草刈や神衣着けたる男たち うしほ
御田神社御田植祭
熱田神宮内の御田神社では、五穀豊穣を願って、毎年 6 月18 日に神宮内の御田神社(みたじんじゃ)前で斎田に植えられる玉苗が供えられ、斎主による祝詞奏上の後、緋袴、緋襷、に挿頭花(かざし)を付けた早乙女(巫女)による優雅な田舞が行われる(写真)。この玉苗は、 6月上旬に緑区大高町にある氷神姉子神社の大高斎田に植えられる。所在地・名古屋市熱田神宮内の御田神社。名鉄神宮前駅より徒歩 5 分。問合せ☎ 052-671-0852。写真撮影(カラー)・プリント・文 柘植草風
流 水 抄 加古宗也
尾﨑士郎生家跡
士郎忌の吉良やさんしゆゆまだ蕾
蕗のたうポケットに摘み瓢々忌
風二月勝かち石を墓で売る
梅二月寺銭箱を蔵す寺
周作を狐狸庵と呼び亀鳴けり
高浜虚子忌
椿寿忌の椿彫りある丸火鉢
人参や貝殻まじる洲崎畑
梅茶屋のこんがり焼けし五平餅
清正の股間や鳩の恋をして
菜の花や今は昔の転轍機
補陀落や沈丁の香のどこからか
菜の花や明日を見据ゑる司馬史観
たんぽぽや閉されしままの川番屋
種袋振りつつ命確かむる
観梅やアップダウンの多き村
桃の日や絆育てて手巻寿司
青饅や屋号染め抜く大暖簾
真珠抄六月号より珠玉三十句 加古宗也推薦
白桧會の森に根開き春の山 山田 和男
御開扉の業平朝臣さへづれり 今井 和子
水をゆらして蝌蚪に足出はじめる 奥村 頼子
春雷とらふ黒曜石の矢尻 大澤 萌衣
ドアベルの音に遅れて春コート 高濱 聡光
子と犬の足跡つづく桜貝 髙橋より子
池田屋の跡の池田屋菜飯茶屋 天野れい子
筍を探す地下足袋古りて良し 岡田 季男
村を分けあひ桃の花梨の花 堀田 朋子
天指せる細き御指へ五香水 工藤 弘子
四月馬鹿長男卵むき下手で 桑山 撫子
病持つ夫やさしかり雛の宵 東浦津也子
棚霞底にきらきら光る街 平井 香
案外に座持ちは確か新社員 加島 孝充
賜りし余生や初音初曽孫 村上いちみ
雪のこと話し一拍待つ床屋 鶴田 和美
均されし円墳あまた青き踏む 堀口 忠男
桜貝赤子の爪の軟らかき 島崎多津恵
花冷やクレーンで仕上ぐ一戸建て 服部 喜子
土塊を十指でほぐしパセリ蒔く 沢戸美代子
観梅の足裏にやさしチップ道 新部とし子
地球儀のほこりを払う昭和の日 加藤 久子
大根干す一字凡て星野姓 監物 幸女
己が身を抱き囀りにずぶ濡れて 勝山 伸子
朝ざくら生母を看とる若き女医 堀尾 幸平
春蘭や花芽を数ふ声のして 春山 泉
亀鳴くを子等と聴きをり屈みをり 重留 香苗
春暁の枕辺にある旅ごろも 湯本 明子
面倒見よき人亡くす名草の芽 髙相 光穂
首都高速下に船宿鴨帰る 市川 栄司
選後余滴 加古宗也
水をゆらして蝌蚪に足出はじめる 奥村 頼子
春の池辺りに腰を沈めて、水面を眺めているときの心地よ
さは、何にも代えがたいものがある。ぽかぽかと暖かい昼下
がりなど、極楽浄土とはこんなところかも、とすら思えてくる。
童心はかすかな自然界の変化にも敏感に呼応する。おたまじゃ
くしが蛙に変身する瞬間を静かな感動とともに捕えている。
生臭し乗込川の真昼間 牧野 暁行
鮒や鯉が産卵するために浅瀬に上がってくることを「乗込
み」という。その勢いはすさまじく、溝川から田んぼにまで、
ときに大きな音をたてて、重なり合い盛り上がりして浅瀬を
めざす。産卵による匂い、川の匂いが混じりあって、独得の
匂いを発する。それは同時に鮒や鯉が種を維持するための闘
