井垣清明の書33雅歌吹笙平成9年(一九九七年)一月 釈 文雅歌 笙(しょう)を吹く、これを考へるに六律、八音 |
流 水 抄 加古宗也
親不知子不知卯浪立つところ
鮎しきりのぼり姉川河口簗
葭切や分流堰は渦を巻く
砦跡のこる東條今年竹
火葬場へ大きく曲り今年竹
今年竹背に産小屋の閉されをり
産小屋に並ぶ浅小屋今年竹
東海道藤川宿
棒鼻を抜け吉良道へ今年竹
旧額田町千万町
ほととぎす聞く神君の狩場跡
あぢさゐやくもりし眼鏡また拭ふ
黴の厨子小野篁仁王立ち
重光と刻す出刃あり梅雨冷ゆる
火涼し足して松炭栗の炭
火床(ほど)打たば火玉涼しく飛び散れる
大樹寺
だまし絵も寺宝の一つ送り梅雨
水郷の名残りぞいまは金魚田に
競札をせせる出目金白盥
滴りや鼻梁の高き磨崖仏
深溝松平、廟所
枇杷の実や廟所に小判石敷かれ
サロマ湖に野営の火あり風を聞く
真珠抄六月号より 珠玉三十句
加古宗也 推薦
新聞紙敷いて燕に軒を貸す 荻野 杏子
花の下百歳までは無理と母 池田真佐子
行く人を見つめてしまふ春の雨 川嵜 昭典
鶯の声にお斎の箸を置く 濱嶋 君江
一揆寺出る真白な春日傘 酒井 英子
春暁や死にゆく人と聴くバッハ 江川 貞代
退職の日もタケノコを掘る夫よ 山科 和子
ぽぽぽぽとたんぽぽ今朝の渡し跡 長村 道子
戻りきし文懐に半仙戯 工藤 弘子
たんぽぽや少し大きな子供靴 梅本ちひろ
手の窪を食み出す薬雀の巣 鈴木 玲子
いろはから始める習字木の芽時 鶴田 和美
夫抱きて逝かせし妻よあたたかし 堀田 朋子
機関車の二度鳴る汽笛山桜 中井 光瞬
芋種を植ゑて大空仰ぎけり 春山 泉
春愁や孔雀の羽の重たげに 水野 幸子
切れぎれの眠りをうめて水中花 大澤 萌衣
緑摘むひよいと梯子に飛び乗りて 関口 一秀
鳥曇廃校に立つ金次郎 加島 孝允
花の雨指に食ひこむ絞り糸 堀場 幸子
花の雨明るしビニール傘の下 平井 香
春の虹しまなみの浜乗り上げる 村重 吉香
遠足児かぞえ直している教師 斉藤 浩美
壇家みな手馴れて彼岸前掃除 服部 喜子
断ち切れぬ未練ふらここ揺れ残る 新部とし子
飛花落花口よくまわる軽業師 小柳 絲子
主婦灌ぐ甘茶家族の五人分 三矢らく子
大きく厚き石棺や花の雨 笹澤はるな
鷹鳩に化し吉良人は赤穂へと 鈴木 帰心
花の昼柩に埋める花の嵩 高橋 冬竹
選後余滴 加古宗也
花の下百歳までは無理と母 池田真佐子
人間の寿命というものは、本人では測りしれない。医者
でもその人の死期が近づいてこないとわからないようだ。
この句の場合、母親がすこぶる健康であるところから生ま
れた微笑ましい会話と理解するのがいいと思う。母親自身
も「私なんか」と謙遜しながらも、もしそれが達成できた
らうれしいと思っているに違いない。繰り返しになるが、
こんな会話ができるのも母親がいたって健康であればこそ
で、親も子もそのことを嬉しく思い、互いに祝福している
のだと思う。先師富田潮児は十七歳で大病を患い、あと何
年生きられるか、と家族をやきもきさせたというが、奇蹟
的な生命力で長寿を得た。亡くなる一カ月余り前まで俳句
を作る気力があった。もっとも、十七歳の折りの病気がも
とで、次第に視力が減退し、一年ほどでほぼ失明という状
態になったと聞いている。
盲子の膝撫でてゐる袷かな 富田うしほ
うしほ句集の序に村上鬼城が取り上げた一句だ。私は潮
児に師事して五十年余りになるが、出会ってから亡くなる
まで、潮児が回りの人たちに愚痴や怒りを見せたことはな
かった。ゆえに私は師を「生き御魂のような人」と思って
いる。それを「若竹」の誇りとして皆に伝えてゆきたい。
生涯を自然体で生きられることはすごいことだと思う。
退職の日もタケノコを掘る夫よ 山科 和子
タケノコは人間の都合に合わせて成長してはくれない。
一日遅れたらもう硬くなるだけでなく味が落ちてしまう。
この句「退職の日」がいい。「退職の日」は自身の人生の
全てを凝縮したような日といおうか、人生そのものが大き
く自身に甦ってくる日でもある。退職の日に掘ったタケノ
