No.1102 令和6年2月号

井垣清明の書41

平成13年(二〇〇一年)三月 第36回北城書社展(上野の森美術館)(個人蔵)

釈 文

楽(ラク・たのしい)

流 水 抄   加古宗也


知立には昔馬市草芽吹く
木の芽田楽たれは八丁味噌がよし
こんにゃくは三角四角味噌おでん
海青ければ目張東風ゆるく吹く
この郷にいまも馬喰桜東風
石棺の蓋ずれてをり地虫出づ
矢場町を抜けて馬場町飛花落花
説教場跡とや柳芽を吹ける
湖北には観音多し燕来る
大悪人虚子ふと四月八日来る
虚子の忌の朝俳小屋を訪ねけり
俳小屋へ土橋を渡る蝶の朝
峰入りや吉野は法螺貝に夜明けたり
竹柄杓水場にころげ蔓桔梗
木の芽雨降る将門の塔仰ぐ
爼は桧の柾目桜鯛
花冷や両の手に抱く井戸茶盌
犬山に如庵てふ庵名草の芽
岩村
酒蔵を貫く疎水花筏
著莪咲いてをり古井戸に竹の蓋
城垣にまじる石棺万愚節
城垣に咲いて地獄の釜の蓋

真珠抄二月号より 珠玉三十句

加古宗也 推薦


関ヶ原巡れば背中より冷ゆる      池田真佐子
木乃伊仏かしぐ寒さの四方より     乙部 妙子
鍵開けて閉めてひとりの家寒し     工藤 弘子
舟屋二百戸冬ざれの軒つらね      髙𣘺 まり子
昼の月に惹かれるごとく鷹の舞ふ    堀口 忠男
水鳥や海の鳥居は暮れ残る       中井 光瞬
直角に樫ぐね刈られ冬来る       渡邊 悦子
着ぶくれてつい挨拶をしそこなふ    堀田 朋子
木型あまた吊りて靴屋の師走かな    堀場 幸子
この橋を渡れば雁木傘たたむ      磯村 通子
浮寝鳥鞆の港の常夜燈         村重 吉香
庭隅の落葉だまりは風溜り       鈴木 玲子
冬桜言葉優しき人に会ふ        関口 一秀
立冬の峠電柱痩せて立つ        市川 栄司
冬ざれを来て泰吉の奈良を観る     池田あや美
枕辺をにぎやかにして風邪籠り     加島 照子
冬ざれやあかずの門の剣塀       山田 和男
末枯れて売地てふ文字現はるる     坂口 圭吾
近頃は俳句が全て冬木の芽       石崎 白泉
家普請今日はおでんの外食日      大石 望子
わたしだけ見てよポインセチアあふれ  大澤 萌衣
糸瓜曲る地に触るることあきらめて   大杉 幸靖
気嵐の島を隠して神代めく       梅原己代子
冬の夜を鼓動の如く食洗機       琴川 容子
冬日差まぶた閉ぢれば真つ赤な血    堀田 和敬
待ち合わす二十歳の頃のコート着て   黒野美由紀
枯葉舞ふ拓郎の曲次々と        春山  泉
そつと踏む仏足石や冬日向       白木 紀子
読み了へぬままに本買ふ十二月     川嵜 昭典
夫と聴くゴスペル勤労感謝の日     天野れい子

