No.1056 令和2年4月号

遠足や靴ぬいで塗る傷薬  うしほ

岩滑八幡社の祭
 半田市の岩滑(やなべ)八幡社では毎年四月に山車2 台が町内を引き回された後、神社に勢揃いする。その後、神社では、神楽殿で、巫女の舞(写真)や、三番奏が奉納される。祭は 4 月11、12 日に行われる。「おぢいさんのランプ」「ごんぎつね」などの童話作家、新美南吉(1913 〜43 )の生家もこの神社のすぐ近くにある。彼もこの祭を楽しんだようだ。生家は復元されて、当時のまま保存されている。内部の見学も出来る。所在地半田市岩滑町。問合せ:☎ 0569-21-3111 (半田市役所観光課)名鉄河和線半田口下車徒歩・ 5 分。
写真撮影(カラー)・プリント・文 柘植草風

流 水 抄   加古宗也


豊田市寺部町・守綱寺 十六句
梅が香に出て家康が初陣の地
白梅や石臼いまは手洗鉢
落椿一つを右のポケットに
暖かや猪の目はハート形なると
飛び石の先にも猪の目名草の芽
春興や田舟上げある長屋門
山茱萸を大活けにして桧垣紋
山茱萸や漆喰美しき長屋門
うぐひすや鐘楼堂に花頭窓
落椿またあり高き武家御門
武家門や音もたてずに落つ椿
武家御門いまは閉されて落椿
武家門の太閂や梅の風
荒壁のままの長塀梅の風
梅の蜜欲しがつてきし大き蜂
入彼岸累代の墓二三十
影堂の南京錠や亀の鳴く
池普請いつまでつづく亀の鳴く
梅が香の濃しへそ風呂を覗き込む
うぐひすに開け放ちたる古道場
大竹耕司同人・四月九日逝去 享年九十一
耕しを矜持に吉良の男逝く

真珠抄四月号より 珠玉三十句

加古宗也 推薦


妹にさはりたき子や春隣       田口 茉於
白鳥や近寄りもせず逃げもせず    磯貝 恵子
門を打つ風のかたまり春寒し     工藤 弘子
春を待つ魞場や琵琶湖北端地     石崎 白泉
終バスや橋持つ街のおぼろなる    荒川 洋子
春陰やおはらい町に友を待つ     岡田つばな
春雪の白さにどこかある温み     渡邊たけし
春興や火防神社の火打石       山田 和男
盆梅や浅草に住む篆刻師       市川 栄司
鎌倉に雪降る日なり実朝忌      高橋より子
休日の動物園や虎落笛        柳井 健二
手を広げ木彫りムーミン春を待つ   鶴田 和美
裸木にまきつく蔓もまた裸      奥村 頼子
犬鷲や奇峰連なる裏妙義       堀口 忠男
いつもの顔いつもの席に初句会    田畑 洋子
差し入れのあんぱん春日さすオフィス 中野こと葉
鎮もりしどんどにするめ焼く男    江口すま子
初詣夫の袖口持て歩く        鈴木まり子
ウイルスが怖くて行かぬ節分会    生田 令子
息白く来て獅子鼻の鬼三面      阿知波裕子
大寒や壁のやうなる卒塔婆林     嶺  教子
帰る日を告ぐらし鶲近く來る     竹原多枝子
お守りの束を背負ひて受験生     鈴木 恭美
放つ矢の音の確かさ寒の明      平田 眞子
モルダウのゆったり流れ春の鴨    原田 弘子
蝌蚪の紐指に絡ませ生物部      斉藤 浩美
婿に買ふ夫と揃ひのちやんちやんこ  池田あや美
工房に木の香木の屑春の声      関口 一秀
追儺寺兜巾の似合ふ美男僧      三矢らく子
初場所や猫だましとて業の内     柘植 草風