コは家族揃って噛みしめるように食べたに違いない。
春暁や死にゆく人と聴くバッハ 江川 貞代
朝、海の潮が引く時刻にご主人は忘くなられたのだろう。
ご主人はバッハがお好きだったようだ。この時の連作の中
に夫を抱いて最期を送ったという句があったが、チェンバ
ロの音が大きく強く私の胸にもひびく。
春暁にバッハと逝けり夫いのち 貞代
春暁の夫の温もり腕にまだ
文字通り、絶唱だ、そして、
回り道して柩と通る花の下
花の雨夫送り悔ばかり悔ばかり
ご主人のご冥福をお祈りしたい。
ぽぽぽぽとたんぽぽ今朝の渡し跡 長村 道子
「ぽぽぽぽ」とたんぽぽの咲く様子を擬態語で表現した
ところが面白い。そのはずんだ気分が「たんぽぽ」の「ぽぽ」
とも連動しており、それがより心の弾みを表現するのにか
なっている。ひょっとしたら「たんぽぽ」の「ぽぽ」も、「ぽ
ぽぽぽ」と咲く様子に誘発されて生まれたのかもしれない。
「今朝の渡し跡」と昔のよき時代を心地よく甦えらせている。
飛花落花口よくまわる軽業師 小柳 絲子
花の名古屋城址だろうか。金の鯱が輝く天守閣が、いま
復元、つまり、コンクリートから木造に建て替えるとかで、
新たに再建されるまでに何年かかるのか。予定は未定で
あっていまのうちにと名古屋城を訪れる人が多くなってい
るようだ。名古屋城は徳川家康が建てた城で、かつて徳川
御三家の筆頭・尾張徳川家の居城であったところ。NHK
大河ドラマ「どうする家康」の人気とあいまって、花の名
古屋城は大にぎわいだったようだ。屋台店や猿まわし、は
たまた軽業師も登場している騒ぎはまさに春祭りだ。この
句、「飛花落花」を受けて「口よくまわる軽業師」が面白い。
軽業師の本意を見事に表現して過不足がない。
一揆寺出る真白な春日傘 酒井 英子
一揆は全国各地で起きているが、この句は三河一向一揆
にかかわる寺を指しているようだ。つまり、三河の一向宗
(浄土真宗)門徒が徳川家康と真正面からぶつかり合った
一揆で、家康をさんざんに苦しめた。この一揆は後に、三
方ヶ原の闘い、伊賀越えと並び家康の三大危機と歴史家が
呼んでいる事件だ。この一揆の中心だったのが、現在の安
城市内にある通称・野寺。本証寺だ。家康のだまし討ちに
よって鎮圧されたが、今も広大な寺領を持ち、二重の堀、
土塀、太鼓楼など城郭づくりの威容を保っている。「真白
な春日傘」によって、寺は無論のこと近在の平穏な暮しぶ
りが見てとれる。
花の雨明るしビニール傘の下 平井 香
雨といえばすぐに暗いイメージが湧くが、花の雨は別物
だ。花の雨には暗いイメージは一切ない。ビニール傘を差
していることで、傘を透かした日の明るさにあらためて驚
かされている。俳句の詩情の一番手は驚き。
竹林のせせらぎ 今泉かの子
青竹集・翠竹集作品鑑賞(四月号より)
長台詞熟し切つたる梅花節 服部くらら
田峯子ども歌舞伎と題された一句。長い台詞を覚える大変
さや、歌舞伎独特の言い回しの難しさを乗り越え、上々の舞
台だったのでしょう。数年前実際目にして、辺鄙な過疎の地
にあって、豪華な衣装や書き割りの見事さにも驚かされまし
た。「梅花節」は建国記念の日の傍題。やや古風な季語に、
この地に守られてきた地芝居としての芸能の歴史を思いまし
た。
面会五分待春の夫撫でて 池田あや美
オンラインで繋がった画面や硝子越しの面会ではない、と
分かる句末の「撫でて」。コロナ禍の厳しい医療現場を経て、
たとえ五分の短い時間であっても、直接触れることの許され
た今の状況が温もりをもって伝わります。春を待ちわびる思
いは、妻も家族も同じでしょうが、それは入院中の夫自身が
一番という思いの「待春の夫」なのでしょう。
春光や奉納歌舞伎村挙げて 岡田つばな
奥三河の山峡に根付いた田峯歌舞伎は、江戸の昔、季節外
れの雪で役人の検分を免れたという霊験伝説によるもの。そ
のときの約束を守る奉納歌舞伎です。今も地元の方は、勤め
を休んででも、準備練習を優先すると聞きます。熱い思いと
