No.1085 令和4年9月号

井垣清明の書24

臨漢七角地券甎

平成6年(一九九四年) 五月
第29回北城書社展(上野の森美術館)

釈 文

喜平五年(一七六年)七月庚寅、朔十四日癸卯
(の日)、廣郷楽成里(地名)の劉元薹(人名)は、
同縣の劉文平の妻より代夷里の塚地(墓地)一
處を買いたり。價あたいは銭二萬なり。(以下略)

流 水 抄   加古宗也


山藤や九十九折りなる塩の道
藤房や馬摂待の水溢れ
茅花流しや東條の砦跡
海の日やかつて吉良にも座礁船
浜木綿や潮風荒き伊良湖岬
詩を紡ぐ人あり見上ぐ花樗
女学校跡地吹雪ける花樗
花樗「倚りかからず」と云ふ詩篇
花樗むらさきの香を押しひろぐ
花樗三尋もありし幹を抱く
薫風や西尾駅にも駅ピアノ
藤棚を抜けて城番屋敷跡

真珠抄九月号より 珠玉三十句

加古宗也 推薦


尺蠖の屈伸を見つ刃物研ぐ        川端 庸子
通り雨いくど小さき虹いくど       平井  香
三線の哀しき調べ沖縄忌         新部とし子
切支丹燈籠火袋に蚊遣香         田口 風子
イクメンの育児書胸に午睡かな      鈴木 玲子
南風の島吃水を下げ船帰る        髙𣘺 まり子
あいまいな古稀を迎へて蛍の火      中井 光瞬
御巣鷹に未だ詣でず夏の星        工藤 弘子
湯の町を少し歩きぬ夕薄暑        水野 幸子
次々と鴉の飛来植田中          春山  泉
梅雨冷の一灯しづか救急医        長村 道子
滝音を五臓に聴かせ温泉に浸る      池田真佐子
夫にして駄々子なりし冷し酒       重留 香苗
夫の忌の膳をはみ出す蟹赤し       近藤くるみ
お隣りの解体の音夏最中         服部  守
葦切や男の会話短くて          稲吉 柏葉
何奪はんと熱風の押しよする       大澤 萌衣
対岸にドック夜勤の灯の涼し       堀田 和敬
仁丹のブリキ看板麦の秋         堀場 幸子
境内に花街許し濃紫陽花         堀田 朋子
ダリア咲く嫁が笑へば姑も        岩瀬うえの
全身で笑ふ赤児や聖五月         藤井 歌子
金床を吾子のごとくに撫で涼し      三矢らく子
なみなみと注ぎし形見の切子猪口     磯村 道子
沙羅落花踏まないように参拝す      岡田 季男
すててこの義父が厨に葬の朝       山科 和子
掌中の螢を闇に戻しけり         中野まさし
けふ仕舞ふ店の看板初鰹         坂口 圭吾
膝痛は長寿のお負け御器嚙        石崎 白泉
片方のピアスを探す裸足かな       鈴木こう子

