No.1049 令和元年9月号

石垣の石のぬくみに穴まどい  うしほ

芝  馬  祭
 鎌倉時代蒙古襲来の時、この地から出陣した軍馬が戦闘で大活躍したことにこの祭りは起源を持つといわれている。現在では、この地の一宮浅野水法白山神社での無病息災を願う行事になっている。茅を刈り束ねて胴を作り、茄子やほほづきで目鼻を作り、芝馬を作る。祭り当日は、まず水法白山神社で、神主よりお払いを受けて(写真)、子供たちが引き手となってワッショイの掛け声で町内を練り歩く。平成29年までは旧暦の8 月1 日に行われていたが、平成30年から毎年9 月の第1 土曜日に行われるようになって、今年は9 月7 日に行われる。所在地:一宮市浅野字白山、水法白山神社。問合せ:一宮市役所商工観光課(☎ 0586-28-9131)。
写真撮影(カラー)・プリント・文 柘植草風

流 水 抄   加古宗也


本棚に偉人伝あり四月馬鹿
木曽駒へここからはバス若葉照り
梅雨明けや湖北にいまも糸引き女
糸取りや鍋に躍れる小石丸
四ツ目垣より羽抜鶏駆け出せり
キューポラの街や男の汗涼し
伊豆伊東蓮着寺
日蓮が流刑の荒磯荒鵜翔つ
水郷や船頭が吹く葦の笛
梅雨明けし日のサキソフォンよく響く
無心とは夢中夢中とは涼し
オーディオの上に震へて水中花
畦川にざりがにを釣る男の子かな
告別のチェロ洩れてくる黒揚羽
喪帰りの身を包みくる青田風
大梅雨や石落し持つ大手門
雨蛙書斎の窓を好みけり
多治見修道院五句
この奥に神父が眠り青葡萄
司祭けふ留守らし棚の青ぶだう
美しきマリア涼しくイエス抱く
聖壇やカサブランカを大活けに
ステンドグラス透けし西日の床に落つ

真珠抄九月号より 珠玉三十句

加古宗也 推薦


沙羅散るやバイク激しく乗りつけて    深谷 久子
国道を見つめて子鹿動かざり       中野こと葉
モネの絵を見てより涼し水の音      水野 幸子
大らかに生きて幸あれ夏帽子       荻野 杏子
泥公か圡平か窯に大百足虫        江川 貞代
いろはにほへと軽暖の型絵染       嶺  教子
六月の風横綱に巫女の礼         川嵜 昭典
糶や首夏鰯に氷ぶちこめる        酒井 英子
本日休診紫陽花に異変あり        牧野 暁行
巣立つ日の余りに早し燕の子       鶴田 和美
団扇風送る去年より痩せし身へ      服部くらら
洗ふ手を止めて聴き入る沖縄忌      春山  泉
坂巡りして赤坂の半夏かな        片岡みさ代
不祝儀の帰路や高々雲の峰        金子あきゑ
義経の花道を来る薫衣香         白木 紀子
緑蔭を緋袴の巫女小走りに        鈴木 玲子
落人の里にも外湯姫女菀         犬塚 房江
海風や素足で上る板櫓          山田 和男
砂利踏んでゆく横綱の薄羽織       田口 風子
蕃茄切る庖丁研いでもらひけり      近藤くるみ
紫陽花に濡れねば行けぬ小路かな     平井  香
荒梅雨や川守役の屋敷跡         石崎 白泉
蝙蝠や夜の外出久しぶり         久野 弘子
木炭画涼し村山槐多展          鈴木 帰心
夏帽子飛ばしちひろの絵の中に      神谷つた子
夏帽のあご紐強く操舵室         岡田 季男
新緑や打設の済みし八ツ場ダム      堀口 忠男
今ごろは螢飛ぶころ弟よ         堀田 朋子
夏霞名胡桃城はあの辺り         新部とし子
天牛や数多童話を生みし里        烏野かつよ

