No.1037 平成30年9月号

大霧や校舎の棟の霧たるみ    うしほ

餅  投  げ
9 月最終日曜日に行なわれる愛知県東浦町の村木神社の祭礼では、餅投げが行なわれる。この行事は餅を撒くことで厄を払うという考えから行なわれているようだ。したがって、餅を撒く人たちは、厄年の人たちである(写真)。以前は、餅をそのまま撒いていたが、今では、衛生上の問題からビニール袋で包装されているようだ。それと餅以外の景品も付くようだ。最高の賞には、旅行券とか新米などの豪華な景品もつくそうだ。所在地:知多郡東浦町の村木神社。武豊線森岡駅から徒歩 7 分。問合 ☎ 0562-82-6118 東浦町観光協会。
写真撮影(カラー)・プリント・文 柘植草風

流 水 抄   加古宗也


苦瓜の爆ぜて玄白解剖図
面上げて鐘の音を聞く秋夕焼
鷺右往左往や秋の出水川
大端反浄蓮として秋黴雨
秋渇き飛騨にはいまも合掌家
国道に飛騨牛の店秋渇き
子規居士の鋭き視線鶏頭花
根岸まで道坂がかり鶏頭花
六本木ヒルズ夜長の灯が点る
鬼城忌につづく糸瓜忌うしほの忌
小樽
秋灯や蟹工船の文字赤き
すさまじきままに多喜二のデスマスク
がんじがらめやずわい蟹たらば蟹
函館五稜閣
松色を変へず歳三玉砕地
秋蝶や湿原の風軽く吹く
秋灯や何てことなき発禁書
嬥歌(かがい)とはせつなき遊び大花野
柳散りぢりに倉敷は倉の街
小布施
晋平の歌を流して栗強飯
鵙くぜり鳴く稲荷社に大手筒
鍔口にかんかん鳴らし秋惜しむ
山の小学校にて
爽秋ややればできると小柴さん
磴少し下りて栂(つ が)の実を拾ふ
錆鮎や山の水引く大生簀
峡の日の辷りやすくて秋薊
山神の小さきを祀り猿酒
千年の巨樹黄落も大胆に
限界集落日暮れて鵟(のすり)また鳴ける
出来秋や郡上地鶏の味噌仕立
鶏頭はドリアンレッド炎立つ
秋渇き三河和牛の丼を
松色を変へず陣屋の撥ね釣瓶
米津神社
乃木さんの悪口云へば秋蚊刺す
手造りの小壷や藍の花を挿す
冬禽の声神籬(ひもろぎ)を溢れ出す
秋渇き丹波黒豆大笊に
うそ寒や半旗を掲ぐ警察署

真珠抄九月号より珠玉三十句 加古宗也推薦


めまといを振り切るまでの急ぎ足     岡田 季男
巣の縁に立ち鷹の子の糞とばす      堀口 忠男
空と海つながり海月見失ふ        大澤 萌衣
山一つ霊場と云ふ額の花         髙橋より子
ネクタイを替へて酷暑の街へ出る     井垣 清明
少女らの夏や早くも鼻緒擦れ       工藤 弘子
老鶯や川の名変はる渡月橋        米津季恵野
岩魚焼く火回り早き飾り塩        川端 庸子
被らずに捨てずに義父の夏帽子      清水ヤイ子
入梅やミニプラモデル組み始む      石崎 白泉
白靴をはいて知覧の武家屋敷       関口 一秀
藍畑茂り昔の暴れ川           今井 和子
雲を押す風飛火野はいま青野       田口 風子
いつくしみ溢るる母の浴衣かな      東浦津也子
作業靴脱いで男の三尺寝         奥村 頼子
ここよりは飛騨の風吹く立葵       荻野 杏子
雨蛙監視カメラの前塞ぐ         村重 吉香
童女めく汗の額のうぶ毛かな       平井  香
風にはためく虫干の日章旗        村上いちみ
梅雨の法隆寺膨らめるエンタシス     加島 孝允
白玉や江戸つ子と云ふ人とゐて      水野 幸子
自分で自分褒め厨へと茄子胡瓜      服部 喜子
肩肘を張らぬ暮しに古団扇        加藤 久子
靴の紐青く結んで梅雨の晴        水谷  螢
噺家の乗り出して脱ぐ夏羽織       湯本 明子
乗り越してもどる一駅天の川       稲吉 柏葉
梅雨晴れのフラワーシャワー受く二人   片岡みさ代
茉莉花の香れる路地に立話        浅井 静子
俳句以外捨てて机上に涼気満つ      斉藤 浩美
念願の源氏読み終へ夏惜しむ       笹澤はるな

