No.1032 平成30年4月号

馬刀掘るや礁の影の忘れ汐  うしほ

清洲城さくらまつり
 清須市にある清洲城(写真)では、3月下旬から4月上旬にかけて桜祭りが行なわれる。清洲城は、かつては織田信長の居城でもあった。信長が小牧山城に移るまで在城していた。この城の周辺が、花見のスポットになっている。遊歩道の桜並木、さらにお城の天守閣からの眺めもよい。期間中は商工会主催の露店が出たりして賑わう。夜も提灯が吊り下げられて賑わう。(城は夜間営業はしない)。所在地・清洲市朝日城屋敷1-1。城の入場料大人 300 円、小人 150 円。駐車場あり 113 台。問合せ☎ 052-400-2911。 写真撮影(カラー)・プリント・文 柘植草風

流 水 抄   加古宗也


むかごぼろぼろ零れ佐吉の生誕地
木の実時雨や山墓といふが立つ
秋雲や海に向き立つ砦寺
おみやげは石巻の柿たんと買ふ
佐吉最初の発明は「バッタンハタコ」という半自動のもの
木の実降るやバッタンハタゴの踏み心地
落葉掻きをる園丁の優しき目
木枯一号吹いて大庿遥拝所
瀧音に目遣れば冬の黄鶺鴒
冬梅や下枝に結ぶみくじ殻
群馬県、少林山達磨寺吟行
柞落葉や少林山晴るる
朴落葉いつもせせらぐ渓の水
小春日や抱いてぬくとき大達磨
小春日や沓脱に置く左鎌
この里をタウトも愛し落葉径
落葉山下りタウトのデスマスク
義央忌近づく
吉良寺の師走の鐘はねんごろに
坐る位置変へ歳晩の日を浴びる
吉良山の日当りながら眠りけり
山寺の落葉溜りに日の温み
神留守の洗心の水乾き切る
冬ざれや林泉いつも小暗くて
猿投神社参拝
左鎌絵馬として掛け小春凪
一と畝は水仙ばかり岳に雪
十二月八日拍手強く打つ
十二月八日大義とは何ぞ
京都・東山珍皇寺
十二月八日閻魔の逆さ鐘
十二月八日鴉の馬鹿騒ぎ
この島に二つの港百合鴎
烏賊焼にきだまり匂ひ師走市
霜月や家鴨黄色き嘴を持つ
真珠筏や冬の月恍とあり
熱々や狸のゐない狸汁
凍雲や輓馬の脚の太々と
喪に服す日々にも倦みて鍋囲む
闇汁や箸に余れる油揚げ

真珠抄四月号より珠玉三十句 加古宗也推薦


赤鬼の楽しさうなる鬼やらひ    田口 茉於
潮入り川に針魚の群光る      近藤くるみ
詩は志青年よ青き踏め       牧野 暁行
茶を運ぶからくり唐子日脚伸ぶ   石崎 白泉
春待つや芯さみどりの和らうそく  大澤 萌衣
熊穴に入る図書館に好きな席    鶴田 和美
水漬きたる菖蒲田の枯れじんじんと 工藤 弘子
前触れは氷湖の唸り御神渡     今井 和子
底冷ゆる関所破りの科一覧     田口 風子
尖るとは身を守るかたち冬木の芽  堀田 朋子
綿虫をまばたきの間に見失ふ    東浦津也子
悴む手黒ネクタイを結べずに    村松 哲也
人日や年金がある生きとれと    岡田 季男
初松籟厩橋城土塁跡        新部とし子
葛湯吹く宴のあとの淋しさに    斉藤 浩美
凶みくじ回収の函風二月      髙橋 冬竹
影もまた襟立ててゐる春コート   川嵜 昭典
臘梅の色より透けて昼の月     丹波美代子
まだ生きるまだ大丈夫蕗の薹    島崎多津恵
日を浴びて笊の春子の伸び縮み   服部 喜子
冬灯す病棟に脳切断図       桑山 撫子
自転車でぎしぎしと来て鬼やらひ  高濱 聡光
娘よりスカート届く春立つ日    深谷 久子
雪掻きの父に一礼登校す      加島 照子
凍る夜や送電鉄塔灯の赤き     村上いちみ
上向いて水飲む小鳥春近し     岩瀬うえの
窓辺の日揺るるフリルのシクラメン 平井  香
寒明や尺八で聴く春の海      加島 孝允
インフルエンザ三歳児より貰ひけり 水谷  螢
落葉径ゆく陵はこの奥に      奥村 頼子

