No.1066 令和3年2月号

井垣清明の書5


酒 徳 頌

昭和57年(一九八二年)一月
第21回日書学展(東京都美術館)
劉伶、酒徳頌

釈 文
大人(たいじん)先生有り。天地を以て一朝と為し、萬期を須臾(しゅゆ)と為し、日月を扃牖(けいい う)と為し、八荒を雲衢(うんく)(庭衢)と為す。行くに轍迹(てつせ き)無く、居るに室盧無し。(以下略)

流 水 抄   加古宗也


おぼろ夜の湖に竿さす男かな
黒門は豪商のもの幣辛夷
落花浴びしことの戸惑ひ女ふと
落花にも色香てふもの夕散歩
飛花落花「花と竜」てふ映画あり
この家は英世の生家花辛夷
幣辛夷咲き木道の長々と
日に一度通るS L 残花散る
土雛の鼻欠けてをりそつと撫づ
春愁にふと青春の日を重ね
飛花落花一片胸に止まりけり
鶯の鳴き図書館は休館日
春大根おろして志野の向付
尾を垂れしまま身動かず五月鯉
浅蜊さげ吉良のワイキキビーチ歩す
夏めくや桃色しるき牛の乳房(ちち)
柴折戸の開けある茶室柿若葉
三井寺に悲話ありおぼろ月上がる
雛の間の男の子や右往左往して
雛菓子にたつぷり加へ草だんご

真珠抄二月号より 珠玉三十句

加古宗也 推薦


稜線にしまはれてゆく御元日     田口 茉於
古書店は常連と言ふ冬帽子      中井 光瞬
獅子岩の懐に居て冬銀河       高濱 聡光
鼻歌の出る日のありて芋を煮る    鶴田 和美
陵の落葉の嵩や木地師村       田口 風子
向き合ひてラジオ体操冬に入る    春山  泉
駐在のバイクと出合ふ枯野道     長村 道子
冬山葵流れの端に木地師村      阿知波裕子
朽野や小さき音にも振り向いて    工藤 弘子
蔵までは庭下駄石蕗の黄あふれ    深谷 久子
雪螢差し出せし手を引き戻す     堀田 朋子
限界集落つかの間の小春かな     石川 桂子
ほほ濡らし墓前の熟柿夫と分く    飯島たえ子
北風や潮に痩せたる命綱       稲吉 柏葉
お大師の手植の楠や七五三      井上 昌男
茶の花や巨石の裏に猿田彦      平井  香
マンモスの骨めく破船冬ざるる    村上いちみ
終弘法台に積まるる高野槇      堀場 幸子
裸木や少年像は空を見る       烏野かつよ
煮こごりや築百年の土間勝手     斉藤 浩美
数へ日や納戸に嵩む旅パンフ     渡邉 悦子
七人も産みし母さん茶の咲けり    重留 香苗
咳き込めば視線背中にバス走る    松元 貞子
御歳暮にマスクを贈るてふ愁ひ    久野 弘子
蓮掘るや曲がりしままの母の指    天野れい子
枯木切るクワガタ眠る木と知らず   金原香代子
寺の門旗立ててあり御講凪      岡田 季男
望郷のストーブの上芋茎煮る     荻野 杏子
叔父に似し人ら炬燵に叔父の通夜   山科 和子
高々と軒端におかめ酉の市      市川 栄司