結束の強さはまさに「村挙げて」。今年は小屋を立てずに野天
での観覧。春の遅い山里に毎年受け継がれてきた春の景です。
ありなしのざはめき雛の灯の入りて 工藤 弘子
雛段に置かれた雪洞に灯がともった頃、その灯の下に生ま
れた、あるかないかのようなざわめき。明るく照らし出され
たお雛様や官女、随臣等の華やぐ雰囲気を、鋭敏な感覚で表
現。これから始まる雛の夜のみやびな気配が伝わります。
台本をなぞるがごときイルカショー 鶴田 和美
見事な芸を次々と。生きもの相手ですから順番にセオリー
通りが最重要。それは、飼育員のイルカに対する愛情や熱意
の賜物でもありますが、私達は驚きと共に、たぶんその芸を
身に着けるに至った両者の奮闘に拍手喝采するのでしょう。
掲句にある若干冷めた視線に、ショーという華やかさの裏に
ある、見せ物としての残酷さも感じます。国際的に動物虐待
が問われる昨今、いつか過去の興行となるのかもしれません。
毎年よこの日の川に残る鴨 三矢らく子
〈毎年よ彼岸の入りに寒いのは 子規〉が、まず思い出さ
れますが、この日とは二月十二日、瓢々忌の日。毎年のなら
いとして、この川にまた残る鴨を見たのです。身ほとりにい
つも俳句がある作者の、子規の母と同様、つぶやきの一句。
さよならを入れる封筒月おぼろ 大澤 萌衣
月がおぼろに霞んでみえるウェット感と別れの情感とが微
妙に合わさり、それを夜の闇全体が包み込んでいるかのよう
です。が、それでいて別れの言葉は、「さよなら」とあっさ
り軽く。どこかクールな感じが斬新で魅力的でもあります。
白鳥の仔ら日本語に馴れて来し 堀口 忠男
日本へ飛来してきて、幼鳥もしばらく経つのでしょう。人
の発する言語の抑揚が、鳥語として通じるのかわかりません
が、呼びかけに応ずるようになれば、また一段とかわいい。
渡りに入るまでのそれは期間限定。命あるものへの親近感。
ダンボール畳む店員日脚伸ぶ 神谷つた子
一句の中を遡る時間の流れと、人の動きが目に浮かびます。
段ボールを畳む前には、きっと商品を取り出し陳列棚に並べ
る、という仕事があったでしょう。その作業を経て今、午後
の店先に射すまだ明るい陽の光。春はそこまで来ています。
冴返る仁吉の墓の刳り跡 杉浦 紀子
刳(えぐ)り跡が、体を張って生きた吉良の仁吉の生き方
を物語っているようで、胸を衝かれます。合理性だけを求め
るのは虚しい。一本の義を貫く、おのれの実を求めた人生。
連凧の尾っぽ鳴らして駆け上がる 伊藤 恵美
この勢い。竜のような生きものが空へ向かって昇ってゆく
スピード感。命が宿っているかのような凧の動き、その連な
りに、世代をつなぐような頼もしさも、また感じます。
古布を縫うにわか袋師春の縁 冨永 幸子
「にわか」から漫才の俄(仁輪加)狂言を想起。古布を袋
ものにするべく、いきなり掲げた袋師の看板が楽しい。開放
的な縁側と、にわか仕込みの展開がマッチした、春の明るさ。
家康に母胞衣塚に春日かな 長坂 尚子
誰にも母があるのは当たり前なのですが、掲句は必然。天
下統一を成し遂げた家康を生んだ母と、岡崎公園の胞衣(え
な)塚にさす日のうららかさが見事に呼応。対句表現の妙。
ワクチンの後遺症とや寒灸 鎌田 初子
最新の医療開発によるワクチン投与。コロナの脅威は収ま
りつつある一方、後遺症に苦しむ現実もあるそうな。さて漢
方処方の寒灸(やいと)、寒中にすえるお灸の効能や如何に。
一句一会 川嵜昭典
温む水鯉の胸鰭より生るる 稲畑廣太郎
(『俳壇』四月号「成田山の春」より)
水中で実際に水が動いているようすは見ることができな
い。見ることができるとすれば、水が動いた結果の、その周
りの小石なり水草なりが動いているようすだ。すなわち掲句
は、鯉の一掻き一掻きから、その周囲の水草などが揺れるさ
まを描いている。そしてその揺れが、昨日とは違う、温かみ
のある揺れだと、作者には感じられたのだ。鯉の一掻きごと
に水の中も春になっていく。それに触発され、水草なども変
わっていく。そんな水中の春を感じる。また、「生るる」と