選後余滴  加古宗也


モネの絵を見てより涼し水の音     水野 幸子
「モネ」といえば「睡蓮」、「睡蓮」といえば「モネ」と
即座に答えが返ってくるほど、モネの睡蓮の絵は有名だ。
そして、有名であると同時に多くの人に愛されている。「音
楽に国境はない」といわれるが、絵画にも国境がない。国
境を越えて人々の心をゆさぶるものを芸術というのだろう。
「モネの絵を見てより涼し」、つまり、モネの「睡蓮」を鑑
た感動が「水の音」全てに波及効果を生んでいるのだ。そ
れはモネの絵のすばらしさであるだけでなく、幸子さんそ
の人の感性のよろしさだといっていい。音楽鑑賞、絵画鑑
賞が受け取る人の感性に大きくかかわるように、俳句も心
で受け取ることが大切だという証左のような一句だ。
天牛や数多童話を生みし里     烏野かつよ
この一句を読んだとき、ふと私自身も子供の頃にタイム
スリップしたような感覚におそわれた。多くの少年が、あ
るいは少女がそうであったように、昆虫採集に夢中になっ
た時期があった。ことに兜虫(かぶとむし)、鍬形虫(く
わがたむし)、天牛(かみきりむし)などの甲虫を捕らえ
ると一気にクラスのヒーローになったものだ。
ところで、この連作は童話作家・新美南吉のふるさと半
田市へ吟行した折りのものらしい。半田には記念館の他、
南吉の生家跡(復元)や少年時代によく遊んだという祖母
の家なども残っていて、楽しい。さらに九月になると南吉
の作品に出てくる曼珠沙華を殖やそうと、矢勝川土手にた
くさんの球根が植えられ、昨年の九月には三百万本もの曼
珠沙華が咲いた。
掲出句の魅力をさらにいえば童話の生まれる風土をさり
げなく描いたところにある。
夏帽子飛ばしちひろの絵の中に     神谷つた子
長野県の中央部松本盆地の北半分を安曇野(あずみの)
という。その安曇野にいわさき・ちひろ美術館がある。広々
とした芝広場の一角にそれはある。春休み・夏休みなどに
出かけると幾組もの家族づれが遊んでいる。
いわさきちひろは絵本作家として知られるが、夏帽子を
かぶった少女の絵がいちばん人気があるようだ。
ひちろは苦難な時代が長かったが細腕で見事に頑張り抜
いた。にもかかわらず彼女の絵には全く暗さがない。それ
は、彼女が家族を愛し絵を愛し抜いていたからに違いない
と作品を見ながら思われた。
この句、ちひろと絵と作者とが見事に一体化していて心
地よい。
泥公か圡平か窯に大百足虫     江川 貞代
陶芸家川北半泥子が三重県津市の郊外に開いた陶房・広
永陶苑を訪れたときの作のようだ。半泥子は三重県屈指の
財閥で趣味として陶芸に手を染めた。前号(八月号)の余
滴でも触れたように、素人にもかかわらず、というよりは
素人ゆえに自由闊達な作品をものしたことで知られ、「東
の魯山人・西の半泥子」と称された。異端児であると同時
に大変な影響を与えた男だ。半泥子の下男のような形で、
広永陶苑で働いたのが圡平で、私も二度ほど会ったことが
あるが、いかにも気むづかしい男だった。泥公は半泥子の
ことで、この二人、いささか偏屈ゆえに気が合ったらしく、
半泥子は広永陶苑を親族に譲らず、すべて圡平に譲っている。
圡平さんも今は亡い。「大百足虫」は二人の頑固者を作
者がそう呼んでみたのだろう。
沙羅散るやバイク激しく乗りつけて     深谷 久子
「沙羅」は「夏椿」のこと。別に「沙羅双樹」と呼ばれ
る樹木があり、釈尊が涅槃に入ったとき臥床の四方に二本
ずつあった沙羅樹のことをいう。仏陀の涅槃会のときなど
に掛けられる涅槃図にこの沙羅双樹が描かれているが釈迦
の入滅を悲しんで枯れている。夏椿はじつに美しい白い花
を咲かせることから、日本の寺院では代用に夏椿を沙羅双
樹と呼んでいるようだ。
この句、爆音をたてて入ってきた青年たちに、怒りを沙
羅に代ってぶつけている。寺の静寂をぶちこわした青年た
ちへの怒りは簡単には収まらない。
国道を見つめて子鹿動かざり     中野こと葉
鹿は美しくかわいい動物だ。子鹿はなおさらで、国道を
行き交う車の小鹿を全く無視した様子に少々哀しくなって
しまったのだ。一方子鹿は、自動車の怖さを本能的に察知
してはいても対応の方法を知らない。「子鹿動かざり」に
進退極まった様子が的確にとらえられている。
六月の風横綱に巫女の礼     川嵜 昭典
「六月」「横綱」「巫女」とくれば、これは名古屋場所の
前の横綱の熱田神宮参拝と知れる。さらに、横綱の土俵入
り奉納の日とわかる。熱田の森の六月の風、つまり薫風の
心地よさ。そして、横綱の前に進んだ巫女の礼の深さ。そ
こには、自ずと横綱の発するオーラが見てとれる。ちなみ
に、『図説大歳時記』(講談社)収載の一句。
名古屋場所天守の下で待ち合はす  田口風子

