鈴木いはほ、隆子句集「夕納涼」(ゆうすずみ)私家版
温かい句集である。
西尾の地に生を受け、育まれた感性が紡ぎ出した、ていねいな句群。
土地の歴史の重みと共にある上質な詩ごころ。
子を思う親としての切ないまでの思い、成長を見守るその姿勢。
父であるいはほ氏、母である隆子様、そのご子息帰心氏の熱い思いからの企画である。
家庭のあたたかさが礎となって、本句集という形となった。
隆子様もいはほ氏に寄り添いながら、自身の詩情で春夏秋冬をこまやかに詠み上げている。
昭和二十二年から平成二十九年までの、なんと七十年の長きにわたっての作句。
精鋭されての上梓である。
以下は加古宗也主宰による「序」である。
序
鈴木いはほさんは「若竹」最古参同人である。じつに、昭和二十二年の「若竹 」にその名と作品を見ることができる。
リュック負ふ娘の後れ髪秋の風
二三人ちゝろの中に終車待つ
いはほさんは少年飛行兵だったと聞くが、 本人の口からはそのことについて一切聞いたことはない。 「謹厳実直」なお人柄から、 そのことを諾うばかりだ。富田うしほはそんないはほさんが大好きで、 何かと頼りにしていた。うしほの坐右銘に「信以成之(信を以って之を成す)」という言葉があるが、いはほさんの半生はまさにこの言葉に尽きるように思う。
富田潮児もまた私も同様で、例えば結社の大事である句碑建立、記念大会など、その全ての成功はいはほさんの力に負うところが大きい。中でも、吉良華蔵寺の村上鬼城句碑の建立、若竹八〇〇号記念大会実行委員長など、今日の若竹の礎を築いていただいた一人であることはあらためていうまでもない。
句稿を四度五度と読み返しながら、いはほさんのお人柄に熱い思いが去来する。
打ち寄せる穂麦の波や鯉幟り
鴫焼や妻は貧しさを語らざる
寒灯や産声もなく生れし子
蓮如忌や人の善根疑はず
陶榻(とう)に日のぬくみあり花八ツ手
鵜には鵜の序あり鵜飼の舟仕度
話しつつ目は水に据ゑ紙漉女
修験者の辞儀に涼あり峰吉野
士郎忌や夢の器といふ書斎
眦(まなじり)に利発さ育ち夏帽子
風を聴くこころ授かり真潮忌
小春日や碑の座づくりの石を組む
書に力簡に情あり瓢々忌
田作りの煎り手は嫁に移りたる
秋うららテムズ河の船下り
鈴木隆子さんについては、いはほさんほどに深く理解するところではないが、平たく、また率直な感想を述べるとすれば「夫唱婦随」「良妻賢母」の人といえると思う。現在の吉良俳句会の主なメンバーが顔を揃えた俳句講座にいはほさんとともに出席されるようになり、ご一緒に俳句の道に精進することになった。ご子息帰心さんの孝養心から生まれた句集出版の企画には、私も熱い思いで賛同した。
私の好きな句をいくつか、後に記して、序の責めを果たしたことにしていただきたいと思う。
百戦錬磨とは末つ子の筆始
干支四たび巡り来し子やなづな粥
神官の沓音揃ふ歩射神事
母の日や息子の俳号帰心とす
青信濃ローランサンの淡き色
寒蝉や何やら急かるることやある
白露の節長期研修了へし子と
千枚田洩れなく水を落しけり
秋の風異国に馴れし子と歩む
還暦と米寿の祝ひちゃんちゃんこ
祖母に似し母に吾似しかぶらむし
平成三十年二月
守石荘にて
加 古 宗 也
素晴らしい俳句ばかりで、みな子様の選句のご苦労が拝察されます。
その中から、更に好きな句を選ぶなどご無礼の極みですが、次の俳句、特に好きです。
鈴木いはほ氏の俳句
沙羅ちるや律寺におもき抱地蔵
花火みるそびらや人生劇場碑
鈴木隆子氏の俳句
淡竹の子うすむらさきにかほり立つ
章魚壺の屋号太字や神の島
句集『夕納涼』の中から、清水みな子の好きな俳句をお知らせします。加古宗也主宰が序の中で取り上げた句以外で。
鈴木いはほ氏の俳句
いはほ氏の姿の見えてくる句
甚平やこのみの鮭は塩うすく
沙羅ちるや律寺におもき抱地蔵
惜命の捕虜とし三月敗戦日
いはほ氏の詩心、俳句への姿勢を感じる句
院庭のさざんかに詩の育ちたる
年用意表紙に太く多作多捨
湯豆腐や詩とは常に滾るもの
菊を焚くけむり炎となり詩となる
老いて尚句ごころ澄めり去年今年
吉良に対する思いの句
柿熟れてをり赤馬の道平ら
花火みるそびらや人生劇場碑
薫風や黄金堤に吉良ごころ
青麦の穂は立ちそろひ吉良平
繊細さを感じる句
一途なる天道虫の歩巾かな
ひぐらしの終曲風に流れゆく
鈴木隆子氏の俳句
尾﨑士郎に関する句
魚は氷に尾﨑士郎の旅鞄
士郎逝きし日もかくなりや牡丹雪
あたたかき士郎の言葉春火鉢
印象の鮮明な句
淡竹の子うすむらさきにかほり立つ
風を聴く心持ちたし風知草
章魚壺の屋号太字や神の島
テムズ川の橋見上げては秋の航
雲水の足早やに来る黄落期
雪まろげ赤きマントの女の子
蕪村画く襖のかくもおおどかに
以上清水みな子の好きな俳句を抜き出させていただきました。