No.1100 令和5年12月号 創刊1100号記念特集

 

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井垣清明の書39

無 悪 善

平成11年(一九九九年)十一月
第19回武蔵野書人会展(埼玉会館)

釈 文

無悪善(さが無くて善し)
(『宇治拾遺物語』)(『十訓抄』も)

流 水 抄   加古宗也


松色を変へず出雲の大社
初霜や石の屋根持つ産湯井戸
抱き上げて母が遺愛の茎の石
熱々の茶漬茎漬てんこもり
茎漬や甕は伊部の紐づくり
参道に箱ごと並べ蜂屋柿
西尾八劍八幡宮
時雨華やぐ宝剣髭切丸どこへ
能面展あり床花は西王母
鳰潜きをり殿橋の見えてをり
小春日や曲尺を抱く太子像
小春日和や神君のお成り道
義直が寄進の鐘や冬ざるる
前橋にて 三句
鷹匠に女弟子あり鷹を抱く
熊鷹や鷹匠の面つ ら凜々しくて
新雪の浅間臨江閣より直面
空港島すぐそこに見え鴨の陣
鴨の陣軍艦島を囲みけり
目出し帽即ち奴の冬帽子
北風抜けて旧監獄の太格子
薔薇窓の床に降ろされ十二月
旧裁判所マヌカンの片手套
呉服座(くれはざ)のすつぽんに首十二月
薔薇窓を透けきて冬日虹を生む
きしめんは音たてて食べ師走街
珈琲に少しの酸味師走来る
軍神の軍刀に房開戦日
十二月八日場末のジャズライブ
十二月八日隣家でぼや騒ぎ
あらぬ方突き上げ一丁潜りかな
水の面のひととこ窪みかいつぶり
耳ふさがるる如き静けさ鳰の湖
綿虫やゆつくり回る転車台
北風吹きつのり反転の転車台
飯桐の実や山禽の騒がしき
師弟句碑愛で南天の実を愛づる
吉良華蔵寺
吉良公が寄進の鐘や霜晴るる
華蔵界晴れ侘助のまた落つる
扁額はコバルトブルー冬椿
小春日やゆつくり下る女坂
冬桜鉄眼一切経蔵す
四十七人の刺客義士の日とは笑止
梵鐘の余韻とことん冷まじき
義央忌済まば穭の枯れ急ぐ
冬靄の霄れ鶴の石亀の石
吉良寺の赤き瀧なす冬紅葉
冬晴や三河平野の端に住む
本陣の跡とや柚子の実のたわわ
円墳の裾たんぽぽの帰り花
帰り花かつて土葬の村なりし
裸木に耳当て生死確かむる

真珠抄十二月号より 珠玉三十句

加古宗也 推薦


黒猫の伸びをしてゐる良夜かな     工藤 弘子
老いたれば能天気よし秋の昼      石崎 白泉
見上ぐればふと声上がるほどの月    田口 綾子
坂がかる参道まづは走り蕎麦      平井  香
秋干潟歩すや信濃の人も来て      髙橋 冬竹
秋桜やリュックサックの異邦人     春山  泉
弥次さんの座るベンチの放屁虫     荻野 杏子
秋の昼小百合映画に老どつと      池田真佐子
メールポロン夜業しづかに始まれり   大澤 萌衣
長靴に長短秋は真つ盛り        服部くらら
大鷲にまぎれて採餌鸛         堀口 忠男
声のない挨拶交わしそぞろ寒      高濱 聡光
震災忌夢二に関東震災図        池田あや美
耳遠き兄へ手紙を秋灯下        加島 照子
曼珠沙華捨田の中を遍路道       大杉 幸靖
夢二観て秋の浴衣を浅く着る      堀田 朋子
コスモスや無人駅舎の券売機      新部とし子
目も耳もめつぽふ達者生身魂      奥村 頼子
秋まつり宮掃除より始まりぬ      辻村 勅代
秋惜しむ砂洲に指先ほどの蟹      天野れい子
秋暑し昭和生まれは野球好き      岡本たんぽぽ
秋冷や赤味噌ふやすおみそ汁      今津 律子
穭田にバイク傾け郵便夫        長表 昌代
秋晴れて句徒トンボロに集ひけり    鈴木 帰心
萩活けて昔のままの喫茶店       竹原多枝子
ねこじやらし夫頷きて聞き上手     重留 香苗
枕木の交換作業虫の闇         奥野 順子
菜園の師匠身罷る秋の蝶        鶴田 和美
後ろより肩を抱かるる星月夜      神谷つた子
夫は鬼皮吾は渋皮栗を剥く       堀場 幸子