いう雅語を用いることによって、鯉が春を生み出す主のよう
なようすになっているのも面白い。
ひらがなの枠をはみだす春隣 日下野由季
(『俳壇』四月号「海を見てをり」より)
おそらく字を覚えたての子供が、練習用の枠をはみ出して
字を書いたのだろう。それだけで微笑ましい光景だが、それ
が「春隣」という季語によって、さっぱりとした一つの詩と
なった。春隣の本意として、春を待ちわびる、すぐそこにあ
る春に手を伸ばしたい、という気持ちがあるだろうが、そん
な本意と、毎日着実に成長していく子供の、その枠をどんど
んとはみ出していく姿とが、付きそうで付かないという絶妙
な距離感で一つの句の中に存在している。
ポケットに冬日の余分閉ぢ込めて 池田琴線女
(『俳壇』四月号「琴の絃」より
日中に冬の日差しを堪能した帰り道だろうか。もう日は落
ちてしまっているが、ポケットに手をあてれば昼間の日差し
の名残が残っている。それを力に冬の日暮れの寂しさをこら
える。なんとなく寂しいとき、音楽を聴いたり本を読んだり
して、力になってくれるものを探そうとするが、自然の、そ
れも太陽の光というのは、そんな力になってくれるものの中
でも一番大きいものと言っていいだろう。俳句が自然と繋
がっているのを感じさせる句。
スマッシュを全身で打つ日永かな 渡辺 和弘
(『俳壇』四月号「早春」より)
「スマッシュを全身で打つ」まで読むと、汗などの夏の季
語を想像してしまうが、「日永」という春の季語が来るとこ
ろが意表をついている。選手の渾身のスマッシュの姿が春の
扉を開けたようであり、選手が春を全身で呼びこんでいるよ
うにも感じられるのである。それでいて「日永」という、
ゆったりとした季語によって、その選手の動きは切迫してお
らず、いかにも健やかに、伸び伸びとした動きであるように
描かれている。上五中七が、下五の季語によって見事に裏切
られる。
雑居ビル門松大きかりにけり 三村 純也
(『俳句界』四月号「去年今年」より)
三百六十五日、二十四時間何かしらが営業している季節感
の薄れた現代では、たとえ正月はどんなところにもやってく
る、と理屈では分かっていたとしても、こんなところにも正
月が、と驚くことがある。掲句の、雑居ビルの貸主も借主も、
正月が来ることをそれほど重要視はしていないだろう。だが
一方で、一年が経過することを、やはりそれなりに、安堵の
気持ちを持って迎えているのだ。それがこの、大ぶりな門松
であり、子細にはこだわりはしないものの、正月に門松を設
置するという行為にはこだわっている。現代人の、季節との
かかわりの機微を表しているように思う。
春潮に何度言ひ聞かせても濡れ 抜井 諒一
(『俳句界』四月号「六年の道」より)
子供を実際に育ててみると、子供は思った以上に自然に近
い生き物なのだと実感する。子供を前にすると、親が理想と
している理屈などはがらがらと崩れ、子供の思う通りにする
しかないと諦めることがよくある。同時に、大人となった自
分がいかに人工的なものに染まってしまったのかと振り返る
ことになる。海が人間を生み出したのだとすれば、掲句の
「春潮」と子供との距離は、大人の言葉よりもよっぽど近く、
春潮の方に行くのは当然だとも言える。そこに、人としての
在り方、大人となった自分が、本当はどう在りたかったのか
と再認識する機会が訪れる。そうやって大人の心がまた子供
に戻るのかと思うと、自然の偉大さを感じる。
カーテンのよく揺るる日や桜餅 西村 麒麟
(『俳句界』四月号「てつちり」より)
「カーテンのよく揺るる日」というのだから、一日家にい
たのだろう。何ごともない日にも何ごとかはある。例えば花
を一輪飾るだけでも、その日が何か変わった日になったよう
な印象を持つ。掲句ではそれが「桜餅」で、食卓の上に桜餅
がいくつかあるだけで、それがカーテンの揺れと相俟って、
その場がふっと明るくなったような気持になる。それだけで、
その日が良かったな、と思うから不思議だ。