選後余滴  加古宗也


三線(さんしん)の哀しき調べ沖縄忌     新部とし子
昭和二〇年六月二三日、沖縄軍司令官が摩文仁岬で自決し
沖縄守備軍は壊滅した。沖縄ではこの日を「慰霊の日」と呼
び、「沖縄忌」とも呼んで、摩文仁岬の平和記念公園で、
二十数万人の戦没者を慰める追悼式が今も毎年行なわれてい
る。この戦闘で住民の四分の一以上が亡くなり、今日なお、
遺骨の見つからない人が多い。新しい戦没者が公園内に林立
する平和の礎(いしじ)にその名が刻される。「三線の調べ」
に、沖縄の戦没者への深い哀悼の念が強くわれわれに伝わっ
てくる。沖縄返還の見返りに、沖縄に日本に置かれた米軍基
地の七割が存在するという事実を沖縄県民はどう思っている
のか。「哀しき調べ」がその答えのようだ。
切支丹燈篭火袋に蚊遣香           田口 風子
徳川幕府による切支丹弾圧の嵐は長崎だけでなく、京に
も、尾張にも、さらに全国各地に及んでいる。尾張徳川家で
は切支丹信仰を比較的緩やかに行っていたようだが、幕府か
らの強い要求で、ついに三千人ともいわれる切支丹の弾圧を
断行している。掲出句はそれをテーマにしたものだろう。尾
張藩は処刑後、強い後悔の念から栄国寺という寺を東本願寺
別院にほど近いところに建て、切支丹を葬ったという。栄国
寺には隠れ切支丹とその弾圧に使われた道具など、例えば
「踏絵」などが寺宝として遺されているが、参道には切支丹
燈篭がいまも残されている。「蚊遣香」が尾張藩の切支丹弾
圧の歴史をひもとくのに一つのキーワードにもなっている。
イクメンの育児書胸に午睡かな        鈴木 玲子
「イクメン」という言葉が流行しだしたのは何時頃からだ
ろうか。「男女平等」「ウーマンリブ」を経て、「イクメン」
が当り前のようにマスコミでも放送されるように。奥さんも
その気になり、若い夫もその気になって、休日には育児にせ
いを出す。その結果、会社勤めの疲れの溜った夫はつい午睡。
こういうのを悲喜劇、あるいは夫の悲哀というべきか。「育
児書胸に」がせつない。
湯の町を少し歩きぬ夕薄暑          水野 幸子
湯の町の夕散歩は、温泉旅行の最高の楽しみの一つだ。温
泉まんじゅうをつまみながら、下駄を鳴らして歩く心地よさ
は格別だ。それも、薄暑が何よりも馳走なのは温泉街が生み
出す開放感が一役買っているのだろうか。
梅雨冷の一灯しづか救急医          長村 道子
救急病院の夜は妙に静まり返っていることに救急外来の出
入口は一般窓口のある正面出入口と違って、たいてい横にで
きていて、やや暗く感じられる一灯が点っているいるだけ
だ。患者の家族は心細さも手伝って、その一灯に梅雨冷を感
じてしまう。「しづか」が緊張感を増幅させている。
御巣鷹に未だ詣でず夏の星          工藤 弘子
日航ジャンボジェット機が群馬県の御巣鷹山に墜落してか
ら何年がたったろうか。あの事故で歌手の坂本九らが一瞬に
して死んだ。当時、上毛新聞の記者として取材に当った横山
秀男が、『クライマーズ・ハイ』という小説を執筆。映画化
されて、大きな反響を呼んだ。一九八五年八月一二日。日本
航空のジャンボジェット機事故。五二〇人死亡。その後、御
巣鷹山では毎年、追悼行事が行なわれている。御巣鷹山で亡
くなった人々への追悼の気持ちが、「夏の星」に凝縮している。
対岸にドツク夜勤の灯の涼し         堀田 和敬
瀬戸内には、呉・長崎など大型船の造船所を持つ市がいく
つかある。かつては軍艦の造船所でもあったものが、今は大
型船舶の造船所として、いまも鉄板を打つ音をひびかせてい
る。大量輸送を可能にするのは、船以外にない。日本の流通
経済を支える基幹産業の一つが造船である。広島出身の作者
の郷土への誇りが「灯の涼し」に心地よく表現されている。
仁丹のブリキ看板麦の秋           堀場 幸子
俳句が他の文芸と比較して圧倒的な力を見せるのは「懐か
しさ」だ。田舎の何でも屋、古い薬屋、ときに電柱に巻き付
くように貼られた仁丹のブリキ看板。口に含んで口臭を防ぐ
仁丹、その昔からちょっとした隠れたお洒落として親しまれ
てきた。「麦の秋」という季語の斡旋が懐かしさをさらに増
幅させている。
夫にして駄々子なりし冷し酒         重留 香苗
香苗夫婦のいまがじつにリアルに表現できていて楽しい一
句だ。夫婦で冷酒を飲み交しているというのも楽しいではな
いか。
なみなみと注ぎし形見の切子猪口       磯村 通子
切子とは薩摩・江戸に代表される硝子の食器。その風情か
ら夏の季語とされる。なみなみと注がれたのは無論冷酒。亡
くなった人がくっきりと思い出される。

竹林のせせらぎ  今泉かの子

青竹集・翠竹集作品鑑賞(七月号より)