いともとれるので、その匂いは生命の根源にかかわっている
ようにも見る。「生臭し」の措辞によって、生きるという意味
を、あらためて問われているようにも読める。
仲良しの従姉妹はみんな鳥雲に 東浦津也子
「鳥雲に」は「鳥雲に入る」を短くしたもので、春の渡り鳥
のこと。ちょうど春のお彼岸の頃と重なり合う季節というこ
ともあって、自然に幽明を異にした従姉妹たちへの思慕と追
慕の念が凝縮された季語として斡旋されている。「仲良しの」
という措辞に、かつて普通にあった親族・家族の絆が心地よ
く詩語となっていることに気づかされる。
種袋しやかしやか地層より化石 大澤 萌衣
「種袋しやかしやか」とは、これから蒔こうとする種の袋を
振っているときに発する音を表現していることはいうまでも
ないが、種の重さ、生命までもが何となく聞こえてくるのは
面白い。そして、いま種を蒔こうとしている大地のすぐ下か
らいくつか化石が見つかっているというのだろう。群馬県は
古代史の宝庫で、関東地方で最も古墳の多いところだという。
さらに古代人の生きた証がおびただしい数発見されている。
例えば岩宿遺蹟などがそうだ。化石というと人類が現れる前
に生物がいた証などであり、いま種を蒔かんとしている大地
には途方もない生き物の歴史があることを化石によって気づ
かされている。にもかかわらず「しやかしやか」なのだ。こ
う読んでくると俳句という文芸は五七五という枠を持ちなが
ら、宇宙をも表現できる文芸であることを気づかされる。《春
雷といらふ黒曜石の矢尻》の矢尻を岩宿の資料館で前橋・山
紫会の吟行会の折りに見せていただいたことがある。
案外に座持ちは確か新社員 加島 孝允
ベテランの社員というのは、新入社員の評価をついついし
てしまうものだ。まあこのことは及第点、このことはバッテ
ンといった具合だ。そして、その多くは新入社員の将来を心
配しての心づかいが多いことはいうまでもない。そして、こ
の句「案外に座持ちは確か」と意外なところに合格点を付け
ているのが面白い。しかも、「案外に」は一級の評価。
観音の御足遊ばせ花の昼 今井 和子
観音の遊び足、観音のひねり腰など北近江の渡岸寺(どう
がんじ)の観音が有名なのだが、それは衆生が緊急事態に遭
遇したときに、素早く対応するのにかなったポーズとされて
いるが、掲出の句には、そんな深刻さはなく、花に浮かれて
外に飛び出しそうな気配を見せているようだ。「遊び足」に新
解釈を加えたのはお手柄というべきか。これもまた俳句なれ
ばの面白さだ。
子と犬の足跡つづく桜貝 高橋より子
浜辺に出て、素足で歩く心地よさは格別だ。さらにさくら
貝を拾うという目的が加わればさらに楽しい。作者が愛する
鎌倉の湘南海岸だとすると、その心地よさはさらに大きなも
のになる。
白桧曾の森に根開き春の山 山田 和男
木曽駒ケ岳は長野県南部の木曽山脈の主峰で、標高
二九五六メートル。日本最高所にロープウェイの駅を持つこ
とで知られると同時に、春・夏・秋・冬を問わずロープウェ
イが運行している。下界が一面の春景であるときも、頂上駅
に降り立つと一面に白銀の世界。地吹雪が頬を打つ。それで
も春ともなると、白桧曾の群落には春の気配が感じられる。
その一つが「根開き」。白桧曾の根本の周辺の雪が円く抜けて
おり、山肌が見える。久しく、この現象は春になって木の温
みが増し、根回りの雪を溶かすのだと思っていた。ところが、
そうではなく、春になると降雪量がどっと減るのに対して、