選後余滴  加古宗也


秋干潟歩すや信濃の人も来て        髙橋 冬竹
十月十一、十二の両日、俳人協会環境委員会の主催で、
西尾市東幡豆海岸から前島まで、大潮のときに出現するト
ンボロ干潟を歩く、というイベントが行なわれた。北は仙
台から西は尼ヶ崎まで俳人協会会員約百人が参加。好天に
も恵まれて、最高のトンボロ日和になった。若竹長老の一
人、髙橋冬竹さんも参加、その盛り上がりは最高で、長い
コロナ鬱も一気に霧散した。この一句はその時の作だろう
と思う。おだやなかな一句だが、この句のポイントは「信
濃の人も来て」にある。信濃即ち長野県は海無し県、トン
ボロを歩きながら東北から関西まで、広範囲から集まった
俳人たちの交流が非常に活発であったことも、トンボロで
の収穫であったと思う。秋日和とトンボロ干潟、爽快その
ものの感慨をすっきり詠み切ったところは、ベテランなら
ではと思う。
いま三河は徳川家康ブームで湧いている。今回、集って
くださった会員の皆さんが、吉良公ゆかりの華蔵寺、文豪
尾﨑士郎のふるさと吉良、岡崎城及び家康三大苦境といわ
れる安城の野寺本證寺をはじめとする三ヶ寺。安祥城址。
さらには伊良岬へ渡って鷹の渡りを見にゆかれた人など、
その余波が広くひろがったことはうれしいことだった。〈鷹
ひとつ見つけてうれし伊良虞崎 はせを〉
黒猫の伸びをしてゐる良夜かな       工藤 弘子
十月の村上鬼城顕彰全国俳句大会の途次、伊香保の夢二
記念館に立ち寄った。ちょうど夢二の最高傑作といわれる
「黒船屋」の特別展観が行なわれていて、観賞する機会を
得た。この絵は、夢二が深く愛したといわれる彦乃を描い
たと伝えられるもので、黄の着物を着た彦乃が黒船屋の屋
号の入った箱に黒猫を抱いて腰掛けた図だが、黒猫の心の
うちまで透けてくるような描写になっている。
弘子さんが黒猫を抱いて坐った姿が重なり合って良夜の
情調と見事な調和をなしている。
見上ぐればふと声上がるほどの月      田口 綾子
さりげない表現のように見えて、寸分の隙も見せていな
い。「ふと声あがる」がそれだが、何となく、いつだったか、
自分もそんな経験をしたことのあるような気がしてくるか
らうれしい。しかも、「ほど」が絶妙な措辞だ。さらに加
えるならば、月の明るさが、とことん表現されているといっ
ても過言ではない。
弥次さんの座るベンチの放屁虫       荻野 杏子
「放屁虫」は「へひりむし」と詠む。弥次さんといえば
江戸後期の戯作者。十返舎一九の作と言われる『東海道中
膝栗毛』の中に登場する弥次さんのことだろうと思う。喜
多さんと一緒に繰りひろげる珍道中記は今なお人気があ
る。仲良しの二人旅にしばしば例えられたりもする。とこ
ろでこのベンチ、私のあやしげな記憶では、東海道五十三
次の終点に近い京都、三条大橋の袂にあった。弥次さんと
喜多さんが長旅を終えてくつろいでいるブロンズ像から発
想を得たものだろう。弥次喜多道中の終章として放屁虫を
登場させるところはさすがに手練だ。
メールポロン夜業しづかに始まれり     大澤 萌衣
作者にとっては夕刻になれば仕事が終了する、というわ
けではないのだ。それが自営の難しいところ。メールの音
で夜業は始まるのだ。そして、何故か、作者は仕事が好き
で、夜業もむしろ楽しんでいるようにも読み取れる。
秋の昼小百合映画に老どつと        池田真佐子
私が若かりし頃、「サユリスト」と呼ばれる吉永小百合
ファンが多勢いた。彼らはいまも熱烈な小百合ファンだ。
小百合映画が上映されようものなら、どっと押し寄せる。
じつは私も「サユリスト」で、先年、なかにし礼の小説「長
崎ぶらぶら節」が映画化され、上映されたときには、わざ
わざ長崎吟行会を企画しただけではなく、その舞台となっ
た丸山の料亭で卓袱(しっぽく)料理を食べに行ったほどだ。
小百合はすでに八十歳に近いのにいまも美しいのは彼女
の誠実な生き方にあるように思われるが如何?
秋惜しむ砂洲に指先ほどの蟹        天野れい子
この砂洲は先に紹介した三河湾に出現したトンボロでの
作だろう。幡豆漁業組合長が「トンボロの生き物」と題し
て講演をしていただいたのだが、実際、トンボロを歩いて、
さまざまな魚貝類が生息しているのに驚いた。その一つに
「指先ほどの蟹」、いかにもかわいい。そんなトンボロでの
感動がじつに素直に表現されているのがいい。
耳遠き兄へ手紙を秋灯下          加島 照子
電話ならわけなく済むことを、耳が遠いゆえに手紙にし
たためなければならない。手紙を書くことが面倒というの
ではない。容赦なくやってくる老いとの格闘。肉親ゆえに
それがせつなく辛い。いつまでも元気でいてほしい、とい
う妹の願いが惻惻と伝わる一句。「秋灯下」という季語が
厳しく効いて過不足がない。

