No.1027 平成29年11月号

柴門に鳥籠かけし小春かな     うしほ

七五三の祝い
11 月15 日、男子3 歳と5 歳、女子3 歳と7 歳の祝いがある。起源は、将軍、徳川綱吉が長男の健康を祈って始まったといわれている。旧暦の11 月は収穫を終えて実りを神に感謝する月でもある。11 月15 日は1 + 1 + 1 + 5 で8 になる。8 は末広がりを暗示する、子供たちの将来を案じた先人の思いの表れともいえる説もあるそうだ。色々の祝い方がある様だ、地方によっても違う様だ。いずれにしても、幼児一人が人間として世の中に認められる行事である。有名な神社以外の地方の神社でもこの行事は行なわれている。刈谷市小垣江町の神明神社で七五三のお参りが済んで、宮司さんを囲んで子供たちは千歳飴を手に、本殿前で記念撮影におさまっている場面である。写真撮影(カラー)・プリント・文 柘植草風

流 水 抄   加古宗也


葛布織商ふお店夏帽子
梅雨晴や螺髪が似合ふ盧遮那仏
甘茶咲かせて足利のゆかり寺
慈しみ蔵す眦や梅雨仏
五指をもて額の汗を拭ひけり
色鯉や水門川の盥舟
将棋・藤井聡太四段二十九連勝
口にハンカチ当てて聡太の詰めに入る
白根より発哺へ下る竹煮草
天守台跡とや銀龍草を愛づ
吉野吉水さて神泉にゐもり棲む
桜蕊降る義経の隠れ塔
睡蓮の池すいれんの皆ねむる
涼風や膝ついて読む鬼城の句
熊蝉や三河黒松荒々し
夏萩や急磴のぼりきれば門

真珠抄十一月号より珠玉三十句

加古宗也推薦


身に入むや老いの真実老いて知る     風間 和雄
二百十日酒提げてゆく警備員       川嵜 昭典
解禁の腰で水押す鮎の川         大澤 萌衣
新涼のさざなみが消す榛名富士      高相 光穂
竜淵に潜む渡良瀬遊水池         関口 一秀
ちちろ鳴く懲りずに原発再稼働      堀口 忠男
病室の音無く梅雨の扉が閉まる故     筒井 万司
越中の星のつやめく風の盆        水野 幸子
歌女鳴くや露兵の墓は奥の奥       濱嶋 君江
術もなく齢すぎゆく鰯雲         島崎多津恵
八月の雨扁額の文字青く         天野れい子
補聴器に我が足音や今朝の秋       石崎 白泉
一列の流燈月の大河ゆく         工藤 弘子
良敬忌夢のつづきは花野へと       荻野 杏子
かなかなや訃報はいつも入相に      鈴木 玲子
汗拭いて診察するも今日限り       浅井 静子
鴉さへ鳴かない朝台風裡         深見ゆき子
湯上りの端居に転び来る一句       小川 洋子
窓に来て夜な夜な太る守宮かな      服部 喜子
こんなにも気楽な暮らし焼茄子      川崎 妙子
扇置く小名木隅田の合ふところ      鈴木 帰心
家康の逃げ込みし寺群とんぼ       深谷 久子
スクラムを組みては気勢夏盛ん      新部とし子
夫よ娘よ仲良く来ませ門火焚く      岸  玉枝
昆布干す浜を職場として生きて      稲吉 柏葉
尺蠖やすぐそこまでといはれても     磯村 通子
足音が畑の肥やし茄子光る        鶴田 和美
三世代家族が望み敬老日         鈴木 里士
林檎屋と思ふばかりのくだもの屋     東浦津也子
打ち水の水汲んできて立ち話       高濱 聡光