選後余滴  加古宗也


轟くは神の沓音御神渡      今井 知子
長野県諏訪地方の冬は厳しい。その象徴的な自然界でので
きごとに「御神渡り(おみわたり)」がある。これは諏訪湖で
ことにみられる現象で、湖面が氷結したあとさらに厳しい寒
さが続くと、放射冷却とあいまって湖面が盛り上がり氷の道
ができあがることをいう。すでに十四世紀ころからの記録が
遺っているという。ちょうど御神渡りができる諏訪湖の両端
に諏訪大社の上社と下社があることから、おのずと伝説も生
まれている。上社の男神が下社の女神に会うために出かけて
いった跡だというのだ。上掲の句はこの伝説を踏まえたもので
神渡りが生じるときには、かなり大きな音が湖面から聞こえ
るようだ。それを「神の沓音」と聞き取ったのは見事に面白い。
ちなみに「御神渡り」が生じたかどうかの判定は諏訪市内
の八剱神社の宮坂宮司と氏子総代で決めるとかで、判定が決
まると諏訪大社に報告され、諏訪大社はさらに宮内庁と気象
庁に報告することになっているようだ。中七までの措辞によっ
て、十分なスケール感を詠み得ただけでなく、人間の意志を
超えた神との語らいをも実現している。

茶を運ぶからくり唐子日脚伸ぶ     石崎 白泉
からくり人形の高度な仕組みは日本人の発明能力の高さを
示すものとして、あらためて世界の技術者から注目されてい
る。からくり人形は単独のものも無論あるが、京都・高山を
はじめ全国の山車(だし)と一体となって庶民に親しまれて
きた。「茶を運ぶからくり唐子」とは犬山市内の玉屋庄兵衛の
工房で見たのが私の初見で、唐子の手に乗った茶碗に茶を注
ぐと、つかつかつかと客人の前に茶を運び、それを手渡すと
ユーターンしてくるという優れたものだった。自動織機を発
明した豊田佐吉はからくり人形から自動化のヒントを得たと
いい、さらに自動車にもこの技術が応用されているという。「日
脚伸ぶ」という季語によって、からくり人形の動きがほほえ
ましいと思っただけでなく、日本人の持つ技術力にも誇りを
感じたのに違いない。

白足袋の爪先までも女形     大澤 萌衣
役者、中でも歌舞伎役者は手先、足先まで演じ切れて初め
て本物であることをこの句は語っている。白足袋ゆえにその
動きがくっきりと見える。女形ゆえに、いよいよ役者は全神
経をそこに集中するのだろう。「爪先までも女形」とはおんな
になり切っている役者に驚きを隠さない措辞だ。

下張は掛帳芸者屋の襖     田口 風子
永井荷風の『四畳半襖の下張』を『面白半分』という雑誌
にたしかもう四十年ほど前になるが作家・野坂昭如が翻刻し
たことがある。それを警察が猥褻(わいせつ)文書として発
禁にし裁判になった。そもそもこの猥褻という意味はなかな
かむつかしく、Aにとって猥褻でもBにとっては何でもない
ことだったりする。すったもんだしたあげく、「善道の大人」の
国語力では、かなりむつかしい文体のため理解にほど遠い代
物だということで、野坂は無罪になったように記憶している。
そもそもまともに読めないのだから、その文章で性的な刺激
興奮など受けようはずもない、というのが結論だった。
さて、掲出句だが、下張から芸者やの掛帳が出てきたとい
うのだ。この意外性こそ句の眼目で、ついくすくすと笑いが
出てしまう。掛けで芸者遊びをしていたというのも、のんび
りとしたよき時代があったという証左として楽しい。そんな
花柳界も今は昔話しになろうとしている。

詩は志青年よ青き踏め     牧野 暁行
やや大仰な言い回しが、逆に懐かしく、それでいてふと、
真実を衝かれた思いがして襟を正さずにはいられない。こう
いう俳句が自づと口をついて出てくるのも元校長の矜持とい
うべだろう。その志が美しい。