選後余滴  加古宗也


望郷のストーブの上芋茎煮る     荻野 杏子
「望郷のストーブ」が心に沁みる。作者は飛騨の出身、飛
騨といえばかつては雪の多い地方の一つに数えられたところ
で、雪景色が当り前の風景として私の中にはある。高山に隣
接する丹生川村には千光寺という古刹があり、円空仏を多数
収蔵する寺として知られている。そこから乗鞍岳に向って一
本道が続いており、山懐にはいくつかの温泉郷が点在してい
る。かつては「下々々の下国」と呼ばれ、農民達は重税に苦
しめられたが、高山などは今は外国人に最も人気の観光ス
ポットとして広く海外にも知られている。私は青年時代から
十数回飛騨を訪れており、中でも、丹生川村の丹生川神社が
好きだ。つまり、観光地・高山ではなく鄙びた山村風景が好
きなのだ。丹生川神社で車を降り、深呼吸すると、その森閑
とした空気に心が洗われる思いがした。「下々々の下国」とは、
「下国」の下の下という意味だ。文豪・瀧井孝作はこの地に
生まれ『無限抱擁』『結婚まで』などの小説を遺したほか、「折
柴(せっさい)」と号して、俳句史に大きな足跡を遺した。
素朴だが作者にとって一番の馳走。ふるさとから届いた芊
茎を煮る鍋の音を聞きながら、ふるさとのあれこれを熱く思
い出しているのだろう。「望郷の」という詠み出しは、いか
にも作者らしく、一気に読者を杏子の世界へ引き込む。「芋茎」
は里芋の茎のこと、多くこれを干して冬の保存食とする。
少しの苦みが何とも美味い。作者のふるさとへの思いも芋
茎の味にしみ込んでいるに違いない。
獅子岩に咥えられたる冬の月     高濱 聡光
作者は三重県尾鷲の出身。年老いた母親のために最近は
よく帰省するという。元々は網元の跡取りだったが、漁業
に見切りをつけてトヨタ系の企業に勤めている。杏子さん、
聡光さんとつづけてプライバシーに歩み込み過ぎたかもし
れないが、ふるさとを持っているからこそ深く、また、琴
線に触れる作品が生まれてくるものだと私は思っている。
例えば芭蕉もふるさと伊賀を生涯愛しつづけたから生まれ
た句が多いと思う。俳句づくりは、ふるさとに軸足を置い
ていてこそ力のあるものになる。
尾鷲からほんの少し車で行くともう熊野だ。熊野に入る
と間もなく獅子岩がある。獅子が咆哮しているような姿を
した巨巌が海岸線に立っている。その開いた口が、今日は
月を咥えていうるように見えたというのだ。なじみの獅子
岩の珍風景に思わずはっとしたのだろう。
冬の蝶お知らせだけの喪が届く     中井 光瞬
この句もまたコロナ禍の一つだろう。私に関係した訃報
も全て「〇〇が何日亡くなりました。葬儀は親族のみで済
ませました」というものだった。これからまだまだこんな
ことが続くのだろうが、早く収束へ向けて為政者は頑張っ
ていただきたいものだ。
鼻歌の出る日のありて芋を煮る     鶴田 和美
「里芋の煮っころがし」という料理があるが、素朴であ
りながらこれほどうまいものはない。味噌汁の具に里芋と
いうのもいい。私の町ではそれを「芋子汁」というが、世
の中には素朴ゆえのうまさというものもある。というより
も世の中凝り過ぎが横行し、素朴さが見直されてきている
のかもしれない。「鼻歌の出る日」とはとても良いことの
あった日。あるいは芋の煮つけをいただけることそのこと
でもいい。
冬山葵流れの端に木地師村       阿知波裕子
滋賀県といえば琵琶湖と誰しも連想をひろげるが、意外
に山深い地方もあることを先年知った。つまり、小椋とい
う山村だ。その昔、惟高(これたか)親王が、藤原氏の力
によって皇位継承がならなかったばかりか、身の危険を感
じて山城国愛宕郡に隠棲した。いまも、小椋には小野宮の
跡が遺っており、惟高親王はこの村の人々に木地師の技法
を教えたという。現在、木地師の工房は数軒しかないが、
惟高親王の御陵やかつて木地師が集団で作業をしていたと
いう工房跡が、わずかだがのこっており、その面影を偲ぶ
ことができる。
工房跡に沿って谷川が流れ、そこには山葵が育つ。
寒星や乾いたチョコレートをひらく   田口 茉於
よく乾いたチョコレートはぱりぱりと折れる。逆に少し
温度が上がるととけてしまう。あるいは板チョコなどはヘ
ナヘナとしてくる。作者は外に出て、星を見ながらチョコ
を食べようとしているのだ。冷たいチョコはぱりっと割れ
て歯に心地よい。いわんや寒星の下では。
山登りにはチョコレートを携帯せよという。チョコレー
トは食べたらすぐにエネルギーと化すのだという。
咳き込めば視線背中にバス走る     松元 貞子
「飛沫感染」という熟語がいまや大はやりである。その
昔「ゴホンといえば〇〇〇〇」というコマーシャルが流行
したりしたが、それは「風邪薬の話」。コロナはこんな歌
を歌おうものなら張り倒されてしまう。「視線背中に」が
いまの世相を見事に言いとめている。