風は、相変わらず強く、根回りの雪を吹き飛ばしてしまうの
だという。そういう現象を「根開き」と地元では呼んでいる
ようだ。地方、独得の言葉として、将来、季語に成長させた
いものだと思う。
池田屋の跡の池田屋菜飯茶屋 天野れい子
京都池田屋といえば幕末の英雄、坂本龍馬が暗殺されたと
ころとして余りにも有名。その池田屋がいまは茶屋になって
いるというのだ。暗殺と茶屋の落差が面白い。
竹林のせせらぎ 今泉かの子
青竹集・翠竹集作品鑑賞(四月号より)
清正石に聴く潮騒や梅日和 渡邊たけし
海から遠い尾張名古屋の地にあって、潮騒を聴く詩心。加
藤清正は築城の名手として知られ、名古屋城には扇を広げて
立つ「清正石曳きの像」や「清正石」と呼ばれる巨石があり
ます。黒田長政との謂れもありますが、この大きな石に作者
は遥かな海の波音を聴いたのです。梅も咲く、春のお日和に
恵まれたひと日、かつて石を曳いたそのかけ声に交じって、
波のたち騒ぐ響きが、時空を超えて、束の間、耳に届いたの
かもしれません。
春疑はず駆け寄りし子の鼓動 服部くらら
なんとみずみずしい。我が元へ走り寄ってきた子の息づか
いはまさしく春を伝えるもの。駆け寄って来た子の、その勢
いさながら、句の調べも軽やかで爽快感にあふれています。
「バスを待ち大路の春を疑わず」(石田破郷)のゆったりとし
た調べとはまた別の、生命力をもった健やかさが伝わります。
なやらひの鬼の行方を問ふをさな 湯本 明子
「な」に始まって「な」に終わる、ひらがなのもつ柔らか
さが生きています。疫難をやらう(追い払う)象徴として鬼
は外へ追い出し、春に向けて福を呼び込む鬼やらい。暗い外
へ出された鬼の行方をおさな子は案じたのです。いたいけな
子の素朴な疑問に発想の初々しさを感じます。
立春を祝ふお手紙もらひけり 鈴木 里士
長い冬を抜け今日から立春。明るい陽光の降り注ぐ春が始
まります。旧暦では一年の始まり、まさにめでたいお正月。
春の到来をことほぐお便りを受け取った作者。その素直な喜
びが「けり」に表れ、平易な言葉に作者のほのぼのとしたや
さしい心持ちが表れています。
山門も耳門も開けて春を待つ 米津季恵野
待春の思いがストレートに表され、明るい開放感が広がり
ます。広辞苑によれば、「耳門」は①耳の孔の口②くぐり戸。
①②どちらの意にとっても、大きな山門に対しての、小さな
入り口です。その両方を開けて「どうぞ、来て」のウエルカ
ム感。声に出して読んでも軽やかなリズムが明るく響きます。
結末のどうでもよくて花粉症 田口 茉於
中七のこの投げやりな感じが、何とも耐え難い花粉症のつ
らさを物語っています。目のむずむず、鼻のぐじゅぐじゅ。
ひどくなると、夜もぐっすり眠れない、という花粉症。四の
五のいわない強さもあります。薬を服用して何とかしのいで
いる身に、まさに共感の一句。
皆既月食ととのえて北風吹けり 冨永 幸子
月が地球の影に完全に入りこむ皆既月食。今年の一月末日、
日本各地で、月食の始めから終わりまでの全過程を見届けら
れる、皆既月食が起こりました。実際には、月は見えなくな
るのではなく、赤く暗い色を帯びた不思議な月でした。また
一月二日の満月に続き、二回目の満月となった「ブルームー
ン」でもあり、赤いブルームーンとなったのです。さて掲句、
「ととのえて」の措辞が絶妙。人知の及ばぬ、おおいなる天
体の運行、自然の摂理がこの五音に託されています。皆既食