竹林のせせらぎ  今泉かの子

青竹集・翠竹集作品鑑賞(七月号より)


にぎり飯三角茶摘女三河弁     辻村 勅代
「西尾茶摘俳句大会」も今年で第41回。お馴染みになりつ
つある景をいかに新しく詠むかに呻吟するところ。掲句、切
り口は斬新でありながら、そこには郷土の懐かしさが漂いま
す。にぎり飯と茶摘女を取り合わせた、句またがりの思い切っ
た破調が、三角と三河弁の「三」のつながりに支えられ、一
句をまとまりのある作品にしています。お茶所、西尾に生ま
れた作者。郷愁と新鮮さを併せもつ作品です。
早苗田に囲まれてをり好きな家     中井 光瞬
田に張られた水から苗の先が整然と出て、水面には空の青
さや周りの風景が映り込んでいます。中七の軽い切れが四方
の景を大きく広げ、実際の周りの景色と水に映った虚の像の
中に、作者の「好きな家」はあります。作者の立ち位置はど
こでしょうか。遠くから眺めているのか、上の方から見下ろ
しているのか。わかるのはこれから青田へと色を深め、伸び
てゆく田の様子。「好きな家」に明るい明日を感じます。
陽炎や石を拾ふといふ遊び     田口 茉於
どこかの河原で子どもが好きな石を拾っている景でしょう
か。陽炎はうららかな気分にかようところから、春の季語と
されています。子どもの無心の様子やその場の穏やかな雰囲
気に通じるものの、一転、陽炎のはかなさは遊びの他愛なさ
につながるようにも感じます。つげ義治の川原の石を売る男
の話も想起され、背景に様々な思いが交錯する一句です。
風青し公望翁の仕込み杖     白木 紀子
公望翁とは西園寺公望公爵。激動の明治の政界、その要職
の身にあって、中に刀を仕込んだ杖は、いざというときのた
め。万緑をゆるがし吹き渡る風の勢いと、近代国家を目指し
て、伏魔殿に身を置く気概と。風に緊張感を感じます。
アネモネや大阪に嫁す姉ふたり     重留 香苗
語感のおもしろさを痛感する一句。アネモネのねっとり、
まったりとした響き。さらっとしていない土地柄の「大阪」。
花の名と地名が縁語のようにはたらき、さらに結句には韻を
踏む「姉ふたり」。また、「花一華(はないちげ)」の和名を
もつ花の形状からもあでやかさが感じられ、大阪の派手なイ
メージとシンクロします。一つの花の響きが一句のなかで重
奏音のように響き合う、俳句ならではの作品です。
我が余生佳境に入りて囀れり     奥村 頼子
頼もしい。この境地。短歌ならさしずめ「年々に我が悲し