選後余滴  加古宗也


裸木にまきつく蔓もまた裸     奥村 頼子
「裸木」は落葉しつくした落葉樹の冬木で、いかにも寒々
と見える。しかし、春隣は寒気に耐えながら春を迎えるた
めの準備を着々と進めている。一方、蔦、山葡萄などの蔓
性の植物も葉を落して蔓をあらわにしている。ゆえにあた
かも、立木に命をあずけているかのように見える。運命共
同体というよりも一方的に太い立木に頼っているといって
もいい。裸になることで一層その関係が明白になっている。
そこで不憫さ哀れさを印象させられる。ことに「まきつく」
の措辞がゆるぎない表現だ。
初場所や猫だましとて業の内     柘植 草風
相撲の立ち合いで、立ち上がった瞬間に両手を相手の目
の前で打ち合わせる技で、相手を驚かすのがその目的。つ
まり奇襲作戦で、相手がひるんだ瞬間に自分が優位になる
技を繰り出すもの。これは小技の中の小技。どちらかと言
えば、卑怯な一手だと多くの相撲ファンは思っている。と
きどき横綱白鳳が使うが無論評判が悪い。悪いが禁じ手で
はないから反則というわけではない。作者は「初場所から
こんな汚い手を使うのか。横綱ともあろうものが」と言っ
ているのだ。そして、その直後に「それでも禁じ手ではな
いから仕方がないか」と思ったのだ。世の中には、すっき
りしないことが多過ぎる。
鎌倉に雪降る日なり実朝忌     高橋より子
より子さんは鎌倉を素材にした俳句をしばしば作られ
る。しかも、秀作が多いのは鎌倉を愛しているからだろう。
強い入れ込みがあってこそ見えるものがある。鎌倉三代目
将軍実朝は源頼朝の次子で、和歌をよくし、歌集「金槐和
歌集」を出している。和歌に夢中で政治に関心がなく、せっ
かく頼朝が樹立した武家政治をあやういものにしたとし
て、兄頼家の子公暁(くぎょう)が鶴ケ岡八幡宮の大公孫
樹の陰から飛び出して惨殺、母北条政子が政治の表舞台に
登場してくることになった。「鎌倉に雪」がじつに美しく、
歌人、実朝を悼む心がまっすぐに詠まれている。
枝打ち師減りし北山しづり雪     市川 栄司
杉は枝打ちすることで、真っ直ぐに、しかも美しい樹形
を保ちながら成長してゆく。直幹はまさに枝打ちによって
できるもので、長い手間隙をかけることが欠くことのでき
ない作業といえる。しかも、何年も何年もかけて育てられ
る。高級用材として、杉山の音楽的とも言える美しさ。時
折り上枝に溜まった雪がばさりと大きな音を立てて落ち
る。これをしずり雪という。ちなみに、「北山しぐれ」と
いう言葉はこの美しい北山杉を背景に降る初冬の時雨で、
「時雨」という季語はここで生まれたとも。
参道に茶屋跡あまた冬ざるる     山田 和男
かつてのにぎわいを「茶屋跡」の一言で過不足なく言い
取ったところがよい。門前町という言葉があるが、時の流
れとともにその風景も変わる。即ち、そこに流れる無常感
が一句の格調を上げ、読む者の心をわしづかみにする。季
語「冬ざるる」も的確に一句を引き締めている。
春を待つ魞場や琵琶湖北端地     石崎 白泉
「魞(えり)挿す」は春の季語だが、その直前の湖北の景
が季感とともに見事に描写されている。「写生」をあたかも
古い俳句技法であるかのような風潮が一時期俳壇にあった
がそれが誤った議論であったことが実作によって実証され
てきている。白泉さんは写生を愚直に実践している一人だ
が、白泉さんの作品には写生の向こうに何かが見えてくる
のだ。それは単なる表層の写生ではなく、「じっと見入る。
じっと聞き入る。」ことによって、得られた写生句には、文
字の向こうから立ち上がってくる何かがあるということだ。
例えば、「魞場」も単なる風景だけでなく、琵琶で生活を立
てている人々の息づかいまで見えてくる。「魞」は建て網漁
の一種だが、春になると琵琶湖のあちらこちらで魞を挿す
風景が見える。琵琶湖の風物詩だ。
妹にさはりたき子や春隣     田口 茉於
「妹にさはりたき子」は無論姉のことだが、どうしてさ
わりたがるのか私は知らない。子どもはともあれ好奇心の
強いもので、ことに妹という存在の不思議さを胸の中に大
きく抱え込んでいるのだろう。「春隣」という季語が近未
来へ思いをつなげているというだけでなく、少女の持つ不
思議、つまり大人になってもわからない何かを暗示してい
るようでもある。
犬鷲や奇峰連なる裏妙義     堀口 忠男
群馬県と長野県との県境に連なる妙義山系のことを「筍
峰」と俗称すると、歌人であり、鬼城の高弟の一人でもあっ
た田島武夫氏から聞いたことがあった。「筍峰」と言われ
てみると確かに筍がつんつん天に向かって伸びているよう
な形をした峰がいくつも連なっている。裏妙義の群馬側、
その奇観と犬鷲がいかにも似合っていることに、感心した
一句でもある。夕立が降ると大量の水が峰を横に走る。

