の湧く句です。
宿下駄の朧へ向けて揃へらる 黛 執
(『俳壇』六月号「遅日の子」より)
山間か海浜か、鄙びた日本旅館であろう。「朧」へと灯り
を漏らしつつ、宿泊者たちに憩の時を与えている。夜は更け、
玄関には宿下駄が整然と揃えられている。下駄の向く先にあ
る戸一枚隔てただけの朧の世界が、作者を誘う。「朧」が持
つ不確かな甘やかさは、母の胎内で揺蕩う心地に似ているの
かもしれない。宿下駄であることが威力を持つ。旅の心には、
現実からほんの少し離れてみたい思いが含まれているだろう
から。一つの景が、はるかに饒舌と成り得るのだと思う。
落椿押し分けてゆく真鯉かな 山本 洋子
(『俳壇』六月号「蝶」より)
この「落椿」はやはり赤であって欲しい。黒々とした「真
鯉」との色彩の対比が強烈に迫る。そしてこれは、命の対比
でもあろう。落椿は、生の終わりを受容していこうとしてい
る。真鯉は、春の訪れに身の内の生命感を再確認している。
けれど、水中に落ちた椿は、まことにいっそう美しいのだ。「押
し分けてゆく」生命力に驚嘆しつつも、押し分けられる落椿
の方へと心を寄せておられる。そんな「かな」だと思う。
乳房をくらきに仕舞ひ若布干 山尾 玉藻
(『俳壇』六月号「花辛夷」より)
二月半ば、一家総出の若布解禁シーズン。浜に張り巡らさ
れた綱に、若布が次々と掛けられてゆく情景が目に浮かぶ。
活気ある表舞台から一転して、掲句は物陰を詠む。男達が水
揚げした若布を、大釜で茹でて綱に掛けてゆく女達。その中
に乳飲み子を抱えた女がいる。ぐずり始めた子を抱いて、人
目を忍んで授乳する。厳しい時代の漁村風景ともとれるが、
やはり現在の健やかな景と見たい。授乳は、母親にとって至
福の時間だ。労働の合間、子と繋がり安全を確認する時間だ。
仮名表記の「くらき」は暗くない。母子に流れる蜜のような
ひそやかさと、乳の匂いのする命近くにある湿りを感じる。
鉄の罠錆びて根雪に傾けり 木村里風子
(『俳壇』六月号「太田川今昔ものがたり」より)
罠の歴史は古く、その種類も多岐にわたる。掲句は鉄製の
罠であるから、例えばトラバサミと呼ばれるような、猪・鹿・
狐などの足を挟んで捕獲するものであろうか。雪に埋もれて
いた罠が、雪解けの途中、根雪に顔を出している。「錆びて」
いることで仕掛けた者さえ忘れているのだろう。「傾けり」
の描写に、罠が持つ恐ろしさに震撼とした作者が目に浮かぶ。
田舎育ちの筆者は、幼年、土竜用に仕掛けられた罠に指を挟
まれたことがある。自分の間抜けさが悔しかったが、後の祭
りである。獣の心情を共有した経験だ。作者は雪に覗く罠を
見つけた時、一瞬にして、古今東西人類が仕掛けてきた〝罠〟
というものの本質に触れられたのだと思う。
蟻穴を謀反のやうに出できたる 齋藤朝比古
(『俳句四季』六月号「春昼」より)
たまたま見つけた蟻の穴、腰を落としてひと時見入る。な
んと次から次へと繰り出てくることだろう。その迷いのない
出現ぶり。なんだなんだ何が起こったのだ。その様を作者は、
「謀反」に加担する兵卒達と見立てた。エスプリの効いた修
辞だ。作者がのびやかに人生を楽しんでおられる様子が垣間
見える。「〜〜のやう」という表現は、ややもすると陳腐に
なり易くて勇気がいる。でも誰もが納得できるものである時
はピタリと決まって、こんなにも面白いのだ。
ひとしきり夢中になった作者、立ち上がり腰を伸ばしなが
ら、夢中になれたこと自体にも満足されたことだろう。