選後余滴  加古宗也


夜濯や十指に残る草の灰汁     米津季恵野
季恵野さんはお百姓さんである。それも大百姓さんである。
いきおい朝早くから日没まで田に畑にある暮しと想像される。
しかも、その収穫された野菜などはじつに立派なものばかり
で、大きく旨くさらに美しいのには驚く。私は時折り、季恵
野さんは魔法使いではないか、と思ったりすることがある。
ところがこの俳句を読んで、それが単に技術の問題だけでは
なく丹精のたまものであることを知った。「十指に残る」は鋭
くも厳しい表現だ。
初蝉や改札口を出た途端     井垣 清明
この句、「蝉声」とか「蝉時雨」ではなく「初蝉」であると
ころがすこぶる面白い。清明さんはすばらしくユーモア感覚
を持った人で、お会いしたときには、いつも周りを笑わせて
いる。上質のユーモアが次つぎに飛び出してくるのだ。それ
が少しも厭みにならないのは、中国の古典を始め、深い教養
を身についているからに違いない。上掲句の滑稽感も、季語「初
蝉」の「初」が効いている。「出た途端」と押さえるこのユー
モア感覚が何とも心地よい。
声美しき人は強情額の花     田口 風子
「声美しき人」と言われて、さて誰のことかと想像してみた。
さらに「強情」によって数人に締り込んでみた。この句特定
の誰かというのではなく一般論として、詠んでいるようにも
見えるが、作者の脳裡ではどうも特定されているらしい。ち
なみに「声のいい人は顔が悪い」という説もあるが、この説
も人間の心の屈折を表現した言葉としてなかなか味がある。
どくだみを軒に吊るして恙なし     岡田 秀男
十薬を煎じて飲むと万病に効くと私の母親も庭で引いてき
ては軒に吊るして乾燥させていた。どくだみと並んで千振も
わが家の大切な薬だった。この句、どくだみを軒に吊るして
しまえばもう大丈夫。「恙なし」だといっている。備えあれば
憂いなしではないが、十薬を軒に吊るしてしまえばもう安心
だという。しかも「恙なし」と言い切っているところが面白い。
人間の心理をずばりと詠み切って過不足がない。
いつくしみ溢るる母の浴衣かな     東浦津也子
「母の浴衣」とあるが「母が縫ってくれた浴衣」と解するの
が正当だろう。物の無い時代、何とか工面した布地で、母親
が縫ってくれた浴衣。「いつくしみ溢るる」はいうまでもなく
作者に向けられた「いつくしみ」だ。
風鈴や一服の所作ていねいに     服部 喜子
風炉点前の様子を「ていねい」に描写していて心地よい。
夏のお点前はゆっくりと進められてこそおいしくなる。そし
て、ゆっくりと一服をいただくことが大事だ。ゆっくりとし
た所作の中に風鈴が心地よい涼味を送ってくれる。
山一つ霊場と云ふ額の花     高橋より子
より子さんは鎌倉が好きだという。最近では観光客として
のそれではなく、すっかり鎌倉をご自分の風土としてしまっ
たようだ。鎌倉は一山全体が寺の境内になっているところが
多い。その代表が鎌倉五山だ。そして、それ以外の多くの寺
にも当てはまる。「山一つ霊場」によって、自然との一体感が
より強く意識される。
白靴をはいて知覧の武家屋敷     関口 一秀
知覧は江戸時代の面影を残す町だ。夏のある日、そこを散
策したのだろう。ふと江戸時代にタイムスリップしたのだ。「白
靴」に作者らしい清潔感が表現されている。そして、知覧は
かつて特攻隊の基地のあった町でもあり、明治維新から
百五十年の歴史がめまぐるしく展開した旅であったにちがい
ない。ちなみに知覧は嬉野と並んで九州の二大高級茶の産出
するところとしても全国にその名が知られている。
被らずに捨てずに義父の夏帽子     清水ヤイ子
この句「義父」がどしりと一句の中に坐っている。作者にとっ
て義父は最も尊敬する男の一人であったのだろう。「被らずに
捨てずに」に作者の義父に対する思いが見事に表現されてい
る。「夏帽子」が「麦藁帽子」であったのなら、それは一層美
しい感覚だといえようか。
風にはためく虫干の日章旗     村上いちみ
昨今では、日章旗をタンスの中に入れっぱなし、という家
庭が多いようだ。住宅の構造的な変化、暮しぶりの変化に加
えて、国民の祝日に対する思いが、すいぶん変化したせいな
のかもしれない。作者も結局、日章旗を捨てるなどとんでも
ないと思いながらも、ちゃんと祝日に門口に出しているかと
いえば、そうでもないらしい。「虫干」にせつなくも現実的な
俳味が沁み出ている。
梅雨晴れのフラワーシャワー受く二人     片岡みさ代
ご子息の結婚式だろうか。ラッキーにも梅雨晴れ、フラワー
シャワーを浴び幸せ全開だ。