選後余滴  加古宗也


竜淵に潜む渡良瀬遊水池     関口 一秀
田中正造と足尾銅山の鉱毒事件は、子供の頃、教科書で勉
強したことがある。明治時代にすでに公害問題が発生してい
たわけだが、社会問題として公害が論じられ、裁判が行なわれ、
さらに公害の根絶が当然のこととして国民に認識されるよう
になったのは戦後の、それも高度経済成長の時代に入ってか
らのことだ。先年、足尾を訪れたとき、ボランティア案内人
が「足尾銅山があったからこそ日本は、日露戦争に勝つこと
ができた」と語り「ロシアからの賠償金によって、経済発展
の礎が出来た」と強調。「鉱毒事件などささいなことでそのく
らいの犠牲は当然」と胸を張ったときには少々驚いた。こう
いう考え方の人間がいつの時代にもいて、うっかりするとそ
れがあたかも正論であるかのような錯誤に陥ってしまう愚昧
さを人は持っている。前置きが長くなったが、足尾鉱毒事件
は田中正造らの努力によって、さすがに鉱山側も放って置け
なくなり、渡良瀬川流域に大きな遊水池を作って、鉱毒の元
を沈めようとした。ところがこの遊水池が村一つを水没させ
るというもので、村人との合意形成など全く無視されたもの
だった。足尾銅山周辺はいまも禿山で、いつになったら昔の
ような風景が取り戻せるのか全く見通しなど見えていない。
「竜淵に潜む」でかつての鉱毒事件を想起させ「渡良瀬遊水池」
の現在がいかにも平穏そのもので、その昔を全く想像できな
い静けさであることに時代の移り変りをしみじみと思ってい
る作者だ。それでいて「竜淵に」という季語の斡旋が厳しく
効いた一句になっている。

打ち水の水汲んできて立ち話     高濱 聡光
京都の街では打ち水をするとき、両隣りにも少しづつ水を
撒くという慣習があるそうだ。街中の住人にとって、こうい
う思いやりはお互いの関係を円滑にするもので、いつから始
まったのか、コミュニケーションの原点のような習慣だと感
心する。お隣り同志がほぼ同時に家の前の打ち水に出て、や
あ今日は、となり、それがついつい立ち話になったのだろう。
これなら向う三軒両隣りいい感じの暮しに間違いはない。

百度石の先の踏切秋時雨     天野れい子
踏切のすぐ先に踏切があったり、大寺の中を貫くように鉄
道が走っていたりするところが、ところどころにある。こう
いう風景には少々違和感があり、違和感ゆえに面白いと思っ
たりもする。踏切の先の百度石。百度石は願かけのための標
のようなもので、この妙な感覚は秋時雨の感覚に似ている。

二百十日酒提げてゆく警備員     川嵜 昭典
「二百十日」は立春から数えて二百十日目のことで、九月一
日ごろに当たる。台風が上陸する確率の高い日でもあり、歳
時記では別に「厄日」ともいう。ちょうど米の花の咲く頃で、
この時期に台風が来ると稲の花はすっかり駄目になってしま
う。そこで近年は早い時期に田植を終え、米の収穫を早めて
いるところが多い。ゆえに「二百十日」「二百二十日」という
季語もやや時代感覚からずれつつあるといっていい。ところ
で、「二百十日」といえば最も警戒してしかるべき日なのに、
警備を生業とする警備員が酒を提げてゆく、という諧謔を俳
句に持ち込んで成功した。しかも、前述のとおり、「二百十日」
は死語になりつつあり、そこにピタリと照準を当てているの
が面白い。

解禁の腰で水押す鮎の川     大澤 萌衣
鮎の川には解禁日を待ち構えていたかのように釣人が押し
寄せる。鮎釣は囮鮎を使って釣るのが普通で、縄張り争いを
巧みに利用した漁法だ。いってみれば騙し討ちのようなもの
で、囮鮎が元気なうちは何回でも使える。ところで掲出句、
解禁日ともなるとついつい気が逸って川の中へ中へと進みた
くなる。「腰で水押す」によって逸った気持ちをよく伝えてい
ると同時に川の深さまでが具体的に見えてくる。