合掌家の縁軽暖の汗引かす          池田あや美
その風景の中に身を置くとは、きっとこういうこと。大掴
みな景の中に、移ろいゆく季節の微妙さが巧みに詠まれてい
ます。歴史を物語る家の広い縁側に腰を掛けて、ひと息つい
ているのでしょう。季語に執着していないようなおおらかさ
が、肌感覚の実感と結びつき、臨場感を生んでいます。大き
な家の空間の豊かさ、風通しのよさ、そして公私半々の縁側
のもつ開放感。汗が引いた肌も心地よい、初夏の陽気です。
胸中に水の流るる更衣            荻野 杏子
一読、胸のすく思いがします。流れる水の水音や清涼感が、
衣更えの涼しさとなって、ストレートに届きます。選ばれた
平易な言葉による暗喩が、すっと胸に入るのです。まるで藍
の浴衣に袖を通したかのような、読めば暑さをしのげるよう
な。わかりやすくて、なお且つ新しい。
柏餅重箱二ツ里帰り             金子あきゑ
重箱には、めでたいもののお裾分けか、何かおいしいもの
が入っていたのでしょう。下五の措辞に、実家や在所とつな
がる明るさを感じます。昔は器を空で返すのはよくないとし
て、ちょっとした果物やお菓子と一緒に返していました。端
午の節句のめでたさにお里帰りの賑やかさも加わって。
丘すでに承知之助と初燕           服部くらら
子燕のかわいらしさ、威勢のいいちょっとやんちゃな感じ
が、承知之助クンに表れています。「合点承知之助」は、も
ともと江戸っ子言葉。丘の辺りは任せてと、勢いよく飛び出
していきそうです。懐かしさを覚える言い回しに、かつての
若者言葉にも、「激おこぷんぷん丸」や「ぴえんヶ丘どすこ
い之介」の人名もあったことを思い出しました。
伊能図に島はこぼれて海つばめ        中井 光瞬
伊能図は、伊能忠敬がつくった日本最初の地図。江戸時代
の地図にその島は描かれていなかったのでしょう。地図の枠
からはみ出したところにあるのでしょうか。海つばめが自在
に飛ぶ海の茫洋とした広さも「こぼれて」から感じます。海
面をかすめながら飛ぶ、伸び伸びした感じ。また、海燕は燕
の仲間ではなく、ミズナギリ目ウミツバメ科、燕はスズメ目
ツバメ科。別種でした。季語としての扱いはわかりませんが、
どうもまだのようです。因みに川燕は燕の傍題です。
新聞を丸めて捨てる五月場所         濱嶋 君江
贔屓力士が思ったほどの力を発揮せずに、千秋楽を迎えて
しまったのでしょうか。東西の番付表が載るのは、場所の始
まる前日、土曜日の新聞。中七の措辞から、作者の消沈した
思いが読み取れます。決着がついたら、そこでもうおしま
い。さてご当地の七月場所はいかに…。
夕薄暑指が届かぬ壜の底           大澤 萌衣
届きそうで届かない、もどかしさ。瓶の途中まで指先が伸
びていても、一番下までは届かないのです。辺りは、夕方に
さしかかっているものの、昼の明るさがまだ残り、汗ばむよ
うな暑さも収まっていないのでしょう。瓶の底にあるのは手
に入れたい何か。瓶の中の指の動きに、気だるいような疲れ
を感じる「夕薄暑」です。
春昼やぽこぽこと湧く裏清水         奥村 頼子
「垂井宿」と題された一句。小さな泡が湧きたつ音の響き
も軽快です。かわいらしさもある「ぽこぽこ」の擬音(態)
語が、「春昼」の時間帯や柔らかい響きと共鳴、呼応してい
ます。「垂井」という水に因んだ地名のとおり、小路には裏
清水が流れ、今も地元の方の手によって清潔に保たれていま
す。「俳句を詠みたくなる町」垂井への挨拶句。
手ざはりの茶碗は益子新茶汲む        茂原 淳子
新茶の良い香りがします。色は美しい、さみどり色。味
は、清々しいような、若干甘さを含んでいるような、なんと
も言えない、いい味です。手にしている茶碗は、やや厚めの
素朴な風合いの益子焼。その手触りのあたたかな感じと共
に、淹れたての新茶のおいしさが伝わってきました。
植木屋の値切られ上手みどりの日       浅野  寛
近江商人のモットー、「三方よし」を思い出しました。「買
い手よし」「売り手よし」「世間よし」は現代にも通じる商い
の哲学です。値切って買った方も、値切られて売った方も満
足。植木屋で手に入れられた鉢物も、新しいところでこれか
らさらに若葉の輝きを増していくのでしょう。
陶祖まつりみやげは皿と柏餅         田村 清美
調べてみると陶祖まつりとは、瀬戸焼きの陶祖である藤四
郎(加藤四郎左衛門景正)を偲ぶ祭りだそうです。大量の瀬
戸焼の器の中から、お気に入りの皿を見つけられたのでしょ
う。陶祖まつりと柏餅の両方に、今につながる歴史と、ハレ
の日のめでたさが重なります。帰宅後のお楽しみがあれば、
重さもさほど気にならないものでしょう。
〈訂正とお詫び〉
七月号本欄掲載句の作者名は「奥田」ではなく「奥平」
の誤りでした。訂正し、お詫びいたします。