竹林のせせらぎ  今泉かの子

青竹集・翠竹集作品鑑賞(二月号より)


小春日を拾つて曲がる峽の川     中井 光瞬
山峡の蛇行する川の流れを、俯瞰したような大きな景です。
山あいの川は曲がり方によって山影で日が遮られたり、逆に
日が差して明るくきらめいて見えたり。小春の頃のうららか
な日差しを所々「拾って曲がる」川の清冽さが光ります。
クリスマスツリー出したる寝てゐる間     田口 茉於
十二音、五音が展開する夜のすてきな一場面。子どもの喜
ぶ顔が見たいという親の素にして豊かな情愛や、明朝繰り広
げられるであろう、楽しいサプライズの瞬間。さまざまな想
像とともに、夜から朝へかけてのドラマが、きちんと十七音
に収まっていることにも驚きます。クリスマスツリーに始ま
る、聖なる夜へ向けての弾む気持ちが読む者にも伝わります。
うち味噌の封切る目安梅二月     沢戸美代子
頃合いは「田打ち桜」のように、自然界の営みが教えてく
れるもの。「味噌の封切る目安」は梅香る二月頃。そこに感
じる手仕事の温もり。そして実際に刀自の手と麹菌が、発酵
の時を経て育ち、その家独特の味になるのだと聞きました。
雪螢詩人の言葉諳ずる     堀田 朋子
ふとどこからともなく現れて飛ぶ小さな雪蛍。諳んじたの
は言葉。詩、詩の一節ではなく、「言葉」と取り出したことで、
より小さな単位に。空中を浮遊する雪蛍も、音声言語として
忽ち空中へ消える声も、どちらもはかないもの。けれど、選
び抜かれた言葉の連なりは、「諳ずる」ことができる程、作
者の胸に確とあるもの。その存在の確かな感じは、雪蛍の身
を守る、ねっとりとした白い蝋質の触感につながるでしょう
か。清く冷たい空気感に生まれる、ファンタジーを感じます。
冬日差す御嶽に言葉奪はるる     高濱 聡光
御嶽(うたき)と読み、そこは沖縄の神を祀る聖なる所。
海のかなたにあるニライカナイから訪れる神の前では、人は
言葉を失い、自ずと口は閉じるのでしょう。冬の日差しの明
るさに映える、南の島の聖域、清浄なる世界。
口下手の気の合ふ二人ぬくめ酒     水野 幸子
何故かしら気の合う人はいるものです。掲句は話が合うと
いうより、言葉を尽くさなくても通じあえる二人。「ぬくめ酒」
は重陽の日に、温めて飲むと冬を無病息災で過ごせる、とい
う言い伝えからの季語。二人の居心地のいい関係も願って。
凍星や無言で中村哲還る     関口 一秀
今この地に必要なのは、薬より水。医師としての職分をは
るかに越えて人道主義に生きた人です。アフガンの地を緑に
変え、難民を流浪から救い、その尽力の最中、凶弾に倒れま
した。その心を受け継ぐように、現地ではナカムラと命名さ
れた赤ちゃんも。死してなお孤高の光を放ち続ける凍星です。
牡丹鍋酒は設楽の「空」を酌む     深見ゆき子
これは最高です。古来より食を許されてきた猪。傍らには
奥三河を代表する関谷醸造の「空」。今宵は故郷の思い出話に
花が咲くことでしょう。酌むほどに酔うほどに温とい鍋の夜。
灯点して迎える庭の亥の子突     大石  望
「亥の子」とは、西日本で旧暦十月最初の亥の日に行われる、
収穫の祝い行事だそうです。多産な猪と豊作の神が結びつい
たとか。子ども達が歌に合わせて、縄で縛った石で地面を突
く「亥の子突」。回ってくる子ども達のために、庭を明るく
した作者は、松山在住。昔ながらの風習が今に伝わる地。
筋雲の掃く列島や寅彦忌     堀口 忠男
寺田寅彦は物理学者、随筆家、俳人など多彩な顔をもち、
既存の学問分野におさまらない独自の研究をした帝大の教授
でした。「この日本的の涼しさを最も端的に表現する文学は、
やはり俳句にしくものはない。詩形そのものからが涼しいの
である。」との文章も。上空の美しい筋雲から日本列島という
大枠でとらえた描写に寅彦のスケールの大きさが重なります。
小春日や部屋にあふれし故郷なまり     廣澤 昌子
今年の冬はいつもほどの寒さはなく、小春の日和に恵まれ
た日が多くありました。今日は久々に懐かしい顔ぶれが揃っ
たのでしょう。明るい部屋にあふれたお故郷(くに)なまり
の温かさ。そしてまた暖かい小春の日差しもあふれんばかり。
腰上げて叩きし焚火ぼこりかな     水野由美子
しばらくの間、焚火の番をしていたのでしょう。叩いたの
は埃だけでなく、物の燃えた匂いや土の匂いもあったでしょ
うか。ほこりに着目したことでくすぶる火や火の粉、立ち上
がる煙等、独特の空気感をもつ焚火らしさが伝わります。
看病の妹と俳句漱石忌     山科 和子
背景にあるのは正岡子規の影。子規にとって、同級の漱石
は終生の友でした。また、子規が三十四歳で亡くなるまで妹
りつは、付ききりで看病しました。俳句にまつわる言葉が、
そのまま幾重にも重なっています。漱石忌の十二月九日、妹
御と作句、或いは俳句談義?の一齣でしょうか。