竹林のせせらぎ  今泉かの子

青竹集・翠竹集作品鑑賞(十月号より)


裏門を入る給食青田風            工藤 弘子
広い敷地をもつ学校の裏門へ給食の配送車が、ちょうど
入って行くところ。校舎の周辺には青田が広がり、みずみず
しい苗が、波のように美しく風に靡いています。その青田風
の清々しさは、人けのない裏門を通って、校舎へも吹いてい
くのでしょう。子ども達の健やかさを育む給食と、これから
実をつけ稲穂になっていく青田と。配送の車の動きととも
に、一句の中に青田風が流れていくようです。
晩涼や宗匠の手の井戸茶碗          酒井 英子
井戸茶碗は、井戸を覗き込むような深さからとも、発見が
韓国の「井戸谷」だったからとも、由来は諸説。ろくろ目や
ひび、釉薬の縮れをさす梅花皮(かいらぎ)などの見所をも
つ、茶道では最高位の茶碗だそうです。きっと宗匠の掌にも
納まりのいい茶碗。手にされた茶碗や宗匠の御姿に、涼し気
な雰囲気を感じられたのでしょう。昼間の熱が収まりつつあ
る夕まぐれ、静かさの中にある涼しさが伝わります。
たこ焼き屋鉢巻汗を止められず        平井  香
汗止めのための鉢巻きは、実景なのでしょう。汗をかきつ
つ奮闘する人の姿に、鉢巻をした「たこの八ちゃん」のあの
キャラクターが重なって、しかも「汗」が季語として立って
います。田河水泡の漫画から、今もある、日間賀島歓迎のね
じり鉢巻のモニュメントまで。実景の向こうに、記憶に結ば
れた虚の像も浮かんで、ちょいとたのし。
ひまわりやソフィアローレン大股に      加島 照子
戦争で引き裂かれた夫婦を描いた映画「ひまわり」。戦後、
妻役のソフィアローレンが、行方不明の夫を捜しに行くと、
記憶を失くした夫は現地の女性と家庭を築いており、その後
記憶が戻って夫が会いにきた時には、彼女はもう別の人生を
歩いていた、という悲劇。でありながら、ひまわりの光景は
圧倒的に強く美しい。あの広大なひまわり畑のロケ地は、ソ
連時代のウクライナ南部。そしてひまわりは、ウクライナの
国の花。残酷で悲惨な戦争、でもいつか終わりは来るのです。
生命力の象徴、ひまわりに万感の思いが込められています。
寝るまでの団扇大好き秋はじめ        神谷つた子
寝つくまでの暫く。団扇の風の心地よさを感じつつ、次第
に記憶が遠のいて、そのまま眠りに入っていけたら。それは
小さな幸せ。クーラーに頼らなくても、程々に暑さをしのげ
る秋はじめ。ところでこの団扇の風は寝顔を見ながら送って