選後余滴  加古宗也


関ヶ原巡れば背中より冷ゆる        池田真佐子
関ヶ原は岐阜県南西端に広がり、秋には稲田が大きく広
がって美しい。古くは東山道の要地で、戦国時代の終局を
決定づけた例の関ヶ原の戦いが行なわれたところだ。昨年
のNHKの大河ドラマで最後の山場として登場している。
いまさらではあるが、徳川家康がこの戦いの勝利によって、
江戸幕府を開き、徳川慶喜の大政奉還まで十五代二六五年
間、徳川家が将軍として政治の中枢にあった。いまさらな
がらだが、二六五年もの長い間、日本に戦争が無かったと
いうことは驚くべきことだ、とこの頃ときどき思う。本題
に戻って、関ヶ原の古戦場跡に立ったとき、歴史が大きく
動いたことをしみじみ思ったことを思い出す。この句の眼
目はいうまでもなく「背中より冷ゆる」で、背中は身体の
中で最も無防備なところ。古戦場跡の碑に立ったとき、か
の日の戦場がまざまざと想像されたに違いない。
読み了へぬままに本買ふ十二月       川嵜 昭典
作者も読書家であり、愛書家なのだろう。本が読み了ら
ないうちに次に読みたい本が出てくる。読みたい本が出て
くるともうがまんがならなくなるのだ。ましてや十二月、
来年はこの本から読もうと自分の中で早々と計画してしま
うのだ。それが愛書家。かくして、愛書家はついつい積ん
どく家になってしまう。ただ、私も愛書家だから、ここで
言い訳を一言。「積んどく」といっても、単に積んどくの
ではなく「いつかは読もう」と思っているということだ。
元日の地震のときには、一瞬ではあるが本の下敷きになっ
て圧死するのではないかと思った。それでも不思議に怖い
とは思わなかった。愛書家というものはそういうものだと
勝手に納得しているのだが如何。
鍵開けて閉めてひとりの家寒し       工藤 弘子
一人住居を強く意識するのは家の鍵の開け閉めのときだ
ろう。外出から帰って家のドアを閉めるとふと一人を意識
する。閉めることは外部とのつながりを遮断することであ
り、とたんに心細さが胸をふさいだりするのだろう。
電車音遠のいてゆく炬燵かな           弘子
玄関を閉め、しばらく炬燵に温もる。それは今日一日が
一応終ったという安堵の瞬間だ。と同時に一人であること
の淋しさが、頭をもたげてくるときでもある。「電車音遠
のく」は心の奥で、あるいは耳をそばだてて電車の音を追
いかけているようでもある。そんなとき、炬燵の暖かさが
うれしい。そして、俳人には俳句があることを思う。
水鳥や海の鳥居は暮れ残る         中井 光瞬
作者は広島の人。即ち、この鳥居は「安芸の宮島」の鳥居
だ。宮島は厳島(いつくしま)神社の別称で、日本三景の一
つに数えられている。丹塗の社殿、回廊、そして鳥居。潮が
満ちてくると社殿は海に浮かんでいるかのように見え、鳥居
は海の中に立っているように見える。水鳥は日暮が近づき、
静かに潮に身をまかせてをり、宮島の鳥居は夕日を浴びて
くっきり美しくその存在感を見せている。かつて、若竹の同
人だった林紫陽桐氏(故人)が、宮島が見えるところに別荘
を持っており、何度も遊びに来いといわれたが、ついに果た
せなかった。いま紫陽桐門下の中井光瞬同人をはじめ、光瞬
同人を中心に若手が次々に育っていることはうれしい。
神君の胞衣塚に聞く虎落笛         荻野 杏子
「神君」とは「徳川家康」のこと。家康は死して、「東照
大権現」を天皇家から賜った。即ち、死して、神の列に入
る「権現」になった。その家康は岡崎城に生まれている。
岡崎城址には、いまも家康が生まれたとき、井戸から竜が
現れ、天へ駆け上がったと伝わる古井戸があり、胞衣塚(え
なづか)という奇妙な塚がある。つまり、胞衣というのは、
「胎児を包んだ膜と胎盤」のことで、現在は出産後、直ち
に汚物として処分されるが、家康くらいの人になると、立
派な塚をつくっておまつりするものらしい。岡崎城の内堀
のやや土塁の盛り上がったところに、家康の胞衣塚が今日
もまつられている。余りに立派ゆえに「神君」の意味が何
となく見えてくる。と同時に、その前に立つと何処からと
もなく虎落笛が聞こえてくるような気がしてくる。
舟屋二百戸冬ざれの軒つらね        髙𣘺まり子
「京都府伊根町」と前書きがある。つまり、京都という
と多くの人が千年の古都京都を直ちに連想してしまうが、
京都府となると、これがずいぶん広い。伊根町といえば日
本海に面した伊根港を持つ漁村だ。伊根湾にはかつてたく
さんの舟屋があった。一階の部分に漁船を納め、二階が住
居になっている。つまり、わが家からすぐに漁に出られる
ようなつくりになっているのだ。伊根湾にはいま遊覧船が
あり、湾内を就航することができる。遊覧船が走り出すと
すぐ鴎の大群が船を追跡してくる。ポップコーンをおねだ
りするのだ。船から見える伊根は舟屋の景がいい。画家た
ちが好んで題材とするところでもある。舟屋の描写が的確
で心地よい。「冬ざれ」によって鄙びた漁村風景がより魅
力的になった。

竹林のせせらぎ  今泉かの子

青竹集・翠竹集作品鑑賞(十二月号より)