俳句常夜灯   堀田朋子


折鶴のはじめは平ら原爆忌     代田 幸子
(『俳壇』二月号「よく動く」より)
「折鶴」と「原爆忌」はとても近い。近すぎて、詠むには
勇気がいるのではなかろうか。類想句が怖い。けれど掲句は
そんな杞憂を吹き飛ばす。それは、「はじめは平ら」という
断定の修辞が持つ力だと思う。折る前の折り紙が平らな紙で
あることは、誰にも否定できない。むしろ、一枚の紙が何か
になることこそが、折り紙の本質と言える。
人類が原爆というものを持ったことへ、それを武器として
使ったことへ、被爆してなくなった人々と被爆者として生き
る人々へと、鶴を折る。まず真っ新の一枚の折り紙を提示す
ることで、折鶴に込められていく祈りが切実となった。
掲句の中七は、最後に鶴の体内へと息を吹入れる映像まで
を想起させる。今も誰かが、鶴を折り始めていることだろう。
不器用な兄の来てゐる雛納     石井 清吾
(『俳壇』二月号「水運ぶ船」より)
雛を飾る時のわくわく感と違って、「雛納」には、しみじ
みとした感慨がある。丁寧に和紙に包む仕種には、母と娘の
絆が醸し出す特別な連帯感が漂う。元々、男の子にはいささ
かの疎外感を感じさせる雛祭りだが、「雛納」ともなると格
別な淋しさが漂っているのかも知れない。
そこに「兄が来てゐる」。少し離れて見ている。この兄は
皆から「不器用」とみなされているらしい。しかし、男の子
だってお雛様が美しいと思うだろう。かつて興味津々で触り、
お雛様の首を抜いてしまうような失敗をしてしまったのかも
知れない。そんな兄の心模様への共感を、作者は「不器用」
という乾燥した言葉で詠まれた。徘徊味のある修辞だと思う。
凩やグリコのネオンひた走る     大西 誉子
(『俳句四季』二月号「道頓堀」より)
大阪・道頓堀の戎橋の袂、誰もが目に浮かべるあのネオン。
観光客にも撮影スポットとして人気のある、製菓会社『江崎
グリコ』の巨大看板・ゴールインマーク。なんと一九三五年
の設置だそうだ。もう八十五年走り続けている。図柄もリ
ニューアルを重ねて六代目。照明も今や鮮やかなLED電球。
このザ・大阪とも言うべき代物を、臆することなく真正面
に捉えて詠まれた心意気に脱帽する。季語「凩」が、「ひた
走る」と共鳴する。浪速商人の覇気を身に取り込んだような
句だ。「一粒三〇〇メートル」の惹句が思い浮かぶ。甘味の
乏しかった戦前戦中と、糖質過多の現代、時代は変わっても
彼にはこれからもひたすら走り続けてほしいと思う。
母は子を子は黒蟻を視てしづか     山本  菫
(『俳壇』二月号「天気図」より)