竹林のせせらぎ  今泉かの子

青竹集・翠竹集作品鑑賞(十二月号より)


山頭火忌草に根力ありにけり         辻村 勅代
自由律句を詠み、全国を托鉢しながら生涯を送った漂泊の
俳人、種田山頭火。足跡は三河周辺にも及んでいます。踏ま
れてもなお強い草の根がもつ力に、乞食僧としての姿が重な
ります。句集は「草木塔」、最後の永住地は松山の「一草庵」。
棒稲架を組めば夜空の回り出す        中井 光瞬
稲架の木組みが出来上がったところなのでしょう。この木
組みの仕掛けが田に出現したことで、まるで天体の中心とな
るかのような大胆な措辞。稲を干すための棒の水平や垂直の
線と、その上に広がる、刻々と変わる星座の動きや輝きを映
し出す面としての大空。雄大で頼もしい一作です。
大黒の喜色満面小鳥来る           渡邊たけし
豊川稲荷の「おさすり大黒天」です。参拝者に撫でられ過
ぎてお腹は見事に凹み、そのお顔は満面の笑み。秋の好日、
季語と相まってまこと喜ばしい。声に出して読んでも、上中
下にわたってカ行音がバランスよく配され、特にク音が一句
の韻きをひきしめているようです。
淋しくはないか野末の吾亦紅         工藤 弘子
吾亦紅は地味な花。咲いている場所が野の外れとなれば、
なおさら「淋しくはないか」の言葉かけが、胸に響きます。
また、そう問いかけることで、生きとし生けるものがもつ、
生きるさびしさのようなものを共有できるような気がしま
す。直截な言い方がしみじみとして温かい。
秋うらら雷門に羅宇屋出て          髙橋 冬竹
羅宇屋とは、羅宇(らう)という煙管(きせる)の雁首と
吸い口をつなぐ竹管をすげかえる職人をいうそうです。煙管
という喫煙具は、既に骨董的存在。季節は厳しい冬に向かう
ものの、秋のこの穏やかな日和。伝統の屋台がまさに「出て」
虚実皮膜の内に、浅草の秋のうららかさを詠っています。
おにやんま体育教師の飛んで来る       堀田 朋子
なんだかおもしろいことになっています。おにやんまのよ
うな教師であっても、おにやんまがその辺に飛んで来て体育
教師のような顔、体つきであっても、特に両者に関わりがな
くても、強そうなことは共通。五七五の型の中にあって、型
を超えて自在に遊ぶ、思い切りの良さが愉しい。
登利平の撤退跡や蚯蚓鳴く          鈴木 玲子
「登利平」の鶏弁当は「若竹」御用達。上州吟行の帰りに
は人数分、調達するのが私の大事な仕事でした。お値打ちで
おいしく、一つ余分に買って家苞にしたものです。その名店
も撤退を余儀なくされたのでしょう。さびしい限り。鳴けな
い蚯蚓にかわって鳴いてあげたい。今年はどうか安心して、
旅に出られますように。三河へも出かけて頂けますように。
あちこちの畑ぐろに咲く彼岸花        鈴木 里士
彼岸花はかつて田んぼの畔や畑の境に植えられ、有毒な鱗
茎がネズミやモグラの害を防ぐとも、またよく晒せば非常時
の食料補給になるとも聞きました。効率を求める耕地整理の
結果、彼岸花は数を減らしてしまったようですが、作者の見
る畑ぐろには、今も変わらない郷土の風景が広がっています。
朽舟に昼の虫鳴く入ヶ浦           岡田 季男
入ヶ浦はどこかの入り江と思いましたが、調べてみると佐
久島の地名。放置されたままの舟から聞こえる虫の音は、夜
と比べ小さな響きでしょう。島の入り江の昼下がり、虫の小
さな鳴き声が、辺りの静かさを引き立たせているようです。
空の海半分占めて鰯雲            乙部 妙子
上五の思い切った表現に、俳句の醍醐味が感じられます。
空の青は海の青。小さな鱗雲が今は空の半分を占め、そして
潮が流れるように、また空の鰯雲も流れていくのでしょう。
秋彼岸猫の菩提を弔いに           清水みな子
去年、命を閉じた猫の冥福を祈って、菩提寺まで出かけた
作者。それはなんと、三河から越前までの道のりを要する旅
でした。愛猫ルイと暮らした十数年という長い歳月。去来す
る思い出。縁あってやってきた小さな命を偲ぶ秋の彼岸です。
記念品もらって帰る敬老日          柘植 草風
毎年ということもあるのでしょう。コロナの影響もあるの
でしょう。淡々とした詠みぶりが、敬老の日のあっさりとし
た、事の流れを伝えています。現実的な一面を感じる一作。
土かけもどす蛇穴の三匹に          富永 幸子
冬眠に入ろうとしていた蛇の巣穴をうっかり暴いて、これ
は失礼とばかり、掘った土をまた「かけもど」した作者。一
つの穴に三匹いたというのも、リアリティがあります。十七
音にひろがる、小さなドラマの展開も愉しい。
名月の天心にあり眠られず          廣澤 昌子
あまりに美しい月なのです。天の中心から降り注ぐ神々し
いほどの月の光。羽織れば記憶を失う羽衣や天に昇った姫の
物語も想起されます。床に就いて尚、心穏やかならぬ月の夜。