汗拭いて診察するも今日限り     浅井 静子
作者はいうまでもなく女医さんである。夫は若竹同人であっ
た仁水氏である。さらに祖父の意外氏は富田うしほとともに
「若竹」草創期の雑詠選者で、軍医として著名な方だった。軍
医総監で作家の森鷗外の副官を長く務められた方だ。富田潮
児の話によれば、在京中は鷗外邸で行われていた歌会にも出
席しており、「歌は鷗外先生に教えていただいたが、俳句は反
対に私が手解きした。」と言っていたという。正岡子規の脈を
何度か診たとも聞いている。うしほとは生涯親交を持った。
浅井家は江戸時代からの医家で、静子さんのお孫さんで六代
続いている。息子さんは西尾市の医師会長でもある。掲出句「汗
拭いて」がいい。女医さんらしい極めて温厚なお人柄。今年、
九十歳になられたという。「今日限り」に万感がこもる。

良敬忌夢のつづきは花野へと     荻野 杏子
「良敬忌(りょうきょうき)」は富田潮児若竹前主宰の忌日。
「夢」という言葉が大好きで目が不自由なのにかかわらずよく
「夢」の一字を揮毫された。その理由はいうまでもなく、人は
夢を無くしてはならない。夢を失うときは即ち生きている意
味を失うということだろう。あと一週間ほどで百二歳という
まさに長寿の人だった。生身魂だった。

竹林のせせらぎ  今泉かの子

青竹集・翠竹集作品鑑賞(九月号より)


人声のかたまつてくる日傘かな     酒井 英子
遠くからやってくる日傘の女性達。傘と傘があたらない程
度の距離感を保ちながら、近づいて来る小さな集団は遠くか
ら見ると一つのかたまりのよう。また、日傘どうしで交わさ
れる内輪の話し声は、にぎやかな響きのかたまりのようでも
あります。聴覚と視覚がとらえた遠近感によって一句の世界
が立ち上がり、何気ない日常の一場面が生き生きと迫ります。

空蝉のガッツ前足後ろ足     服部くらら
この夏、殻から半分抜け出たところで息絶えた、羽化途中
の蝉を見ました。その亡骸を入れたまま空蝉の足は、しっか
と杭を掴んで支えていました。空蝉は古来からよく詠まれて
きた句材ですが、「ガッツ」の言葉を得て新鮮な一句になり
ました。気力の意を表すような、促音の歯切れの良さ。省略
の効いた表現。命を飛び立たせた空蝉は果たすべき事を果た
したのです。今ある空蝉と、無事翔び立っていった蝉へと、
エールを送っているような明るい響きが残る作品です。

竈火赫と釜鳴り出づる青葉闇     今井 和子
鳴釜神事と題された中の一句。吉備津神社から雨月物語の
「吉備津の釜」を思い出しました。凶(釜の音が鳴らない)
と出た占いの結果を無視して結婚した結果、不誠実な男は最
後に、恨みながら死んだ妻の怨霊にとり殺されてしまう怪異
譚です。掲句は実際に体感された作者ならではの作品。燃え
盛る強い炎の様と焚かれた釜の発した音の響きは、人知を越
えた世界へ招いているかのようです。青葉闇とは、茂る青葉
の明るさが大地に落とす暗さ。また陽光のまぶしさが逆にも
たらす暗さ。結句に置かれた季語の闇が、現を越えた超自然
的な世界を大きく受け止めています。

学校の鉄扉は錆て夏深む     斉藤 浩美
人気のない校舎。乾ききったグランド。そして学校周辺の
伸びた雑草など晩夏の光景が、句の背後に広がっています。
そこには、勢いを過ぎた夏の終わりの一抹のさびしさもあり
ます。作者は鉄扉の錆に、ふと夏の疲れを見たのかもしれま
せん。「夏深む」の結句にしみじみとした余韻が伝わります。