に北風の冷たさも加わり、これぞ冬の一夜の天体ショー。
小春日の安楽椅子にいて孤独 高相 光穂
人の心理の不思議。冬なのに春のような暖かさの中にいて、
しかも体を預けて、ゆったりとくつろげる椅子に座っている
のに、たった一人であると孤独を感じてしまう。いまさらな
がらの実感。人はだれも平等に孤独を抱えています。こんな
恵まれたやすらぎのなかに身を置くと、かえってそれが露呈
するのかもしれません。
手作りのお茶杓拝領瓢々忌 成瀬 早苗
尾﨑士郎の忌日である瓢々忌は、今年で三十一回目を迎え
る息の長い句会です。支えているのは吉良町を中心とする地
元西尾の力。句碑開きや句碑祭りはもちろん、普段でも気軽
にお抹茶をたて、嗜む習慣があるのが西尾です。その茶道具
の一つが茶杓。手作りとなれば、水に漬けたり、熱を加えた
り、またお茶をすくう櫂先の曲げ具合や滑らかさなどの吟味
等々、膨大な作業。そのありがたい茶杓を押し頂いた作者は、
お茶の先生。全くもってお茶処、西尾ならではの一句です。
くくくくとバレンタインの孫笑ふ 三矢ふさ子
「くくと」は皆様ご存知、主宰の鳩ですが、「くくくくと」笑っ
たのはお孫さん。箸が転んでもおかしい年頃なのでしょうか。
バレンタインの日の心のはなやぎに、つられてこちらまで何
だか笑ってしまいそうです。何がおかしいのかわからないけ
れど、その含んだような笑い方に、青春の密やかな感じも伝
わります。
卓上に食後薬と年の豆 石川 茜
心身の健康のために処方された薬と、邪気を祓うためにま
かれた年の豆。それは日進月歩を遂げる近代医療と、今に伝
わる昔からの風習との対比でもあります。大きな時間軸をも
つ二つの取り合わせは、卓の上で、両面から作者の息災を日々
支えているようです。
俳句常夜灯 堀田朋子
蜑の子のふらここ沖へ沖へ漕ぐ 西山 常好
(『俳句四季』四月号「ふらここ」より)
海を臨む公園にあるぶらんこだろう。まだ就学前の小さな
子かもしれない。蜑の母親を持つ子。海に出ている母の帰り
を待っている。もう随分前から、ひとりでぶらんこを漕ぎな
がら待っているらしい。「沖へ沖へ」のリフレインに、母と
子の太い絆が感じられる。小さな子は常に、母に向き、母と
の距離感を意識して生きているのだと思う。
母は今、身体ごと海に委ねて、精神を研ぎ澄ませて働いて
いる。その詳細は分からなくても、海の怖さを肌で知ってい
る子なのだろう。やがて仕事を終えて、こちらへやって来る
母の姿を認めた時のこの子の笑顔が浮かんで来るようだ。
原発へ繋がつてゐる春炬燵 白濱 一羊
打ち寄せしものをまた引く盆の波
(『俳句界』四月号「自選三十句」より)
作者は盛岡に根をおろして、その地より日本と世界を凝視
されている。「自選三十句」全てが、命に繋がる句だと感じる。
掲句は、東日本大震災に繋がる二句だろう。
あれから七年目の春、日常生活の一道具、それも少し所在
ない風情を持つ「春炬燵」と、非日常の禁忌の地である「原
発」とがダイレクトに繋がることに、被災の悲痛がせまる。
魂の深い所に刻まれたものは、日々の何でもない生活の隙を
ついて立ち上がってくるということなのだろう。
「打ち寄せしもの」とは、津波が呑み込んで持ち去ったも
のだ。それ以前にあったものでそれ以降に無くなった全てだ。
「盆の波」であることで、ことさら失命された方々の魂を詠
まれたのだろう。彼らは皆、波に乗ってこの世に帰って来る