俳句常夜灯   堀田朋子


まんじゅしゃげ子ら飛び越える川明り    こしの ゆみこ
(『俳壇』十二月号「かなしく美しく」より)
絵本童話の一場面を提示されたように感じる句。どこか懐
かしい里山の景。「川明り」より、太陽は暮れて、山の稜線
に秋の夕焼けが残っている薄暗い時間だろうか。川の表面は
ほのかに明るい。この時間帯は、色を持つものが不思議な鮮
やかさを見せる時でもある。川辺に沿って連なる曼珠沙華
も、その朱の色に夕焼けの茜色を纏っていることだろう。遠
い日、川を飛び越える遊びがあったと思う。今の子ども達に
も、夕暮れまで時を忘れて野に遊ぶ暮しがあるのだろうか。
現実というよりも、やはり作者の郷愁が色濃い句だと思う。
「まんじゅしゃげ」と平仮名表記であることが、子どもの目
線の高さの曼珠沙華であり、子どもの身体で測った幅の川を
思わせる。それが心地良い。
花の雨くぐりて薬買ひにけり         藤本 夕衣
(『俳壇』十二月号「願わくは」より)
「花の雨」がとても効いている。薬を買いに行くことは、
決して嬉しいことではないが、生活していればありえること
だろう。誰のための何の薬だろうと想像する時、「花の雨」
が安心感を与えてくれる。作者は仕事と育児に忙しい方のよ
うだ。きっとお子さんの急な病気か怪我で、それも家庭で対
処できるほどのものなのだろう。薬局への行き帰り、折しも
雨が降っている。けれど、ああ「花の雨」だなあと思えば、
厭う気持ちも薄らぐ。俳人はいいなあと感じる。生活の中で
の行為を良し悪しにかかわらず、安定した誠実さで行う方な
のだろう。「花の雨」の斡旋によって、句全体が曇りのない
愛情で満たされているようだ。
八千草の絮の飛び交ふ掩体壕         田中 貞雄
(『俳壇』十二月号「独吟」より)
掩体壕(えんたいごう)とは、装備や物資、人員などを敵
の攻撃から守るための施設だ。現在も自衛隊の管轄では使用
されているだろうが、掲句の掩体壕は太平洋戦争の名残りの
ものであろう。日本各地に残っていて、平和の尊さを伝える
貴重な資料として保存されている。
季節は秋、それも「絮の飛び交ふ」秋の終盤だろう。「八千
草」は、名も知らない草花への愛を籠めた呼び名だ。特定の
草花を示さないことで、余計に情趣の濃くなる季語だと思
う。蕭蕭と移り行く季節の中、「掩体壕」の前に立つ作者は、
抗しがたい歴史の流れを思っているのではなかろうか。その
流れの一滴である自己を、確認しているのではなかろうか。
どこか優しい「八千草」という季語が、そう思わせる。
絮は、次の世代の命の素でもあるのだろう。
踊り手のみな操られゐるごとし        鳥羽田重直
(『俳壇』十二月号「風の盆」より)