夕立を言ひ教会の軒を借る     成瀬マスミ
夕立の急に、思わず近くの教会へ走り込んだ作者。「夕立
を言ひ」の措辞に、雨宿りとして一時的にその場を選んだ遠
慮がちな感じが伝わってきます。教会という聖なる場へ踏み
込んだことへの申し開きのような。突然の夕立がもたらして
くれた、この非日常の空間で、しばし、雨が小降りになるの
を待ちましょう。

息子来て昼寝だけして帰りけり     岩瀬うえの
なんと居心地のよい家。初めから昼寝を目的に息子さんは
みえたわけではないでしょう。無防備になれる安心感が、つ
い眠りを誘ったのでしょう。対になる「娘が来れば夫素直に
睡蓮咲く」の句も屈託のない家族の有り様を軽妙に描いて、
読んだ者の気持ちを明るくさせる作品です。

土用芽や今日は全校出校日     長谷きよ子
かつて夏休みの出校日が、学級、学年、全校と三回設定さ
れた時もありましたが、「今日は全校出校日」。暫くぶりに、
にぎやかな子供たちの声が校舎に響きます。土用芽とは、芽
吹きの春を過ぎて、文字通り土用の頃になって出る新芽のこ
と。しばらく間をおいての芽吹きの活力は、久々に活気を取
り戻したような校舎の影に重なります。まだ、夏休みも、そ
して夏の暑さも勢いも続きそうです。

篝さす鵜匠の顔の穏やかさ     柘植 草風
暗い水面に焚く篝火の明るさから、鵜匠の表情も垣間見え
たのでしょう。そこには、船縁に立ち、確かな手捌きで鵜縄
を操る鵜匠の姿があります。穏やかな表情をした鵜匠の手に
ある熟練の技。近頃は若い外国人女性の鵜匠も誕生している
とか。伝統の技は国際化の中で着実に引き継がれていくよう
です。

甚平が赤子を抱いて困りをり     水野由美子
一読、首もまだ据わっていない乳児を腕にした男性の姿が
目にみえるようです。かわいいはかわいいのですが、あまり
にいたいけで、重い命のその軽さに、ちょっと臆しているの
でしょう。端で見ている女性陣は、そんな様子をゆとりをもっ
て眺め、少しおもしろがっているのかもしれません。それは、
とても幸せな光景。家庭の明るく温かい雰囲気と、甚平のも
つ室内着としての日常感と。季語の本意に適う作品です。

蟇鳴いて乳鋲小さき薬医門     近藤くるみ
岡崎、天恩寺での吟。この山門は現存する薬医門の中では、
日本最古のもの。乳鋲は釘などの頭を隠すための飾り金具で
すが、子孫繁栄の願いもあってお乳の形になっているとか。
歴史あるお寺には、主のような蟇蛙が隠れ棲み、時折は鳴く
のでしょう。鳴嚢をもたない蟇蛙は、「げろげろ」ではなく、
「あぅ、あぅ」というように小さく鳴くのだと聞いたことが
あります。由緒ある寺の門の、小さな細工に目を留めた作者
の観察眼が光る一句です。

一句一会    川嵜昭典


緑蔭に聖者のごとくをられけり     岩岡 中正
(『俳句四季』八月号より)
「聖者」という言葉は、いろいろな人物像を想像させるが、
高貴な、高潔な人物というよりは、作者の心に、爽やかな風
を運んでくれるような、穏やかで優しい人物なのだろう。そ
れは「緑蔭」という季語の力による。憧れの人、尊敬する人
を心の中に持つということが最近ではあまり流行らなくなっ
てしまったようにも思えるが、そのような人を持つことは、
自身の心を一段と高くさせる。暑いさ中の、爽やかな一句。

八月や果実のやうに嬰量る     西山ゆりこ
(『俳句四季』八月号「青の果実」より)
八月は、一年のうちでも最もエネルギーを感じさせる月。
子の成長を喜びつつ暮らしていれば尚更だろう。この句の眼
目は「果実のやうに」という表現で、赤ん坊という、触れれ
ば壊れてしまいそうなものに対するいたわりや、体の瑞々し
さ、また美しいものを授かったという感謝、そんな感情が詰
まっている。八月という季節に、そんな大切なものの体を量
るという行為自体が─ 体重を量ることは当たり前の行為な
のだが─何か神聖で、崇高な行為のように思えてくる。