箔の用具はなべて竹なり秋気澄む       酒井 英子
この箔は金箔。紙のように薄く延ばした箔を扱う用具は、
ほとんどが竹製。静電気の起きにくい材だそうです。以前金
沢で見たのは、竹のピンセット?で持ち上げた箔を吐く息
で平らに落ち着かせる作業。息をすることにも気を遣う繊
細な作業に、清澄なる秋の空気感。職人の息遣いが聞こえる
よう。
顔見世や義理人情の世に遊ぶ         市川 栄司
舞台に繰り広げられる義理と人情の世界。世界情勢も含め、
先行きに明るい見通しが立たない昨今、憂き世を離れて、し
ばし泣き笑い、心も解放されるようです。歌舞伎を堪能し、
京に遊んだひと日のたっぷりとした豊かさが伝わります。
海光へ海桐実を爆ぜ実をこぼす        江川 貞代
初めて海桐(とべら)の花を見たのは、伊勢の二見ヶ浦の
夜の海岸でした。一種、複雑な匂いでしたが、掲句は昼間の
景。その花が実を結び、赤い色が輝いています。太陽の光を
一面に受けたまぶしい海と、その海に向かって海桐のこぼれ
た実の赤さ。自然の生命力の強さが呼び起こされます。
風音の波音となる秋の砂洲          岡田つばな
大いなる自然、を実感したトンボロが蘇ります。秋の浜に
身を置いて、聴覚だけに絞っての一体感。潮の引いた砂の上
を歩けば、風の音と波の音が重なって…。三河湾の豊かな秋。
腰強きうどん掬へり鬼城の忌         工藤 弘子
このうどんは、群馬・伊香保が誇る水沢うどん。上州吟行
の際、一秀さん予約の老舗「田丸屋」で昼食に頂きました。
笊に盛られたうどんは、つるつるとしていて弾力があり、つ
け汁は二種類。掲句の「腰強き」に、麺だけでなく鬼城翁の
もつ底力も込められているようです。箸に掬ったうどんの弾
力、艶やかさと共に、初めて食した小さな感動も蘇りました。
水郷はくまなく晴れて鵙日和         加島 照子
一読、気持ちのよい景が広がります。中七のすっきり感。
その感じは澄んだ秋の大気へ通じています。水に恵まれた、
のどかな自然の中、鵙の鋭い鳴き声が響き渡っています。
茶の街の雀干潟の蛤に            重留 香苗
季語は晩秋の「雀蛤となる」。元々は、里に雀が少なく
なったのを海で蛤になっているため、と解した中国の古典
に拠るようです。実際「脹(ふくら)雀」という小鳥の姿に
似た貝もあるそうですが。この遊び心に富んだ季語が、実に
うまく一句の中に配合されています。お茶処西尾への挨拶と
して、またトンボロを歩く環境セミナーの実景も踏まえ、巧
みです。
この坂は後ろ歩きで今日の月         堀田 朋子
良い夜です。後ろ向きに歩ける坂は勾配の緩い平坦な登り
坂。ゆっくり月を仰ぎながらのぼれば、一足ごとに月も上る
ような。ちょっと心も弾む、まんまるの「今日の月」。
秋風や一号窯のひそり立つ          鶴田 和美
洋食器、ディナーセットを手がけた歴史あるノリタケの一
号窯です。進取の気性に富んだ明治という時代を知る窯は、
その名残を留めているかのようにひっそりと。秋風の吹く蕭
条たる景に、時代の変遷、万物流転の無常もまた思われます。
ワクチンを待ちつつ秋を老いてをり      廣澤 昌子
医学の進歩の証、ワクチンを頼りとしながらも、老いを実
感する毎日。少しずつ衰退へと向かう秋と同様、自身の体の
衰えもまた、自然のこととして受け入れているのでしょう。
が、その静かな心もちは決して老いてはないのだと思います。
名を呼べば猫が顔出す草の花         水野由美子
呼んだのは子どもの名前だったのでしょうか。声に応えた
のは猫、の展開にかわいい幼児を想像します。人の顔より地
面に近い猫の顔。目線の低い位置につながる「草の花」。
けら鳴くや人には見えぬ後遺症        安井千佳子
その人自身の痛みは、当人にしかわからないもの。外見は
元気そうでも、小さな障害や心の不安等、症状が残っている
のでしょう。みみずと違ってけらは、実際に土の中で鳴くよ
うです。秋の夜、確かに鳴く螻蛄とまだ残っている痛みと。
腰を折る観音勢至秋深む           長坂 尚子
中七の観音菩薩と勢至菩薩は、阿弥陀如来の脇侍(きょう
じ)として、両脇に安置されている像。場所は吉良にある県
内最古の木造建築「金蓮寺」の弥陀堂です。国宝指定。腰を
かがめた様子が描く緩やかな曲線。深まりゆく秋の中、三尊
の像が嫋やかに参拝者をお迎えしてくださるようです。
引く潮を待ちつつ銀杏飯を食ぶ        伊藤 恵美
地元の方ならではのトンボロの一句。引き潮になって向か
いの前島へ行ける砂地が現れるのを待っているのです。銀杏
の炊き込みごはんを食べながら。なんと羨ましい。お仲間と
一緒なら、尚更おいしい。おおどかな土地柄を思いました。