おわら風の盆は、俳人をはじめ多くの人々を魅了してやま
ない。沁み渡る胡弓の音に乗った越中おわら節の哀切感は、
誰をも慰める。坂町の道筋を男女の踊り手たちが、勇壮にま
た艶やかに踊りゆく。その様を「操られゐるごとし」と詠ん
だ掲句に、素朴な感受性を感じる。編笠によって個々人の顔
が隠されていること、無言であること。加えて、洗練された
シンクロ性がそう感じさせるのだろう。生身の人間を越えた
何者かが宿って踊らせているように思われたのではなかろう
か。作者は、一切の妄念から解放された踊り手たちの無心の
境地を感受されたのだろう。風の盆の魅力を詠み得ている。
接種痕撫づる一生涼新た           森野  稔
(『俳壇』十二月号「ひとり吟行のすすめ」より)
「接種痕」といえば、肩の日本脳炎のものと、二の腕のB
CGの痕だろうか。私は、有無も問わず小学校で集団接種を
受けた世代だ。体質によるのだろうが、多少の炎症は起こし
て消えない痕を残す。掲句によって、この痕は「一生」もの
だったのだと再確認させられた。各々が自分の身体に固有の
刻印をもっているのだなあと感慨が湧いてくる。
初秋、夏とは明らかに違う涼しさを、まず肌が感じ取った
のだ。無意識に二の腕を「撫づる」のは、何かしら慰撫する
行為ではなかろうか。気が付けば接種痕を撫でながらの人生
を、作者は愛しんでおられる。そして、「涼新た」という季
語に、これからの人生への抱負も感じ取れる。
私の「接種痕」も、存在証明のひとつのように思えて来た。
野良猫はあまたの名持ち秋の風        及川由美子
(『俳壇』十二月号「猫六法」より)
このところの猫ブームで、猫を詠んだ俳句が増えているよ
うだ。猫は句材としてなかなかの逸材だと思う。
昨今は、地域差もあろうが、保健行政によるのか野良猫を
あまり見ない。保護猫という概念が普及して、里親探しの仲
立ちをする非営利団体が各地にあるのも理由だろう。かつて
は、町や村全体で野良猫を許容する鷹揚さがあったような気
がする。誰もがその辺りを縄張りとする野良猫の顔を見知っ
ていて、見た目の色柄や特徴を捉えて、各自の呼び方で呼ぶ。
以前の飼い猫の名や、時には雰囲気の似ている知人の名を拝
借して呼んだりする。応えてくれなくてもいい。それが猫と
いうものだから。野良猫の方もこの辺りの住人のことは、大
概承知しているものだ。追い払うような人か、餌をくれる人
かが重要で、呼び名など気にしていないだろう。
けれど、人間には呼び名は大切だ。呼ぶとは、なにがしか
の感情に裏打ちされたものだから。季節が移っても「あまた
の名」を持つ野良猫の安穏な行く末を祈りたくなる。「秋の
風」が、そんなことを思わせてくれる。