待春や夫と乾したる赤ワイン     工藤 弘子
夫婦はときに新婚時代にタイムスリップしてみるのもいい。
二人きりの夕食時など絶好のタイミングで、あのときのこと
このときのことと次々に話題が展開して、ふと気づいたら、
赤ワインのボトルを一本乾していたというのだろう。その時
の愉しさは解放感にも似ていて、すっかり若さを取り戻して
いる。明日への力が湧いてくる。

寒明や尺八で聴く春の海     加島 孝充
ここにいう「春の海」は宮城道雄が作曲した楽曲のことだ
ろう。もともとは筝曲として作曲されたものだろうが、尺八
で聴くのもまた心地よいものだろう。「春の海」に酔い痴れて、
ふと気づいたときにはすっかり春の海に漂っている作者なの
だ。寒が明けたという安堵感がそれを自然のものとしている。
ちなみに、宮城道雄はこの曲を広島県の鞆ノ浦で作ったと聞
いた。あの穏やかな波音から「春の海」が生まれたと思った
とき、私の心の中にもあの楽曲が流れ出した。

上向いて水飲む小鳥春近し     岩瀬うえの
庭の蹲踞にやってきた小鳥が直ぐに水を飲み始める。そし
て水を含むと嘴を天に向ける。嘴は半開きだ。そして、すぐ
水に嘴を突っ込む。その仕種の可愛らしさはもう春。

竹林のせせらぎ  今泉かの子

青竹集・翠竹集作品鑑賞(二月号より)


寒菊や梵字一字の墓を訪ふ     今井 和子
「葬式無用戒名不要」の遺言どおり、白州次郎、正子の墓
には梵字一字が刻まれています。独自の美学を貫いた生前の
生き方が偲ばれるような、いたって簡素な二つの墓。その質
朴ともいえる墓のありようと、寒中にあって花を咲かせる菊
の潔い美しさ。寒菊のもつ硬質な音のひびきが、墓所の静謐
さの中に響いているようです。

石蕗咲くや砂地を区切る葛石     川端 庸子
作庭家、重森三玲が東福寺につくったのは、禅寺の影響も
あるのか、古材を再利用した斬新な庭です。その一つがサツ
キと白川砂の市松模様の庭。砂地部分を直線に区切るように
縁に使われたのが葛石です。升目を仕切るのに葛石は適して
いたのでしょう。サツキの緑と砂地の白のコントラストが美
しい庭に、さらに黄色の石蕗の花の鮮明さが生きています。

住職の障子洗ふ手拭きつ来る     田口 風子
「説明を求めれば」の前書きのある一句。「障子洗ふ」とは
縁遠くなってしまった今の生活ですが、吟行の際目にした一
こまを切り取り臨場感のある一句に仕立てられました。まさ
に即吟の妙。句の背後に住職自らが障子を洗うという寺の大
きさや、また人柄までも感じられる奥行きのある作品です。

ペン胼胝の指に指置く霜夜かな     服部くらら
ペン胼胝のできた指を労るように自らの指を重ねたので
しょう。胼胝のできるほど使ってきたこの指。慈しむように
指を置く小さな行為は、冷たさからそっと身を守るようでも
あります。霜の降りてきそうな静かな夜。今夜はことのほか
冷え込むようです。

冬の星ひとつ落ちルームキー置く     大澤 萌衣
どこか旅先のホテルで部屋に戻り、キーを置いたときの
ほっとした感慨でしょうか。冴え冴えと鮮やかに見える冬の
星。その星が落ちたというのは、流れて一つ光を失ったとい
うことでしょうか。ちょっぴりの淋しさ、切なさ、それとも
見届けた安堵…。読み手各々にとらえられる一句の広がりが
魅力。

部屋小春国旗補修のねんごろに     稲垣 まき
近頃は国旗を掲げる民家はほとんど見なくなりましたが、
その国旗を丁寧に繕われている作者。大切に補修する国旗に、
来し方も重なります。部屋にあふれる陽の光の中、針を持つ
作者のこまやかな心遣いとともに、しっとりとした充足感も
伝わります。