一つ消えて二つ生まるる春の雲     有馬 五浪
(『俳句四季』八月号「入院」より)
いかにも春の景色。「一つ消えて二つ生まるる」という言
葉に、命の繰り返しに対する、穏やかな願望が感じられる。
これが「秋の雲」であったならば、作者は自身の命に対する
寂寥を感じているようにも思えるが、「春の雲」であれば、
作者自身を超えた、人間全体の命の繋がりを詠んでいるよう
に感じられる。従って「春の」は動かない。

人間の為すまゝ神輿揺れてゐし     大牧  広
(『俳句』九月号「螢火」より)
神輿はわざと荒々しく揺さぶって練り歩いたり、激しくぶ
つけたりすることもあるらしいが、そのような決め事とはま
た違う意味を感じさせる句。そもそも神に対して人は、畏れ
るという気持ちがあり、それが祭などの神事に発展していき、
神輿の練り歩きもできてきたのだと思うが、掲句の「人間の
為すまゝ」というのは、今日の、神を─自然を─畏れぬ人
間の振る舞いを表しているように感じられる、というのは言
い過ぎだろうか。下五の「揺れてゐし」は、そのような人間
に翻弄される神の心のうちのようだ。また一方、俳句という
のは、神や自然を畏れる心から生まれるものでもあるという
ことに、ふと気づかされる。

おととしと同じところに秋の蛇     武藤 紀子
(『俳壇』九月号「秋の蛇」より)
この句がいかにも俳句的で面白いのは、去年ではなく「お
ととし」という言葉であると思う。毎年その場所へ行き、蛇
と出会っているのであるのならば、取り立てて書くこともな
いだろう。しかし、おととしということであると、久々にそ
の場所に行き、たまたま、全くの偶然に、蛇に出会ったとい
うニュアンスが伝わる。もしかするともう来年以降はその場
所には行かない可能性もあり、また行ったとしても蛇には出
会わないかもしれない、という一回性を読者に感じさせるこ
ととなる。この一回性が詩となっている。出会いという偶然
の賜物の面白さを感じさせる句。

新米やくらしに使ふ富士の水     渡井 恵子
(『俳壇』九月号「富士の水」より)
日常で扱うものこそ、気持ちよく、爽やかなものでありた
い。そういう意味で、掲句の「富士の水」は、この上なく心
地よいものである。その上で作者の喜びを感じるのはやはり
「新米」であり、それは日常に更に新しい日常が交錯した瞬
間だ。日常の心地よい暮らしの中に、はっとした喜びと幸せ
が訪れた瞬間を捉えた句だと思う。

天の川見えたと旅の子のメール     大輪 靖宏
(『俳壇』九月号「月の道」より)
天の川は今ではもう、見ようと思ってどこかへ行かなけれ
ば見えないものになってしまい、「更け行くや水田の上の天
の河 惟然」のような、日常的で親しみのある天の川ではな
くなってしまった。天の川は、例えば北極や南極のように、
知識としては知っているものであり、それなりの場所へ行か
ないと体験できないもの、そんな憧れを含んだ意味合いの語
になってきているように思う。すなわち「旅の子」の世代に
とって、天の川もまた、そんな新しい世界の発見のようなも
のであるのだろう。そうすると掲句の「メール」という、日
本語では比較的新しい言葉が、生々しく響いてくる。作者は
このメールに、以前のような天の川ではない、現在の天の川
の意味を感じたのであり、だからこそこのメールという言葉
も、実感を持つ。メールという言葉を使うことによって、作
者の胸の内には、現在の天の川が流れることとなる。時代に
よって少しずつ変わっていく言葉を捉えた一句。