十七音の森を歩く   鈴木帰心


ひよつこりとパン屋ができてあたたかし    岩岡 中正
(『俳壇年鑑二〇二二年版』より)
「ひよっこりと」の措辞が楽しい。よその町からやって来
た若夫婦がパン屋を開いた。外からそっと店の中をのぞくと、
二人は笑顔で会釈した。並んでいるパンもふっくらと美味し
そうで、早くもこの店の常連になる予感がする。季語「あた
たかし」からそんな情景が思い浮かぶ。
ぶらんこを譲りつづけてゐる子かな      千野 千佳
(『俳壇年鑑二〇二二年版』より)
思わずこの子を応援したくなった。ぶらんこに乗ろうと
思っていた時、大きい子や元気な子が割り込んできて「乗
せて」と言われたら「ボクが先に乗る」と言えない子なの
だろうか。あるいは、ぶらんこに乗るのが少し怖いので、
譲り続けているのだろうか。いずれにしても、「ほんの少し
の勇気」があれば人生は拓けていく。この子は、人生に必
要な知恵をぶらんこから学ぼうとしている。ガンバレ!
ごきぶりと打てば絵文字の出てきたる     堀切 克洋
(『俳壇年鑑二〇二二年版』より)
掲句を読み、筆者は、早速スマホで「ごきぶり」と打って
みた。確かにその絵文字が出てきた。「ごきぶり」という音を
聞くだけで、ゾッとする人も多く、まして、その絵を見るの
も嫌だと言う人はさらに多いと分かっているはずなのに、メー
ルの開発者はその絵文字を忍ばせた。ゴキブリ嫌いの人が、
誤ってその絵文字を出して、うぁっと声をあげる姿を想像し
てほくそ笑むのが彼らの目論見なのだろうか。今風の句だ。
母の日やリボンゆつくり解きけり       平賀 寛子
(『俳句界』七月号「作品10句」より)
子供たちより贈られた母の日のプレゼントを、作者は、は
やる心を抑えつつ、丁寧に開いていく。解かれたリボンも包
み紙も綺麗に畳み、箱の蓋もゆっくりと覗き込むようにして
開ける|そんな作者の一連の動作、さらには、プレゼントを
見たときの作者の目の輝きや、子供たちに向ける笑顔までが
見え、「ありがとう」という作者の声までも聞こえてくる。
それらはすべて、「ゆつくり」という措辞のよろしさによる。
おとろへは聞く力にも走り梅雨        奥名 春江
(『俳句四季』七月号「巻頭句」より)
「走り梅雨」は、やがて来るだろう梅雨への恐れ(期待も)
を感じさせる季語である。聞く力に衰えを感じるようになっ
た作者は、その不安な思いをこの季語に込めた。句会のあり
がたさは、そのような不安を分かち合える友に会えること
だ。困っている自分に、友はさりげなく助けの手を差し伸べ
てくれる。メンバーの高齢化が進み、句会の進行もスムーズ
とは言い難い。しかしそのことにも俳味を感じるのが俳人。
俳句をしていてよかったと思うのは、そんな時だ。
亡き人のアドレス消せず梅雨深し       福神 規子
(『俳句』七月号「金魚玉」より)
梅雨の時期が長く続く情景が「梅雨深し」である。作者は
故人への追慕の念をこの季語に込めた。筆者の所属する句会
でも、この数年で、何名かの句友を喪った。筆者もその方々
の携帯番号は消すことができない。その番号に掛けても、そ
の方々が電話に出ないのはわかっている。だが番号を消すこ
とはまだ無理だ。中には、お子さんが、故人のラインを引き
継いでくださった方もいる。大切な人との繋がりは、容易に
消し去ることはできない。
図書館てふ活字の森にゐて涼し        大沢美智子
(『俳壇年鑑二〇二二年版』より)
「活字の森」とは言い得て妙。図書館に入り、多くの本の
並ぶ書架を歩くと、確かに森林浴をしているかのような涼や
かな気持ちになる。書物特有の香りも心地よい。スマホはバッ
グにしまって、しばしこの活字の森を歩いてみよう。
朴落葉あたまに乗せて遊びをり        中村 雅樹
(『俳句界』七月号「自選30句」より)
微笑ましい句だ。あの大きな朴の葉を手に取れば、子供な
らずとも、童心に返って遊んでみたくなる(八手の葉っぱな
どもそうだ)。愛知県西尾市の教蓮寺には大きな朴の木があ
る。ある日、寺を訪れたとき、住職は、「子供の頃はこうし
て遊んだものだよ」と言いながら、朴葉で風車を作り、筆者
にくださった。その風車は、息を吹きかけると勢いよく回っ
た。住職と二人で笑い合った。
われらみな素数なりけり冬の星        田代 青山
(『俳壇年鑑二〇二二年版』より)
この句を読み、すぐに思い出したのは、『博士の愛した公
式』(小川洋子著)という本だ。記憶が八十分しか持たない数
学者が、最も愛したのは素数だという話だ。素数とは、「1と
自分自身以外では割り切れない、一見頑固者風の数字」(前掲
書)である。そしてこの本の登場人物は「素数の魅力は、そ
れがどういう秩序で出現するか、説明できないところにある」
と言っている。作者は、人間の誕生(出現)も同様であるので、
「われらみな素数」であり、しかも、「冬の星」のように一人
ひとり独自の光を放つ掛け替えのない存在である、と訴えて
いる。この句から、人間の存在の尊さをあらためて思う。