鳩文字の鳩飛ぶ構へ寺小春     長村 道子
こちらの小春は元気あふれるほどの陽気に、文字の中の鳩
さえ飛び立つかのようです。この鳩字は、善光寺と書かれた
三文字の中に鳩の姿が隠されている、遊び心あふれるもの。
善光寺への挨拶句でもあり、信濃の空の広さ青さも感じます。

片意地を張って海鼠のこの硬さ     島崎多津恵
もう、おもしろい!ぐっときます。硬さを詠みながらこの
しなやかな詠みっぷり。海鼠の硬さに嘆息しながら、それで
も作者にとって愛すべき海鼠なのでしょう。手強くも美味な
る海鼠とは、一体、なにもの?あれこれ愉しい想像が広がり
ます。海鼠は海鼠にしてあらず。けれど、一句の中で季語「海
鼠」は動きません。

冬の蒲公英あつち見てこつち見て     川嵜 昭典
一読、あちこちに咲くタンポポの花に心躍る様子の作者が
目にみえるようです。あまり色のない、冬の大地に鮮やかな
黄の色を配したかのように咲くタンポポ。冬の冷気に抗して
北風に耐えて、地にはり付くように花を広げている蒲公英に
きっと元気を貰ったことでしょう。

今日の落葉昨日の落葉踏みにけり     水野 幸子
確かに今日の落葉の下には昨日の落葉が重なり、また場所
によっては時の流れが混ざり合って葉は落ちています。ゆっ
くりと落ち葉を踏むその足どりは、その音を、感触を味わい
楽しむかのようです。そのように日に日を重ね、今日の新し
い落ち葉をまた踏んで、人は歩き続けていくのですね。

病窓に萩咲いてると笑ってた     筒井まさ子
昨年八月号で「春寒の寝たまま沈む湯船かな」(筒井万司)
を取り上げさせて頂き、同じ八月、万司様ご逝去の報せに驚
きました。掲句は在りし日の氏のご様子。「萩咲いてると笑っ
てた」の普段の言葉に、日常を共にされ歩んで来られた普段
の日々を思います。故人を悼む哀切の念は消えずとも、それ
でも、思い出のなかの亡き人が笑顔であることは、きっと幸
せなことに違いありません。「笑ってた」の言い切りの形が
切なくもあり、そこにほのぼのとした温もりも感じる秀句で
す。

綿菓子の置きどころ無くポインセチア     岩瀬うえの
何だか不思議におもしろい。綿菓子とポインセチアの妙。
とらえようのない淡い色と自己主張の強い濃い赤。お祭りの
和のイメージとクリスマスの洋。置き所のない不安定感と鉢
植えの存在感等々、対比のおもしろさはもちろん、理屈や因
果関係ではない、共鳴する世界のおもしろさ。

俳句常夜灯   堀田朋子


噛むほどにあきらめの増す海鼠かな     小川 雪魚
(『俳句四季』二月号「冬の蝶」より)
瀬戸内海沿の町に育った私には、冬季の海鼠は親しみのあ
る珍味だ。海鼠は、ヒトデなど無脊椎動物の仲間だ。よって
生前はぷにょぷにょしている。ところが、塩を擦り付けてぬ
めりを取るうちに硬くしこってくる。薄くスライスして酢の
物にする。柚子の皮を散らして酒の肴に食せば、しこしこと
歯茎を刺激する。その食感こそが海鼠酢の神髄だ。
作者は今、海鼠を噛んでいる。一噛一噛が海鼠とのせめぎ
合いだ。やがて海鼠は柔らかく噛み潰されて、作者の臓腑へ
嚥下される。その一連の経過を、「あきらめの増す」とは絶
妙の修辞だと思う。「かな」の詠嘆が、海鼠とは諦めるに聡
い生き物かもしれないと思わせる。もしかしたら作者も、諦
めねばならない何かを抱えているのかもしれない。岩場や海
底を這う海鼠に、何か親近感が湧いてくるようだ。