一句一会     川嵜昭典


塀の猫すとんと消えて秋の暮         藺草 慶子
(『俳壇』十二月号「枯野まで」より)
つい先ほどまで塀の上にいた猫が、ちょっと目を離したす
きにいなくなってしまったのは、猫が素早く移動したのか、
釣瓶落しのせいなのか、どちらとも分からないのがこの句の
面白さだろう。そのちょっとした隙に猫は闇に紛れており、
猫の持つ、動物的な妖しさ、不気味さをも感じさせる。また、
その猫の気配を感じようと、こちらも全身に気を溜めるうち
に、自身も動物的な本能を呼び起こされてしまったかのよう
な、そんな闇の力のようなものも感じさせる。秋という季節
の持つ、もの悲しくも澄み切った妖しさを感じさせる句だ。
秋の暮話し足りない人ばかり         伊藤 政美
(『俳壇』十二月号「紅屋橋界隈」より)
一枚の絵を見るような句。日が暮れようとしている秋の光
の中に、数名の人影が暗く立つ、そんな絵だ。また、「話し
足りない」という言葉は、単におしゃべり好きということで
はなく、すぐに日が暮れてしまう秋と、その時間では名残惜
しい人の気持ちとが対比となっており、美しい。まさに秋の
暮という季語の本質を突いている。人と話をする、というの
がコロナ禍以降薄れてきているようにも感じるが、だからこ
そ、一度現実に会ってしまうと、あれもこれも話したいと思
う欲求が強まってきているのだとも思う。人と実際に会うこ
との価値や重みが、以前よりも高まっているのではないかと
思う。
柚子味噌や飲み屋に届く駅の声        柏原 眠雨
(『俳壇』十二月号「豊年」より)
ガード下か、地下鉄などの地下街の飲み屋だろうか。いず
れにしろ、駅の、がやがやとした声をよそに、一人飲み屋で
柚子味噌の香りを楽しむ姿は、どこか人間的で、温かい。そ
れはすなわち「駅の声」という、他人に合わせざるを得ない
時間から抜け出すことのできる心地よさなのだろう。群れな
いと人は生きていけないが、同時に群れから離れないと生き
ている意味が感じられないという、人間の持つ矛盾のような
ものが感じられて面白い。
短日や鞄も男も傷みたる           遠山 陽子
(『俳壇』十二月号「朧月」より)
仕事をする男性が手に持ち歩く鞄は、女性のそれに比べて
圧倒的にくたびれている。そしてそれを持つ男性もくたびれ
ている、が、掲句ではそれを「傷みたる」と表現している。
この「傷みたる」は実に優しい言葉であると思う。というの
は、くたびれているということは、それだけ仕事上の修羅場
をくぐってきたという証でもあり、それを「傷みたる」と表
現し、労ってくれているような気にもなるからだ。そして、
「短日」という季語と共に、それは男性の切ない心の内を表
しているようだ。仕事が戦場と同視されるのは一昔前の価値
観であるのかもしれないが、それでも仕事をする男性や女性
はそれだけ本気で毎日戦いを挑んでいるのだ。
素粒子のとほりぬけたる芒かな        村上 鞆彦
(『俳壇』十二月号「いつ消えし」より)
素粒子の中でも、一番有名なものはニュートリノだろう
か。このニュートリノは、一秒間に一〇〇兆個が私たちの体
を通り抜けているそうだ。なんとも不思議な話だが、そう考
えれば、身の回りに普通にあると考えてる芒も、どうしてそ
こにあるのかと問われれば、全く分からない。分からないな
がらも、その姿や形、季節を愛で、我々は生きていく。この
生きていく、というのも、大きな宇宙の中では小さいものだ
が、小さいものでも宇宙からのニュートリノを纏いながら生
活する。そんな、芒も、我々も、宇宙も、全て循環しながら
繋がっていると感じさせるのがこの句である。
冬の夜を楽譜とドレス背負い帰る       川名ますみ
(『俳壇』十二月号「連打音」より)
演奏会後の演奏者というのは、意外と重労働だ。楽器や譜
面、衣装など、まさに掲句のように両手が塞がったまま帰ら
なければならない。一方、気持ちは高揚していて、毎晩舞台
で演奏し続けていてもいいと思えるくらい心地良い。まさに
「冬の夜」のような、凛とした清々しさと、きらきらとした
明るさが感じられるような気持ちだ。この、体はしんどいが
心は軽やか、という相反した気持ちになれる機会はそうそう
ないので、やはりまた舞台に立つことを望んでしまうのだろ
う。実体験が冬の夜の美しい句に昇華している。
待宵や両手につつむ志野茶碗         野木 和美
(『俳壇』十二月号「秋のこる」より)
待宵、すなわち旧暦八月十四日に、ふっと口から出てきた
ような、作意のない句。「両手につつむ」という所作に、明
日の月を待ちわびる気持ちと、今日の月を大切に思う気持ち
とが感じられる。同時に、志野茶碗の素朴な味わいは、それ
らの気持ちが全く素直であることを印象付ける。