のだ。そして波によってあの世へ帰って行くのに違いない。
日本列島の何処に居ても、同じような被災の可能性は拭い
難い。憐憫ではなく、当事者意識を問われているのだと思う。
白菜を割るや黄金曼陀羅図 檜山 哲彦
(『俳壇』四月号「声真白」より)
この世に美しいものは数多ある。白菜を割った時の断面も
その一つに値するだろう。光を帯びたかの一葉一葉が、整然
と順を守って巻いている。中心はまさに黄金色に輝いている。
作者はそこに「曼陀羅図」を発見された。〝ほう〟と思わず
拝みたい気持ちになったのだろう。敬虔な驚きが思い切りよ
い二句切れに表現されている。「や」にどんな異議も挟ませ
ない断定がある。そして私は、その断定に心より共感してい
るのだ。俳句はそれで充分だなと思わせていただいた。
咲き満ちし古代桜の村貧し 大輪 靖宏
(『俳句界』四月号「新作巻頭三句」より)
各地に名を馳す「古代桜」が存在するようだ。近年はネッ
ト情報社会なので、誰かが〝素敵!〟と発信すると、たちま
ち全国から人々が押し寄せてくる。そこに村興しのような妙
味も加わってくることになる。しかし、「古代桜」の方は、
人の世の歓声など意に関せぬに違いない。誰に愛でられよう
が愛でられまいが、その地に根付いた時から千年を超えて咲
き続けて来たのだ。たかだか百年の人間とは次元がちがうの
である。だからこそ、我らを惹きつけてやまないのだろう。
「村貧し」は決して貧しくない。「古代桜」を頂く村に暮ら
す人々の、それへの愛情と自負への羨望を感じる。一年を通
して「古代桜」は、村人達の心に生きる喜びの灯をともし続
けている。そんな〝豊かさ〟を詠まれているのだと思う。
青春の堅さをほどく古セーター 岸本 洋子
(『俳壇』四月号「たぷたぷ」より)
作者は編み物のお得意の方のようだ。今、別の何かに再生
するために古いセーターを解いている。そのうち解いている
のは編み目だけではないことに気づいたのであろう。そう言
えばこのセーター、あの時編んだんだな。母に憤って、ひた
すら編み続けたっけ。これを着てあの人と観た映画があった。
大好きな歌もあった。作者は、「古セーター」が吸い込んで
いる思い出を紐解いているのだ。
教本に首ったけの初学の頃の編み手は、ついつい力が入り
過ぎるもの。出来上がったセーターは、堅く重くなりがちだ。
青春時代の自分の生き様が、セーターの堅さに象徴されてい
るのだろう。自分の心が大切で、不自由な生き様だったなと、
今は笑って諦観できる。勿論、あの頃の「堅さ」も愛しい。
人は物にも魂を宿らせることができる。
「古セーター」から詩が流れ出す。
霜柱音を壊さぬやうに踏む 川村智香子
(『俳壇』四月号「無辺世界」より)
「霜柱」は「踏む」もの。か、どうかは言い切れないが、
人にとって、踏むことで起こる音と、僅かに沈む足裏の感触
は心地良いものだ。誰しも幼い頃から、そうして霜柱を体感
してきただろう。霜柱に対して少し申し訳なさを感じながら
も。愛すべき稚気と言えようか。
掲句の眼目は、「音を壊さぬやうに」にある。本来霜柱が
壊されてこそ起こる音を、壊さないとはどういうことだろう。
一歩一歩確かめるように歩を進める作者。土を持ち上げた霜
柱の一本一本の力を感じている。俳人にとって、「霜柱」の
本質に触れることこそが喜びなのだ。もしかしたら、作者に
は、霜柱が土を遅々と持ち上げる時の音や、やがて日差しに
溶けて行く時の音さえ聴こえているのではなかろうか。