きさらぎのソリスト弦よりも撓る     花谷  清
(『俳壇』二月号「謝肉祭」より)
なんと言っても「きさらぎ」がよく効いている。「きさらぎ」
は危険な季語の一つだと思う。ただ当季だというだけで安易
に使ってしまっても、なんとなく様になってしまうから。陽
暦でほぼ三月、仲春、春が熟し始めた頃、その中に冴え返る
冷たさを包含しているのが、この季語の本意だ。
奏者の身体は今、弦よりも撓っているという。「きさらぎ」
の語感の美しさが、心と身体が合同して一心に一つ事に向か
う時の透明感を立上らせている。「撓る」とは力をためること。
奏者には心に期するものがあるのかもしれない。作者は、そ
の心意気を感じ取っているのだろう。「きさらぎ」という季
語の斡旋には、やがて来る良きことへの希望を感じる。

木か人か墓か八月の逆光     中村  遥
(『俳壇』二月号「生身魂」より)
逆光に人の瞳はすこぶる弱い。防御のため瞳孔を通る光量
を絞ると、目前のものは色彩を失い、形状も朧な影となる。
光が強ければ余計に曖昧になる。意外にも太陽光が最も強い
のは、五月頃らしい。けれど、日本人にとって光と影に最も
思い入れのある月は、やはり八月だと思う。だから掲句の「八
月」は動かない。眼前のものが「木か人か墓か」見分けるこ
との出来ない不安。それが何であるかなんてどうでもよいと
いう諦観。戦中派であろうと戦後派であろうと、つくづく日
本人は、あの「八月」を共有していることを確認させられる。
「八月」を詠むことの意味を思う。

群青の夏帯われの吃水線     山本  菫
(『俳壇』二月号「蝶の昼」より)
断定の句。作者は紗か絽か羅を纏い「群青の夏帯」を胸元
の真下にきりりと締めている。身も心も心地よく凛としてい
る。その帯を「吃水線」に例える面白さに目が覚める。
吃水線とは、水に浮かんでいる船腹が水面に接する分界線
とある。水面の上に出て見えている部分と水面下に隠れてい
る部分の二つのものが、作者の身体にも存在するということ
だろう。感情と理性。冷静と情熱。合理と非合理。俗な言い
方をすれば、上半身と下半身と言うこともできるだろう。人
は自己内部に相反するものを抱えながら生きている。それら
の居り合う所が「吃水線」なのだ。同じ女として共感する。
自己を客観視しつつ、背筋をすっと伸ばしておられる作者の
姿に惚れ惚れとする。

仮の世の仮の世らしくミモザ咲く     渡辺誠一郎
(『俳句四季』二月号「季語を詠む」より)
「仮の世」を辞書は〝無常なこの世・はかない現世〟と教
えてくれる。仏教に由来するのかもしれない。新古今和歌集
に登場するようなので、きっと日本人の深部に消化されてい
る情緒なのだろう。何故か惹かれてしまう。繰り返す詠み振
りに軽みを感じる。俳句なのだから難しく考えることもない
だろう。〝どう生きても仮の世なのだ。思う存分力の及ぶ限
りを尽くして生きよう〟ということではなかろうか。
ミモザの木はけっこう大きくなるが、枝という枝に真っ黄
色の花を懸命に咲かせる。〝今しかない、こうするしか術が
ない〟とでも言いたげな咲き振りに、作者は圧倒され羨望さ
れたのだと思う。ミモザは江戸時代に庭木として外来し、西
洋的なイメージを持つ。とりわけキリスト教と関連付けて詠
まれることが多いようだ。掲句は、ミモザのみを凝視して詠
まれた句として出色だと思う。

海の家夕日の箱となりにけり     山根 真矢
(『俳壇』二月号「硝子瓶」より)
ひとしきり海遊びに興じた後の夕方。人影も退いた海岸に
ぽつねんと残っている作者。遊び疲れの快い倦怠感が、目の
前の光景を神秘的にする。小さな「海の家」が夕日に照り輝
いている。海、砂浜、山、木々といった自然物の中に、人工
物である海の家だけが浮かび上がっている。「夕日の箱」と
いう比喩が少しの疑問もなく心に入って来る。もちろん作者
がその箱の内部に、光のるつぼにいるとしてもいいだろう。
「となりにけり」という静かな詠み下しに、静謐・郷愁といっ
たものを感じ取ることができる。何故か形而上絵画のキリコ
の絵を思い出した。掲句の光景に出会う時、人は現実、ひい
ては自己自身からも解放されているのではないだろうか。