みは深くしていよよ華やぐいのちなりけり」(岡本かの子)。
悲しみは愛しみにも通じます。晩年の華やぎは本物の華。人
生百年時代、余生というもそれなりに長い年月、生き生きと
過ごすことは、多くの人が目指すところ。囀りの新鮮な一句。
卯の花腐し鳥籠に指入れる     大澤 萌衣
卯の花を腐らせるほどの長雨の中、鳥の領分である籠の中
へ「指入れる」。普段ならしないけれどふざけ半分。何となく
の、気まぐれでしょうか。外では卯の花の白さ、清らかさを
潰えさせる雨、部屋の中では鳥の領域を犯すような行為。と、
とらえてみましたが、そんな講釈や意味づけより感覚で受け
止めた方が、きっとふさわしい、作者の感性光る作品です。
風五月橋の長さをたのしめり     丹波美代子
「風五月」の詠い出しから一句の中を緑の清々しい風が、
吹き渡っていくようです。橋の下を流れる川のおかげで風の
心地よいこと。長い橋をゆっくりと、軽い足どりで進みます。
うるわしい五月の景をたのしむ作者の心のゆとり。
春宵を一人で過すことも良し     浅井 静子
「春宵一刻値千金」をお一人様で過ごすのも、また良きこと。
穏やかな調べに気負いのない心情が表れています。多くの出
来事や多くの感慨の末に、とらわれのない、こんなさっぱり
とした気分になれたら、それは「良し」。「悪(あ)し」「悪(わ
ろ)し「よろし」の上の、最上の「良し」です。
逝く春や一人となりしわが戸籍     廣澤 昌子
夫婦と子の家族世帯は、今の日本では3割弱。国の研究所
によれば、約20年後には一人世帯の割合は、4割になると推
計されています。かつてを思えば、さびしい気持ちになるの
は否めません。掲句は、今後さらに多くの人の共感を呼ぶ一
句になりそうです。…これからもご健吟下さいますよう。
茎立つや除染残土を隠すほど     渡辺 悦子
国土を汚し、手のつけられない土地にしてしまった愚かさ
が、「茎立つ」の手遅れとなったような状態を曝している姿
に象徴されています。フィンランドのオンカロですら、処分
に十万年を要するとか。緑の大地こそ子々孫々に残すべき宝。
ほろ苦き煎じ薬や梅雨に入る     荒川 洋子
梅雨は不安定な大気や気圧の変動で体調も乱れやすい頃。
気象病という言葉もあるようです。抗生物質のような即効性
ではなく、じんわりと効き目を発揮するこんな煎じ薬があれ
ば、心強いというもの。梅雨入りの心身に万全の準備。