いる? それとも自分に送られている? 大好きの措辞が優し
い。
夏雲を突き抜け一路長岡へ          清水みな子
青空に立つ夏雲のエネルギーを上回る、勢いの良さ。「一路」
から目的地へと向かう、旅の高揚感も感じます。長岡の花火
の豪華さは日本でも屈指です。ここ数年通い続けている作者
にとって今年もまた、の期待が込められているのでしょう。
竹やりの夢をまた見る終戦日         濱嶋 君江
今、こんな生々しい体験を詠める方がどの位いらっしゃる
でしょうか。昭和二十年の夏からすでに七十八年。日本全土
を覆う軍国主義、竹やりの無力感、そして今も夢にみる現実。
様々な思いが交錯します。終戦日は、ずっと遠い日のようで
いて、今もこの時代に繋がる、平和を願う日でもあります。
風鈴の鳴るバス停や峡の町          山田 和男
風鈴の音が、聞く人によっては迷惑となる、との認識が広
まったからでしょうか、軒先の風鈴を見かけなくなりまし
た。でも、掲句の場なら安心。人気のない山峡の町では、共
にバスを待ち、また人を出迎えるような存在の風鈴なのかも
しれません。風鈴の音に、利用する人は里の涼しさを頂きま
す。
はらほろとノート解れる翌は秋        川嵜 昭典
「翌(あす)は秋」は、水無月尽の傍題。たまたま手元に
あった山本健吉編「最新俳句歳時記」(文春文庫)で見つけま
した。最新とはいえ、一九七七年の版。掲句。はらほろのハ
行の語感が、ベタッとしていないノートの手触りのようで、
涼しくなりつつある秋の気配を誘います。感覚の新鮮さ。
団扇風老々介護の日課いま          稲吉 柏葉
その日の体調をみながら介護されているのでしょう。人の手
から送られる団扇風は、ときに強さを変え、送るところを変
え、随意。介護の日々を団扇風に託して客観的に叙述。
八月六日富士山の水届く           安井千佳子
八月六日は広島忌。多くの人が水を求め、求め続けたまま
命を落としていった、あの日。同じ日に作者の元へ、日本の
名水を誇る富士の水が届きました。歩かずして簡単に物が届
く、平和な日本のありよう。それを享受できる幸せと共に、
忘れてはならないとの戒めも、詠み出しの七音から感じます。
墓洗ふ柄杓薬缶の水重ね           今津 律子
ねんごろな墓参です。柄杓から薬缶から繰り返し水をかけ
て。亡き人を偲び、草や掃除、花や線香など手厚く供養され
ている様子が浮かびます。毎年、年を重ねるごとく「水重ね」。