竹林のせせらぎ  今泉かの子

青竹集・翠竹集作品鑑賞(七月号より)


青饅や近江の山河濃き色に     川端 庸子
さっと茹でられた分葱か青菜の鮮やかな緑。味噌、酢、砂
糖の黄金比で調味された酢味噌。一緒に和えられているのは、
琵琶湖産の水産物でしょうか。茹でる、和える、二つの手順
でつくられる青饅は、期間限定、旬の食材が命です。まさに
春の色、春の味。掲句は眼前の小さな器から、山河という作
者を取り巻く大きな自然風土をとらえています。琵琶湖周辺
の深まりゆく春を背景にした、季節の乙な一品、春の味わい。
銅街道峰雲のそそり立つ     工藤 弘子
たちのぼるのは夏の情感。大きな景をダイナミックに詠ん
でいます。銅(あかがね)街道とは、足尾銅山の銅を江戸へ
運搬するのに使われた道のこと。産業用道路として、かつて
鉱石を採掘、精錬し運搬、そしてあの鉱毒事件も想起されま
す。歴史のもつ重さと対峙するかのごとき自然の勇壮さ。青
空に高くそびえ立つような雲の力強さが、大胆に詠まれた夏
の秀句です。
殿の間は猿頬天井涼しけれ     江川 貞代
和室の天井は、豪華な折上格天井や凝った意匠の網代など
匠のさまざまな技が今も伝えられていますが、掲句の天井は
本物の迫力を伝える犬山城。猿頬とは四角形の竿の角を落と
し六角形にした猿の頬のような断面のこと。竿縁天井より手
間がかかり、殿の間にふさわしい上等な設えです。面取りが
された猿頬天井の間は、犬山のお殿様にふさわしい上品(じょ
うぼん)の、涼やかな間です。
根上りの道は搦手花茨     石崎 白泉
説明しないことを旨とする俳句。この「搦手」をどう解し
たらよいのでしょうか。木の根が地面より上に露出している
ため、歩く人の足を捕る道ということなのか、それとも、大
手(追手)の対義語として、根上りの道は城の裏手に通ずる
ということなのか。題は「箱根山中城址」。花茨の花の命の
可憐さと根を張り命永らえる木と。そして搦手と茨のトゲの
拒絶感。それらが微妙に響き合う、魅力の一句と思うのです。
老夫婦なんじゃもんじゃの並木道     柳井 健二
老夫婦の「ああじゃ、こうじゃ。」「そうじゃった。」とい
う日常の会話が聞こえてきそうな「なんじゃもんじゃ」の響
きです。元々、木の名前がわからず「なんじゅうものじゃ」
からきています。映像化されるのは、二人連れ添い、並木道
をゆっくりと歩く老夫婦の姿。それはどこにでもある、温か