一句一会    川嵜昭典


冬麗の脳が故障をしてゐます     大木あまり
(『俳句』七月号「シネマ」より)
寒い中にふと訪れた、エアポケットのような冬麗の日。同
時にふと訪れた、とにかく何も考えたくないという瞬間。特
に刺激ばかり、人からの連絡も頻繁に入る現代では、自分か
らスイッチを切るしか、周りから離れる方法はないだろう。
掲句は、その方法がしゃれている。「脳が故障をしてゐます」
という言葉が、ロボットが喋っているような言い回しになっ
ている。敢えて「故障」という語を使うことで、周りからの
何事にも動かされないぞ、という意気込みも感じる。俳味の
中にも、鋭い意志を感じる句。
いくつもの肩にぶつかり梅雨に入る     兼城  雄
(『俳句』七月号「空瓶」より)
今年の梅雨は、久しぶりに梅雨らしい梅雨だったように思
う。掲句は、人にぶつかるごとに、その煩わしさと、梅雨に
なる気の滅入りと、二つの気持ちが交錯する。梅雨の気付き
方が都会的であり、現代的であり、まさしく今を捉える俳句
ならではの表現であると思う。
アトリエの守宮や画家と通ひ合ふ     津久井健之
(『俳壇』七月号「青梅」より)
絵を描くとき、文章を書くとき、曲を作るとき、もちろん
俳句を作るとき、何かを作るときというのはいつも一人だ。
自分の中にある何かを見つけ、絞り出し、形にするのは、そ
れが完成品として世に出るまでは自問自答の連続だ。孤独と
言ってもいいと思う。そんなときに出会う守宮は、大きな海
の真ん中で浮かんでいる最中に、一隻の船と出会ったような
感覚だろう。完成品に向かうまでの孤独な旅を、その孤独を
分かち合うように、画家は守宮に話しかけ、そうすることに
よって自分の中の何かを明確にする。これは人間相手ではで
きることではない。物語を感じさせる句。
なんとなく臍に指置く昼寝覚     松尾 隆信
(『俳壇』七月号より)
臍というのはやはり不思議なもので、何も知らない子供の
頃は、なんでこんな窪みが腹にあるのだろうと面白がり、大
人になれば、恥ずかしいのでそっと隠したりする。何か大事
で、ぐっと腹に力を入れるとき、自然に手で包んでいたりも
する。掲句。昼寝から覚めると、一瞬、自分がどこにいるの
か、何をしているのか分からないときがある。そんなときに、
「なんとなく」臍を触る。体の中心の、生れる前は唯一の母
との道であった箇所を確かめる。無意識ではあるが、やはり
本能的に自分の生を感じようとしているのだろう。「なんと
なく」は、本当に実感そのものだ。体の不思議さを面白く詠
んでいる。
草叢に今見し蛇の息こもる     柴田佐知子
(『俳壇』七月号「黄雀風」より)
たった今蛇を見て、驚いた直後の静けさ。どんな動物でも
そうだと思うが、姿を消した直後の場所に留まっているかと
いうとそうではなく、知らないうちにどこかへ行ってしまっ
ていることの方が多い。ただ、驚いてしまったこちらは、そ
うは思えない。今もその草叢にいるのではないかと、じっと
息を凝らす。だんだんと草叢全体が蛇のようにも思えてくる。
そして、蛇の恐ろしい息遣いを探しているうちに、実は自分
の息遣いの方を意識し出している。そんな移り変わりを想像
すると楽しい。
遠泳と永遠のはざまに浮かぶ     杉山 久子
(『俳壇』七月号より)
「遠泳」と「永遠」の間に、妙な繋がりを感じる。従って
ただの言葉遊びに感じられない一句。遠泳をするということ
は、泳ぎに自信があるからするのだろうが、それでも、ふと
気が付くと、自分一人の力ではどうにもならないのではない
か、ちょっとした潮の流れで、取り返しのつかないことにな
るのではないか、という不安に襲われる。こちらへ戻れば生
だが、あちらへ行ってしまえば死という、そんな境目に浮か
び、まさしくその時間は、「永遠」に感じるものだろう。生
死の境は、日常のちょっとした隙間に潜んでいる。そんな曖
昧さをうまく句にしている。
炎昼の孤独たとへば深海魚     和田 順子
(『俳壇年鑑二〇一九』より)
孤独の形というのは、さまざまであると思う。心から寂し
いと思う孤独もあれば、むしろ孤独を生きる信条としている
場合もある。掲句の孤独はどうだろうかと考えると、「たと
へば深海魚」という言葉からして、後者の孤独なのではない
かと思う。深海には誰も来ない。それでも深海魚は、それぞ
れがそれぞれの工夫や考えで、生きることのみに専念してい
る。同じく炎昼の通りや広場には、人は誰もいない。その暑
いさなかで、生きることそのものを、じりじりと見つめ続け
る作者の姿を想像する。