一句一会     川嵜昭典


鳥獣も虫も息して草いきれ          岩岡 中正
(『俳壇』十月号「雲の峰」より)
この句の「虫」は秋の虫ではなく虫一般であるから、当然
重点は「草いきれ」にある。自然はいつもごった煮だ。世の
中に純粋な自然というのは存在しない。同じように純粋な草
むらというのも無く、目の前の草むらが単なる草むらに見え
たとしても、そこには大小さまざまな生き物が生息してい
る。そして、不快に感じる草いきれも、そんな生き物たちの
出した息をも吸い込んでいるということになる。それは確か
に不快だが、一方で自分を含めた自然が、それぞれの個性を
勝手に出しながら生きているという証でもある。その勝手
さ、てんでばらばらさが、いつの間にか調和している、とい
うのが自然というものだろう。
団栗やこころころころ盗まるる        鹿又 英一
(『俳壇』十月号「飯粒」より)
中七「こころころころ」、団栗がころころ転がっているの
かな、と思ってよく読むと「心ころころ」となっていて、味
わい深い。もちろんこの言葉の面白さを楽しむ句だが、一方
で、団栗は見つけると拾いたくなってしまうが、それは心が
盗まれているからだ、という発想も妙に納得がいく。俳味の
ある句。
しつかりと店の奥より生身魂         長谷川耿人
雲梯のにほひ残暑のもろ手より          同
(『俳壇』十月号「崩れ簗」より)
「しつかりと」の句。「しつかりと」がいい。いくつになっ
ても自分の領分、やるべきことを為すという気概を感じる。
そういう店も最近は少なくなっているように思うが、やはり
清々しいものである。
「雲梯の」の句。確かに雲梯をした後の手は、鉄のような、
独特の匂いがする。その匂いが「残暑」という季語と合わさ
ると、むしろどこか懐かしい気持ちになるから不思議だ。
霧分けゆき己れに戻る五体かな        衛藤 能子
(『俳壇』十月号「霧分けゆき」より)
霧の中を歩いていくうちに、だんだんと前後不覚になった
自分が、はっと我に返ったという句。「己れに戻る五体」と
いう表現が面白いが、よくよく考えると、今の生活は頭ばか
りを使い、体をきちんと使っていないのではないかとも思
い、反省する。本来、手を使い、足を使いして、その感覚を
頭にインプットしていくべきなのに、頭ばかりで想像してい
る生活は、やはり自然ではない。そういう意味で「五体」と
いう表現はとても力強く、心地よい。
街路樹の色甦る夏の雨            太田 節男
(『俳壇』十月号「水の星」より)
おそらく筆者は交通量の多い道の街路樹を見て、淋しい気
持ちになったのだろう。しかしそこに、夏の雨が降った。そ
れは作者の心にも、砂漠の中のオアシスのような潤いをもた
らしたのではないか。夏の雨は、全てのものに命を吹き込ま
せるような、そんな印象を与える。「夏の雨」のみずみずし
さ、生命力を感じさせる。
曖昧な明日の約束秋の暮           明隅 礼子
(『俳壇』十月号「休航」より)
同じ約束でも、子供の約束と大人の約束とは違う。「曖昧
な」約束をしても、子供の約束は、希望のある約束だ。つま
り、実行することは確定している上で、子供ながらの詰めの
甘さによる曖昧さだ。それに対して、大人の約束は、それが
曖昧になされたものであるならば、どこか気乗りのしない約
束だ。掲句の約束はどちらだろう、と考えるが、「秋の暮」
という、どこか懐かしさを感じる季語から考えると、子供の
頃の約束を、ふと、作者が思い出したのかもしれない。明日
も、と約束をしたものの、次の日にはなぜか会えなかったと
いう思い出は、誰しも持っているのではないだろうか。
川は木曾川山は伊木山風五月         武藤 紀子
(『俳壇』十月号「弱法師」より)
伊木山は岐阜県各務原市にある、標高一七〇メートルほど
の小さな山である。その麓には木曽川が悠々と流れている。
そして向かいには犬山城がある。私の部屋からも、伊木山は
見えたので、私はずっと伊木山を見て育った。木曽川が流れ
ているせいか、砂っぽい土地柄だが、初夏にはとても心地よ
い風が吹く。その土地に住む人は、まさに掲句のような、川
と言えば木曽川で、山と言えば伊木山、という感覚だろう。
この地を知る者ならではの爽やかさが伝わる。
触れながら秋の暮てふ別れかな        茅根 知子
(『俳壇』八月号「十返りの花」より)
「触れながら」は、何に触れているのだろう。相手の顔か、
手か、それとも人ではない花か何かか。そんな曖昧さも「秋
の暮」だからこそ、きっと美しくも名残惜しい何かなのだろ
うという想像が働く。瑞々しい別れだと思う。