で幸せな姿。近頃各地で起こる天災の被害に、平凡に過ぎる
日々のありがたさを思います。
咲き満ちてひとつばたごの淀む風     深見ゆき子
こちらは同じ木ながら、なんじゃもんじゃではなく、「ひ
とつばたご」一つ葉のタゴ(トネリコ)。自生するのは不思
議とこの東海地方と対馬だけ。白い小花が大木の一面を覆う
様子が浮かびます。直ぐに散ってしまう短命の花は、今この
ときを盛りと咲き満ち、枝を渡る風も滞るかのようです。長
い年月を生きる大木の小さな花の、いのち充溢の一句。
船旅のポスター見てる若葉風     加藤 久子
昔読んだ小説「ポトスライムの舟」を思い出しました。世
界一周旅行の旅費は工員である彼女の年収と同額、一六三万
円。船旅のポスターを見たことから始まる物語でした。ポト
スライムとは、観葉植物ポトスの仲間、ライムグリーンの艶
をもつ若葉色の園芸種です。まさに若葉と船の取り合わせ。
掲句はポスターの前で、ゆったりと進む船の旅に思いを馳せ
ている作者とその場のみずみずしい空気感を詠んでいます。
広大な空と海をいく開かれた旅のイメージに、若葉の色の鮮
やかさとそよぐ風の明るさがつながります。
菖蒲酒酌みて卒寿を迎えけり     浅井 静子
「菖蒲酒」という季語があることを初めて知りました。菖
蒲の根と茎を刻んで漬けた酒のことで、端午の節句に飲むと、
邪気を払うとされています。「卒寿を迎えけり」きっぱりと
したこの切れのよさは、これからの人生にたいする気力の充
実を感じさせます。いつまでもお元気でご健吟いただくこと
が、下につながる者にとって、目標であり、願いです。
麻疹病み逝きし弟稚児のまま     犬塚 房江
哀切の一句。すでに半世紀以上経つのではないでしょうか。
でもどれだけ時がたっても、亡くなられた弟さんは、変わら
ず幼いまま、作者の胸に在り続け、今に至っているのです。
ふとした折りに、亡き人の面影や言葉が蘇ることがあります。
瞬時に蘇ることもあれば、記憶の糸を辿り偲ぶこともありま
しょう。その存在はいつまでも胸の中にあるのです。
一望の生まれ故郷や暮の春     烏野かつよ
「一望の」とは、なんと見晴らしの良いふるさと。近くの
山かどこか高台に上がられての吟でしょう。俯瞰してその土
地を眺め遣ると、人の世の悲しみや喜び、泣いたり笑ったり
してきたことも、小さなことのように思えてきます。眼下に
広がるふるさとの地を、晩春の気配が包み、もうすぐ夕暮れ
のベールもおりてくるようです。