母から子へ、そして黒蟻へと、一本の視線のベクトルが見
える。方向はもっぱら一方向だ。
幼子は好奇心の塊で、不思議を見つけると、それが彼なり
の概念となって脳に定着するまでじっと見つめる。母は、そ
の様子を好ましく見守る。小さな吾子が、そのようにして世
界の一つ一つを認識していく姿が嬉しい。しばらくこのまま、
子が飽きるまで、そっとこの時間を大切にしていよう。掲句
を貫く一本のベクトルを、最後の「しづか」という美しい言
葉が受け止めている。大切な時間を大切と、見逃さない人間
でありたいと思う。
万燈会墨の香放つ老墨工     中久保白露
(『俳句四季』二月号「巻頭句」より)
日本人として誇らしいことの一つに、生活に必要なあらゆ
る物作りに、人生を賭けて技を極める職人がいることだと思
う。そして、そういう職人たちに皆の尊敬が集まることでは
なかろうか。掲句の「老墨工」もそんな存在だと感じる。
墨作りもまた、大変な労苦をともなう。材料は、煤・膠・
香料だそうだ。古くは松を燃やした『松煙墨』があり、後に
菜種油や胡麻油などの煤を使った『油煙墨』が大量の需要を
支えて来たようだ。煤をまとめるのに膠が使われる。膠とは
動物の骨や皮を煮沸して抽出するものだ。よってその匂いは
決して好ましいものではなかろう。その匂いを消すために、
最期に樟脳や麝香といった香料が加えられるのだ。
掲句は東大寺の万燈会でのことだろうか。大仏殿前の参道
には、寄進者の願いを墨で認めた数千の灯籠が並ぶ。この日
は、大仏殿の観相窓が開かれて、大仏様もご覧になっている。
墨の香りは、なにか背筋の伸びるような清々しいものである
が、その裏には、墨工達の煤と油と匂いにまみれた仕業があ
ることに思い到る。大仏様は、作者の行き会った、この「老
墨工」のこともきっと心に止めておられることだろう。
春の夜のまだ炎を知らぬ絵蠟燭     ながさく清江
(『俳句四季』二月号「梅真白」より)
蠟燭というものは、一度でも火を点けると、点ける前のも
のと全く違ったものになるような気がする。美しい絵を持つ
蠟燭となれば、一入だろう。作者は、春浅い二月にご主人の
忌日を迎えられているようだ。この時のために用意した「絵
蠟燭」を前にして、ご主人と共に歩まれた日々を追憶されて
いるのだろう。「絵蠟燭」は、作者自身の投影かと思う。「ま
だ炎を知らぬ」とは、ご主人と出会う前の、まだ愛や情念の
深さを知り得ていなかった乙女のような御自身のことか。今
夜、この「春の夜」、亡き人に向かって火を点けよう。身を
燃やすかに、同じ愛を反芻する時間。愛しさに満たされた揺
蕩うような春の夜の句だ。