一句一会    川嵜昭典


蒲公英の絮毛みづうみが近い     柿本 多映
(『俳句四季』六月号より)
「みづうみが近い」と気持ちを率直に表現したことが魅力
的な句。そしてまた、湖から吹く風を、蒲公英の絮毛で表現
したところにも清々しさを感じる。目指す場所が近づいたと
実感したときの、まさにその一瞬の感動を、本心から言い表
し、読者の心の中にも風が吹くようだ。文語か口語かという
議論ではなく、心からの率直な感動と表現が大切なのだと改
めて教えられる。
この春の別れ数へて足りぬ指     関根 かな
(『俳句四季』六月号「真つ白」より)
湿っぽくなりそうな題材を、そうはならずに踏みとどまっ
ているのは「指」という具体的な言葉の故だろう。「別れ数
へて」という気持ちを、指という身体的な、ある意味で俗な
言葉が受け止めることにより、別れの寂しさを感傷的になら
ずに、現実に結び付ける。この、心の中を、具体的なもので
表すのは俳句ならではでもあり、俳句を単なる感情の吐露で
はなく、詩として成立させる大切な要件でもあるのだろう。
行く夏のガードレールの擦過痕     藤本 智子
(『俳句四季』六月号「アノニマスタウン」より)
夏から秋へ変わるとき、夏はさまざまなものを一緒に連れ
去っていく。それは思い出だったり、何かに打ち込んだ熱い
感情だったり、そしてときに好きな人だったりする。夏の出
来事というのは、他の季節以上に、季節との結びつきが強い
のかもしれない。掲句の「擦過痕」もまた、そんな夏の、夏
とともにあった出来事であり、秋になれば傷跡を付けた本人
は、何事もなかったかのように別の生活に身を置くことにな
るのだろう。この擦過痕自体が──その流れるような模様自
体が──出来事を一過性のものにする、夏そのもののようで
あり、「行く夏」を象徴しているようでもある。
水着の子最初の波をかはしけり     本夛 和子
(『俳句四季』六月号「四季賛歌」より)
子は、一日見ないだけで、顔つきや行動が急に大人びたと
感じることがある。掲句の「かはしけり」という言葉にも、
そうした、子に対する作者の驚きと、また期待がある。そし
てまた想像するのは、「最初の波」はかわしているが、次の
波はかわしきれなかったのではないか、ということだ。それ
は子にとっては悔しい、残念なことなのかもしれないが、親
にとっては、必ずしもそうではないと思う。親とすれば、子
に失敗はさせたくないけれども、世の中は、失敗でしか学べ
ないことの方が多い。そんな、わざと転ばせておくような愛
情もまた、この句からは感じられる。最初の乗り越えた波と、
次に来るであろう壁と、子と親のそれぞれの感情が流れてい
るような句だ。
どこへでもゆけるさびしさ白日傘     藺草 慶子
(『俳壇』七月号「白日」より)
「どこへでもゆける」の後の「さびしさ」という措辞が、
意表を突いている。意表を突いているが、同時に作者の本音
であろうこの「さびしさ」は、何事かを言ってくれる近しい
人がいなくなってしまい、束縛がなくなってしまったという
ことであろうか。一方で、「白日傘」という言葉からは、まっ
さらな気持ちで歩いて行こうという気持ちが読み取れる。自
由ということのさびしさ、そんなことを感じさせる句。
大窓に大富士を据う夏館     甲斐 遊糸
(『俳壇』七月号「雪解富士」より)
いつの季節でも富士山は、見るたびに感動する。そして夏
の富士の清々しさもまた、そうだ。掲句では、そんな清々し
さを「大」窓に「大」富士を据えるという、この上ない言葉
で表現する。何とも贅沢な、それでいて全く嫌みのない、大
らかさを感じられるのは、夏富士であるからだろう。そして
また「据う」という言葉が、この部屋において、富士を一つ
の大きな絵画のようにも、また、一つの大きな置物のように
も扱っている。この部屋に入る人は、富士をそのようなこの
上ない装飾と思い、次の瞬間には胸が開くような爽やかさを
感じる。富士の、夏であることを存分に生かしている句だと
思う。
沙羅咲いて薩摩に火噴く山三つ     淵脇  護
(『俳句』七月号「籠枕」より)
土地勘がないので詳しいことは分からないが、調べてみる
と、昔の薩摩国の辺りでの活火山としては、開聞岳、鍋島岳、
桜島、といったところのようだ。いずれにしろ、その正確さ
というよりは、「火噴く山三つ」の語感が面白く、その土地
に住まない者でも、どことなく納得してしまうような説得力
がある。何より「沙羅」「火噴く山」という、その土地を表
す言葉のみを並べたこの句は、薩摩の地の情感そのものが溢
れているようだ。そしてまた、花と火というものの対象は、
作者の、そしてこの土地に住む人々の、薩摩国に対する愛お
しさと畏れを良く伝える。